monkey talk

@isako

monkey talk


 私の番ですね。はい。私も皆さんと同じように、私が子供の頃の話をしようと思います。


 私が子供の頃というと、それはずいぶん昔の話になってしまいます。もう六十年ほど昔のことです。

ここは比較的歳の若いひとたちが多いので、私の話す時代のこと、その時代にひとびとになされていた呼吸のことで、みなさんはとまどってしまうかもしれません。でも、この会にやってきて、話すことというのは、時代や地域に関係のない――いや、そんなことはありえないのかもしれませんが――普遍的な、誰にでも経験のあるような共感に基づくものになると私は思うのです。


 もちろん、そうした共感を求めているわけでもありません。だってここに集まっているひとたちは、

 本当に共感が欲しいからやってきているわけではありませんよね。私たちはただ語ることで、物語を語ることで心を癒そうとしているわけですから。若いあなた方の治療の助けになればいいと、思わないわけではありませんが、しかしそれよりも、ただこれを語ることで私は私自身の心に何か穏やかなものを与えたいと思うのです。話を始める前から身勝手なことを言うようで申し訳ないのですが、ただこの話には私の為のものでしかないという絶対的な性質があるということを、わかっていてもらいたいのです。


 今となっては、その出来事は、午睡の中に見る悪夢のようにおぼろげなものになってしまっています。なにせ六十年昔のことなのですから、仕方がないでしょう。そのおぼろさの中に、事実と妄想が混濁していることもまた、あり得るわけです。だからこそ私はここで語りたいとも思っています。私がここで語ることで、私の中で物語を確定させたいのです。過去に、ほんとうにあの時何があったのかではなく、私の霞んで消えていく記憶のなかに何があるのかを、私は見定めようとも思っています。


 私の幼いころ、まだ十歳のころでした。私は南部山脈近くの地方都市に、両親と一緒に住んでいました。そして彼は……私の母の兄、伯父は、私たちの住む街から車で少し行ったところにある山のふもとに一人で住んでいました。いわゆる、世捨て人です。山に這入って、山菜や獣をとって暮らしていました。両親が彼に私を会わせたのはたった一度だけでした。母方の祖父が死んで、その遺産を分けあう過程で、葬式にもやってこなかった伯父にどうしても直接あって紙のやりとりをしなくてはならなかったのです。「どうしても」――そのように母が言ったことを、私はよく覚えています。


 なぜ両親が私を彼のところへ連れて行ったのか。私はそのことについて彼らに尋ねはしませんでした。世を嫌い、また家族も嫌い、社会との関係を捨てた彼は、また対称的に世や家族から嫌われ、社会から捨てられた存在でもありました。そんな彼のもとに向かうのに、なぜ私を連れて行ったのでしょう。用事は、その相続処理における最大の忌ごとのようなもので、私のような子供はまったく必要ない、渇いた関係でしかなかったのです。そこに、甥の顔を見せに行くことの意味は見出せません。私は今でも、わかりません。父は反対したのに、母が強く主張したのだという話だけは聞いています。彼女だけは、私と伯父を一度は合わせるべきだと考えていたのです。


 遺産に関するやり取りは、破滅的なものであったと記憶しています。後年、記録を調べたところ祖父の遺産は母に四、伯父に六の割合で配分されていました。それは祖父の遺言によるもので、法にのっとり確実な相続が行われました。しかし私の記憶の上では、そこには壮絶な言い争いがあったということになっています。母は泣き叫び、父は喉から血が出るほど怒鳴り散らしていました。伯父はまったく家に貢献しない人間でした。およそ人間というものをすべて疎んでいましたから、当然家族からも離反していたのですが、祖父の遺産に関して、彼はまったく譲ろうとしませんでした。金が必要だったのでしょう。彼は山奥でつつましく生きていましたが、それでも金は、絶対的なポジションから退こうとしませんでした。社会との最後のつながりです。もっとも強固で取り除けがたいものだったのです。 


 大人たちによる激烈の争いから遠ざけるために、私は伯父宅の庭先で遊んで待っているように指示されていました。家の中から聞こえてくる恐ろしげないくつかの声のことは聞かないようにしていました。そこでは子供の私には想像もつかないような闘争が行われていたのです。


 しかしその恐怖の一方で、私は庭先に置かれた伯父の仕事道具たちに対する興味に心をくすぐられていました。私の胴体ほどもある山鉈や、難所で自らに括り付け命綱替わりにしていたらしい荒縄、そして山の獣を打ち払うための猟銃。そうした実用のためだけの武骨な装備の数々に私は夢中になりました。それらを手にして、闇と魔の森を切り開き大冒険をする夢想で、心をいっぱいにしました。


 やがて談合は終わり、私たちは家に帰りました。父は苛々とした表情でずっと煙草をくわえていました。母は止まらない涙をハンカチで拭い続けていました。その日をもって、私たちの家族と伯父との関係は完全に断たれました。彼は家から放逐されました。私の知る限り、両親と伯父が会うことはこの先一度もありません。祖父の遺産の六割を手に、伯父は家族を捨てました。初めから捨てていたのでしょうが、今度こそ回復は不可能な状態に陥りました。最後まで伯父を家族だと思っていた母の差し伸べる手を、伯父は打ち払ったのです。


 しかし私は、少年だったころの私には、そうした複雑な事情はまったく関係ありませんでした。伯父さんの家には、男の仕事のもっとも浪漫的なアイテムの数々があり、彼こそがそれを駆使し退屈な社会を抜け出した本物の冒険者なのだと、私は考えていたのです。私は自分の自転車を駆って、彼の家に遊びに行くようになるまで時間はかかりませんでした。そうしたいという要求を私は止められなかったのです。両親がそれを許さないだろうことは漠然と理解していたので、私は彼らには黙って伯父のもとに向かいました。


 伯父は困惑をもって私を迎えました。それも当然でしょう。精神による打擲で追い払った妹の息子が、自分のことを輝く尊敬のまなざしで見つめてくるのです。今となっては伯父とかなり近い精神状況にあるので、私には伯父の心持が少しは理解できます。


 おそらく、伯父はこれまでも彼を好んでやってきた人間を何度も打ち据えているはずなのですが、私に対しては、決してそんなことはしませんでした。

 私は、週に二度ほど彼のもとを訪れるようになりました。彼は私になにか温かい飲み物を与え、そして山の話をしました。彼の潜る山にはたくさんの危険と、そして豊かな実りが存在していました。彼はそんな実りのいくらかを借りているのだと話しました。それはある種の宗教に似ていました。彼は自然から命を量的に借りている野だと考えていました。そしてそれは、いつか返さねばならないものなのだとも言っていました。伯父はそうした哲学によって生きていました。ゼロサム的な価値観です。


