第4話


スワンプマン。沼男。

思考実験だったはずだ。簡単に、本当に簡単に説明をするとするなら…

ある男が沼にハイキングに出かけて、そこで雷に撃たれて死に、そのすぐそばの沼にも雷が落ち、化学反応を起こして、死んだ男と同質同型の生成物を生み出した。

生成物は死んだ男と全く同じ、もちろん中身(脳や体の構造記憶)も同じなため、生成物は死んだ男が生きていたら続けていたはずの生活を何事もなく続けていく。


ここで出てくる泥沼と雷によって生み出された生成物がスワンプマン…沼男である。

さて、あのウサギが言うスワンプマンがこれを比喩しているなら、つまりは誰かに成りすました偽物を見つけろ、という事だろう。

…まあそうは言われても、見当がつかない。ヒントくらい欲しいものだ。僕が気を失って倒れる前のナツキさんの状態からしてかなりの危険な状態なのは間違いない。一刻の猶予もないと思う。そんな時に偽物探しって…。

「…………(ねえねえ)」

先程から僕の後ろを付いてくる小柄な影の軽い足音の主は黙っているのに疲れたのか、自分の存在に触れられないのか気に入らなかったのか数歩ごとに僕の制服の裾を引っ張ってくる。

以前見た時と変わらない。目立つ真紅のローブを着てフードを目深にかぶった怪しげなスタイルだ。よくよく見れば顔の下半分覆ってしまうくらいの、どう考えてもサイズ違いのマスクをつけている。

「何ですか、司書さん」

無視するのは諦めて、声をかければ少しテンションが上がったのか、片手にぶら下げていたアタッシュケースを僕に突き出す。……そんなに反応してもらえたことが嬉しいのか。

「…開ければいいんですか?」

首が取れそうな勢いで縦にふる司書さんだが、あまりに不審なのでやめてほしい。というか、何でそんなに激しく頭を振ってるのにフードやマスクが取れないんだ。接着剤でも付けてるのか。

僕が目を覚ましたのは下校時刻ギリギリで、なんやかんやあって今はもう夜。屋上に登れば素晴らしい星空が見える時間なおかげで、校舎にいるのはおそらく風紀委員の面々だけだろう。目立っても支障はないのは確かだが、昔から騒々しいのは好きじゃない。

アタッシュケースを彼女の手から受け取った。軽い。

「…わかりました。けど、そろそろ帰ったらどうですか?え?なんでそんなにショックを受けているんですか?

だ、だって、もう夜10時を回ってるんですよ?い、いじけないでください!わかりました!分かりましたから足に縋り付くのはやめてください‼」

行動で感情を表現するのはかなり得意らしい。声も聞こえなければ顔も見えないからそのくらいしてもらわないと意思の疎通で躓くけど。

「…………(こっちこっち)!」

気を取り直して上機嫌になったらしい司書さんの長いローブに隠れた手が僕の腕を引く。もう片方の長い裾に隠れた見えない手が向いている先に誘導したいらしい。逆らっても面倒なのでされるがままに付いて行き、そこが学校の図書室だとわかった。電気がついている。嫌な予感がする。司書は躊躇いもなく扉を開いて僕を中へと押し込んだ。抵抗する暇もなかった。

