イオリ、旅立つ

 イオリとマコトが結ばれた翌日から、生活習慣が変わり、イオリは、午前中の身の清めの儀式の後は、1時間ほど実戦訓練に参加し、その後は、髪や体の手入れを入浴時間まですることになった。


 実践訓練に参加すると言っても、イオリが戦闘に参加するわけではなかった。

 戦闘は勇者マコトと配下の10名の騎士が行う。


 マコトが重傷を負った時に騎士がマコトを戦線から離脱させ、その回復を担うのがイオリの役割だった。イオリと一緒に5名の女性神官が同行することになっている。

 立場的には、マコトが一番上で、次に騎士、そして女性神官、そしてイオリの順になる。

 女性神官はイオリよりも立場が上なので、イオリは女性神官の指示に従い行動することになっていた。


 

 初めてマコトの訓練を見せられたイオリは、その強さに驚いた。

 屈強な騎士が束になってかかってもまるで相手にならないのだ。

 

 そして、配下の騎士10名に的確に指示を出し、仮想敵を殲滅する采配は、もはや別世界の住人だった。


 勇者が勇者たる所以を目の当たりにさせられたのだ。

 そんな高レベルの戦場に、祈ることしかできない、か弱い女子が混ざっても邪魔なだけだ。

 戦場から帰還した勇者の傷を癒すのが妥当なところだ。


 実践訓練に立ち会うのは、心の準備のための様なものなのだろう。


 イオリは自分の無力さを理解した。


 リーダー格の女性神官が高圧的に言う。

「イオリ、よく見ておきなさい。

 勇者さまと騎士さまは過酷な戦場でギリギリの戦いをしてくれているの。

 貴女はただの保険なの。

 貴女に期待されてるのは邪魔しないことだけ。

 勇者さまの心身を癒すことに心血を注ぎなさい。

 もう異世界での交友関係は忘れなさい。

 勇者さまのお側付きの女として身を捧げるだけでいいの。

 恋人とか友達だなんて、決して思い違いしちゃダメよ。

 これからは〝さま〟付けして、敬語で接しなさい。

 いいわね?」


「……はい」


「なにが?

 具体的に繰り返して」


「もう異世界での交友関係は忘れます。

 勇者さまのお側付きの女として身を捧げます。

 恋人とか友達だなんて、決して思い違いは致しません。

 これからは〝さま〟付けして、敬語で接します」


「いいわ、それでいいの。

 『契約の乙女』というのはそういう存在なのよ」


 イオリは現実を突きつけられた。


 それ以降、イオリのそばには常に1人以上の女性神官がついて監視する様になった。寝室も含めてだ。


 イオリは、マコトとの会話は事実上禁止されていた。

 何を言われても、差し障りのない返答を返す様に指示されていた。

 『勇者が抱く女』以上の立場になることは禁じられていた。


 マコトは流石に怒って、マリウスに抗議したが、認められなかった。

 イオリは黙って従うしかなかった。


 イオリは、常にマコトより後に就寝し、マコトより先に起床することを義務付けられていた。

 先に起床して身支度を済ませ、マコトの身支度を手伝うのだ。

 夜の相手も正装で化粧をしたまま相手をし、マコトが就寝したら、身支度を済ませ就寝する。

 

 鏡台や着替えはマコトの寝室の隣の倉庫にうつされ、小さなベッドがおかれ、そこがイオリの寝床になった。


 お昼過ぎ、身を清める儀式が終わった後、女性神官が来て、きょうは別の予定がると告げた。


 イオリは正装に着替えて、女性神官の後をついて行った。


 初めて街に出た。

 閑散として、人影もまばらだった。


「イオリ、前に言ったことは覚えてる?

