ピアスホール

国路奏

貫通

なあ、やっぱり開けるのかい?初めてじゃなくても怖いなあ。

うん、そうなんだよ。高校に入って二回目の夏に、両方の耳たぶに一発ずつ。ほら、沈んでいて暗褐色をした痕がひとつぽつんとあるだろう?消えなくてね。鏡に映るこの名残を目にする度に、目を逸らしていたい事実を突きつけられる思いがするから、かねてから消してしまいたいと思っていたんだ。開け直すんじゃあ、削除ではなく上書きにあたるけどね。似たようなもんだろう。少なくとも、次に鏡の中の僕を見て思い出すのは、緊張と興奮の混じった半笑いの君の顔になるさ。

そうだな、君の心が決まるまで、僕の一年と七箇月の短命な青春についてでも話そうか。震える手で偏った位置に風穴を開けられちゃあ、堪ったもんじゃないからね。

十七、八じゅうしちはちの頃は誰だって大人や社会に盾つきたい衝動に駆られるものだと思うのだけれど、それらに異常なほど盲目に従って、歳を重ねてきた僕も、例外ではなかったらしい。

本当にね、真面目な人間だったんだよ。地域で一番賢い高校に進学して、どんな暗いやつでもしてないっていうのに、制服のカッターシャツのボタンは一番上まで留めて、授業だって一度たりとも寝たことなんかなかったさ。

でも、だからと言って本質的に謹厳実直な人間だったかと言うと、そうではない気がする。親が勧めてきたから、校則で決まっているから、授業は起きて受けるものだから、そうしていただけなんだ。それらに歯向かうのが悪いことだからしなかったとかじゃあないんだ。

曖昧な顔をしているね。同じことじゃないかと思ったかい?いや、これが結構違うんだよ。前者は空っぽだが、後者は中身が詰まってる。それまで培ってきた正義感とか、倫理観とか、そういうの。

僕はね、すっからかんだったんだよ。幾許いくばくの経験を噛み砕き嚥下えんげし自分の血肉とする、本来なされるはずの自己形成の工程がすっかり抜け落ちていたんだ。僕の判断基準は全て借り物だった。

校則ひとつとっても、他人の価値観を拝借しているせいで、僕の思考回路がいかに簡素だったかよく分かる。

例えば、「廊下を走ってはいけない」という校則があったとする。真面目なやつは、校則というのは学校生活を秩序立てるために存在し、これを破ることは混乱を引き起こす可能性があるからくないことだと判断する。臆病なやつは、違反を叱責されることを恐れて静静しずしずと歩く。粋がったやつなら、権力に屈しない自分に悪酔いして教師のおもてを犯しさえするかもしれない。対して、あの頃の僕ならばきっと、そういう規則があるからとそれに従うだろう。

ああ、そんなに顔をしかめないでくれよ。難しいかな。君がつまずいたのは彼処あそこかい?結局は真面目なやつ、臆病なやつと同じ行動に出ている点。散々自分の異質さを匂わせてきたくせに、奇抜でも何でもない選択じゃないかってね。いやね、結果じゃあなくて、思考回路に狂いがあるんだよ。

僕の行動は、規則の存在のみにしていた。規則がある、それだけが理由ってことさ。結果は同じでも、先の二人は自分自身の物差しで測って身の振り方を決めている。自分の行動は善か悪か、それを踏まえた上で、やるかやらないか。でも僕は、誰かの倫理観を丸呑みしていただけだった。誰かが悪いことだと言っているから、これは悪いことで、やってはいけないことらしい、だからやらない。それ以上でもそれ以下でも無かったんだ。そんな自分の選択に思い入れなんてないから、普通なら自分の方針にそぐわない動きをする者があれば憤りを感じるか、羨望の目で見るか、意気地無しと笑うかするだろうが、僕は走っている生徒が存在していることを認識するばかりで、彼の評価をするまで思考を発展させることが出来なかった。ああ、走っている人がいる、と思うだけだった。どうだい、僕の皮の下はがらんどうだろ。

おっと、勘違いはしないでくれよ。僕はもうそんな頭のおかしいやつじゃあない。高校二年の夏にピアス穴を開けるまでの僕に限る話さ。今、耳に傷のない頃の僕に思いを馳せると、著しい感情の欠如に悪寒がするよ。