顔を上げてみればやはり、そこには例の1年生3人組…小鳥遊灯、冬馬るい、工藤光輝がいた。

1人からの冷めた目、2人からの訝しむ目に僕の目が泳ぐ。

蛇に睨まれた蛙のように突っ立ったまま居心地の悪さを感じている間に、司書はドアを閉めさらに鍵まで掛けてしまった。

「何の用?」

小鳥遊灯が冷たく聞いてきた。そのままこの場を放っておいても良いことがないと思ったのだろう。

「ナツキさんは?」

「まだ見つかってないわ」

「委員長はなんて?」

「知らないって。

…そもそもあの人が代表として貴方を紹介した時点で、私たち一年生を束ねる責任は貴方に移行しているの。

知らなくて当然よ」

暗にすべて僕のせいだと言われているが弁明の余地をください。そもそも僕があの日あの場所に行ったのは紛れもない偶然でしかないんです。

「で?やる気のない代表様の用事はナツキの安否確認かしら?」

タイプの違うイケメン同級生2人を侍らせた小鳥遊さんは僕から興味をなくしたらしく、手元の資料にただ再び目を通し始めた。

「…ナツキさんが、”暴喰”しかけたのは知ってる?」

眼前に迫った幼い美貌の決して生易しくない物騒さが瞳の奥にギラつく顔が、一瞬のうちに目の前にあった。背中と頭の後ろが痛い。どうやら押し倒されたらしい。

「今すぐ、詳しく話して」

物凄い勢いで飛びかかってきたらしく、彼女が目を通していた資料が宙を舞っていた。

「あの子が処分されるようなことになったら、私達が貴方を殺すわ」

どうしよう。脅されるだけで済むかな。遠い目をしながら胸倉掴まれて揺らされ、ガクガク揺れる僕の視界の片隅で、どこから出したのか司書がチアガールのポンポンを両手に無言でエールを送ってきているのがシュール過ぎて逆に癖になりそうだ。あぶない。…あぶなかった、が、何故ここに司書が僕を連れてきたのか何となく分かった気がする。

「僕に協力してほしい」

委員長は、きっとどこかで僕の適性をみている、いや、僕がどうやって彼女たちを使うか見ている。

使い方を間違えれば沼男は見つからないしナツキさんは見つからず、さらに言えばミカドさんに喰われる。最悪の結末が待ってる。

けれど、彼女たちを上手く使えればすべて逆になる。ハッピーエンドは無理だとしても、最善の結末はあるはずだ。

「ナツキさんを、助けたいんだ」

僕に本心なんてもうあるはず無いのに、ぐっと体の奥の方で力が篭った。血走った眼前の少女の目を真っ直ぐ見つめ返す。先にそらしたのは少女の方だった。

「…わかったわ」

まだ見捨てないであげるって言ったものね。と自虐的に呟いて席へと戻った。資料はすでに机の上に綺麗に整頓されて置かれている。取り巻き2人がやったのだろう。僕は司書に腕を引かれて起き上がって、空いている椅子に座る。

こうして僕がおおよそ三万字を語ってやっと、双方が互いに望むものがある、ちゃんとした話し合いの場が成立したのだった。




【存在したかもしれない回顧録】


「不思議だと思わない?」

「……以前から思っていましたが、先輩の言葉は主語が足りませんよ」

「主語ってそんなに大事?」

「大事です。彼が本を読むと私が本を読むでは動作主が違います。」

「まあ確かにそうかもしれないけど、私の疑問には掠りもしないから黙って」

「質問はご自由に。それがこの変な読書会のルールの1つですよ」

「答えるかどうかは別として。ってちゃんとルールに載ってるよ」

「……明らかに手書きで書き足してありますけどね」

「細かいことは気にしなーい。それより私が不思議だと思う事の方が大事」

「そんなにマイペース(自己中心的)でよくもまあ読書会なんてやってられますね(だから参加率が悪いんじゃないですか)?」

「括弧で括ってオブラートがわりにしても私には分かるからね?そしてそこなんだよ、私が不思議に思うのは」

「何の話ですか。まったくもって訳がわかりません」

「なんでソウマくんは、出席率100%なの?」

「…………来ないと教室まで来て引きずって行くのはどこのどの人でしょうね」

「それは私だけど」

「そこは悪びれてください」

「要検討の上、善処するよ」

「嘘くさいので結構です」


楽しそうなその人に絆されているのは分かっている。断とうと思えば、無視しようとすれば出来る事だから。けれど、結局そうしないのは、僕自身が繋がりを絶ちたくないから。

続いて欲しいと願い続けた。

彼女の存在を、肯定し続ける。その為に。


____________________



アタッシュケースを開いてみれば、そこに入っていたのはやはりナツキさんの個人情報だった。

彼らが机の上に広げていたのは、入学してからの行動の詳細。プライバシーもなにもあったものじゃない。風紀委員になった人間にはこれだけの情報がバレてしまうのか。恐ろしすぎる。

「先ずはナツキさんのほうかな」

「この間、ナツキの家族構成欄をみてって言ったの、おぼえてる?」

「…うん。」

何となく佇まいをただす。向かい合う小鳥遊さんの奥に司書さんが音もなく移動していたのだが……。司書さん、真面目な話をしているんです。そんな絶妙なバランスで積み上げられた本の山の上に座っちゃいけません。本は読み物、食べ物です。

