天罰執行 6

「悪いな紫苑。油断した矢先にこれだ」

連れ出せば危険度が上がることなど重々承知の上。上葉は決して油断していたわけではない。誰が相手でも、彼女に危害を加える可能性を例え0.1%だけでも秘めているのならば、捻り潰すのみ。

「大丈夫だからさっさとそのダイコン役者をギッチョンギチョンにしちゃえ」

紫苑のことは心配だが、彼女もいざとなれば自衛は出来る。和道ワドウツルギに仲間がいる可能性を考慮するならば、多対一は避けるべきである。

相手の力量がわからない時は、この戦い方が一番である。

そう考えた上葉が出した構えは、夫婦手めおとて

その名の如く、仲睦まじい夫婦のように連れ添って両の腕を動かす、攻防一体の構え。

普段は格下の相手ばかりで久々に使うためにブランクがあるが、体に染みついた動きというものは、動けば動くほど思い出していくものだ。これで問題はない。

そして上葉が構えると同時に、剣も構えた。

「っ……!」

その構えを見た時お互いに驚嘆の反応を示した。

剣の構えも、夫婦手。

まるで鏡合わせかのように、奇しくも同じ構えである。

「驚いたな赤腕。奇しくも同じ――」

「いやお前あの構えはアリクイの威嚇みたいな――」

剣が構えを変えようとしたのを上葉は見逃さなかった。そして瞬時に踏み込む。油断は即座に刈り取るもの。情け容赦は友人知人に取っておくものである。

両腕を上げようとしてお留守になった下を狙う。

だが繰り出した一撃はギリギリのところで防がれてしまう。この間合いで構えを解いてしまう素人にしては中々良い反応だと、上葉は心の中で褒める。

「不意打ち上等。リハビリにはもってこいだ」

「簡単に構えを解いちまうビギナーに不意打ちもクソもねぇよ」

剣は受け止めた拳を相手ごと振り払い間合いを図る。そして再び夫婦手の構え。

先ほどの剣の防戦は単なる力まかせによるもの。素人相手なら楽勝だと上葉は踏んでいたが、力だけであれほど出来るなら少々手強い。

今度は剣が仕掛けた、素人同然の動きならば捌けることが出来たが、パワーとスピードでそれをカバーし、上葉に食らいついてくる。

そして力では上回れていることは、剣も理解した。ならば速攻で勝負を決めるのみ。

「まだ加減が下手だからよ!お陀仏ダブツするんじゃねえぞ!」

互いに押しては引いての繰り返しの中、力任せに剣は上葉のガードを弾き飛ばす。すかさずその隙に渾身の一撃を差し込む。だが。

素人が。そんな遅ぇの入るわけねぇだろ」

冷静に上葉は腕でその拳を防ぐ。

しかし防いだのはいいが想定よりも力が強く、後ろによろけてしまった。すぐさま体制を立て直すが、いまの攻撃は有効であることを相手に悟られてしまった。

上葉は防いだ左腕を振り、重さの痺れを払う。

痛いと感じたのは何年ぶりだろうか。

いつも痛い演技ばかりで、本当の痛みというものはしばらくご無沙汰していたが、母や叔父との稽古に比べればこの程度。

だがあの紅蓮のかいなは思ったよりも厄介すぎる。

「悪かったよ赤腕。いま冥土に送ってやるからな」

相手との距離は十分とれている。だから上葉は右の拳をほどき、そのまま口の中に手を突っ込み。

「んずぁ」

独特な嗚咽と共に上葉はためらうことなく盛大に吐しゃ物をぶちまけた。

「ぅわ、きったな」

剣が相手の奇行に眉をひそめるが、すぐにその行為の真意を知ることになる。

上葉の口から出たものは、粘度性の高い黒い液体。その黒い水は地面に滴り落ちる寸前で逆再生かのように上葉の右腕にまとわりつく。恐らく何かしらの強化を行った。

そして剣の判断が遅れた。

その異様な光景に気を取られ、上葉の動きに反応できずに間合いを詰められた。

「そのゲロで殴る気か!」

よくわからないがそんな汚いものに当たりたくはない。だが避けるにしてはもう遅い。択は防御しか残されていない。

だが防ぐのも不正解だった。

気づいたころには剣の体は宙を舞っていた。

自分に何が起こったのか考える暇もなく、廃材の山に叩きつけられ、まるで粉塵が湧きあがる観客のように舞い上がった。

上葉は剣の生死を確認などせず背を向ける。

殺すつもりで殴った。生きていようが死んでいようがもう興味はない。例え生きていても、虫の息であろう。

「帰ろーぜ紫苑。ついでに外食してくか」

あっけなく終わった一方的な暴力、それを皮切りに上葉が腕にまとっていた黒い水が溶けた氷のようにゆっくりと滴り落ち始める。