どうして僕が前頭葉白質切截術ロボトミーでも受けたようだったのかって?ううん、そうだな。

あのね、僕は人の心っていうのは、ふつう湯船の中に沈んでいると思うんだ。その湯船に張られているのは、まずは清冽な水だ。そして、外からの刺激、喩えるなら火や入浴剤かな。それらによってふつふつと泡を鳴らすくらい沸騰させられたり、色の要素を持たせられたりするんだ。きっと、苛立っていれば煮えて、幸せなら黄か薄桃かに色付いているんだろう。

それから、そこに浸かる心はさしずめ織物かなと思う。周りの水を織物が飲み込み、熱せられたり染められたりすることで初めて人は感情を抱くんだ。また、これは毛色の違う話だが、過剰に薪を焼べられると、素材によっては劣化してしまったり、溶けてしまったりする。あまりに強い怒りや悲しみを経験して、性格がひん曲がってしまったなんてよく聞く話だろう。そしてこの繊維の変質に加えて、人格の構成要素となるのが染色だ。生きていく中で吸着された色素が重なり合い、心はそれぞれ独特な色味や模様に染め上げられていく。凡百ぼんぴゃくな染め物になることはあろうとも、最期には唯一無二に仕上がるだろう。

それと、不定期的に水は替えられるんだ。ある基準を超えるとゴム栓が外れる。ある基準っていうのは水中の温度、或いは着色料の濃度で、その上限は十人十色だ。外的な刺激によって、風呂水が温度や色彩を変容させられ、いつか基準を超える。そうなった風呂水を飲み込んだ心が規定の超過を感知し、放流の運びとなる。栓を抜く前に命が絶えてしまったりするだけで、僕らは永遠に悲愴に溺れ続けることはない。心がいつか踊るのを止めてしまうようにね。勿論、流れ切れなかった水滴が次に張られた水を濁す、つまりは気持きもちを引き摺ってしまうことは多々あるだろうけれど。

さて、僕の場合を話そうか。

僕は幼い、それこそ物心もついていないような頃にね。水を抜いた時、心も一緒に流してしまったんだ。

僕の母親は度が過ぎた完璧主義者で、彼女の信念はその夫や僕にも適応された。僕が小学校に上がる前に父は愛想を尽かし家を出てしまい、母は僕の統制に拍車をかけた。幼少期は為人ひととなりの組み立ての真っ只中だから、酷く脆い。少しの衝撃でも歪んでしまうというのに、母の理想に雁字搦がんじがらめにされ瓦解の寸前まできていたところ、防衛本能が心を逃がしたんだ。けれども、事は上手く運ばなかった。僕は凶器だけをり避けられるほど器用でなかったから、母の絶対王政からの逃避は一切の外界を対象とする遮断と同義だった。親の束縛に息を詰まらせることは回避できたが、同時に悲しみも喜びも、何の感情も感じ取れなくなってしまった。

心は排水管のずっと奥まで濁流に手を引かれていった。でも、配管の突起にでもほぐれた糸を引っ掛けたんだろうね。最後は置いてけぼりを食らってしまったんだ。心を連れて来た風呂水の流れは、無責任にも更に奥へと過ぎていった。当初は手を離さないでいてくれた、織物を湿らせるばかりの水。それさえも時が経つに連れて蒸発していく。そして遂に、心は乾き切ってしまった。そうだな、まだ十二分に織物が濡れていた頃は、排水管に雨音が響いていたんだろう。全体に分布していた水分は重力に従って織物を下っていく。集まって水滴となって、また一人、また一人と織物から指をほどいていく。落下した雨粒が曲がりくねった排水管の突き当たりを打つ。ぽつ、ぽつ、ぽつって調子にね。

