009:放課後(後)

 視界の隅に人影が映り込む。それはまるで面識もないただの一般生徒。おそらくは同級生のその人物の表情は、何か不味いものでも見てしまったかの様な驚きと困惑に彩られている。

 ハッとして気が付く。

 今は放課後になって間もない。

 部活に向かう者、帰宅する者、ふざけてじゃれ合う者、友人と談笑している者。

 それらの生徒達の視線が廊下で会話している彼女と俺に集中し、先ほどまでのにぎやかな空気はどこかに吹き飛んでしまっていた。


「なぁ、今のって……」


「え、嘘。イズミさんが?」


「マジ……かよ」


「あの、『和泉冴姫』に……カレシ!?」


 この人の多い中でなんて話をしているんだ、俺は。

 サキさんは隠す気はないと言っていたので、ある程度の人数に知られることは覚悟していた。

 彼女に関心を持つ者は多いだろう。ならば男と一緒にいる所を見られれば直ぐに噂になる可能性も考えていた。

 しかしそれが噂程度のものであれば多少は誤魔化しが効く。

 だがこれはマズい。決定的過ぎる。噂の信憑性が高過ぎる。

 何せ本人達の会話が元なのだから。

 どうしたって誤魔化しは効かないレベルだ。

 どれだけの人数に知られたか確認の為に周囲を見渡す。

 一瞬静まっていた廊下の喧騒は元に戻っていた。

 いや、『元に』は戻っていない。俺が視線を向ける人間達は誰も俺と目を合わせようとしない。

 普段から他人とは視線を合わせることを避けていた俺だからわかる。これはわざと目が合わないようにしている。目どころか顔すら合わせようともしていない。さも『自分は何も見ていませんよー、聞いてませんよー』と言っているが如く、俺の向ける視線はことごとくが避けられている。

 これほどの人数に知られたのであれば、明日にはこの学年で知らないものはいないかもしれない。

 穏やかに、緩やかに、平穏で変化のない学校での日常もこれまで通りとはいかない可能性もある。


「どうかしたの?」


 サキさんはそんな事は全く気にしていないようだ。挙動不審な俺の顔を下から覗き込む。顔が近い。相変わらず綺麗な顔をしておられる。

 それはわざとですか? あざとくないですか? いや、今はそれはいいのだ。

 しかし彼女の周囲に対する反応は至ってナチュラルだ。

 彼女に取ってはこれくらいのことは日常のことなのかもしれない。

 気が付かないのではなく、気にしていないのだろう。

 彼女の一挙一動に周囲は関心を寄せている。その全てをいちいち気にしていたらキリがない。

 だがこれは俺自身、あまりに軽はずみだった。

 こんな人の多いところであんな話をすれば、それはこうなるだろ。

 これはなるべくしてなったこと、俺自身の不手際だ。


「あー、いえ、別に」


「そう、けどどうしましょうか。貴方の家がダメとなると……」


 払った犠牲は大きかったが、何とか『俺の家で勉強する』という案は否決されたようだ。ホント、犠牲は大きかった。大き過ぎないか? マジで!

 とにかくここは人目に付く。場所を変えなければ。


「サキさん。とりあえず学校を出て、落ち着いた場所で考えませんか?」


「落ち着いた場所?」


「その、ここではなんですから」


 キョロキョロと周りを見渡す。

 誰も視線はこちらに向けていないが、周囲の人間がこちらに意識を集中しているのを感じる。

 彼女もようやくそれを察してくれたようだ。


「そうね。いいわ、行きましょう」


 とりあえずはこれで今以上の目撃者を増やさずに済むだろう。

 校舎を出て、校門へ向かう。

 ここに至るまでも周囲の視線を感じる。

 足早に外を目指す俺の後をサキさんも黙って着いて来てくれている。

 何としても早く学校から遠ざからなければ。


「イツキ先輩!」


 その声はつい最近も聞いたことのある声。

 その声の主が誰のものなのか思い出しながら俺は歩みを止めた。


「お前は……」


 声を掛けて来たのは今年の新入生、一年の淡路朝花あわじ ともか

 彼女は俺が面識を持つ数少ない女子生徒であり、彼女はーー


「彼女は確か、別れたっていう一年生よね?」


 はい、そうです。サキさんの仰る通りでございます。

 やっぱりご存知だったんですね。


「はい、一年生の淡路朝花です」


 おそらく彼女の名前も把握されているのだろうが、形式として彼女の名前を伝える。

 淡路朝花。今年の一年生であり、三日前にフラれた俺の元カノ。

 タイプとしてはサキさんとは真逆のタイプで可愛らしい印象を受ける。

 背は低めでショートカット、どちらかというと大人し目な普通の女の子だ。

 しかし彼女は何故こんなタイミングでここに来た?


「先輩、その人は何ですか」


 その人と言うのはサキさんのことだろう。

 しかし随分と険しい表情をしている。元カレに話し掛けるのだからそんな表情にもなるのかもしれないが、彼女はそれを聞いてどうするつもりなのだろうか?

 全く意図が読めない。


「えーとぉ……」


「私は彼とお付き合いしている『和泉冴姫』よ。貴女こそ彼に何の用かしら?」


 俺の答えを待つまでもなく、俺のカノジョ殿が前に出て答える。


「はい? 何を言っているんですか? 先輩のカノジョは私ですよ」


「んな……」


 なんですとぉっ!?


「イツキくぅん。これはぁ、どういうことかしらぁ?」


 うわぁ、凄い満面の笑みだ。

 いつもより三割増しに可愛いらしい声色で。

 満面の笑みのはずなのに彼女の背後には世にも恐ろしい鬼が見える。これが「スタ○ド能力」って奴なのか!

 その気になれば俺なんて一瞬で肉塊にされてしまうかもしれない。

 オラオラだけは勘弁してください。

 って、そうじゃない!


「ちょっと待ってください。俺にもサッパリなんのことだか……」


「先輩、その『勘違い女』にハッキリ言ってやってください。先輩のカノジョは私だって!」


「か、勘違い女、ですって……」


 サキさんの笑顔が引きつる。

 おい、やめてくれ。今、サキさんを刺激しないでくれ。

 淡路のやつ、サキさんのことを知らないのか?

 サキさんはこの学校でそれなりの知名度があるはずだ。

 まぁ、俺は知らなかったけど。

 しかし俺の知る彼女は俺とは違ってそういう情報等に疎いということはない。

 ただ一年生はまだ入学してからそれほど経っている訳ではない。知らなくてもおかしくはないのかもしれないのだが。


「貴女、イツキ君の『元』カノジョよね。貴女とイツキ君は別れたはずでしょ? この期に及んで一体どういうつもりなのかしら?」


「何を言っているのか解らないのは貴女です。私は先輩とは別れてなんていませんっ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る