 異世界での交友関係について」


「はい。神官さま。忘れるよう努力しています」


「よろしい。これからあなたの過去を説明します。

 毎日、何度も口に出して心に刻み込みなさい」


「はい、神官さま。

 毎日、何度も口に出して心に刻み込みます」


 街の路地裏に入ると、薄汚れたスラム街があった。


「イオリは、スラム街で娼婦の娘として産まれたの、いい?」


「私はスラム街で娼婦の娘として産まれました」


「捨てられそうになったところを大神官様に引き取られたの。

 大神官様はイオリにとって最も恩義のある方なの、いい?」


「私は、捨てられそうになったところを大神官様に引き取られました。

 大神官様は私にとって最も恩義のある方です」


 女性神官は、イオリに何度も復唱させながら、別の場所に案内した。

 ついたのは女子修道院だった。

 狭い二人部屋に案内された。

「イオリは、女子修道院で『契約の乙女』になるために育てられたの、いい?」


「私は、女子修道院で『契約の乙女』になるために育てられました」


「イオリは、引き取られてからずっとこの部屋で過ごしたのよ、いい?」


「私は、引き取られてからずっとこの部屋で過ごしました」


 女性神官は、イオリに何度も復唱させながら、中庭に案内された。

 中庭では、修道女達が祈りを捧げていた。


「イリス、いらっしゃい」


 イオリと同じ歳くらいの修道女がやってくる。


「イオリ、この子がイリス。あなたの幼馴染。あの部屋で一緒に暮らしたの、いい?」


「私は、幼馴染のイリスと、あの部屋で一緒に暮らしました」


「イオリとイリスの日課は、この中庭で祈りを捧げることだったの、いい?」


「私とイリスの日課は、この中庭で祈りを捧げることでした」


「イオリ、久しぶりに戻ってきた女子修道院は懐かしい?」


「はい、とても懐かしいです」


「イオリ、幼馴染のイリスに挨拶なさい」

 

「ひさしぶりイリス。 元気だった?」


 イリスが返す。

「ひさしぶりイオリ。

 元気だったよ。あなたも元気そうでなによりね。

 勇者様と結ばれたんですって?

 羨ましいわ。幸せそうね?」


「ええ、とても幸せ。ありがとう」


「イオリ、イリス、私がいいと言うまで、ハグしながら同じ会話を繰り返しなさい」


 二人は、ハグしながら、同じ会話を繰り返させられた。


「二人はとても仲が良いのね。

 流石は幼馴染みで恋人同士ね。

 どんな風にキスしてたの?」


 イリスは、女性神官が止めるまで、イオリに甘く深い口づけを何度もする。


「いつものように二人の部屋で愛し合ってきなさい」


 イリスは、イオリの女性神官と、先ほどの部屋に連れてゆき、

 イオリを2段ベッドの下に寝かせ、服を脱がせながら、体を愛撫し始めた。


「二人とも仲が良いのね。

 イリス、今を持って女性神官に昇格します。

 これからはイオリの側で、イオリが粗相をしないよう常に監視しなさい。

 明日からは昼過ぎ、3時間ほどイオリの部屋で愛し合いなさい。

 イリス、その際、イオリに二人が幼少の頃の昔話をしてあげないさいね。

 イオリは、自分の生い立ちを復唱し続けなさい。

 イオリ、あなたの幼馴染みで恋人は誰?」


「私の幼馴染みで恋人はイリスさまです」


「それも復唱しなさいね」


「はい、復唱します。神官さま」

 


 そして、旅立ちの日が決まった。

 1週間後だ。



 女性神官は、旅の荷物の荷造りに専念した。


 旅をするのは、マコトと騎士10名。

 それ以外は馬車に積み込む荷物扱いだ。


 ほとんどの作業は女性神官が担当した。

 イオリの日課に変更はなかった。


 イリスはイオリと仲睦まじそうに常に一緒にいた。


 マコトは、さすがにイオリの異変に気づいた。


 ある晩、マコトは寝たフリをして、イオリが自室に戻るのを待った。

 そして気配を消す異能を使って、イオリの部屋に侵入した。


 イオリは儀式服に着替え、化粧を落とし、鏡台の前で、髪の手入れをしながら、自分の生い立ちや昔の思い出話を復唱していた。

 

 その内容を聞いたマコトは驚愕した。



……



 旅立ちの日。


 マコトと騎士10名は、市民の大声援の中、馬と馬車を走らせていた。


 魔王は、まだ完全には復活していなかった。

 幾重にも封印がなされていたのだ。

 しかし、残された封印はもう残り少なかった。


 