心はすっかり乾いてしまったわけだが、水抜きが行われたら丸く収まるじゃないか。排水管を通る風呂水の、おこぼれを頂戴すればいいじゃあないか。おや、何故なぜ頷いているんだい。まさかそう思ってはいないだろうね。そう上手くいっていれば、僕の性格はこうも陰湿にならずに済んだはずだ。少なくとも、僕とつるむ君の気が知れないだなんて、自ら瞠目しなくても良いほどにはさ。あのね、先刻言ったように、栓が抜かれるには条件があるんだ。第一に、風呂水の温度や色の濃さが、一定の基準を満たすこと。第二に、その満足を心が知覚すること。そう、これが問題なんだ。当時、僕の心は何処どこにあったのだったかな。暗く狭苦しい、排水管の奥深くだろう?絶対零度に凍結しようとも、底が雲隠れするほど濁ろうとも、心は水抜きを下知しない。風呂水がどうなっていようと、心は露知らずなのだから。こういう訳で、いつまで経っても栓は脱げず仕舞いで、心の住処はからついたままだった。

だから織物は何にも汚されることなく真っ新、つまり自己形成が出来ておらず、僕は物差しを得ることができなかったから、他の誰かが用意したそれを自分のと比べて吟味する手立てが無かった。だから行動に至るまでの過程において本来あるべきいくらかの段階をっ飛ばしているようになっていた。

とは言っても、十何年も風呂水を塞き止め続けていれば、ゴムも劣化してくるものだ。年月の流れがそれにひびを入れる。涙が頬を伝うように漏れる濁り水を、枯れた心が貪欲に吸い込んだ。長年の気持の動力を溜め込んだ風呂水の調合は、運悪く好ましくないものだったらしく、突然に、僕の中で漠然とした社会への反抗心が芽生えた。

僕は、一学期の終業式を終えた其身其儘そのみそのままで薬局におもむいた。ピアッサーの売り場に足を進めていた時にはすでに鮮烈な感情が僕を支配していた。反抗心を皮切りに僕は漸次、感情を取り戻してきているようだったけれど、心に染みる一滴一滴があまりに濃く、その回収作業は鼓動に合わせて身体が極彩色ごくさいしきに侵食される感覚がした。花の群集が加速度的に蕾を開け咲き乱れるような、そんな綺麗なもんじゃなかった。でも不思議と気分は良かったね。

ええと、売り場に向かっていた時に僕がどんな感情の支配下にあったかだったね。一般に、高校生が耳に穴を開けるというのは、社会規範の逸脱の象徴と認識されていると思う。その行為をする意志を持って歩んでいるのだと思うと、僕は笑いが止まらなかった。勿論心の中での話だ、表には出さなかったさ。

いや、どうだろう。もしかしたら抑えきれずに、気味悪く口の端を上げていたかも知れない。まあ、そんな薄笑いを貼り付けながらピアッサーを探していたんだよ。でも店を三周しても見つけられなかった。

結局、店員に売り場を尋ねた。その時のね、彼女の表情は傑作だったよ。当時、僕は一目で堅物だと分かるような人間だったんだ。分厚いレンズの角張った金属縁の眼鏡に、整えられず野暮ったく伸びた髪、上までボタンの止められたシャツ。ピアスが最も不格好な人種と言っても過言ではなかった。彼女は僕に呼び止められて返事をした口のまま、僕の頭の天辺てっぺんから爪先まで視線を流した。撫でるように一瞬で。次に僕と目が合った時には、彼女は動揺してさえいたように思うね。頬の肉でなんとか目を細め、歯を唇から覗かせただけの歪な笑みが、僕の行動の異常性を可視化する。それはかえって僕の興奮を加速させた。

案内されたのは髪飾りが陳列された棚だった。その端に追いやられるように一列分だけ吊られていた。不規則に皺を寄せて曲線を描くシュシュや色とりどりの華やかな花形の髪留めの並ぶ中、無機質な直線で構成された、白濁色の地味な長方形は異質だった。僕は躊躇ちゅうちょなく前から二つを手に取って会計をした。

家に着いたら、鞄も下ろさず台所で保冷剤を回収して、階段を駆け上がった。母親は夕方には帰ってくる。自室の置時計の短針は四と五の間を指していた。悠長にはいられなかった。学習机の足に鞄をもたれさせ、自分もその椅子に腰掛けて、保冷剤で耳たぶを冷やしながらピアッサーの包みを破る。付属の説明書に従って、まず油性ペンで穴を開けたい位置に印をつけた。そしてピアッサーの針をそこにあてがう。自身の息遣いと、置時計が時を刻む音だけが部屋を流動していた。ピアッサーの背に人差し指を添えて、向かい合わせの短辺をそれぞれ親指と中指で挟む。力を加えるとプラスチックの凹凸おうとつが弾ける音が四回程鳴った。