「与えられたものによって生きている。だから、いつか与えられた分を返して命を巡らせなくてはならない」


 伯父はよく私にそう言い聞かせました。私はいつしか、伯父のそうした言葉それ自体に強い意味を感じ取るようになっていました。初めは山での冒険譚や、雄々しい道具たち、華々しい戦利品らにひきつけられてきたわけですが、それらは伯父の言葉によれば「借りている」に過ぎないものであり、いつか山に返すものであるということ、そして、伯父は彼自身の命さえもいつかは返さねばならないのだという、そのソリッドな死生観に幼い私は惹きつけられてしまったのです。


 あるとき、伯父が私を山に連れて行ってくれたことがありました。秋のことで、彼は私のための山装備を準備してくれていたのです。それは簡単な茸狩りになる予定でした。伯父は幼い私にも刃を持たせました。私は興奮しました。それまで、包丁さえも握ったことがなかったのです。母親はそれを許しませんでした。


 私は言いました。「お母さんは、刃物を持ってはいけないと言うよ」

 彼は言いました。「山は危険な場所だ。そこに這入る以上、お前は身を守るためのものを持っていなければならない。山の獣たちは、このような刃ごときものともしない。だが、人間にはこれが必要になる。絶望の暗闇のなかで光るのは、ただこの刃だけなのだ」

 

 私には言葉の意味が分かりませんでした。楽しい茸狩りに、なぜ小ぶりの鉈が必要になるのでしょう? 


「鉄だけが獣を打ち払う。銃でも、鉈でもいい。鉄が必要なのだ。ひとは心に鉄を忍ばせなければならない。そうしなければ、心は獣にむさぼられてしまう」

 伯父は自分に言い聞かせるようにそう言いました。


 私たちは、伯父がすでに踏み歩き均していた山道を歩いていきました。湿った土の匂いが、足元からむくりと起き上がって常に私を包み込んでいました。


 山では、伯父はたくさんのことを私に教えてくれました。山での足運びから、危険な動植物、天候の見かた、そして山という存在について。人のいない山こそが本物の山で、それこそがもっとも豊かな山なのだと、彼は言いました。人間にも許された道があり、また、踏み入ることが許されない場所もありました。それは危険であるということと同時に、ほかの生き物のために用意された場所だから入ってはいけないのです。蹄をもつものたちが軽々と歩くからといって、そこを人間が進めるわけではありません。


「豊かな山は人を誘う。誘われたからといって、その尻を追いかけてはいけない。それは決して、ただ母親のように与えてくれるだけの女ではないからだ。山に奪われたものは多いから、人は山から奪おうとする。それは間違いだ。山からすべてを満たそうとすることが間違いなのだ。足りなくてけっこう。山が、財宝の積みあがった盛り上がりに見えたとき、怪しげな猿が現れる」


 茸狩りは成功に終わりました。私たちは子供の小さな腕に一抱えの分の茸しか採りませんでしたが、二人で食べるのなら十分な量でした。陽が傾き始める前には、私たちは山から引き返す道を歩いていました。伯父も機嫌がよく、これらの茸をおいしく食べる方法について語ることに夢中になっていました。


 伯父が茸と山菜のバターソテーにおける火加減の重要性を論じているときのことでした。私は視線の先遠くの木々の間に白く輝くものを見ました。さっときらめいて、直ちにそれは樹木の後ろに隠れて、もう出てこなくなりました。なにかの見間違いとは思いませんでした。その輝きの確たる存在感は、私がこれまでに見てきたどのような何にもまして強いものだったのです。


 どうかしたのか、と伯父が尋ねました。私はなんでもないと答えました。見たもののことは、伯父に語るべきではないと直感したからでした。


 その日の夜、私は奇妙な夢を見ました。寝室の窓の外で、何かが揺らめいていました。私にはそれが何かわかっています。山で見た白いきらめきです。私はベッドから降りて、窓に近寄りました。それが危険な行為であることは、なんとなく想像がつきました。きっと伯父がそばにいれば私を激しく叱咤したことでしょう(私が遊びにいって、私がなにか無知や怠惰といった理由からその身を危険にさらしたとき、決まって伯父は私を激しくしかりつけました)。ただその時には、伯父はいなかったのです。それは私の夢なのですから、伯父の存在は許されていませんでした。

 伯父へのうしろめたさを感じながら私は窓を開けました。白いきらめきは優しい声で私に語りかけました。


「こんばんは、小さい友達。眠っていたところを邪魔してしまったね」


 私は問題ないという風に返事をしました。


「おお。君は優しい子だね。お父さんも、お母さんも、さぞ君を愛していることだろう。こんなにも素直で優しい男の子なのだから」


 私はどのように返事をすべきなのかわかりませんでした。きらめきは言葉を続けました。


「小さい友達。君は、山で私の姿を見たのをを覚えているだろうね?」


「はい」


「うん。君が覚えているように、私はおぼろげな存在だ。瞬きの合間にふと目にしても、もう一度これを捉えようとするのは難しい。確かにいるのだが、君たちに見られるためにいるわけではないので、君たちには近づきにくい場所に普段は過ごしている。我々のようなものは、山には多く棲んでいるのだ」


 きらめきは続けます。

「そしてそうしたものたちの多くが、君たちをあまり好んでいない。人間をね。だから、私はこうして君に会いに来たのだ。小さい友達。もう山にきてはいけない。我々の仲間が、いつ君を傷つけるのかわからないから。あそこは危険な場所なんだ。君の伯父さんは特別な人間だから、ああして山とともに生きていくことができる。そして、いかにも山が心地よく豊かな場所であるかのように、君をだますこともできる」


 私は言葉を失いました。伯父が私をだましているだなんて、とても思えなかったのです。


「なんにせよ、山は君の場所ではないんだ。我々の場所なのだから。もう君は、伯父さんのところへ行ってはいけない。山に這入ってはいけないよ」


 そう言い残してきらめきは姿を消しました。目が覚めたとき、外はまだ暗く、私はベッドの上でひどく気味の悪い汗をたっぷりと体にまとわせていました。全身がぐっしょりと濡れていて、頭は非常に重く、喉は水をやり忘れた花壇の土のように渇いていました。そして、まるで夢の続きであるかのように、寝室の窓は開け放たれていました。私は確かに、眠る前にそれを閉めていたはずでした。


 朝になると、私は両親から自転車を当分の間没収すると告げられました。私が伯父のもとに遊びに行っていることが、彼らに知られたのです。特に父親は、私を厳しくしかりつけました。お前がやったことは、家族に対する裏切りだ。あいつは俺たちのことをなんとも思ってない、くたびれた雑巾のようなものなのだ。あいつに会ってはいけない。あいつの言葉を聞いてはいけない。あいつに与えられたものを食べてはいけない。

 私は抗議しました。それは最初で最後の父親への反抗であったように思えます。伯父の持つ世界について私はそれがどれほど魅力的で、素晴らしく、正しい意志に基づいたものなのかを語りました。私が言いたいことを言い終えたとき、父の顔は真っ赤にはれ上がっていました。父はベルトで私を打擲しました。母が止めに入りましたが、私は身体中に濃いあざを残しました。今でも、あのときのことを夢に見る日があります。それ以来、私は父に対して距離をとるようになりました。伯父の世界を理解しようともせず、怒りのままに私を打つ彼は、どこをひっくり返しても尊敬に値するものにはなりえなかったのです。私は父の役割を伯父に求めるようになりました。人生の師として私にふさわしい男は、目の前の激昂する中年ではなく、山とともに暮らすあの老人なのです。