僕が司書の行動に気を取られている間にも話は進む。

「ナツキに弟はいないの。それはこの個人情報からみても明らかなこと……。

けれど、ナツキは連絡が取れなくなる前に確かに言ったのよ。

”弟が喰われた”って。

それはそれは虚ろな目だったから、食欲の限界まで来たのかと思って暫く私が彼女に付きっきりになろうと思っていた矢先に居なくなっちゃった……」

ナツキさんの昔話にも確かに弟は出てこなかった。じゃあナツキさんの言う弟って何なんだ。

「……なんであの時僕にそれを?」

「言ったでしょ?委員長の取り決めは絶対なの。私は委員に課せられている同学年委員を互いに監視し合い、それを学年代表に伝えるという義務を全うしようとしただけなんだよ。義務違反で罰を与えられたら私たちも嫌だもん」

罰、という台詞を言う顔色が良くない。そんなに恐ろしいのだろうか。

「…それで?ナツキが”暴喰”しかけたって言うのは?」

3人からの厳しい目がこちらを向いたので、僕もつい数時間前に起きた事を話した。

「ナツキが、ソウマくんを喰べようとして、委員長に、止められた…?」

ナツキさんが誰かを喰べようとした事がそんなにも疑わしいのか、黙り込んだ3人。

「…僕が、ナツキさんの気に触るようなことを言ったから箍が外れたんだとは思ったんだ」

「具体的に何て言ったんだよ。あの女はそう簡単にキレる女じゃねえぞ」

工藤光輝に睨まれる。どうやら1年生の中で喰欲をまともにコントロール出来ていたのはナツキさんだったらしい。

「…”僕じゃ君を救えない”」

「あ?」

「…確か、僕がそう言った時だった」

ナツキさんの様子が急変したのは。そんな事を僕には言われたくないと彼女は言った。大喰いなんかに、と。そんな事をしでかしても手を離さないでもらえる僕がとも言っていた。"大食い"と表現された出来事におぼえがないわけではないけど、とりあえずナツキさんの周りの人を食べてしまった覚えはない。


「まあ、テメエが何かしでかしてるのは間違い無いだろうな」

「……そこはどうでもいいの。そんなことより、本当に、ナツキを止めたのは委員長だったの?」

どういう意味だろうか。

「ナツキさんがそう呼んでたから、間違いないと思うけど」

もしかして、先程の僕の発言で訝しげだったのは、委員長が助けにきたという所がおかしかったのではないだろうか。

「委員長が…人助け?」

「あの化物が?」

何でこんなに不評なのだろうか。というか君らも化物だろうに。

「ナツキさんから聞いた話じゃ皆委員長に拾われたんだろ?優しいって言ってたけど?」

「拾われたァ⁈お前耳腐ってんじゃねえの?」

それはあんまりな言い草だと思う理不尽な限りだ。

「オレらは管理されてんだ。委員長が余計な仕事しなくて済むように」

管理?いや、まあそりゃあ委員会の枠に入れられてるのは管理と言えるだろう。けどなぜ彼らは管理下に置かれたのだろうか。僕らみたいな化物は、僕が委員会入りを断わったのと同様、支配下にはいるなんて真っ平御免のはず。化物らしい抵抗をしたはずである。

「いいや。そいつは無駄だった。委員長はガチの化物だ。俺らみたいな奴らの中でも一等ヤベエの」

初めて屋上で会った日、あんな食い散らかした空間の中で平然として笑った人間は確かに、今まで見たことない。化物社会は狼社会と同じ、強いものが上に立つ。それを考えてみれば、あの人は確かに一番恐ろしいのかもしれない。

「…でも、まあ、それを聞いてナツキを見つける手段は思いついたわ」

え。

「だな。誘き出す手段は出来た」

なにそれ。

「どうやって?」

「どうって…元凶にはそれなりに頑張ってもらうってことだよ?」

覚悟してね。と小鳥遊さんがとてもいい笑顔を向けてくるが、その輝きがますたびに僕は嫌な予感が止まらない。

「残る問題はどうやってあの子を止めるかだけど」

「ふん縛ってアカリの近くに置いたらどう?」

「私がナツキの食欲を抑えたところで、喰べようとすれば食べられるのよ」

「え…でも、この前ここで僕が不安定になった時は」

「あれは、君の本心に他者を食らいたくないっていう意志があったから。

でも、ナツキは多分、キミのこと本気で殺そうとしてる。それじゃあ私の力はあの子を止める要因にならない」

…僕の、本心?