「お、ちょっ待て。わかってるけどきったないから寄るな」

スタスタと嫌がらせする気満々で紫苑に近づいていくのを本人が察し、上葉を腕で制すがその歩みは止まらない。

一息ついてのじゃれあいが始まるかとお互いに思った。だがブレイクタイムには少し早かったようだ。

「ッオイ!」

紫苑が異変を察し上葉に向かって叫ぶ。その視線は後方に向いていた。上葉はそれに導かれるまま後ろを向く。

そこにはギラギラと赤く眼光を光らせ、紅い拳を振り上げ、全身が血に染まった赤鬼が居た。まるで噴き出す血が角のようにその畏怖を祀り上げている。

「いてぇじゃねぇか」

赤鬼がその怒りを露わにした。

拳をガードしても殴り飛ばされ、すぐ後ろの紫苑に被害が及んでしまうと即座に判断した上葉は、その拳をわざと顔で受け止めた。

「っぐ!」

そして紫苑の方に飛ばされないように体を捻り、倉庫の壁に叩きつけられる。

「上葉!」

紫苑は上葉の名前を叫んだが返事はない。

そして赤鬼は紫苑に狙いを定め、近づいていく。

「ダメだろ騎士ナイトくん。大事なお姫さまから離れちゃ」

鬼気迫る赤鬼。自分を守る者はすぐには動けない。だがしかし、そんな危険な状況でも紫苑は落ち着いていた。なぜなら、どう足掻こうがその相手に“耳”が付いて満足に機能しているなら、誰も彼女には手が出せない。

紫苑の鋭い眼光が髪の隙間から覗く。そして赤鬼の視界にそれが映り込んだ。そして彼女は口を開いた。


『来るな』


その瞬間、剣の体は止まった。

動けないわけではない。動きたくない、いや彼女の方向へ進むという脳からの命令が、その電気信号が体を伝わらない。

まるで心の奥底から彼女に近づくのを拒むかのように、足が前に出ない。

動けなくなったのを確認するや否や、紫苑は急いで上葉の元へ走り寄る。

「上葉、大丈夫?」

声をかけると返事の代わりに紫苑の腕を掴んだ。

「おいゲロついた方で触んなや」

「……ゲロじゃねぇ。あと……洗濯するのはどうせ俺だ」

軽口は叩ける程度に重症ではないがダメージはある。紫苑は露骨にいやそうに黒い水がついていない方の腕へ寄り、肩を貸し立ち上がらせる。

「大丈夫だ、歩ける。それより俺のイケメンフェイスは無事か」

「こんな時だからってデレると思うなよ」

思ったよりも上葉は丈夫である。この場で仕留めるにはこちらも痛手を負うと判断し、この場を去ろうとするが、その前に聞かねばならないことがある。

しばらくはこちらに危害を加えられない剣の前に二人は距離を取って立ち、問いただす。

「話せ。お前の雇い主は誰だ」

剣は手を動かし、体のあちこちを動かし、紫苑の方に向かうという行為以外は出来るということを確認すると、観念して口を開いた。

「知ってるだろ。俺は詳しくないが、あそこのセキュリティは厳重だ。情報が外部に漏れることはない」

顔に付いた血をぬぐいながら、口の中の血を吐き出し、言葉を続ける。

「聞いてるぜ。女、お前は物心ついた時からずっとあそこにいたみたいだな。お前の存在を知っているのは彼らだけだ。あの研究所で騒ぎが起きなければ、お前が外に解き放たれることもなく、俺が腕を失うこともなかったんだがな」

その言葉に紫苑は目を見開いて、その赤い腕を見る。

その反応に不敵な笑みを浮かべ、剣は勢いよく自分の服を破り捨て、その体を露わにする。

剣の両腕の肩には腕が押しつぶされたことを物語る、痛々しい傷跡が残っている。そしてまるで無理やりくっつかない素材を溶接したかのように、本来の肌と赤い肌がくっきりと分かれていた。

研究所で起こった騒ぎで、腕を失った。確かにいま、この男はそう言った。

「お前も……あそこに居たのか……!」

上葉は思わず声も漏らした。

時子が喫茶店で語っていた都市伝説は、半分だけ当たっていたようだ。噂には尾ひれがつくものである。研究所から逃げ出したというのは間違いであり、事件から生き延びた人間が改造されているということが正しい。それを目の前にいるこの赤腕の男が証明している。

ここまで情報が揃えば、確信する。この場に居る三人が同じ時に居た研究所。その研究所はネクストコープの施設。玄河紫苑の力を知られれば、誰かに彼女が狙われると考えていたが、どうやら敵は最初からただひとつ。二人の目の前にいる赤腕の都市伝説。和道剣はネクストコープの手の者であると。