 私は友達に自転車を借りて伯父のもとに向かいました。そのときには、もうあの奇妙な夢の警告のことも忘れていました。私はただ父への怒りに突き動かされて、伯父の山に向けてペダルを漕いでいました。


 私が訪れると、伯父は冷たい茶を出してくれました。それから、普段彼が座っている大きな椅子に私を座らせました。彼は小さなスツールをどこからか引っ張り出してくると、それを私の正面において腰掛けました。煙草に火をつけて、私の目を見つめました。私は父に殴られたことを話しました。もう伯父に会うなと言われていることも話しました。伯父ならば、父の意味不明な怒りも一蹴して、私をまた山に連れて行ってくれると思ったのです。話し終えたところで、伯父は煙草の火を皿に潰して消しました。


「お前はもうここにはきてはいけない。お前の親父の言っていることは正しい」

 涙であふれた目では、自転車に乗ることができませんでした。私は父にしたよりも激しい反発を伯父に向けましたが、彼は悲しげに首を振ることしかしませんでした。


 それは初めての絶望でした。こんなにも寄るべない感覚がこの世界に存在することに、私は愕然としました。私の孤独はそのときに始まったのだと、今になって思います。ここにいるみなさんは、人間が実際のところどれだけ孤独な存在であるのかをよくご存じであると思いますが、私の場合その最初がこのときだったのです。


 息をするだけで呼吸器は過剰で神経質的な震えを帯び、耳や目の伝える情報は意味のあるものとして理解されることはありません。私はその帰途において、電信柱にぶつかったり側溝に足を突っ込んだりということを何度も繰り返しました。ぼろぼろの恰好で帰ると、母は私がどこにいたのかを問いました。私は嘘をついて、伯父のところにいたことを隠しました。嘘に納得して、母は買い物に出かけました。私は一人でした。


 それからは何をしても、意味や価値を感じることができませんでした。ものを食べて、味わったとしても、そのことに必要性が見いだせないのです。こうした状況はその後の私の人生において度々現れることになるのですが、子供のころにはそれが初めてで、私にとっては大変辛い思い出になっています。


 どのくらい時間が経ったのかあまりよく覚えていません。一晩くらいだったのかもしれませんし、一週間、あるいは一か月が経っていたのかもしれません。私はあるとき、山に行くべきだと思うようになりました。あの豊かな山に。あの命と美しさで満たされた世界に。伯父を頼ることはできません。私は自分一人で山に行かなければなりませんでした。しかしそれは、そのときには、それほど大きな障害には感じられませんでした。それどころか、私はそのアイデアが自分のなかで生まれたことに驚き、それこそがこの苦しみから逃れるための最良の手段であるのだと、歓喜しました。


 私は再び借り物の自転車を走らせました。伯父に見つかってはいけないので、伯父の家の近くまでくると自転車を隠すようにして停め、そこからは歩いて山道の入り口に向かいました。


 昼食前の穏やかな日差しが木漏れ日となって私の肩や顔に降り注いでいました。見上げると、まだらの緑がまばゆく輝いていて、それはときおり風や生き物の動きで揺れ、小さな音を立てていました。私と同じように緑を通した光を受ける地面や下草は人間の想像力からは決して生まれることのないきらめきをもってそこに生きていました。人間が生み出すもの、与えるものよりもはるかに美しく力強い世界がそこにはありました。


 私はそうした景色に夢中で、山の中をずんずんと進んでいきました。山道はいつまでも続いていたので不安はありませんでした。そこはあくまで、まだ人が踏み固めた道だったのです。伯父の言葉を借りるならば、「人間にも許された道」というわけです。私は恐れを抱くことなく山を奥へ奥へと歩み続けました。歩けば歩くほど、山の濃い空気が私の中に入ってきて、私と山が一体になっていくような感覚がしました。山は間違いなく私を受け入れていました。単一のようでその実、様々な表情を持つ山の景色はいつまでも私を飽きさせることなく、また失望させることも拒むこともなかったのです。


 かなり進んだところで、私は山の中に広大な野原があるのを見つけました。太陽はやや傾き始めていましたが、まだ暖かな光を私たちに投げかけてくれていました。その野原は森の木々に囲まれるかたちで存在していて、そこだけすっかり樹木がありませんでした。下草が一面に広がり、ところどころに小さなピンクの花が見受けられました。名前も知らない花です。


 私はその原っぱの中央あたりまで歩いていって、ぐるりとあたりを見回しました。草木を除けば、ほかに生物の気配はありません。地面に目を凝らし、小さく薄い葉かき分けても、虫の類さえ見つけることはできませんでした。そこは不思議な場所でした。私はそこに寝転がって、空を見上げました。美しい青空でした。自然のものがもっとも美しいというのは、多くの人によって語られるテーゼですが、私もその多くの人たちと同じようにそれを実感しました。どんな絵具の青よりも青く、どんな血の赤よりも鮮やかな光がそこにありました。


 そこで呼吸をしていると、私は、外の世界での出来事たちの、あの重苦しさから少しずつ解放されていくのを感じました。誰もそばにいてくれないことの寂しさや、誰も受け入れてくれないことの悲しさ、誰も認めてくれないことへの怒りといった荷物たちはふわふわとした心地よさの中に飲まれて、どうでもいいものになっていきました。両親も伯父も、この世界では私には必要のないものだったのです。そのように思えたのです。それを頭の中に認識したとたん、私は眠気を覚えました。暖かな陽気が全身を包み込んでいました。草の匂いが私を落ち着かせてくれます。私は目を閉じました。眠りが訪れたのはすぐでした。


 ひややかな、と呼ぶにはいささか冷たすぎるものが身体を撫ぜて、私は目を覚ましました。私を包んでいた陽光は眠りの間に姿を消し、そこには薄暗い荒野が怪しく横たわっていました。太陽は山の陰に身を潜みつつあり、彼の放つ橙がうすらと空の淵に引っかかるのみです。あの鮮やかなスクリーンは、鈍重な灰青にすっかり侵されていました。


 寒いと感じたのが初めでした。そこはあまりにも寒いのです。命を凍らせる寒さではありません。草木はいまだ瑞々しい身体を湛えていますが、空気が、毛皮を持たない人間には寒すぎるのです。帰ろう。私はそう独り言ちました。私に向かっていったのです。私と私がいれば、この寒さを誤魔化せると、そう思ったのです。ただそこには私一人しかませんでした。そして寒さ。


