第4話 勉強が好きなんだ

 いつ雨が降り出してもおかしくないような怪しい曇り空。


 教室の中では雨が降る前に学校に着けたとほとんどの生徒が席で談笑している中、始業五分前のチャイムが鳴る。


 何の変哲もない高校の日常。


 そんな日常の中で、俺は一人首を捻った。


「あれぇ……?」



 ◇◆◇◆◇



「それで、るりちゃんとすみれちゃんが同じところで噛んで、当然NGになるんだけどその姿がまた可愛いんだよ! いやあ、また共演してほしいなぁ、あのドラマ二期とかあるかなぁ」

「人気ならあるんじゃね」

「あるかなぁ!? あってほしいなぁ!」


 昼休みになっても壊れることのない俺の普通な高校生活は、何故そこまで熱意を持って俺に話せるのか不思議になるほど今日も可愛い女優やモデルについて熱弁するまことの話を、教室で正面から聞き流すことで続いていた。


 数少ない友人と一緒に過ごす昼休み。

 普通だ。普通過ぎてわざわざ特筆することもない。


 物語ならモブが教室の隅で過ごしているような昼休みだ。


 ……あれ、なんでこんな普通なんだ?


「なあ」

「あ、観たい? 今なら――」

「いやドラマはいいんだけど」

「あ、そうなの? なに?」

「普通じゃね?」

「……何が?」

「何かわからないけど……普通じゃね?」


 自分でも何が言いたいのかよくわからない。


 だけどこれは普通なんだ。異常じゃない。

 今となっては何に恐れていたのか思い出せないけど、俺は何か異常に立ち向かおうとしていたはずなんだ。


 異常に立ち向かおうとして……そう、これは異常なはずなんだ。


 だけど今日俺が過ごしたのは普通で、異常なんて最初からなかったかのような……。

 喩えるなら、明日は魔王城に行くぞと意気込んで寝たら、起きたらそこは平和な世界だったかのような……それは世界は普通だと言えるけど、状況は異常だから、主人公の中ではどちらかと言うと異常で……だけど世界だけを見れば何事もないわけだからやっぱり普通で……うーん、わかんない!


