第7話:黄金郷の死天使




 街路や建物の壁面に敷き詰められた幾何学模様のタイルは、訪れる者に対して万華鏡のような錯覚を与える。

 周囲を大海に囲まれ、本島及び複数の属島で構成されたグリムヒルデ首長国連邦においてしばしばみられるその紋様は、この地に根付いたエスラ信仰を象徴する特別なイコンであり、その独特なパターンが織りなす風景は、この地が他の国とは全く異なる文化醸成を為していることを物語っている。

 


「エスラの教えでは偶像崇拝が禁じられている。故に神の現身である人型もまた、彫刻や絵画に描く事がタブー視されていて、ここらに描かれている幾何学模様は全て無限のパターンを描き出し、永遠に続く神の寵愛を讃えるエスラの民の精神性を端的に表現しているんだ」

「詳しいんだなアーセム。でも偶像崇拝が禁止ってだけなら、なにもわざわざ幾何学模様に変換する必要はなかったんじゃないのか?」



 アーセムのうんちくに対し、レイヴァンが興味深げに耳を傾ける。



「エスラの民にとって、肉体っていうのは神の現身であると同時に、神体の贋作であるという認識でもあるんだ。エスラの教えでは、遥か神代の時におけるこの地の人々は、誰もがみな均整の取れた黄金の肉体を持っていたと伝えられている。しかし悠久の時を経て、完全無欠だった肉体のその構造にも歪みが生じ始め、今となっては誰一人として完全な均衡を保った体を持つ者はいなくなってしまった。それはひとえに神と人が足並みを外していったことが理由だ。人の身から黄金が失われた今の時代において、人型を描くという行為は神の完全性を貶める行為として認識され、いつしかタブーとなったわけだ」

「黄金の肉体ってのは、別に体が金ぴかに輝いていたってわけじゃないんだろ?」

「そんなエイリアンみたいな表現ではないと思うよ。黄金のごとき肉体の均整。すなわち黄金比のことだ。だからエスラ信仰において、容姿というのは重要なファクターで、肥満や矮躯というのは忌避の対象となって出世できないと言われている」

「ああ、それでグリムヒルデの政治家たちはどいつもこいつも美形揃いなのか」



 レイヴァンは長年の疑問に得心を得たかの如く、道行く人々に目を向けた。

 なるほど確かにこの国の住人は端正な顔立ちのものが多い。連邦にも数多くの美男美女が軒を連ねてはいるが、ファッションとして整えられた容姿と、神の教えに基づく信仰として磨き上げられた容姿とでは、美しさにおける『格』が違っていた。

 この国の住人たちは、そうやってより高い次元の美しさに向かって、秀でた遺伝子を連綿と紡ぎあげてきたのだ。いつか完全なる黄金の肉体を取り戻し、再び神と比肩しうる日が訪れるのを信じながら。



 無限永遠に連なるパターンに囲まれた極彩の街並みもまた、そんな黄金時代の記憶を忘れまいとする信仰の軌跡なのだろう。緩やかなドレープに身を包んだ人々が雑踏を演じる中、彼らとは異なる出で立ちと異なる足取りでこの地を訪れたアーセムとレイヴァンは、グリムヒルデ本島が誇るヨナタンハインの歓楽街の入り口をまんじりと眺める。



「さすがに浮いてるな」

「物見遊山の観光客って設定ならよかったんだが、あいにく今回の俺たちは要人警護のSPだ。長い布をひらひらさせてゴッツいおじさんたちとどつき合うわけにもいかないだろう」



 すわ、二人は歓楽街入り口付近を改めて見渡す。本当だったらこの時間にはもう護衛対象の車が来ているはずなのだが、どういうわけか少し遅れているらしかった。



「見なよレイヴァン、あんたのなりが怖すぎてみんな目を逸らしていくぞ」」

「ほっとけ」



 全身を黒のフォーマルに固め、威圧的な印象を与えるサングラスをかけた二人組の男は、そこに立っているだけで好奇と恐怖の目を集めてしまう。

 中でも巨漢のレイヴァンの決まりっぷりはSPのお手本のような風情のアーセムと比べても頭一つ抜けており、一瞥しただけで彼がむくつけき強者であることが分かる。そんな彼らの様子をスパイダーによる遠隔透視越しに眺めていたカリヤはクツクツと笑みをこぼし、「マジで怖すぎだろ」と上機嫌にトロピカルドリンクを啜っていた。



「いいご身分だな、オペレーターさんはよお」



 現地人のスタンダードな装いに身を包み、空調の効いたカフェのバルコニーで待機するカリヤの有り様は、はたから見れば観光客のそれでしかない。方や自分たちは日暮れとはいえ未だ熱気の立ち込める繁華街の中、通気の悪い黒のスーツ姿で待ちぼうけときた。常に前線で体を張るレイヴァンは彼我の差に不満たらたらである。