「ナツキを確実に止める必要がある。…委員長なら殺意を喰べる化物を知ってそうだけど」

「それ、なんだけど」

3人が改めて此方に注意を向けた。

「…委員長と交換条件で、ナツキさんを助けてもらえる」

「…それが私達のところに来た理由ね」

手伝いが必要なんだよね?と聞かれて僕は首を横に振った。

「交換条件の方は、僕が何とかする。だからなんとかしてナツキさんを保護してほしい。ナツキさんが、誰も喰べないうちに捕まえてほしい」

誰かを傷つける事に対してあれほど怯えたあの人に、何の所以もない人たちを傷付けてほしくない。

「……わかった。けど、ノーヒントで何とかなる交換条件なの?」

「分からないけど、司書さんを付けてくれたから」

司書?と3人が首を傾げた。え?どういう事?


3人は戸惑っているらしい。

「あの…?」

「司書、が?」

キョロキョロと周りを見渡して、探しているらしい。本当に気付いていなかったのか、僕の隣の席を示せば3人とも驚いていた。

「い、いつから⁉」

「最初から、だけど。僕をここに連れてきて部屋の中に押し込んだのもそうだし」

僕の行動を思い返してやっと、そういえばいたかも。と小鳥遊さんが呟いた。

「司書さんは影が薄いから、私たち言われるまで気付けないの」

「影が薄すぎて……?」

無視していたわけじゃないのか。

「”気付けばどこにでもいるけど、気づいたらどこにもいない”」

小鳥遊さんがお茶を飲んで一息ついてから呟いた。

「音無さんがいってたの。司書を私が探していた時に」

「神出鬼没の司書をすぐに見つけられるのはあの人か、委員長…それと篠遠先輩くらいだ」

委員長と篠遠先輩は分かる。音無さんって誰だろう。

「…………2年、音無蛍」

ぽそっと僕にだけ聞こえる程の小さな声で司書さんが言葉を紡ぐ。マスクをしているのかくぐもった声だ。目の前の3人は3人で会話をしているために気づいていない。

「…………”恋”を喰らう、短命のバケモノ」

「…一茶の蛍ですか」

司書は口を閉ざしてしまった。まあ閉ざしたのか、それとも応える気のない独り言だったのかもしれないけれど。

「…司書、さんを見つけられるのがその3人だけの理由ってあるの」

「さあ?よく分からないの。でも、あの3人はあの3人でずっと前から知り合いみたいなの」

「中等部の頃からって事ですか?」

「んんん。よく分からないの。あの人たちがいつから知り合いだったのかも、いつからこんな事をしているのかも、よく分からないの」

「…………音無さんって、普段どこにいます?」

少なくとも、委員長の言うスワンプマンを探すためには、委員長を知る必要がある。何せヒントが何もない。

「…思い当たらなくも無いけど、一応やめておくことを勧めておくね」

「けど、現時点でヒントになるような情報を持ってそうなのは音無さんだけなんだよね?」

「そう、だね。篠遠さんは今朝、急に委員長の要請で出かけたらしいし……。

音無先輩は、明日、駅とかショッピングモールの待ち合わせスポットに居るはず」

「……えっと、念の為聞いておきたいんだけどそれは何か用事があるから?」

「デートじゃないから安心してね」

そうか、ならいい。…いや、あんまり良く無いかもしれない。

「明日、休日だから混みまくってるだろうし喰べるにはもってこいだろ」

やっぱり喰事の為か。そりゃ勧めないわけだ…。ある程度の忍耐力がなければ他人を襲ってしまう可能性だってある。そして、

「私たちじゃ喰欲をコントロールしきれないけど、ソウマくんなら大丈夫でしょう?」

忍耐力なら僕はこの中の誰よりもある。幸いにもこの間喰い散らかしたばかりなおかげでまだ腹も減っていない。いまなら人の多いところに多少止まっていたところで問題ないだろう。

さて、一応聞いておくことがある。

「音無先輩の喰べ物って?」

なんとなく、司書さんが拗ねたように口を尖らせた気がした。



音無蛍。

高等部2年。風紀委員会2学年代表。

感情、特に、恋心を喰らう化物。

喰事の際には夫婦・恋人同士の間の愛情が冷めたとか、急な心変わりなどが伴うことが多い。

「…人を選べば、割と無害ですよね」

夜が明けて休日、ショッピングモールの駅に行けば、音無先輩はなんの違和感もなくそこにいた。僕が来たことに驚きもせずに、けれど僕を連れてなんの迷いもなくカフェへと入った。

