ボクは女の子? 精役少女まひる誕生!【1】

「真昼くんが女の子に……。嘘、そんな」


 身体を小刻みに震わせながら、白雪小宵しらゆきこよいは愕然とお風呂マットの上にへたり込んだ。母として息子の急激な変化に理解が追い付かなかったらしい。

 大体当の本人ですら未だに困惑しているのだ。お腹を痛めて産んだ我が子が息子から娘になってしまえば、母親の衝撃は相当なものだろう。

 と、真昼は思っていたのだが──、


「ようやく私の願いが神様に届いたのね……」

「えっ?」


 ポロポロと大粒の涙を溢しながら小宵は至福の笑みを浮かべていた。


「え、あ、何で泣いて。ど、どうしたの?」


 オロオロしながら真昼は母に尋ねる。


「それが嬉しくて。男の子の真昼くんも好きだけど、『女の子だったらなぁ』って一日三回は思ってから」

「そんなにっ!  お母さんボクに対してそんなことを思ってたの!」

「お母さんは男の人より女の子の方が実は好きなのです!」

「息子のこの状況で告白することじゃないよ!」


 パジャマのまま胸を張って告げる母に真昼は裸で突っ込んだ。

 実の子供という補正が入っているとはいえ、小宵は良い母親だという自信はある。しかしながら時々披露される独特な考えにはついていけないこともあった。


「ひとまず身体を拭いて服を着ましょう。話はそれから」

「うん」


 少しだけ明るさが戻った声と共に真昼は頷いた。

 促されるままに風呂場から脱出すると、いつの間にか棚の上に置かれていたバスタオルを手に取り身体の水滴を拭った。流石に真昼の気持ちを汲んでくれているのか小宵にじろじろと見られることはなかった。


「髪質も良くなってる。滑らかで艶やか」

「ボクには良く分からないけど」


 濡れた髪の先を掴む。指の腹で転がしてみるもいまいち違いが分からなかった。


「男の子はあまりそういうの気にしないからね」


 そんなものかとタオルを頭へと持っていく。


「じゃあ着替えを用意してくるわね」

「うん、ありがとう」


 警戒な足取りで脱衣所から出ていく小宵を確認して、真昼は鏡へと向き合った。前から丸みのある身体だったが今は前より顕著になっている。髪も間違いなく昨日より長い。女子と間違われることが多い人生だったが、まさか本当に女になるとは。

 真昼はため息を吐きながら髪にタオル当て乾かし始めた。それからドライヤーで温

風を当てていると、再び母が登場した。


「はいこれ」


 小宵が用意した衣服を見るや否や真昼は一旦ドライヤーの電源をオフに切り替えると、棚の上に置いた。人間驚嘆することが続くと逆に冷静になるらしい。


「何これ」

「何って真昼くんの着替えだけど」

「見れば分かるよ。ボクが聞いてるのはどうして女物なのかってこと!」


 下着類は真昼が普段使用しているものに間違いないが、スカートやブラウスは全く持って縁がないものだ。


「だって今の真昼くんに似合うと思って。流石に肌着までは用意してなかったのが私のツメの甘さね」


 頭が痛くなってきた。この騒動の犯人は実の母なのでは無いだろうか。


「あーもう分かったから、あっち行ってて」

「はーい」


 返事を返すなり軽い足取りで脱衣所へと出ていく。小学生の時に事故死した父親の責をも担い、女手一つで育ててくれたことには感謝しているが、少々趣味が高尚過ぎる。


 不意に幼少時のとある光景を思い出す。小宵の思うがままに女の子の服で着せ替え

人形にされていたことを。


 でも、あの時はボクも喜んでたんだよなぁ。


 髪を乾かし終わり、ブラウスの裾に手を通しながら思う。

 何時からだろう。「女の子っぽい」と言われることに嫌悪感を抱き始めたのは。

 外見が中性的、それも女子の方に寄っているのは自覚している。趣味が裁縫で甘いものが好きだ。運動も得意ではなく勉学も人並み。

 

 だがそれがどうしたっていうんだ。

 ボクは男だ。姿や性格がいくら女の子に近くともボクは男なのだ!