「もう少しの辛抱だ。抑えろレイヴァン」

「まったく、姫君の護衛も楽じゃないぜ」



 と、そこに颯爽と到着したのは、ブルーのメタリックカラーに身を包んだ一台のクーペだった。流線形をふんだんに取り入れた車体から繰り出されるV型12気筒エンジンの爆音は、美しい見た目に対して猛牛のいななきのような迫力を伴い、雑多に入り乱れる繁華街を駆けるのがさも不満とばかりに今も凶悪な振動を発している。ブルズアイ・エスパーダシリーズ。数多くのセレブ達が訪れるヨナタンハインを往来する高級車の中でも、今しがた到着したこの「マタドール」はまさしく一級品のスーパーカーだが、エッジの効いたバタフライドアが羽を開き、絢爛なる鋼鉄の胎(はら)から姿を現したのは、見目麗しく着飾った一人の美女ミューズであった。



「お待ちしておりました。スノウフィールド教授」

「ご苦労様」



「教授」と呼ばれた美女は黒服に身を包んだ巨漢レイヴァンのエスコートに身を委ね、夜の繁華街を華麗な足取りで歩きだす。その様はまさに美女と野獣といった風情であり、より一層近寄りがたい雰囲気を周囲に醸し出していた。



「じゃあ、車停めておいてね」

「かしこまりました」



 方やアーセムは恭しく頭を垂れ、今しがた教授が乗り回してきたマタドールに乗り込み、未だ小刻みに振動する手綱ステアリングに手をかけた。すると間もなくして、開け放たれていたバタフライウィングが再び閉じられ、それを合図とばかりに青き闘牛士マタドールはきらびやかな夜の街へとアーセムを連れ去っていく。



「やれやれ、車は好きに選んでいいとは言ったが、ちょっと派手すぎるんじゃあないのか?」

『まあ、シンシア姉さんは生粋のスピード狂だからな。考えうる限り最強のチョイスではある』

『またぞろオンボロバンで対人攻撃ヘリモンキートレーナーとカーチェイスするのが御免だっただけよ。派手というならカリヤ君、あなたのこの服のセンスよ。なあに? このきわっきわのスリット』



 言って、シンシアは自身を艶めかしく纏う黒と白のマーメイドラインを見遣る。ボディラインがはっきりと出るシルエット、大胆に空いた胸元といい脚の付け根にまで迫るスリットといい、男を悩殺することに全力を注いだような有様にデザイナーのスケベ面が透けて見えんばかりだ。



『なかなかいいチョイスだろ? バリ似合ってるぜ。レイヴァンのダンナもご機嫌さ』

『馬鹿野郎、余計なこと言うんじゃねえ』

「おいおいお前たち、もう少し緊張感を持ってくれよな。もうすぐ作戦の第一段階だぞ」



 言って、アーセムは車を適当な場所に停め、フラッシュメモリをナビのポートに差し込んだ。



「後は頼んだぞ、カリヤ」

『了解』



 その後、アーセムはすぐ近くに設えられていた救急医療センターの地下駐車場へ足早に向かい、駐車してあった一台の救急バンのロックにハッキングをかけて解錠すると、間髪入れずに乗り込んでシンシアたちが向かったホテルへと走らせる。



 一方、繁華街の奥にあるひときわ豪奢なホテル前にシンシアとレイヴァンも到着し、正面玄関の階段を優雅な足取りで登っていく。



「失礼ですが、本日は貸し切りとなっております。ご来場の場合は招待状の提示をお願いしております」



 そう話しかけてきたのは、レイヴァンと同じように黒服に身を包んだ一人のSPであった。口調こそは丁寧だが、サングラスの奥に光る眼光と首筋の奥からわずかに覗くタトゥーの有り様からして、彼がこのホテル直属の警備ではないことはすぐに判別できた。

 おそらくは今宵このホテルで催されるパーティーの主催であるマフィアの頭目、ジャファール・ビン・イスカンダルが雇った用心棒だろう。



「ええ、もちろん存じておりますわ。ジャファール氏が懇意にしていただいているスノウフィールド医院の末席を穢すものとして、今宵のパーティーを楽しみにしておりましたわ」

「左様でございましたか。では招待状を拝見いたします」

「ええ、ではレイヴァン。預けていたものを」

「はっ、ただいま」



 レイヴァンはそう言って、一枚の封筒をSPに差し出す──と同時に、今しがた手渡した封筒に対して術式を展開した。



「……む?」



 その瞬間、SPの男は世界が空転したかのような強烈な眩暈に襲われ、瞬く間に平衡感覚を失ってその場に膝を屈した。そう、彼が目にしたのは招待状などではなく、不可思議な模様が描かれた一枚の紙っぺらに過ぎない。しかしその独特な紋様と、レイヴァンの持つ歪曲の魔導式が合わされば、見たものの平衡感覚を瞬時に奪う攪乱装置として機能する。