 眠りのけだるさは冷たい風にさらわれていきました。私は身体を起こしてもと来た道を引き返そうとしました。しかし、その道を、この荒野につながっていたはずの木々の割れ目を見つけることはできませんでした。きたときにはあんなにもはっきり、この場所のために開かれていたようなかたちで道を作り上げていた木々が、まるで私を迷い込ませようとでもしているかのように、それらの身体をぴったりと寄せ合わせて、道を殺していました。そうして私は、ようやく、山を恐怖するに至りました。いまここには、自分の知らないなにか恐ろしいことが起きているのではないか、と人間が山に抱く自然な感情を持ち合わせることになったのです。それは、もう、遅すぎることでした。


 木々の織り成す壁にそって、私は歩き始めました。いびつな円形を描く荒野の壁、このどこかには必ず私の通った入り口があるはずなのです。私はそれを探すために、壁を強く睨みつけながら、そして少し急ぎながら足を進めました。私が寒さや恐ろしさに打ちひしがれている間に、空の端にかかっていた赤い光はついにその姿をくらませてしまいました。まもなく彼がやってくるのです。子供がもっとも恐れるものです。それはすなわち、一人の夜です。


 どれほど歩いたのでしょうか。私は歩き始めた場所に目印もつけずただ黙々と出口を探していました。荒野を一周したのかどうかもわからないうちに、あたりには濃密な闇が首をもたげ始めました。地の底から這い出づるなにかです。私はそれを見て、叫びました。ついにその場にしゃがみこんで、固く目を瞑りました。それは私に触れることはなくただあたりを満たしていきました。音もなく忍び寄ってくる闇の時間が始まっていました。私は彼らが過ぎ去っていくのをただうずくまって待っていました。しかし、彼らがその場をあとにしたような気配は一切ありませんでした。当然のことです。なにせそれは彼らの時間のことであって、その間、彼らはほとんどすべての場所にいることができるのですから。


 私はここに来たことを後悔して、涙を流しました。恐ろしくてたまらないのです。何かが常に、目の前に、背後に、隣に、頭上に潜んでいるのが分かるのです。その大きな口からは、子供の血と肉で汚れた重く堅い歯が覗いているのです。生温かく湿っていて、そしてひどく臭う息が私の首にふわりと触れました。すると私の身体は激しく震え始めました。もうこれ以上ない、というのが分かりました。何が起こるのでしょうか。きっとこころが壊れるのです。闇の中で目を見開いて、そして目を閉じても開いても意味がないことを知りました。声も出ないのです。頭のなかを、絶対で完全な喪失が満たされていくのを感じました。


 そのときでした。私はあと一歩のところから、踏みとどまるものを覚えました。踏みとどませるものがありました。それは音でした。笛の音のように聞こえました。私はすがる思いでその音に耳を澄ませました。それは恐ろしい大口の呼吸の音ではなく、寂しげで心もとない、私と同じこころが鳴らす呻きの声でした。


 私は恐る恐る頭をあげて、目を凝らしました。それほど遠い場所ではありません。かなり近くです。誰かが私と同じように泣いているのです。闇は相変わらず光を押しのけ、瞳は何も捉えてはくれませんでしたが、その情けない、卑屈な鳴き声は彼の居場所を私にこっそりと教えてくれました。私は這いながら、彼のもとへ向かいました。


 涙と鼻水でずるずるになった顔からする音が聞こえ始めました。依然として呻きも続いています。

声は少しずつ近づいていました。私は自分の進んでいる方向があっていることを闇の中でも知ることができました。ふと、目の前に光るものが見えました。私は空を仰ぎました。月が出ていました。大きく薄い三日月がそこに輝いていました。視線を前に戻したとき、私はついに彼を見つけました。


 それは大きな猿でした。白い毛並みを携えた大きな雄猿です。大人の男よりも少し大きいくらいの背丈がありました。そんな大きな身体を持っているのにも関わらず、猿はみじめったらしくうずくまって、頭を抱えて泣いていました。私の握りこぶしほどもあるような黄色い目玉には、涙で湿った目脂がべったりとこびりついていました。


 ――ねぇ。どうしたの。私は猿に語り掛けました。猿は醜く恐ろしい姿をしていましたが、そのときには、彼が恐ろしいとはまったく思えなかったのです。むしろ、哀れで救いがたい存在のように見えました。


「おぉ……おいら、独りぼっちなんだ……。それが寂しくって泣いてたんだ……」


 猿はやせ細った手で涙をぬぐいました。その指先では鋭い爪が揺らめいていました。欠けたり折れたりしているそれは、少し血で汚れていたのを覚えています。


「なぁ……お願いだよ。ちょっとでいいから、俺らのそばにいてくんないかい。そうでないと、寂しくって、こころがどこかに流れ出しちまいそうなんだ」


 私たちは肩を寄せ合って闇の中に座り込みました。ときおり猿は、ふぅ、ふぅ、と不安定な息遣いをして身体をがくがくと震わせました。そのたびに私が背中をさすってやりました。猿の毛は固く垢にまみれてねばついていました。私はそれを気味悪いとも思わず、優しく撫でていました。猿は泣きながら、ありがとう。ありがとうと感謝を繰り返しました。


 そういうことを何度か繰り返しているうちに、朝がやってきました。朝日に照らされて気づいたことに、そこはあの荒野でも山道でもなく、まったく人が踏み入った気配のない本当の森の中でした。いつの間にこんなところまで来ていたのか、私は少し驚きました。そして明るい場所でみる猿は、本当に大きな体をしていました。その身体にまとった真っ白の毛をみて、この猿がずいぶん長く生きているのだということを、私は何となく理解していました。


 猿はとても大きな身体をしていましたが、その肉は少なく、死にかけの老人のように痩せていました。大きな目玉と口をしょぼしょぼさせて、猿は言いました。


「おまえのおかげで、なんとか夜を乗り切ることができたよ」猿の顔は、その老人のような肉体とはうってかわってやけに幼げでした。すっかり泣き止んだ猿は、大きくあくびをして、ねぐらに帰ろうとしました。


 私は猿に、山を下りる道を尋ねました。猿はかぶりを振りました。

「ごめんよ。俺ら、生まれてからずっとここにいるから、どうすれば山を下りられるのかわからないんだ」


 それから、少し考えるふうにして、続けました。


「もしかして、おまえ、家に帰れなくなっちまったのかい」


 言葉にして表された事実に、私は再び泣き出してしまいました。猿は慌てて私を慰めようとしました。私がしたようにその大きな手で私の背中をさすったり、優しい言葉をかけたりしましたが、私は泣き止むことができませんでした。それはただ不安からやってきた涙ではなかったように思います。そこに猿がいなければ、そのような涙はあり得ませんでした。荒野で闇に包まれた時とは違い、少なくとも私には猿がいたのです。


 猿は何かを思いついたようで、身体を起き上がらせると、すばやく駆けて森の奥に消えていきました。見えなくなる一瞬、彼の毛並みが光を受けて、白いきらめきに溶け込みました。すぐに戻ってきた猿の両手にはいっぱいの茸や果物が抱えられていました。