「あ、あの…音無先輩……?」

「何が聞きたい……?」

「え」

「委員長に関する事なら、聞く相手を間違えてる」

また、え。という音が僕の口から出ていた。

「あなた以外にきくとしたら、相手は篠遠先輩ですか?」

1年生3人からの情報によれば、間違いないはずだ。しかし目の前の音無先輩は何でそう思ったんだろうと不思議そうに首を横に振った。

「繋がりは大事……だけど、それがどこにあるかは、当事者だけが知ってる。……話は、おわり…?」

何も言わない僕に痺れを切らしたのか、単に用事はもう無いと思ったのかそう言って飲み物に手を出した。直感的に、今ここで何か言わなければもう何も聞かないような気がした。

「す…スワンプマン!」

飲み物に向けられていた視線が再度僕に向いた。続けていいようだ。

「スワンプマンって聞いて、何か思い当たることはありませんか?」

先輩は少し考えるように目を伏せて、飲み物に手をつけた。

「つまりは、偽物…?」

「は、はい。おそらく、誰かに成り代わってる人間をさがせって意味だとは理解したんですが」

「……委員長は、探し出して、どうしろって言った……?」

「特には何も。ただ見つけろって」

先輩が真っ直ぐに僕をみた。先程までの無気力とは違う、意志のこもった強い瞳がこちらを向いていた。

「…どうしても、見つけたい?」

僕が迷わず頷けば、音無先輩は溜息ののちわかったと呟いた。

意思確認をしないといけないほどのことなのだろうか。

「…他人の"人生"を喰べる化け物がいる。他人の容姿、頭脳、記憶。それら全てを自分の物にして、化ける。

他人に成り替わることのできる化け物。

本物の自分を、本来の自分を、受け入れられなかった、弱い化物。


自分の"人生"を受け入れられないが故に、他人の"人生"を渇望する化け物」

「…誰か、知っているんですか?」

音無先輩はそれ以降口を閉ざした。その正体を知っているにもかかわらず、教えてはくれなかった。

「委員長は、全てを知ってる。きみに見つけてくるように、言ったなら、私は何もしちゃいけない」

正体を知っている音無先輩に頼まないと言うことは?

自分でスワンプマンが誰かわかっているとしたら、なんで僕に探させる?

「…僕じゃないと、いけない…のか?」

"それはね、君が語り部だからだよ。"

先日告げられた言葉が甦る。語り部がどういう意味なのかはよくわからない。だが次にやる事は決まった。

「音無先輩、ありがとうございました。ここは僕が払います」

今は昼過ぎ、学校に着く頃には夕方になるだろう。僕は急いで店を出た。


一人残された音無は呟いた。

委員長は遠ざけて来たのに、なんで今更あの人は、彼を私達のコミュニティーに押し込んだのだろうか、と。


**********************



"その存在の希薄さ故に、存在を喰らう。"


それが私で、


"存在を喰らうが故に、存在できない。"


というなんとも不合理で理不尽なのも、また、私だ。


「"喰べてしまえば、よかった"のに。

私も、…そうしなかった」


出来なかったといってもいいかもしれないけれど、生憎と、そう言ったところで信じてもらえるくらいの可愛らしい性格はしていない。とても、残念だけど。


「何故喰べず、泳がせ続けるのか?

……ああ、獲物を肥させてから美味しくいただくっていう、食事においては当然な面を君は考えたのだろうけど、それは違うよ。

……意外そうだね」


私としては、痩せた豚より太った豚を食べる事よりも当然の事なんだけど。


「私はね、私の為に、彼を生かして、利用しているんだよ。

彼には生きてもらうんだ。


わたしが、生きるために」


その為に、誰が死のうがどうでもいい。と言うことですか。と暗闇から聞いた声は焦燥と恐慌に溢れていた。


「死んでないじゃない。

誰の命も失われていないよ」


それは事実だ。


「'"存在していない命"は、失われた事にならないでしょう?」

「っ、"存在していた筈の命"は」

「その物証は、ないね。戸籍だって無い。きみの記憶にしか存在していない人間を、なぜ存在していたといえる?」


暗闇の影はとうとう外へと出て行ったらしかった。


「刃物の一振りや二振り…とは言わないけど本の一冊や二冊はぶつけてくると思ってたのになぁ」


私に怨みをぶつけるよりも直接攻撃しに行くのかぁ。難しいなぁ、感情って。


冷めてしまった紅茶を喉の奥に流し込みながら拾い上げた本を"喰べ"た。あとでコレを届けさせよう。


本当に、意地悪だよね。と呆れたような声が聞こえた気がした。"記憶にしか存在しない"存在だって、何人もの記憶にいるなら"存在していた"と言えるでしょうに。と、頭の中で誰かが囁く。