「大変……熱中症にでもかかったのかしら。速く処置をしないと!」



 白々しくもそう言って、医者の笠を着ていたシンシア・スノウフィールド「教授」は、レイヴァンにSPを担がせて堂々と正面玄関からホテルへ駆け込んだ。その様は急患の手当てをする医師のそれであり、ホテルの受付は招待状を持たずにやってきた彼女たちを疑う事もなく中へと通した。



「ごめんなさい、どなたか救急車を呼んで下さるかしら。主催の方には我々の方で連絡を付けておきます」

「か……かしこまりました。すぐに手配いたします」



 こうして、あくまで末端の判断で収まる混乱を起こし、その間隙を突いてまんまとホテルへの侵入を果たした二人は、適当に処置を施すふりをしたのちにSPの身柄を従業員へと預け、そのままパーティー会場の中へと消えていった。



「入ったわ」

『オーケー、後は急患を迎えに行く救急隊員と、正面玄関を警備する代わりのSPが到着するのを待つだけだ』

『一人二役でよければ、仰せつかまつろう』



 あらかじめホテルの地下駐車場に付けていたバンの中で救急隊員に扮していたアーセムは、ホテルから傍受した通報を受理したのち、足早に担架を転がしてロビーへと向かう。

 すでに会場は酒気と熱に浮かされており、ちょっとやそっとの騒ぎなど気にも留めないような雰囲気だ。これなら、特に面倒な足止めを喰らう事もなく、誰にも気づかれないうちにSPとすり替わる事も可能だろう。時間にしておよそ五分。多少粗削りな筋書きではあるが、本命への道筋にはそう大した影響は与えまい。



「救急です。患者はどちらに」

「お世話になっております。今応接室でお休みになられておりますので、ご案内いたします」

「分かりました」



 救急隊員に扮したアーセムは従業員の案内でSPの男を回収し、地下搬入口へと向かう道すがら、会場入りしたシンシアに状況を問うた。



「中の様子は?」

『いい感じに出来上がっているんじゃないかしら。こちらの動きが勘付かれた様子も今のところないわ』

「こちらの急患もぐっすりだ。薬が上手く効いたらしい」

『首尾は上々と言ったところね。ジャッキーがいればもう少しうまくやれたのかもしれないけれど』

「心配する気持ちは分かるが、今は目の前のことに集中しよう。一刻も早く彼女を救い出す意味でも、まずはトライデントに繋がる足がかりを掴むんだ」

『ええ……そうね。ごめんなさい。私ったらつい……』

「いいさ、気持ちは皆同じだ。必ず彼女を救い出し、エニグマの企てを阻止する」



 そう決然と言い放ったアーセムの言葉に自信を取り戻したのか、しおらしくなっていたシンシアもまた努めて前向きに自身を律した。



『そうね。そのためにもまずはリリー・ヘイズ、よね。ありがとうアーセム。仕事に戻るわ』

「ああ、俺もすぐに支度を済ませる」



 担架と伴って地下駐車場へと躍り出たアーセムは、急患SPと共に救急車の中へと滑り込み、手慣れた動作で男の衣服をはぎ取っていった。

 しかし、作業を進めるその手は不意に止まる。ジャケットを剥ぎ、カッターシャツのボタンを全て外し、上半身があられもないタンクトップ姿になった男の胸部から首筋にかけて彫り込まれたタトゥーの模様を目にした瞬間、アーセムはみるみるうちに表情をなくしていった。



「そんな……馬鹿な……」



 まさか、いや──。だがしかし……。脳裏に去来するいくつもの可能性が、理性の狭間で要領を得ることもなく霧散していく。

 アーセムはこの男を知っていた。いや、忘れられるはずもなかった。



 五年前のとある越境作戦において、三国がにらみ合う国境のジャングルを行軍していたアーセム率いるナイトフォッグの精鋭たちは、標的としていた組織から送り込まれたゲリラの襲撃を受け、血みどろの大乱戦に巻き込まれたことがあった。

 奇しくも襲撃者の一行は壊滅に至らしめたが、その際こちら側にも一人の殉職者を出す結果となった。



 殉職者の名前はジャック・スコール。



いま再びエニグマとしてアーセム達の前に立ちはだかっている彼を銃撃し、差し違えるかのように急流入り乱れる川へと消えていったその男が、いま、アーセムの目の前で眠っているのである。



「死神……モーゼス“ヘイル”ギヴソン……。そんな、どうしてこいつが……!?」



 そして、困惑に戦慄くアーセムの心情に呼応するかのように、死神はゆっくりとその双眸を見開いた。

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