「ほ、ほら、食えよ。腹が、減ってるだろう」


 猿の差し出す実りは、どれも見たことのないかたちをしたものばかりでした。しかし、そのどれもがこれまでのものとは比べようもなくおいしいのです。私は猿と一緒にその朝食を平らげました。猿は本当にうれしそうに笑いました。私も、ようやく笑うことができるようになりました。


 食事が終わると、猿は彼自身のことを話し始めました。彼はもうこの山に何百年も棲んでいて、山の生物のなかでもっとも年長であるというのです。しかしその長い歴史のなかで、彼は友達や家族と呼べるようなものは一切持ちえなかった。生まれたときから独りで生きてきた彼は、つい昨晩になってその寂しさにどうにも耐え切れなくなって独りで泣いていたのです。


 彼の言葉につられて、私も自分のことを話し出しました。父にひどい仕打ちをうけ、伯父にも見捨てられたことを話しました。猿は私の話を実に悲しげな顔で聞きました。こんなことを話せる相手は、私にはいません。猿だけが私の話を聞いてくれました。幼い私の、言葉足らずで支離滅裂な物語に、彼は辛抱強く耳を傾けてくれたのです。


 猿は涙を流しながら言いました。

「そうか。そうか。おまえも、俺らとおなじ独りぼっちだったんだねぇ。……ねぇ。あの、俺らさ、俺らたちって、ともだちには、なれないかな」


 私は驚きました。猿と友達になる人間というのが、この世界にあるのでしょうか。でも、そのとき、どれだけ周囲を見渡しても、彼ほどそれにふさわしいものはいなかったのです。私は彼の申し出を快諾しました。そうして私たちは友達になりました。私にとって本当の友達というのは、今に至るまで彼しかいません。


「あの、あのさ、そんなんなら、お、俺らと一緒に、この山で暮らさねぇかい? 俺らたち、ともだちだろ? だったら、ずっと一緒にいられるぜ。うまいもんがどこにあるかおせえてやる。どこで寝ると明日のことを考えずに眠れるかおせえてやる。俺らと一緒に、ずっと遊ぼう」


 猿は赤い顔をさらに赤らめてそう言いました。彼の干からびた指先を絡み合わせて、いじましくもじもじしました。まるで、精通にも至らない少年が初恋の少女を遊びに誘うような、そんな様子でした。


 その提案に、魅力を感じなかったといえば嘘になります。ただその猿の言葉には、ある種の不可逆性のようなものがありました。つまり、この申し出を受け入れれば、私はもう二度と戻ってこれないのだという確信です。両親や伯父にはもう会えないだろうというのもわかりました。彼らはもうすでに私を見捨てた人々ではありましたが、そのようにことが定められるとなると、名残惜しい気持ちが浮かび上がってくるものです。


 私が困惑していると、猿はみじめったらしく泣き始めました。


「うぅ……。なぁ。なぁ。俺ら、また独りぼっちになっちまうのかい? せっかくともだちができたのに、お前は俺らをこの山においてどこかに帰っちまうのかい? そんなの寂しいよぉ。いっしょにいてくれよぉ。ずっと。ずっと、いっしょにいようよぉ」


 ――でも、でも。私のなかの何かが猿の提案を拒み続けていました。猿は言いました。


「俺ら、知ってるぜ。お前がほんとうに欲しいものを知ってるぜ。俺らは、お前たちがほんとうに欲しがっているものを知っているし、それをお前にやれるんだ」


 猿は彼自身の股ぐらを大きく開きました。そこには、あるべきものがありませんでした。大きな傷が、古い傷であることは確かなのですが、そのようないつまでも癒えるの事の決してない抉り傷が、そこにはありました。その欠如からは、膿のような、汚らわしく卑しい汁がじくじくと流れ出続けていました。それが猿の匂いの源でした。獣の匂いです。人間にもっとも近く、そして同時に人間が遠ざける努力を惜しまなかった匂いです。

 猿はその淫靡な液体を指先で掬い取りました。血でも、精でもありません。まったく無色の、透き通った液体です。ただ、それは反吐をこらえるときの唾液のようにひどくねばついていました。彼はそれを私の目の前に差し出しました。濃い匂いが私の鼻先で踊りました。私は異常な興奮を覚えました。頭の中が鈍い熱を帯び、頬は紅潮し、息は荒ぶります。

 猿は差し出すだけで、何も言いません。ただ私の目をじっと見つめていました。その目は、なによりも雄弁に語っていました。私から求めて初めて、それは意味を成すのだということを。


 猿と過ごした時間は、永かったとされています。というのも、私が十年間を山で猿と生きていたのだという説明を、医師から、すべてが終わったあとに聞かされたのです。それは私にとって、ちょっとした休暇くらいの時間でした。夏の、最も暑い二週間を避暑地でソーダを飲んで、音楽を聴いて過ごしているようなものでした。ただ、私たちには確信がありました。いえ、確信というより、もはや顧みる必要さえないのです。その休暇は決して終わらないはずだったのです。


 私たちは、時間を、食べて寝て交わることで過ごしました。猿はもう話すことをやめました。猿が話さなくなったので、私も話さなくなりました。言葉が消えたのです。知らないうちにそれはどこかに浮かんで見えなくなりました。聞こえなくなりました。初めは戸惑っていたと思いますがすぐに気にならなくなりました。それを抱える必要さえなかったのですから。


 日中のほとんどの寝て過ごしました。日が暮れるとねぐらから這い出して、川の水を飲んで茸や、小動物をそのまま食べました。それで身体を壊すということは一度もありませんでした。口にするどれもが命で満ち溢れていて、食べることの意味をそのまま味わうような感覚がしました。

 食べ終わると、私たちは再び眠りました。もう一度目を覚ますと、次はまぐわいが始まりました。

 

 人間界にいたころからして、セックスの経験はおろか知識さえなかった私ですが、そのまぐわいには、なんら驚きや、抵抗はありませんでした。あくまで自然な行為のひとつとして、私はまぐわいを受け入れ、彼と交わりました。

 まぐわいは私たちのどちらかの性的な興奮を引き鉄に始まります。私か、彼のどちらかがそれを覚えると相手はその匂いを嗅ぎつけます。わかるのです。私たちが興奮すると、濃い匂いがあたりに漂い始めます。興奮にきっかけはありません。行為は食後の眠りのあとに始まることが多かったように思いますが、そもそも私たちは食べることと眠ることと交わることしかしていなかったので、結局その三つが入り乱れて発生するという入り組んだサイクルがあったということに過ぎないのかもしれません。腹が膨れ、眠気がなければ、おのずからその熱はやってくるのです。

 

 私は猿と何度も交わりました。何度も交わりましたが、そこには、子が成されることはありませんでした。目的、まぐわいの本来の目的であるところの子孫の継承は、私たちの関係のなかに存在しませんでした。猿にも、私にも、その必要はなかったのです。ただ快楽を貪っていただけです。今になって思えば、彼は本当のところ、いきものではなかったのだと思います。何かが、猿の形をとっていただけです。それはおそらく、くらい場所からやってくるなにかです。


