天罰執行 5

波の音。無限に広がる水の塊。鳥が魚を狙って水を切る。

そよ風に乗ってきた潮の香りが、鼻につく。

「海は嫌いだ。どうにも慣れん」

彼方まで続く海の境界線を見つめながら、上葉はぼやく。

もうじき日が沈み始める。

「そう? 私は結構好きだけどな。初めて海に来たけどさ、写真より何かすごいじゃん。写真で見たより汚いけど」

海を見つめる上葉の顔色を横で伺いながら、紫苑は大きく伸びをした。


裏海北部。

海沿いの倉庫地帯。

昔はすぐ近くの漁港で漁師たちが船を泊め、この数ある大きな倉庫に漁の収穫物を置いていたが、いまではその痕跡しか残っていない。

上葉が生まれる前に裏海の沖合で海難事故が多発してからは、もう誰も使っていない。漁師の妻たちは皆口をそろえて「海にさらわれた」と言い、事故を調査しに来た連中ですら海難事故に遭う始末。

当時のまま残されている漁に使う網や、うつ伏せに置かれた漁船が何とも言えない気味の悪さを放ち、近づこうとする人間など皆無である。

逆を言えば、ここに近づくのは人目を避けたい連中とも言える。

「確かに、誰かが居そうな雰囲気はあるな」

ここに来た目的はただひとつ。火花を散らしながら街中を駆け巡る“ヒトダマ花火”と呼ばれる都市伝説を探すためである。

もしかしたら村椿氷雨の行方を知っているかもしれない。以前喫茶店で時子から聞いた限りでは、彼がいなくなった時期と、都市伝説が現れた時期が一致する。もしかしたら探し求める張本人かもしれない。

そんな淡い期待のもと大学で得た情報をもとにやって来た。

都市伝説サークルでまとめられた調査資料を頼りにこの海沿いの倉庫地帯に的を絞ったが、何を調べればいいのか皆目見当がつかない。

上葉は都市伝説サークルに所属してはいる。だが屋外の調査に付いていったことはないので勝手がわからない。

シャーロックホームズの映画を見て予習しても、その気分になれるだけで名探偵にはなれない。それにだいぶ前に一回見たきりで内容はよく覚えてない。

かと言って、このワトソンが頼りになるとはあまり思えない。

チラリと横に並んで歩く紫苑を見る。しかしワトソンは立ち並ぶ倉庫には目もくれず、真反対の海をずっと見続けている。元から戦力外であることは確かである。

よほど楽しいのかスキップなんてしちゃってまあ。

「かわいい」

「あ!? なに!? 聞こえなかったからもう一回!」

普段は外に出るのを嫌がっていたのに、海の近くに行くと伝えると一緒に行くの一点張りで上葉の話には耳を貸さなかった。足から引きはがすのにだいぶ時間を取られてしまった。

海が見れるとわかった時の様はまるで子供のよう、いや散歩の時間になった子犬のようにはしゃいでいた。

そんな大興奮の毛がボーボーに伸びたヨークシャテリアを見た上葉はその時、どうやって床屋or美容室にぶち込むか考えていた。

別に上葉が切ってもいいのだが、一度そう提案した時に「ド素人風情が気安くマネするんじゃねぇ!」と押し入れに引き籠って夕飯になるまで出てこなかったことがあり、それ以来諦めていたが、これは千載一遇のチャンス。

もうヒトダマ花火なんてどうだっていい。テキトーにチャチャッと切り上げていろいろとだまくらかして髪を切らせたい。カリスマ美容師に頼んで可愛くキュートにKAWAII感じに変身させたい。贅沢は言わないからとりあえずこのボサボサでTHE毛ムクジャラッて感じをどうにかしてほしい。後生。というか美容室って要予約なのでは。床屋通いの俺には勝手が、あっじゃあそういえば母さんは、床屋だったな。じゃあ叔父さんたち、床屋だったな。ヤバイもう時間遅いから早くどう騙して連行するか考えねば。あと服もだな。というか何でこの子は俺のジャージで外に出てるのだろうか。夜は冷えると散々言ったのにとても寒そうに見えるが本人は平気そうだ。そもそもなぜ世の中の女子たちはオシャレ優先で寒さをガマンする節があるのだろうか。街頭インタビュー定番のスカートで生足の学生に、はっそうかJK、制服ってのもありだな。たぶん年齢は同じぐらいだからイケる。問題はどんな制服にするかだ。いやここはもう外に出たことがあまりない世間知らずを利用して本人に選ばせてしまえば。