ピアッサーには先の尖った、ちょうど針のようなピアスが埋め込まれていて、それを皮膚に貫通させることで穴を開けるのだけれど、今はまだ皮膚に傷さえ付けていない。これで最後だ。僕は雑巾を絞るように瞼を閉じ一思いにと、もう一度指に力を込めた。親指の付け根がもう痛かった。普段鉛筆くらいしか持たない手だったからね。

今度は何の音もしなかった。ただ、心臓が耳の奥にあるんじゃないかってくらいやけに近く鼓動を感じた。そして、ピアッサーのボディがピアスと分離する。これで完成なのだが、圧迫感があっただけでちっとも痛まないから、社会への反発の象徴がこんなにも手軽に手に入れられて良いものかと拍子抜けした。残念にさえ思ったよ。

もう片方も済ませたら、ようやく鈍痛が滲んできた。熱をもった皮膚が、肉が、僕の非行を実感させる。腹の底が渦を巻くように冷える感じがして思わず身震いしたが、顔は火照って暑い。額の汗を拭い、再会した鏡の中の自分は見たことも無い表情をしていた。目は鋭く光を照り返し、口は三日月に歪み、汗ばんだ肌の突出した部分が日光に濡れている。僕は笑った。今度こそ声を上げてね。

栓は遂にひび割れて、溜まっていた風呂水が勢い良く排水管に雪崩込んだ。背徳感と達成感の決壊に混じる少しの罪悪感はそれらを強調して、僕を煽る。痺れるような法悦が、頚窩けいかからほとばしる感覚がする。僕の断続的な笑い声と、時折挿入される、締まった喉を空気の抜ける音だけが鼓膜を揺らし続けていた。止まらなかった。物心のつく前は分からないけれど、少なくとも僕の知る僕という人間は、こういう風に感情の波に揉まれるような感覚を未だかつて経験したことがなかった。だから荒れ狂う海から脱する術なんて知らなかった。

どれくらいの間そうしていたか、大分とは落ちてきていて、耳飾りは橙色を反射していた。その時、階下から金属を抉る雑音がしたのに気付いた。慌てて耳に掛けた髪を撫で付けて、机上に散らばる痕跡を引き出しに詰め込む。母の足音は僕の部屋の前で止まり、扉を叩くとともに部屋へ足を踏み入れた。僕はおもむろに、間一髪で掴んだ教科書を閉じて振り返る。母親は普段通りに小言を言った。手に汗を握りながら僕はそれらに曖昧な短い返事をする。再び自室に静けさが訪れた時、僕は鼻歌で歓迎した。

その日から僕の青春が始まったんだ。青春、というのが人生の中で最も鮮やかさを持ち、振り返るとあまりの眩しさに目も当てられないものだと定義されるなら、間違いなくあれは僕にとっての青春だった。手洗い場の鏡や電車の窓、街角の硝子張りの壁面に自分が映る度に顔を傾けては、毛先から覗く耳の、誕生石を模した合成樹脂の品のない輝きに酔いれた。直接的な認識がなくても投与される慢性的な快感は、常に気分を高揚させた。親も教師も同級生も、伸びっ放しの髪に隠れた僕の悪事に気付かずに接していると思うと滑稽で仕方なかった。

でも、物事には代償ってのが付き物だ。灰色の濃淡だけで描かれていた日々が急に彩度を持ち始めたんだ、当然さ。皺寄せは大学受験に生じてしまった。そうなんだよ、僕は君より一つ年上なんだ。皮肉なことに、装飾具禁止の校則も真面目腐った親ももう僕を見放して縛り付けないから、不合格通知と共に僕は晴れて自由の身になった。でも、あんなに陶酔していたというのに、それを境に金属が耳の穴を埋めることは無かった。合格発表の日の夜、期待外れの結果に加えてそれと因果関係のない僕の人間性を母に叱責され、自棄糞やけくそになって、普段より二度上げた四十四度の湯船に沈み、まだ母が済ませていないのを知りながら、煙草をふかしている湯を抜いた。風呂上がり、鏡の向こうで濡れた髪の隙間から嘲笑するように光を漏らすピアスと目が合って、半ば千切るようにそれを外し、塵箱に捨てた。魅力を感じないどころか、忌々しいとまで思った。全部お前のせいだと責任を押し付けた。そうでもしないと耐えられなかった。

