其の三 三度の起立――、人の恋路ほど甘い果実もないものだ


「――で、あるから、レイラは気高く、美しいの。そう……、彼女はかの英雄、ジャンヌ・ダルクの如く、幾多の軍勢へと勇猛果敢に攻めていったわ。その美しい肌に傷がつくことなど一切躊躇せず、女であることを忘れ、恋人であるアルクとの愛も捨て置き、バッサバッサと暗黒猿人達を斬り倒し――って、モモカ聞いてる?」

「……ふぇっ?」


 陽明学園、二年一組、とある昼下がりのワンシーン。


 タコさんウインナーを箸でつまんだままボーッと窓の外に目をやっていた私の口から、気の抜けた声が漏れ出る。


「……聞いていなかったわね。せっかく私が昨日見たアニメ、『聖騎士レイラと暗黒猿軍団』のハイライトシーンを解説していたのに……」


 普段から細い目つきの彼女……、『如月きさらぎ双葉ふたば』が、その目をさらにジトッと湿らせて私のことをヌルリと睨む。ゴメンゴメン慌ててと謝った私は、そのままふわっと生あくびをかました。


「モモカ、あなた今日なんだか、ずっとボーッとしているじゃない……、昨日寝るのが遅かったのかしら?」

「えっ? あ、うん……、その、考えごとをしていたら、あんまり眠れなくて……」


 その一言にジト目を解除した双葉が、驚愕に満ちたように目を丸くする。


「えっ……、あなたでも、考えごとをしていて眠れなくなることなんて、あるのかしら」

「あ、あるわよ……、フタバは私のこと一体なんだと思ってるの」

「……乳デカ脳筋女子」

「――ほとんど悪口じゃない!?」

「冗談よ……、『半分』は」

「残り半分は本気かよ!」


 ――果たして、『起立!』。

 思わず立ち上がってがなり声をあげる私を見て、能面のような無表情の双葉がフッと口元だけ動かして笑う。


「……良かった、元気になったみたいね……」

「……いや、『あなたのためにわざと言ったのよ』、みたいな顔されても……」


 ハァッとため息を漏らした私はドカッとそのまま席に腰を落とし、ずっと箸でつまんでいたタコさんウインナーを乱暴に口に放り投げた。


 ――双葉とは一年生の時からクラスが同じで、高校では、部活のチームメイトを除いて唯一と言っていい私の友達だった。私は基本的に人を嫌いになったり嫌われたりするタイプではなかったけど、女子同士のグループ行動ってやつがどうしても苦手で……、双葉は私と違ってインドア趣味(というかヲタク)の女の子なのだが、我が道を行き、あまり周りを気にしないという共通点からか私たちは妙に馬が合った。一見正反対に見える二人は、気づいたらいつも一緒に行動していた。


「――ところで、脳みそが筋肉とおっぱいで構成されているあなたが、夜も眠れなくなるような悩みって、一体なんなのかしら」

「……ぶっ飛ばすよ? ……別に人に話すようなことじゃないから、いいわよ」

「もしかして、恋の悩みかしら」

「えっ!?」


 ――果たして、本日二度目の『起立!』。

 思わず立ち上がってすっとんきょうな声をあげる私を見て、スッと身を後ろに引いた双葉が、能面のような無表情のままジト目をヌルリと湿らせる。


「……えっ、今度こそ百パーセント冗談で言ったつもりだったのだけど……、まさか、図星――」

「ちっ……、ちがっ、ちがっ、ちがっ、ちが――」

「――血が出る?」

「ちがでっ……、なんでやねんっ!?」


 顔を真っ赤にしてブンブンと手を振る(あと浪速ツッコミを強要された)私に対して、眼前の双葉がキランと細い目を光らせて、ベテラン刑事さながらの目つきで私の顔を覗き込む。


「……好きな人が、できたのね」

「……い、いやぁ……、好きというか、……ですねぇ~、なんというか、……ですねぇ~」


 恥ずかしさのあまり、私の思考が若干バグり始めているのは言うまでもなく。あさっての方向に目をやり、ヘラヘラとだらしない笑いでごまかそうとしている私のことを、――果たして、如月刑事は逃がしてくれない。