などともはや上葉はここに来た目的を忘れ、“玄河紫苑床屋連行計画”を知育菓子のように練りに練っている。

「あっオイ前」

だから上葉は倉庫の影から出てきた人物に気づかず、紫苑の注意も空しく正面衝突してしまった。

しかしお互いに体感が良かったのか尻もちなどはつかず、少しよろけただけで少女漫画のようにはならなかった。

「……ホラ早く、もうどこ見てんのよ! って言え」

素早く上葉の後ろに隠れた紫苑が、ぶつかった相手だけには聞こえないようにささやく。

なんで女の方のセリフなんだと思いながら、体制を立て直しながらぶつかった相手を見る。こんなところにいる人間などたかが知れている。さっそく当たりを引いたか、それともはずれか。と相手の顔を確認する。

「なんでブリトー咥えてんだ……」

思わずそう言いそうになってしまったが、なんとか胸の内に秘められた。

少女漫画ならこんな風にぶつかったらパン咥えてるよなと一瞬考えたが、まさかブリトーを咥えているとは上葉は思ってもみなかった。さらによく見ると相手は男である。パーカーのフードで顔の判断が遅れたが男と見て間違いないだろう。男と少女漫画的展開とか最悪でしかない。

「……おい、どこに目つけてるのよこのケバブ! って言え」

いやあれブリトーです紫苑さん。しかしなんと声をかければいいのかわからない。もう紫苑の言う通りにしてしまおうか。だがこの男がいま探している当たりか否かを確かめるには会話するしかない。でも、ちゃんと目ついてんのかブリトー? なんて聞いたら聞いたで会話なんてすぐ終わってしまう。

なんて声かければいいのかわからず、アクションを起こせずに固まる上葉と紫苑。

しかし意外にも向こう側からアプローチを仕掛けてきた。

男は素早く食べ物を飲み込むと、手が汚れないようになのか、両手に装着された厚手の手袋をパパパっと弾き合わせて汚れを落とした。

「いやーすいませんホント。ちょっと考え事をしていたもんで」

フードを被り、両手に手袋にリュックといった怪しげな雰囲気と打って変わって、声はとても好印象な若者といった感じである。年齢も恐らく上葉と紫苑と同じであろうか。

「いや、こちらこそ」

まずい。次の相手の言葉があるかどうかわからない。このまま行かせてしまう前にせめてこの場にいる目的でさえ聞き出せれば良い。それともここはストレートにいってしまうか、「お前は噂の都市伝説か?」と。迷っているヒマはない。上葉は一刻も早くヒトダマ花火本体かその痕跡を見つけ出し、手がかりを得なければ。

「もしかしてアナタ方も火花の“神速”を探しに来たんですか?」

とりあえず話しかけようとした矢先、意外にも向こうから話題を振ってきた。

知らない単語が出てきたが、恐らくは同じものを指しているのだろう。“神の如き速さ”確かにあれほどの火花を散らすほどの速さなら、そう名称するものもいるだろう。

「まあそうですね……というかアナタはそれじゃないんですか?」

「?」

意図がうまく伝わらなかったのか、そもそもこの話の流れでお互いに同じことを考えそうなものだが。向こうはどうやら上葉or紫苑が彼の言う神速とは考えないのであろうか。この場に寄り付く人間などたかが知れていることを、この男は知らないのであろうか。それならそもそもここには来ないと思うが。