僕は、感情を取り戻したと言っても正常になった訳ではなかったんだ。本来ならば浴槽に溜まる水は、受け取った刺激を薄める役割も担っている。つまり感受性の豊かさは、風呂水の規定量によって決まってくる。少なければより濃い刺激を受け取るから心が動かされやすく、多ければ何事にも動じない磐石な精神を持っているということだね。僕はと言うと、湯を溜める機能は栓が散ってしまったからもう使い物にならなかったんだが、恒常性を保とうと、規定量まで水を張ろうとする給湯器の無駄な足掻きが、溶けてもいない刺激を心まで連れてくる。心は一瞬にして深く強く染まってしまうから、耐えられる刺激の量の限界を切り詰めざるを得なかった。だから僕は自己防衛のために、人生で初めての挫折をまるきりピアスのせいにしたんだ。

ちなみにだけど弊害として、感情の起伏が激しくなることだけでなく、ぐに白けてしまうようになることが挙げられる。平たく言えば、僕は熱しやすく冷めやすい性格になってしまった。絶え間なく水が送られ、排水管を流れていくんだから、心は四六時中すすがれ続けているんだ。色も熱も舌鼓を打つ間もなく失ってしまうのは簡単に想像が付くだろう。

結局、僕のピアスに向けた恋慕はピアスそれ自体にではなく、それが持つ社会への反発の象徴性に対してだけだったんだろう。放置されたピアスホールはいつの間にか空間を閉め出してしまった。けれども完全な更地にはならなかった。鏡に映る残り香が鼻を掠める度、僕は苦い記憶を掘り起こされる。それごとに、僕はとどのつまり不良少年にも、優等生にもなれなかった半端者だと頭を揺すられる心地がする。矢張り自分は、何にも成ることが出来ないのだと、無力なのだと思い知らされる。確かに、誰しもが薄く勘付いていることではあるのだろう。でも、それと僕のとは訳が違う。前者は春の暁。来訪に気付かず寝過ごしてしまうほどには、存在と非存在との境界は溶けている。ヘマをした時にようやっと脳裏をぎる程度でしかないんだ。そして、後者は夏の日差し。まばゆい白と肌を焦がす痛みが、存在を暴力的に伝える。僕においては、自らの無力さが疑いようもない事実として臥しているんだ。耳に残る痕を目にしている時に限るのが、せめてもの救いだが、それでも、酷く気分は逆撫でされる。顔が熱くなって、鳩尾みぞおちに粘り気ある真っ黒いものが淀むのを感じるんだ。僕は、耳に沈む痕が網膜に像を結ぶのを、未だに許せないでいる。だから僕はね、どうもまだ鏡を見るのは嫌いなんだ。

さて、こんなところかな。他人の身体に穴を開ける決心は付いたかい?

はは、冗談だよ、すまないね。意地の悪い言い回しだった。

さあほら、早く。油を長いこと差していない、錻力ぶりきの玩具が軋むような素振りの君を見ていたら、かえって腹が決まったよ。安心してくれ、もししくじっても、君を責めはしないさ。ああ、約束する。

痛、た。手間でも氷を貰ってくれば良かったな。ああでも、いいよ。どうせすぐに閉じさせてしまうだろうから。化膿を防ぐための手入れも面倒だし、今は傷でしかないこれが、穴であると自覚し皮膚を持つまで待っていられない。それに、厚い皮膚が出来るまで付けっ放しにする必要があるというのに、垢抜けない装飾も気に入らないな。

いいや、無意味なんかじゃないさ。だってこれでもう、鏡は僕の敵でなくなった。

時に君、以前に僕の家へ遊びに来て、これは何だと聞いてきたものが三つあったね。二つは玄関と洗面台で、新聞紙が長方形に貼り付けられていたのに対して。二年前をていす発行日に君は、古すぎやしないかと笑っていた。残り一つは居間の、黒い布が掛けられた板。僕より頭一つ分小さいくらいの、縦に長い__そう、それ。本棚の隣にあったやつだ。その時、僕は茶を濁していたが、実はね。あれらは全て、鏡なんだ。

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