…戯言を。

「なら、存在しているのに、記憶に残れない人間はどうすればいいのさ」

「貴女の事かしら?」


新たな声の主は盗み聞きだというのに飄々として月明かりに照らされた場所へと堂々と悪びれもせずに姿を現した。

風紀委員会書記、姉咲涼子。とある感情を喰べる化け物。風紀委員の中では食事しやすい喰欲の持ち主。羨ましい限りだ。

いつもと同じ、制服を纏っているものの浮かべている笑みは、おおよそ学生の浮かべるべき種類の笑みなどでは決してない。もっと妖しくて、色めかしい。


「今日は何人誑かしてきたの~?風紀委員会の人間のくせにぃ?」

「あらあら…意地悪ね。紹介したのは貴女でしょう?」

「そうだねぇ。ただ、"喰事"のための食材あげただけだった気がしたんだけどなぁ」


おっかしいなぁ。と、首を傾げて見せれば楽しそうにクスクス声を上げている。

「キミよく女神スマイルとか言われてるけどさあ、私がみるとどうしても女狐スマイルにしか見えないんだよねぇ」


君を妖怪にしたら、きっとセイレーンとか女郎蜘蛛だよ。


「まあ、狐らしくタラし込んで結果を持ってくるから私は餌を蒔くわけだけどね?」

「美味しいものいただいたらお裾分けしないと恨まれちゃうじゃない?

私は、まだ死にたくないし。

…はいこれ、頼まれた中等部のアルバムと名簿よ」

「よくもまあ、残してたものだよねぇ。呪われてるとまで言われた代のものなんて」

「お陰で貴女の利益になるならいいじゃないの。


…利益といえば、一年生たちが経費で落として何かしてるみたいだけど、貴女の入れ知恵?

あんまり使うなら実費になるけど」

「ええ~?教室の電気代くらい払わなくても大丈夫だって~。経費は財閥の方に報告だし」

「それじゃないわ。本よ。」

「本んん?」

「司書を使って国内外問わずレアもの集めてるみたいよ」


本、ねぇ?


「んー、まあ本なら後から司書にリストを届けさせればいい。ここに無いものなら経費で落とすし、あるものなら財閥の経費で落として図書室の古いのと入れ替える。それでいい」

「……貴女にしては珍しく素直に受け取るのね」

「うえ。ひっどーい。私のこと何だと思ってるのかなぁ?

何のために珍しい本集めてるのかは私たちが化け物なんだからわかるでしょ~。それに、ここにある本も読み尽くしてる人ほとんどだし、増やしたところで置き場所には困らない。大人しく仕事してるうちは財閥も、文句はないだろう」

「…貴女がそういうなら、問題ないのね。

報告も終わったし、私はそろそろ行くわ。外で私をエスコートするために素敵な紳士が待ってるから」

「うっへぇ…よく飽きないなぁ。

そんじゃ、またねぇ」


来た時と同じように帰っていく足音を聞きながらソファーに寝そべってステンドグラスの外から差し込む光でたった今届いた写真を見る。

あれでもない、これでもない。なかなかお目当ての写真は見つからない。もちろん見つからないだけで、無いわけではない。

全部で700枚もある中で、たった3枚。集合写真が2枚と班行動の際の写真が1枚。

この学年の生徒が267名として、この映らなさはありえない。意図して映らなかった可能性さえある。

今度出会ったら、聞いてみよう。

ねえ、美味しかった?喰い散らかすくらいなら、彼女一人をあの日食べてしまえばよかったのに、って。

もう夜も遅いし、眠くなって来た。月の光が仄かに色を帯びているのはもうじき桜が咲くからだろうか。美味しそうな色だなぁ。綿あめ食べたくなって来た。目を閉じ朝が来るのを待つ私の耳元で、また意地悪だと呆れたような声がした気がした。

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人の望みの成れの果て 猫側縁 @nekokawaen

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