「ああ! 俺が都市伝説? いやいやいや」

ようやく理解したのか微風が起こるほど手を振り、答えはNOと意思表明する。そして今度はその考えを自身の中で咀嚼するかのように男は独り言を呟きだす。

「まあそうか。確かに普通はまずそう聞くか……」

露骨にバツが悪そうにし始めたのを見て、上葉は少し首を傾げる。まだなんとも言えないが、この男は怪しい。確実な怪しさを秘めている。そう上葉の直感が告げている。

「いやー確かにまずは相手を疑うべきですよね。じゃあ逆に神速ですか?」

「もちろん違いますよ。俺も彼女も」

「ですよねー」

アッハッハと相槌の代わりに笑い、踵を返し上葉と紫苑から見て真っすぐ前にあるひとつの倉庫を指さす。

「じゃあ行きましょうか!」

「はい?」

突然のことに思わず声が出てしまった。ようするにこの男はいま、上葉に提案したのである。一緒に都市伝説を探そうと。

流石にダメかと男は申し訳なさそうな態度を取り、上葉に懇願しだす。

「いやそのぶっちゃけるとですね? もし本当に都市伝説なんかと出会ったら危ないかなーって……。そんな折に強そうなお兄さんがいたもんで……あ!ぶつかっちゃたのはたまたまですよ!」

HELP HELP と両手を合わせて頼みだすその姿を見て、上葉は察する。きっとこの男は時子と同じだと。わき目も振らずに猪突猛進。途中で危ないことにようやく気づき、行きたいけど怖いから付いてきてと言う。都市伝説好きはみんなこうなのだろうか。

上葉はこの男のことをもう少し知りたい。提案に乗ってみて様子をうかがいたいが紫苑はどうだろうか。

まだ後ろに隠れている彼女をチラリと顔を向けると、「は?」という表情で以心伝心出来ていないが、すぐに意図を理解してくれて小さく片手でまるっとOKサインを出す。

「いいですよ。ところであの倉庫になにが?」

「どうも。実は人より鼻がいいもので、潮風に交じって匂うんですよね」

了承を得るとテクテクとすぐに男は一直線に倉庫へ向かう。慌てて二人は付いていくが、ビビっている割には先行するなと思う。だが時子も似たようなことをよくする。都市伝説絡みとなると周りが見えなくなる。つまりと時子と同じ扱いをすればいいのかと上葉は理解した。

「焦げ臭いんですよ。実はさっきもこの匂いを追って歩いてて」

それでぶつかっちゃったから許して、とまでは言わないが、もはや言っていると同じであるぐらい声に出ている。隠す気がほぼゼロに近い、マイナス値である。

倉庫は扉が開いており、見たところ潮風で錆びて閉めようにも動かないようだ。出入りするのは誰でも自由。そして中には漁業に使われそうなものや、関係なさそうなものが放置されている。どれも年季が入っており、誰もが近づきたがらない証明を示していた。

「あ、ホラ!言った通り焦げてるでしょ」

確かに男の言う通り放置されているものの中の木製の物に焦げ跡が残っている。詳しくはないが最近焦げたのは辺りのものと見比べてわかった。

どうやら男が言っていた匂いの話は本当のようだ。上葉と紫苑はその匂いを感じ取れないが。

男は意気揚々と焦げ跡がついたものの前にしゃがみ込み、熱心に観察している。

「考えたんですよ。突然現れた神速ってきっとマンガとかアニメの主人公みたいに、生まれつきじゃなくて後天的に能力を得たんだろうなって。そういう時ってどれだけできるか試しますよね? パワー系ならどれぐらいの重さの物が持てるか、みたいに。それで調べたらここが一番怪しいかなって」

「ずいぶんと、詳しいんですね」

話しぶりからして恐らく時子よりも詳しい。この男はいったいどこからそんな情報を得たのだろうか。時子の自慢通りなら彼女はかなりの情報通である。まるで映画などに出てくる情報屋並みに都市伝説に関しては詳しい。