 そのときがやってきたとき、私は、恐ろしくて恐ろしくてただその場に縮こまることしかできませんでした。

 なにかの異変を感じて目を覚ますと、猿は、どこか落ち着かない様子で、そこいらを行ったり来たりしていました。空腹や、興奮とは別の次元にあるなにかがやってきているのがわかりました。私は山での暮らしを始めてから、およそ不快というものを感じたことがなかったので、そしてそれまでの人間界での生活でいつも感じていたその負の感情のことも忘れてしまっていたので、そのときになってようやく私のもとに戻ってきた負は、私をひどく苦しめました。不可解な不安。いいようのない恐怖。それが騒がしくあたりを動き回る猿の奇行によって、私に突き付けられていたのです。


 やがて悪魔はやってきました。悪魔は鉄を携えていました。悪魔は猿に歩み寄ると、手に握っていた鉄で猿を叩きのめしました。猿は悲痛な、あまりにも哀しげな声で、ぎぁっ、ぎぁっ、と泣き叫びました。私はそれをただ見ていることしかできません。悪魔は私たちよりもはるかに大きな身体で、煌々と燃える火を左手に、そして堅く大きな鉄を右手に持っています。猿が、もう、叫び声も上げられなくなって、ようやく悪魔による攻撃は終わりました。猿が動かなくなると、悪魔は私に近づいて、私の顔や身体をくまなく調べました。悪魔は私を見て、低い唸り声を響かせました。悪魔は私をひっつかむと、山を下り始めました。私はそれに抵抗して、悪魔の手に噛みつきました。すると、悪魔は、猿にしたのと同じように、私を鉄で打ちました。さんざんにのされてしまったので、私はその先のことを、あまりはっきりと覚えられませんでした。


 目を覚ますと、私は病院のベッドの上に寝かされていました。私はすぐに、私は病院にいるんだな、と気づくことができました。そのときにはすでに、私には言葉が戻っていました。うつむいた母が泣いているのが目に入りました。私の手を握っていましたが、彼女が握っている私の手は、どうも人間のものらしくありませんでした。あまりにも細長く間延びしていて、爪は分厚く堅いものに生え変わっていて、ずいぶん長い時間、のばしぱなしにしていたようです。それに手の甲は豊かな黒い体毛でおおわれていました。私は母に何かを言おうとしましたが、口がうまく動きませんでした。ぎおっ、とか、うぎ、とか、まるで動物園の猿の鳴き声のような音しか出ないのです。私の鳴き声に気づいて、彼女は私の顔をみました。これ以上ないほどに醜いものをみたのだ、とでもいうような表情で彼女は私を見ていました。それから、恐る恐る、私を抱きしめました。私は自分が、なぜか言葉をうまく話せないことにじれったく、またそれがくやしくて、やがてしくしくと泣き始めました。


 それからしばらくは、病院のベッドの上で過ごしていました。半日に一度、看護婦がやってきて私の糞尿が入った桶を回収していきました。彼女たちはその際に、私に憐れみと蔑みの入り混じった表情を見せました。私が何か言うと、身をすくめて怯えました。彼女たちはできるだけ私の病室に長居したくないようでした。昼食のあとには、決まって医師との問診がありました。問診といっても、私は言葉をまだ話せなかったので、彼が一方的に問いかけるのみというものです。初めのころはそこに母も立ち合いましたが、次第に姿を見せなくなりました。医師は私には理解できない言葉を長々と話します。私も彼に応答するのですが、それを理解させることはできませんでした。それでも、医師には嫌な印象を持つことはありませんでした。辛抱強く、言葉を浴びせてくるのです。彼には、

時間がかかることがわかっていたのです。次第に、私は彼の言葉を聞き取れるようになっていきました。私は、少しずつでしたが、音が頭の中で意味を紡いでいく感覚を、取り戻していったのです。

 そして私は、医師から起きたことを知らされました。半年前にこの病院にやってくるまで、私は十年もの間行方不明であったこと。私の父も母もすっかり私を死んだものだと考えていたけども、伯父だけは私を探し続けていたということ。そして伯父は十年間の捜索の末に、山で野生児的に退化した私を発見し、家まで連れて帰ったということ。

 私は過ぎ去ってしまった時間のことを考えて、泣いてしまいました。やはり、まだうまく話させない私は、病院中に響き渡る猿の唸り声を、自分の力でとどめることはできませんでした。医師はそれを、よいことだと言いました。

「きみの不幸はきみだけのもので、誰もほんとうには理解できない。意味も価値もない不幸ではあるけれど、きみが不幸の世界に戻って来れたことを私は嬉しく思う」

 彼は私の両手と両足に掛けられていた枷を外しました。付き添っていた看護婦がなにか嫌な顔をして、それを非難しましたが、医師は、「獣でも、罪人でもないものに枷は必要ない」と言って、以降私を拘束することを看護婦に禁止しました。枷が外れると、私の回復は加速度的に進んでいきました。

私が言葉を話せるようになっていくと、母や看護婦たちも、少しずつ私に慣れていくようになりました。ただ父だけは、決して病室に現れることはありませんでした。そして、長い暮らしで変形してしまった私の手や足、背骨といったものたちが、もとの形に戻ることもありませんでした。ご覧のように、今でも私の背中は異常なほどに屈折していますし、足も、二本を突き立てて歩くかたちにはなっていません。腕や手先は、著しく伸びて発達しています。このようないくつかのしるしは、まるで烙印のように私を取り巻いていました。


 退院すると、私はこれまでの家ではなく、伯父の家に連れていかれました。母が連れていったのです。母は大きな毛布を私に頭からかぶせました。私の姿が街の人々に見られないようにするためです。それでも、母が思っていたよりも私は大きく成長していたので、ゆがんだ形の脚が、膝から下が全部あらわになっていました。そして覗きうる部分だけで、町の人々が私を異形とみなすのに十分な気味悪さがありました。母は私の手を引っ張って、早く車に乗るように促しました。ひどく焦っていました。私はその必死にたじろいで、足をもつれさせました。すると、毛布は頭から滑り落ちて、私の、醜い猩々の姿が人々の目の下に晒されました。人々は、悲鳴を上げました。母は狂ったように叫び続けました。「見てはいけません。見てはいけません。これは、猿です。見世物小屋に連れていく猿です」そのときになってようやく気が付いたことですが、母は私が思っていたよりもずいぶんと老いていました。まだそれほどの年齢ではなかったはずなのですが、まるで老婆のように背が曲がっていて、手は細く、顔には深い皺が刻まれていました。彼女は、もう私の知っている母ではなくなっていました。


 母は伯父と、ごく短く言葉を一つ二つ交わして、すぐに私を残して去っていきました。それきり、私が彼女と会うことはもうありませんでした。

 伯父もまた、長い時間の中で身体と精神をすり減らしていたようでした。十年前からしてすでにかなりの老齢だった彼は、もはやごく近いところにまで来ているその友人を待つだけの身、という様子でした。伯父は私に言いました。