「やっぱり、ネクストコープの人間か」

その答えに対して、剣は返答しない。ただ口端を緩め、正解だ、と不敵な笑みを浮かべる。そしてその表情を上葉から紫苑へと向けた。

「なあ玄河紫苑。アイツらは、お前が呼んだんじゃないか?」

「ッ!なんだと!」

剣からの根も葉もない指摘に紫苑は怒り、前へ踏み出すが上葉がそれを止める。こんなものは安い挑発だ。上葉も紫苑もわかってはいるが、二人の沸点は低い。

「急に吠えるな。図星にしか見えないだろ」

煽る剣に対して、上葉は冷静に言葉を並べる。

「証拠でもあるのか」

「いやない。だがお前もその女の能力は知ってるだろ。たった一人でもその言葉を耳に入れられれば、そこからは思いのままだ。一人がもう一人を捕らえ、無理やり言葉を聞かせ二人に、そして三人、四人、ネズミ算式で感染拡大だ」

「それでアイツらを呼んだんなら、リスクがデカすぎる。最悪彼女も死んでいた」

「だがお前が居たじゃないか」

その返答に上葉は眉をひそめる。この男の主張には明確な根拠というものがない。あの時、あの場に居たのはまったくの偶然であり、もしかしたら上葉自身もまきこまれて死んでいたかもしれないのだ。

ただの挑発にしても自分の主張に自信を持ちすぎている。剣は先ほど証拠はないと言っていたが、そんな風にはとても見えない。

「さっきからビュービュー吹聴しやがって、そんなことよりなぜネクストコープは紫苑を狙う。なぜ彼女から自由を奪う!」

話し続ければ続けるほど上葉は彼女から聞かされたあの施設での日々、それを語る彼女の声音に乗った感情を感じ取り、静かに身を震わせ激昂する。

「自由を奪う……ねぇ?」

そんな怒りなど知ったことではないと、剣は意に介さない態度をとる。いくら今現在行動が制限されているとはいえ“玄河紫苑の方向へ向かわない”というルールさえ守っていれば、動けないことはない。この赤い腕をつけてからは身体機能が著しく変化し、まだ慣れてはいないが、先ほどの殴り飛ばされたときの痛みはもうない。今の治癒速度ならもう傷は塞がっている。

ラウンド2の準備は整った。あとは仕上げを行うのみ。

「自由を奪っているのはコッチか……はたまたその女なのか。黒腕こくわん、お前はどっちだと思う?」

「何が言いたい」

上葉の言葉に、剣は確信する。この男はわかっているが、考えたくないのだと。いまだにあの可能性を秘めていることを。

「怖いよなぁ? 俺も怖いぜ、恐怖は心を歪める。そして知らないこと、わからないことは、最も恐ろしいことだ」

知らない、わからない、それこそが恐怖の源。恐怖の根源を知らなければ克服できるものもできない。その最たるものが他人である。目の前にいる相手がいくら自分のことを赤裸々に話そうが、事実かどうかなどわからない。その体験、その思考、その感情は本人だけのものであり、完全に知ることなど、本人と同一にならなければ不可能である。

自分の真意は、自分しか知らない。

その最大の恐怖を、青木上葉は持っている。

「お前まさか、自分がそうじゃないとでも、思っているのか?」

剣は告げる。この男が目を背けようとしている現実を。

「どうしてお前が!彼女が自分に対して“技”を使ってないと言い切れる!お前のその思考は本物であると!確固たる自信は本物か!」

その言葉に、青木上葉の心は揺らいでしまった。そして何より、揺らいでしまった自分に対して落胆した。自分は心の奥底では、彼女を信用しきれていないのだと。

だがここで否定しなければ。和道剣の言葉を。ここでの沈黙は、認めることを肯定することである。

「言える!俺は彼女を信じている!」

「だからそれを証明してみろって言ってんだよ! いまのお前は、ただ吠えているだけだ!」

彼女が自分に対して能力を使っているかどうかの証明。そんなものはハナからできない。この思考さえも彼女の差し金ではないという証拠などない。

証明できないのならば、吠えているだけというのならば、吠え続けるのみ。

「吠えるさ!吠えなきゃならねぇ!」

このまま続けても平行線で話は進まない。それを理解している二人は、黙った。

そのわずかな静寂の間を、静かながらにかき消すものがいた。

聞こえてきたのは、大きすぎる虫の羽音のようなもの。

音の在りかを探そうと周囲に視線を向ける上葉を確認すると、剣は自身がここに来る前に考えていた、仕上げに入る。

「――ですってよ社長さん。どうしますか?」

その言葉に呼応するかのように、剣の背後からひとつの機械の玉が姿を現す。それは剣が倉庫を調べさせていた、一機のドローン。

こちらの様子を伺うかのように、剣の肩越しにホバリングし続けている。

そして目の様にドローン中央にあるメインカメラと、その機械の瞳孔と、紫苑の目が合う。

『――やぁ、久しぶりだね。紫苑』

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