 

 しかしながら着替え終わり鏡を見ると、はっきりと今の自分が女だという現実がやって来た。


「マジか……」

 

 見れば見るほど自分が今まで立っていたはずの足場が崩れ去っていくような感覚を覚える。先程とは方向性が違う現実を受け入れられないことによる恐怖があった。


「真昼くん着替えられたー?」


 扉越しに声を掛けられ慌てて手の甲で目元を拭う。


「うん、大丈夫」


 応えると直ぐに扉が開く。

 真昼は激しく抱きつかれるのかと思った。しかし小宵は真昼の様子を見るなり息を呑むと、静かに優しく彼を抱きしめた。


「ごめんなさい、真昼くん」

「ぇ?」


 思いも寄らなかった反応にか細い声が出る。


「恐いよね。不安だよね。それなのに私舞い上がっちゃって……」


 違う。母を悲しませたかったわけではない。

 ただ、ボクが弱かっただけだ。


「本当にごめんなさい」


 強くならないと、と思った。

 本当の意味で男にならないと意味がない気がした。


「うんん。ボクこそごめんなさい。心配かけて」

「何言ってるの。真昼くんは何も悪くないでしょ。急に女の子になったんだもの、不安になって当然よ」

「うん」


 感動的な言葉に胸が熱くなる。衣服を通しているが十分温もりが伝わってきた。

 しかし不振なことが一つだけあった。


「ねぇお母さん」


 母の首の後ろで呟く。


「なに? 真昼くん」

「いつまで抱き着いてるの?」

「え? お母さんが満足するまでだけど」


 もうこの人はっ!


 温もりが熱に変わり頭に血が上った時、ふと変な声が聞こえた。


「──────?」


 人の言葉よりも動物の鳴き声に似ている。


「ねぇお母さん。変な音しない?」

「……? 本当ね。何かしら?」


 小宵のハグから解放されると、異音がした方に目を向ける。見えるのは開けっぱなしになった扉の隙間。ただそこには本来であれば有り得ないものが鎮座していた。


「お母さん、ボクのアケボノザウルス持ってきたの?」

「うんん、私は知らないわ」


 しかしこの家に居るのは二人しか住んでいない。人形が動くとすれば真昼か小宵以外に原因がないはずだが、真昼にも心当たり全くなかった。


 さっき部屋にあったよね?


 そう思った時、再びうめき声のような重低音が聞こえてきた。


「真昼くんのアケボノザウルスから声がしてない……?」

「う、うん。一体何で……。綿しか詰めてないはずなのに」


 衝撃的な出来事に身構えていると何度か声がした後、恐竜は横に首を振るや否や――、


「わっ!?」「ひゃっ!」


 頭突きをするように人形が二人に向かって飛んできた。

 しかしながら行動に驚いたものの速度は大したことはない。そのおかげか受け止めるのも容易だった。


「っと」


 抱き寄せてアケボノザウルスの口を凝視する。口元は布同士で縫い合わせられており、真昼が作った時と何も変わっていない。ただの観賞用の人形だ。


「おーい、聞こえるか!」

「うわぁ!」


 突然の言葉に思わず放り投げてしまう。今度は小宵がそれを受け取ると、不思議そうに人形を見つめた。


「投げることはないだろ、おい。こっちは何度も呼び掛けてるってーのに」

「……怨霊の類いかしら?」

「化け物じゃねーよ! れっきとした人間――いや、だが死んじまったし否定は出来ねーのか?」

「あらあらそれは難儀ね」


 自問自答する正体不明の物体に対してのほほんと小宵が返す。


「良く分からないけど、ボクが女の子になったのもキミが関わってるの!」


 食い付くように割って入る真昼。事態の元凶らしきものが現れたとなれば怯んでなどいられなかった。


「あー、まあ、言いにくいがその通りだ。申し訳ないと思ってる。ただ事故だったんだ。これだけは信じてくれ」

「そんなことはどうでもいいよ! ボクは男に戻れるの!」


 凄まじい形相で布製の恐竜の顔面に顔を近付ける。


「お前が怒るのは最もだ。怒るのも無理はねー。責められても仕方ねー立場だと思ってる。だが、そこまで凄まれちゃ事情も説明しにくいってもんだぜ」

「そんなこと! だってボクは君に――!」


 怒りに身を任せて暴言を吐こうとした瞬間、視界を掌によって遮られた。


「はいはいはい、真昼くん落ち着いて。この子の言う通りよ」

「お母さん」


 分かりやすく膨れて見せる。しかしながら小宵は目をキラキラさせるだけで逆効果だった。

 彼女は最愛の息子が呆れた視線に変わったことに気付くと、こほんっと咳払いを挟んだ。


「大体こんなところで口論しても良い結論が出るとは思えないわ。場所を移して仕切り直しましょ。ねっ」


 言われてぬいぐるみと目を合わせる。そして、小宵の提案を尊重するように頭を小さく縦に振った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る