「お前には、もうここには来るなと言った覚えがある。十年も昔のことだ。お前には素質があった。それはいいものではない。つまり、山と生きていく素質だ。私のように、人から離れて生きていくことができるという素質のことだ。私はお前に、そんな生き方はしてほしくなかった。お前の両親もそう思っていた。町で生きていくのはとても苦しいものだが、町がお前に与えるものはそれと釣り合うものになるはずだったのだ。しかし、お前はそれを聞かず、山で猿と生きた。猿があの頃のお前のような幼い子供を誘い出すとはとても思えなかったが、奴はそれをした。そして、お前はもう町では生きていけない運命を抱え込んでしまった。お前は、ここで生きていくがいい。私はもう永くはないが、ここで生きていくためのことは教えておいてやろう。私にも責任がある」

 私は尋ねました。――猿を殺したのか、と。

「殺すほど殴ったが、死んでいない。猿は死なない」

 そう答えて、付け足しました。今後猿のことを話題にするな。と。


 再び、伯父から山について教わる日々が始まりました。それにはもう、子供の頃のように、両親への発覚を恐れることがないので、とても満たされた気分でいました。これこそが、あの頃から、私がほんとうに求めていたものだったのです。

 伯父の教育は、あの頃のものに比べると複雑なものになっていました。子供の頃の私に教えていたのは山のほんの一面についてでしかなかったのです。彼は文字通り、彼の知るすべてを私に教えてくれました。今度は遊びではなく、私が生きていくための知識について、彼は語ったのです。そのなかには、山ではなく、街やひと、世界についての話も含まれていました。


「私のように、人間は、山で生きていくことができる。ただ、お前がかつてそうであったように、完全に山だけで生きていくことをすれば、それは人間ではなくなる。人間と獣の違いのひとつは、そこにある。ひとと完全に関わりを絶つとき、ひとは獣になるのだ。お前がかつてそうであったように、多くの人間が猿についていって人間であることをやめた。私の知る限り、戻ってこれたのはお前だけだ。お前は獣の半分を取り込んで、ひとの半分を向こうに置いてきてしまった。それは、もう、もとには戻らない。変わってしまったものは、永遠に変わったままだ。だからお前は、ここに連れてこられた。街では生きていけないから、ここで生きていくのだ。諦めるしかないのだ。お前のために、みんながやっていることがあるのだ」


 私は、諦めることなどなにもない、と言いました。山で伯父と生きていくことはかつてからの私の願いでありましたし、それを拒まれたからこそ、私は猿に誘われたのです。自分はここで生きていきたいのだ、と彼にはっきり伝えました。

 彼は、少し不愉快そうに顔を歪めました。それから、私に尋ねました。

「もう一度、猿についていきたいだとか、思ってはいないだろうな?」

私は、そんなことは思っていない、と答えました。伯父はそれきり、黙り込んでしまいました。


 私は猿とともに伯父を殺したのは、私が山から引きずり出されてから二、三年ほどが経った春の昼頃のことでした。私は、暖かな陽光のもとに細かく震える伯父の身体と、それに覆い被さって、血を啜る猿の姿をよく覚えています。

 懐かしい匂いと懐かしい場所を経験しました。猿が私の目の前で、ぽりぽりと身体を掻いていました。猿は笑わずにじっと私を見ていました。「猿が笑わずに」という言い方は奇妙だと思われるかもしれません。猿は一般的に、笑いませんから。ただそのときの猿は、笑っていなかったのです。

「お前は戻ってしまったね」猿は言いました。私は何も言いませんでした。

「お前はことばの世界に戻ってしまったね。おいらをおいて、この世界に戻ったね。それがどれだけ恐ろしいことか知らずに、お前はまた、この苦しみの世界に戻ってきたね。なんて哀れなんだろう。俺らは見てたんだ。お前が母親に棄てられてここにやってきたのを、俺ら見てたんだぜ」


 そう言われて初めて、私は母に棄てられたのだと気付きました。それまで私は、全く無邪気に、そのうち母がまた私を迎えにやって来るものだと考えていたのです。伯父がここでの生活のことを私に教えていたのは、もちろん、もう誰一人とて私を愛さないとしても生きていくことだけはできるようにという保険のようなものだったのです。伯父はすでに私がここで生きていくしかないことを説明していました。私もそれを受け入れていました。しかし私は愚かにも、そこに母が存在しないことを全く顧みていなかったのです。


 言い知れぬ不安、どこにもたどり着けない闇が、またもや私のなかで湧き上がりました。愛の欠如が、どれほどのものか、ここいる皆さんはよくわかってらっしゃると思います。私は今度こそ、誰にも愛されることがないのです。それは、私の醜い身体がはっきりと示していました。


 私は猿の言葉を否定しました。つたない、子供の言葉で彼を否定しました。そのときには、人間の時間で数えて二十歳になっていたわけですが、私がひとと言葉を交わして生きてきたのはわずか十年ほどしかありません。その意味でも私はもはや人間の世界において相当にちぐはぐな、不安定の存在になっていたのです。


 私の言葉を猿はほとんど聞いていませんでした。それは私の言葉が幼く、猿を揺さぶることができないからではなく、彼が猿で、猿は言葉を必要としていないからでした。猿は便宜上、言葉を使っていますが、本当の彼は、私たちが山で十年過ごしていたときのように、言葉を持たないのです。

「なぁ。わかっただろう? お前はここにいても苦しいだけなんだ。誰にも愛されない苦しみを、自分の言葉が苦しめるんだよ。よし。俺らといっしょにいこう。また山で、ことばのないところで、ずっと、ずっと在りつづけよう」


 無理だ。私はそう言いました。私は、もうこれ以上、あっちやこっちを行き来したくはなかったのです。私は疲れていました。考えたくなかったのです。もうここでいい。ここで伯父と生きていく。伯父が死んだら、一人で生きていく。それでいい。愛されないことは苦しいことだけど、死んでしまいそうになるほどのことだけど、それは、もう仕方がないから、なくていい。そう思っていました。


「大丈夫。心配しなくていい。伯父さんは俺らがやっつけてやるから。お前ならできる。お前ならまたことばを捨てて、こっちに来れるんだ。そっちの世界はお前に何も与えない。俺らたちの世界ならお前が欲しいものを何でも与えてやれる。お前は満たされ過ぎて、欲しいとも思わなくなる。時間だっていらない。お前はよく知ってるはずだよ。忘れられるもんか。あんなに素敵なことが、お前のところにまたやってくるんだ。な? いいだろ? 簡単さ。お前は、夜に、玄関のドアを開けておくだけでいい。伯父さんがいつも、寝る前に鍵が閉まってるのを確認してる、あの重いドアさ。あれを開けて、外のものが家の中に入ってこれるようにしてくれれば、それでいい。あとのことは、全部俺らがやってやるから」