「……その人の顔が頭に浮かんで、いくら頭を振っても離れてくれない、とか……」

「なっ……! なんでそれを!?」

「……重症ね」


 こぼすような声を漏らした双葉が、ドカッと椅子の背もたれに身体を預ける。恥ずかしさのリミッターが限界点に達した私は、自らの罪を白状する極悪人の如く、ぷはぁっと溜め込んでいた息を一気に吐き出した。


「……昨日初めて会った人だし、まともに話をしたわけでもないし……、好きかどうかなんて、自分でもわかんないよ……、私、人を好きになったことなんか、ないし――」

「えっ?」


 能面のような無表情を少しだけ崩して、双葉が再び丸々と目を大きく見開く。


「あなた、高校二年生にもなって、人を好きになったこと、ないの?」

「えっ、な、ないよ……、ずっと水泳ばっかやってたし、そりゃあ、あの人かっこいいとか、そういうのは思ったことあるけど……、なんか、その人のことを考えると『胸が苦しくなる』とか、『夜も眠れない』とか、都市伝説の類だと思ってた……」


 もにょもにょと罰の悪そうに口を動かす私の眼前――、無意識のうちにプラスチック箸を弄んでいたせいか、お弁当の中の卵焼きが穴だらけだ。もしゃもしゃとひじきを咀嚼している双葉が、ゴクンと喉を鳴らしたあとにその細い目をさらに平らにする。


「……イリオモテキョニュウネコね」

「ひ、人を天然記念物に認定しないで……、ってかフタバはあるの? 人を好きになった事……」

「もちろん、あるわ。幾多の国の、異国の王子様たちをね」

「……モニター画面の向こうの人物は、カウントしないで欲しいんだけど……」

「あら、あなた、恋は次元を超えるのよ……」

「……そうッスカ……」


 ハァっと呆れたようなタメ息を吐いたのは今度は『私』で……、「そういえば」と口を開いた双葉が、能面のような無表情のまま私の目をスッと見据える。


「今まで恋に無頓着だったあなたの心をコロッと奪っていった大泥棒は、一体どこの国の王子様なのかしら?」

「……どこの国の王子でも泥棒でもないけど、たぶん吹奏楽部の生徒だよ……、昨日屋上でサックスを吹いていて、名前も知らない、身長は普通、顔も普通、それ以外の情報は何もないから――」


 ――そう、私はあの人のことを『何も知らない』。だから、私のこの気持ちが本当に『恋心』だったとしても、情報弱者の私には為す術がないのだ。

 ゴシック体の太いフォント文字で「どういうことかしら?」と書かれている双葉の顔が、カクンと斜め四十五度に傾けられる。観念した私は昨日の出来事を一から十まで彼女に話す決意をした後、穴だらけの卵焼きをひょいと口に運んだ。


 校庭を歩いている時、私が好きな『クロユリ』のメロディが流れてきたこと、屋上に行くと、『クロユリ』の曲を奏でるその人がサックスを吹いていたこと。その人が、なぜか私に対して「近づくな」と大声を出したこと――


 ――そういえば……。

 言いながら私は、とある奇妙な事実を思い出す。


 ――なんであの人は、私に対してひどく冷たい態度をとったのだろう――


 「品行方正な人生を歩んできました」と、人に堂々と言えるほどの聖人君主でもないが、とり立てて人から恨みを買うような悪行はしてきていないつもりだ。初めて会った赤の他人に毛嫌いされる理由は特段思い当たらない。――気づけば、物思いにふけるように口元に手を当てて押し黙っている私を、能面のような無表情がジトッと睨む。


「確かめたいわね」

「えっ?」


 双葉の声に、思わずマヌケな声を返したのは『私』で――、眼前の親友が、イタズラ好きの少年みたいに口元を緩ませる。


「その人が、一体どこの国の王子様なのか……、私たちは、確かめる必要があると思うの」

「えっ!? い、いいよ……、っていうか、なんでフタバが乗り気になってるのっ」

「そりゃあ、他でもないモモカの初恋だもの、親友として、全力で応援したいわ」

「……本音は?」

「こんな面白そうな話、逃す手があるはずないじゃない」

「――本心だだ漏れかっ!」


 ――果たして、本日三度目の『起立!』。

 思わず立ち上がっていきり立つ私を見て、双葉刑事が不敵に笑う。


「――取り急ぎ、情報を持っていそうな人物に聞き込み調査をしてみる……、なんていうのはどうかしら?」

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