4.液晶の向こうの獲物

 ベリアルは、レア・ベゾアールの顔だけを覚えていた。

 けれどもその名前をはっきりと思い出したのは、実際に彼女を前にした時だった。


「やぁ、こんにちは。えーっと………………レア」

「思いだしてくれて嬉しいわ、女優さん」


 レアは生暖かいまなざしでうなずいた。

 場所は、二人が最初に出会った場所と同じ。セカンドトリスの広場だ。日差しが燦々と照らすそこは、今はたくさんの人と花で満たされている。


「……今度は何? 花屋でも始めたわけ?」

「まあ、そんな感じね」


 レアはうなずきつつ、様々な色の薔薇を生けたバケツから一輪の白薔薇を取った。

 そうしてそれを、レアは手早く綺麗な包装紙でくるむ。


「これも山羊の園の慈善事業の一環よ。薔薇を一輪買うごとに、売り上げが貧しい人に寄付されるの。貴女もどうかしら?」

「花、ねぇ……」


 バケツに生けられた色とりどりの薔薇と、それを嬉しそうな顔で買い取る人々――。

 そんな風景を、ベリアルはじいっと見つめた。


「……花って、もらったら嬉しいもの?」

「そりゃ嬉しいと思うわ。相手の好みにもよるけど……もしかして、あげたい人がいるの?」

「……別に。なんでもないよ」


 ベリアルは肩をすくめつつ、周囲の建物の様子をうかがった。

 青空に、カラスの影はない。地上にいる場合、悪魔は日中はあまり活動しない傾向にある。

 それでも、どこにマモンの目が光っているかはわからない。


「……対策はしてきたけど、注意しないとね」

「あら、なにかいった?」

「なんでもない。――で、前にした話を覚えてる?」


 ベリアルがたずねると、レアはしばらく考え込むようなそぶりを見せた。

 しかし、すぐに「ああ」と手を合わせる。


「セカンドトリスで、なにか変わったことがなかったかって話よね? あれからうちのスタッフにも、いろいろと聞いてみたんだけど……」

「収穫無し?」


 ハズレだったか、と内心ベリアルは呟く。

 街に住む人間ならば、なにかしらの異変を察知するものだと思い込んでいた。

 やや落胆するベリアルに対し、レアは困ったように眉を下げる。


「ごめんなさいね……この街は、大体毎日いろいろなことが起きているのよ。一昨年は街一番の自動車工場が破綻したし、去年は――ああ、ほら。あれを見て」


 レアの指さした先に、ベリアルは視線を向けた。

 そこには大きな街頭ビジョンがあり、身なりの良い黒髪の男が熱弁していた。


『非日常を求める皆様に! 癒やしを求める皆様に!』


 ダイヤのタイピンを光らせて、黒髪の男は笑顔を見せる。白い歯が眩しかった。


『ジョイス・リゾートは刺激的なエンターテイメントをお約束します!』

「悪魔が好きそうな顔をした男だね」


 やたらと金ピカでゴージャスなコマーシャルに、ベリアルはごく短く感想を述べた。


「あのウィリアム・ジョイスの出現も、この街のイベントの一つね」


 レアは周囲に視線を向けると、内緒話をするように口の横に手を当てた。


「あの人、ちょっと不思議なのよ……」

「不思議って?」

「実はね……ジョイスは、元々は一昨年破産した自動車工場の整備員なの。元々ギャンブル癖があって、工場が破産した後は一文無し。奥さんや娘さんにも見放された人」

「……やけに詳しいね?」

「そりゃそうよ。だってあの人、去年まで私の団体から支援を受けていたホームレスよ?」

「…………へぇ、それはそれは」

「彼、廃工場近くのスクラップ置き場でずっと寝泊まりしていたのよ。で、去年の夏くらいに急に行方をくらまして――秋になったら」

「億万長者になっていたわけだ」


 ベリアルは、長々とコマーシャルを流し続ける街頭ビジョンを見上げた。

 今はジョイスではなく、彼の敏腕秘書というドイツ語訛りのある美女を映している。


「……メフィスト・フェレス」

「そうね……悪魔と契約したとしか思えない成り上がりっぷりだわ」


 でかでかと映る同胞に呆れるベリアルに対し、大まじめな顔でレアはうなずく。


「今じゃ各種カジノやリゾートホテルを運営する経営者よ、ジョイスは。稼いだ分を貧しい人に還元したりもしてるから、社会にも貢献してるけど……」


 再び笑顔のジョイスが映る街頭ビジョンを見つめて、レアはため息を吐いた。


「彼の経営する施設は、変な噂もあってね――」

「へぇ……その話、なんだか面白そうだね?」


 ベリアルは薄く笑う。

 緑の瞳は、獲物を前にした獣の如く爛々と光っていた。

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