「いやなんか……思い出せないんだけどさ……俺は覚えているべき何かを忘れてるような気がして……」

「美山さんのことじゃない?」

「あ、それだわ」


 すぐそこにあったわ俺の異常。


「そういえば今日は話してなかったね。近くで見たかったのに」

「話さなかったな。というかそれなら自分で見に行けよ」

「そんなことしたら僕頭打って保健室行きだよ」

「…………ああ、話しかけに行って硬直した場合直立したまま横に倒れるってことか」

「そうそう」


 事実かどうかは別にしてボケが難解。


 実際話したいというより近くに来たところを眺めたいというのが本心なんだろうけど。

 モリで突くよりも釣りが好きみたいな。さらに言うなら水族館でいいですみたいな。


「それで、美山さんとはどうしたの?」

「知らない」

「でも昨日の昼休み――」

「知らない」

「えぇ……」


 残念ながら俺は何にも知らない。

 元々俺は巻き込まれてた側だし。


 それが、昨日宣戦布告みたいな文を送りつけられて身構えていたところを向こうは何もしてこなかった。


 一周回って策士の可能性がある。


「仲直りしたら?」

「戻す仲がどこにもない」


 最初からわりと険悪だったし。

 戻すとしたらお互い全く知らないところまで戻さないと仲は変わらない。


 ……というかダメだな。まことはこういう場合俺のことより美人が自分の目に映ることを優先して考える癖がある。

 こういう時は俺の敵だ。


「まあ……相手が正気に戻ったことを祈っとくよ」

「えぇ〜、一回話聞きに行けばいいのに〜」

「行かない行かない」


 次の席替えでは、自分の手でいい位置を勝ち取ってくれ。




「……ふわぁ」


 そうして放課後。帰宅部の特権を活かして足早に学校から立ち去るいつもの帰り道。


 今日一日何もなかったことに感謝しながら、俺はイヤホンを付けて校門を通ろうとする。


「――――!」

「……なんだ」


 すると校門の横辺りで誰かが大声で喋ってるのが聞こえる。

 ま、生憎俺は今英語音声以外聞こえないから関係ないんだけど――


「――――! ――――!」


 しかし、外から聞こえる音は俺にどんどん近づいてくる。

 近づき方がホラーゲームのそれ。


 嫌だなぁと思いつつ振り向くと、向かってくるのは怒った顔の美山麗奈。


「……なに? Hello everyone?」

「言ってないよ!」


 ああ、じゃああれは英語音声の方だったのか。

 あまりの怒りに英語で話しかけてきたのかと思った。


「というか普通に帰るところなんだけど」

「だから待ってたの。どう?」


 そう言いながら、体を撚るところを見ると、どうやら服の方に注目すべきらしい。

 見たところ、普通の制服と変わりはないけど、ブレザーのボタンを開けてスカートの丈も変えてる気がした。


 制服着崩してるから一応学校から出て待ち構えてたのか。


「可愛い可愛い可愛い。……じゃあまた明日」

「ちょっと待ったぁ!」


 もう一度イヤホンをつけようとしたところでその手を止められる。

 三回も言ってもダメなのかよ。


「……も、もうちょっと話さない?」

「可愛い。なんで?」

「いやまだ少ししか話してないしさ……」

「可愛い。別に話す用ないんだろ」

「いやそれはそうなんだけど……」

「可愛い。ならいいだろまた明日で」

「……でも可愛いってまだ言われてないし!」

「さっきから死ぬほど言ってんだよ!」


 おかしくない!? なんで俺の可愛いだけ聞こえてないの!?

 なんか耳にフィルター掛けてる? 不適切な言葉だから聞こえてないとかある?


「いやほら……それは聞こえてるんだけど」

「聞こえてんじゃん」

「その可愛いは本気の可愛いじゃないよね」

「うん」

「そういうのは聞き取り不可なんだ」

「受け取り不可みたいに言うな」


 なんだ聞き取り不可って。聞き取れてはいるだろ。


 大体、本気のって……まあ、俺の「可愛い」に感情がこもってないのが原因なんだろうとは薄々思ってたけどさ。


 そもそも、俺の可愛い判定にこだわる理由はまだわかってないから困る。


 別に俺が言わなくたってまことにでも頼めば何個も本気の可愛いが貰えるだろうに。

 その方がよっぽど自分の可愛さに浸れる。


「だから……もう少しだけ話さない?」

「話して何が変わるのか俺にはわからない」

「チャンスが増えるよ」

「何のチャンスだよ……」


 「可愛い」チャンスか?


「大体……俺は他人に時間使いたくないんだって。今だって、普通なら英語のリスニングしながら帰ってたはずだし。もう帰って勉強してたかもしれないし」

「時君は勉強が好きなんだ」

「いや好きっていうか……」


 しなきゃいけない、ってだけだけど。


「苦手だからしてるってこと?」

「いや苦手っていうか……」


 多分普通の方だと思うけど。


 ……なんだろう。俺とこいつの勉強観、少しズレがあるな。


「じゃあ塾とか行ってるの?」

「塾は……まあ、行こうか迷ってる、けど」


 ここで塾なんて必要ないね、と自信満々に言える学力なら良かったんだけど、勉強が進むにつれ一人じゃ理解するのに時間が掛かり始めてる自覚があるから困る。

 それをここで言っても何にもならないことはわかってるんだけど――


「じゃあ、そうだ! 一緒に勉強しない?」

「え、嫌だ」

「ぐふっ……」


 断り方がストレート過ぎたのか露骨にダメージを受けてる。

 でも仕方ないじゃない。唐突にそんなこと言われたら。


「大体……塾行くかって話なのに同級生と勉強したって意味ないだろ」

「うん、まあね……」


 相手がめちゃくちゃ学力高いならともかく。


「私昔から勉強は好きだったからさぁ。教えられることないかなと思って」

「……ふぅん?」


 勉強が好きだなんて真顔で言える人に初めて会った。

 ……ま、俺を騙すための嘘だろうけど。


 まことはテレビの話ばかりで勉強の話になることもないし、妹は単純に時間がなくて勉強する時間がなくて俺の勉強に関する相談相手がいないのは確かだけど。


 だからと言って散々邪魔してきた相手に魂を売るほど俺も困っちゃいない。

 そもそも勉強が好きなだけで得意とは言ってなかったしな。


「……いや」

「まーでも、ダメだよね。一人でやった方が効率いいところもあるだろうし」

「まあ、な」


 本当に勉強ができる奴ならともかく……遊ぶ雰囲気になるような相手はいらないしな。


 本当に勉強できる奴を除けば……同級生と勉強しても効率が上がることはないだろう。


 そうして、ようやく解放されそうな雰囲気になり、俺は再びイヤホンを付けようとする。


 今度は向こうも俺の手を止めずに潔く離れようとする。

 これでやっと帰って勉強できる。


「…………」


 ――ただ、イヤホンを付けるその直前に、俺は手を止めて。


「ちなみに……入試の点数どのぐらいだった?」

「……へっ?」

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