それを凌駕するということは上には上がいるということだろうか。

「いやーここまで調べるの大変だったんですよ! 見ます? 独自に集めた資料」

男は興奮気味に立ち上がると背負っていたリュックをまさぐり始めるが、勢い余って中に入っていた資料と思わしき紙の束が溢れ出す。

「あーすいません!」

反射的に上葉は落ちた紙を拾うのを手伝うためにしゃがんだ。

紙を拾おうと手を伸ばしたその時、目の前に小さな紙が落ちた。見るとそれは写真だった。

「――!」

否、落ちたというよりその写真は、上葉の眼前に叩きつけられたが正しい。

そして写っていたものを見た上葉は反射的に動いてしまった。

「――お前いま、女見たよな」

男の口調が変わった。演技は終わりということだ。

上葉は写真を手に取りながらゆっくりと立ち上がり、眼前の男を睨む。

その写真に写っていたのは紛れもなく、今とは見た目が違うが、患者衣のようなものを着た出会った当初の紫苑。

「助かったぜその反応。やっぱ見ちまうよな反射的に、おかげで本人かどうかわからなかったが、確信を得られた。にしてもそうとう女っ気がなくなっちまったな」

男は先ほどとは打って変わって威圧的に話している。空気が変わったのが肌で感じ取れる。しかしそれは互いにである。

上葉は後ろを振り返らない。足音からすでに倉庫の外に出たのはわかった。今頃入り口の陰から様子を伺っていることだろう。

眼前の男から目を離すわけにはいかない。

玄河紫苑に危害を加える可能性があるものを、青木上葉は見逃さない。


男はそんな睨みなど意に介していないかのようにリュックの中から機械の玉を取り出した。

「サンプル採取」

男が手のひらの上の機械の玉にそう命じると、玉が少しばかり形状を変え、辺りを飛び回り出す。どうやら機械の玉はドローンのようだ。

世間にはまだ発表されていない、汚染区域などの人が立ち入れない場所で使用を目的としたドローン、空飛ぶネズミエアロマウス。そんな物を持っている人間は一握り。

「別に神速探しは嘘じゃねぇ。優先順位はこっちが高い」

男は手にしていたリュックを放り投げると、三本の指を前に突き出し宣言する。

「ひとつは神速探し。これは私用だ。そしてこの先がバイトだ」

ひとつ指を折る。バイトとわざと宣言したのは自分が雇われた人間であるということと、その背景を考えた時の相手の反応を見るため。

「ひとつはスカイパニッシャーとかいうイカレ野郎探し。こっちは手がかりなし。そんで最後に」

ふたつ目の指を折る。スカイパニッシャーという言葉には上葉の反応なし。どうやらふたつ目には期待しても無駄ということだ。

そしてみっつ目。

「玄河紫苑は危険だ。お前も知ってるんだろ? なんでソイツを逃がした」

三本目の指を折り、手袋に指をかけた。

玄河紫苑の名前を出した途端、青木上葉の殺意が増した。ビリビリとその空気を男は感じ取る。およそ常人では出せない。話に聞いていた通り、眼前にいる存在は人間ではない。と男は用心する。

「そういや自己紹介してなかったなお互いに。俺はお前の名前知ってるけどな」


思えば最初から気づくべきだった。出会い頭の問いかけ。まず都市伝説かどうかという問いかけにはするかどうかは自由だが、その後そう言うべきだったと男が気づくということは、つまりは神速ではないことを知っている。すなわち相手の正体を知っていると上葉は考えるべきだった。

この男の背後に誰がいるかはまだわからないが、上葉と敵対する意思があることがわかった。そうでなくても初対面の相手に馬鹿正直に聞かれたことにちゃんと答えるわけなどない。

この町で長生きしたければ、聖人君子には悪人も含まれることを知れ。

だから二人は互いに嘘をついていた。都市伝説ではないという嘘を。

男が手袋を外すと、その肌が露になった。

鮮血のように真っ赤な赤い手。

袖をまくると男の両腕全体が真っ赤であることがわかる。

和道剣ワドウ ツルギだ。お互いにフェアじゃないとな、青木上葉くん」

どうやら上葉が名乗る必要はないようだ。

和道剣は時子が言っていた都市伝説のひとつ。赤い腕の男。赤腕クリムゾンフィスト

その赤い拳をぶつけ合うと、その威力で風が舞った。その威嚇は見掛け倒しではないことの証明と、開戦のゴング。

「――さぁて、バイトのお時間だ」

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