 私は何も言いませんでした。すると猿は笑いました。にやにやと、意地悪な笑い方でした。

「いい。いいよ。俺ら待ってるからよ。いつでもいいんだ。ただ、伯父さんが死ぬまでなら、いつでもいい。伯父さんが生きているうちに、お前がドアを開けておいてくれたら、それでいいんだ」


 それらが夢であったことに気づいたのは、やはり目が覚めてからでした。私の喉はひどく乾いていました。また、たっぷり汗をかいていました。そして窓は、寝室の窓は、しっかりと閉めておいたはずなのに、開け放たれていて、山から流れてくる湿った空気が部屋に這入り込んできていました。山と獣の匂いが、かすかに部屋に残っていました。


 それから、どれだけ時間が経ったのか覚えていませんが、ある朝私が目覚めると、伯父がリヴィングにいませんでした。彼はいつも私よりも早く起きて、一人でコーヒーを飲んでいるので、それがないということは、何かが起きているということなのです。リヴィングに直結している玄関のドアが開いていることに気づいたのは、その直後でした。

 誰が開けたのでしょう。伯父は毎晩その戸締りを欠かすことはありませんでした。辺境のあばら家でしたから、強盗のようなものを心配する必要はまずありません。ご近所と呼ぶべきような人々や関係は皆無でした。むしろ伯父こそ、なにか盗みのようなことで生計を立てているのではないか、と街の人々は冗談混じり揶揄していたほどでした。伯父が何に警戒してそうしていたのかわかりませんが、伯父がその習慣を怠ったとは考えられませんでした。


 私はしばらくの間、大きく開け放たれたドアを見つめていました。そこからは朝日の欠片が潜り込んできていて、外と内との境界があいまいになっていました。外は気持ちのいい快晴で、矩形に切り取られた空が鮮やかに顔をのぞかせていました。そして私は、その匂いを、家の奥、伯父の寝室から香る強い獣の匂いを嗅ぎつけました。私の身体は、それから起こることへの恐怖と興奮で、わざとらしいほどに震えていました。


 伯父の寝室に入ると、彼の匂いに加え、血の匂いが立ち上りました。そして、何かを啜ったり舐めたりする音がしました。猿が伯父の身体を貪っていたのです。すでに伯父は絶命していて、うつろな瞳が天井を見つめていました。

 猿は私のほうをみて、にやりと笑いました。彼の口元は、血でべったりと濡れていました。


「やったな。これでおいらたちの邪魔をするやつはもういない。お前をこっちに結び留めるものはもういない。俺らたちはずっと山で過ごすんだ。やったね。ついにお前は俺らのもんだ。さぁいこう。俺らたちの山に帰ろう」


 私は猿に言いました。ドアを開けていない、と。

 

「それは嘘だ。俺らは山からずっと見ていた。お前が昨日の夜、伯父さんが眠ったあと、こっそりやってきてドア開けたんだ。お前がやったんだぜ。でも、もうそんなことどうでもいいじゃないか。なぁ」


 猿は伯父から離れて、私に近づいてきました。伯父の腹は大きく開かれていて、猿がめちゃくちゃに食い散らしたせいで、内臓が形を失って、あちこちから漏れ出した血液のせいでひたひたになっていました。


「ほら。お前も」


 猿は私にそう促しました。何を意味しているのかはすぐに分かりました。伯父を食えと言っているのです。それが、私がことばを捨ててあちらの世界に行くための儀式なのです。

 私はそれを拒みました。こんなことは自分の望んだことではない。そう叫びました。


「いまさら何を言ってるんだよ。全部お前がやったんじゃないか。初めに山に来た時もそうだった。山に棲みつくのを決めた時もそうだった。お前が、自分で決めて、やってきたんだろう? 俺らはただそこにいただけさ」


 私は何度も否定しました。猿はまったく聞き入れませんでした。私は猿を憎悪し始めました。やがて私は、猿を罵倒し始めました。――お前のせいで、お前のせいで全部めちゃくちゃになった。僕の時間を奪って、家族を殺した。悪いやつだ。悪い猿だ。


 猿は驚いたように私を見て言いました。「それじゃあお前、どうするってんだい。もうお前が生きていける場所は山しかないっていうのに。そんなことで、お前、まさか俺らを見捨てるっていうんじゃないだろうな」


 私は伯父の寝室の、架台に掛けてあった猟銃をつかみ取りました。猿はそれを見て、アッと叫びました。私はかつで伯父がそうしたように、猟銃の柄で猿をめったうちにしました。猿は、みじめったらしい鳴き声をあげてその場にうずくまりました。私はぞんぶんに猿を痛めつけました。手足はあちこちが骨折して徐々に腫れあがっていきました。頭部を打つたびに、そこは果物のように簡単に形が変わりました。


「いいさ。そんならいい」

 私が何度殴打しても、猿は死にませんでした。床に這いつくばって、荒い息を吐いて、糞尿を漏らしながら言いました。


「お前は山には来ない。どこにもいかない。それでいい。でも、俺らや伯父さんを裏切ったお前は、もう誰とも生きていけないんだ。おしまいだよ。ことばを棄てないで、独りで生きていくのが人間にとってどれだけ辛いのかわからないんだろうなぁ」


 そんなことない。私はそう言いました。それからまた、猿を殴り始めました。

 ――そんなことない。そんなことない。何度も繰り返しました。猿は殴られながら、私をあざけるようにして笑っていました。


 気づくと私は、なんにもない部屋で、一人で猟銃を振り回していました。猿が散々にまき散らした血や排泄物はどこにありませんでした。そこはいつもの伯父の部屋でした。伯父の身体だけは、そこにちゃんと横たわっていました。私はそれを、しばらく見つめていました。まったく、どうしてこうなってしまったのか、わかりませんでした。


***

 

 それから私は、数十年の間を伯父の家で一人で生きていました。二十年ほど前に、土地開発の際に役所の方々が家を訪れたことで、私は久々に人に会いました。そこで私はようやく人に戻りました。今度は、子供のころのようにうまくはいきませんでした。結局、精神疾患を抱えることになってしまいました。ことばの世界に戻ったせいです。

 

 とっくに両親は死んでいました。戸籍上、妹が存在していたそうですがそれも死んでいました。妹の家族は、ほかの場所に移り住んでいるようで、役所が連絡をとるよう計らってくれましたが、彼らから返事が来ることはありませんでした。

 

 これで私の話はおしまいです。施設でこの話をすると、みなさん、ひどく嫌な顔をします。あるひとは、私が殺人を犯しているとまで言い出します。もちろん、私はそんなことをしていません。

 私が誰かに見てもらうにはこれしかないのです。この奇妙な話を、この過去を語ることでしか、私は誰かと目を合わせたり、話をするきっかけを得ることはできないのです。猿の言った通り、私は以来ずっと一人で生きています。私のいつ死ぬのでしょうか。わかりません。ただ私にできることは、こうして語って、みなさんの顔を見ることだけなのです。ああ。みなさん、実にいい顔をしてらっしゃる。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

monkey talk @isako

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