 魔王が封印されている遺跡まで、10日ほどの道のりだ。


 途中、騎士達は女性神官を、マコトはイオリを抱いた。

 女性神官イオリの監視があるので、イオリは人形の様になり感情を表に出さなくなっていた。


 魔王が封印されている遺跡に到着すると、キャンプを設営し、騎士達は、まだ封印が解けていないことを確認した。


 マコトと騎士達は作戦の最終確認をする。

 女性神官とイオリが振る舞う料理を最後の晩餐とした。

 そして、マコトはイオリを抱き、騎士達は女性神官を抱いた。


 マコトと騎士達は、死地に飛び込む準備が整った。


 キャンプを解体し、馬車に荷物を積める。

 騎士のリーダー格が、もしもの時は馬車を走らせる様に女性神官に伝えた。

 イオリは馬車の中で、いつでも治癒の魔法が使える準備を整えた。


 マコト達が、封印の中へ突入した。


 

……



 魔王とは、勇者の成れの果てだ。


 剣と魔法の世界ゲーティアには、封印されている魔王が3柱みつはしらいる。


 パイモン、ベレト、プルソン。


 いずれも多種多様な異世界から召喚された元勇者だ。


 ゲーティアの治世は最悪だ。

 差別が横行し、危機が迫れば、異世界から能力者を拉致して使役する。

 反逆すれば、魔族認定して弾圧する。

 そして、勇者が反逆すれば、魔王として封印するのだ。

 勇者に騎士が同行するのは、助力のためではない。

 裏切った時に封印するために同行するのである。


 聡明な勇者は、ゲーティアの住人にとって毒になる。


 愚鈍な勇者は、扱いやすい。

 帰還したい一心で、魔王を殺してくれるからだ。

 でも、本当に帰還できるのだろうか?


 ゲーティアの住人はそこまで良心的なのだろうか?


 これまで、魔王を殺した勇者は、街に戻ってきたことがない。


 それは、召喚の約束が果たされ、元の世界に帰還したからだと説明されている。


 しかし、それを確認したものはいないのだ。


 秘密裏に暗殺されているのだとしたら?


 『契約の乙女』とは何の契約を結んだのか?

 

 全てが一方的で、打算的だ。


 常識を非常識で塗り替えて、押し付けているだけなのだ。


 ゲーティアの住人こそが魔族なのではないのか?


 事実、その疑問に行き着いた勇者は、皆、魔王と呼ばれる様になっていた。


 盲目的な契約には裏しかないのだ。



……



 女性神官のリーダー格は、馬車の手綱を握っていた。

 不測の事態に対応できるよう、時間稼ぎをするためだ。


 他の女性神官は、リーダー格の合図で、迅速に〝処理〟する準備が済んでいた。


 しかし、突然の大音響と共に、その場にいたものは為す術もなく気絶してしまった。



……



 封印に飛び込んでマコトが最初にやったのは、反転して、騎士の後方に周り、騎士を倒すことだった。


 何名か取り逃したが、魔王が瞬殺してくれた。


「なにも殺すことはないのに……」


「失敗すれば殺されるのがゲーティア流さ。

 早いか遅いかのどちらかだよ。

 まぁ、生物はいずれ死ぬものだけどね」


 魔王は、気絶している騎士を1人ずつ殺して回った。


「僕の判断は正しかったみたいだね」


「君は聡明だ。

 どうして君みたいな子をゲーティアの住人が召喚したの?

 召喚した時点で詰んでるじゃないか」


「あとは、外か……」


「外に誰がいるの?」


「大切なお姫様が1人と悪い魔女が5人」


「なら、ボクに任せてくれるかい?

 協力してくれた、お礼だよ」


「安易に他人は信じないけど、

 相手が人間なら信じられるか……」


「自己紹介をしておこう。

 ボクはパイモン、どこかの異世界から召喚された元勇者であり、魔王の一柱ひとはしらだ。

 自分では聡明なつもりだったのだけど、失敗して封印されちゃったんだよね」


「僕はマコト、異世界から召喚された勇者をしてる。

 元勇者って名乗ったが良いのかな?

 1ヶ月ちょい前までは、普通の学生をしてたよ」


「学生ね……ボクも似た様なものだったね。

 懐かしい響きだ。封印の外では何百年も昔のことのはず。

 んー……新たな魔王誕生か

 名前がどうなるか気になるね」


「別の名前を名乗るのが流儀なの?」


「たいていゲーティアの住人になにかしら命名されるね。

 勇者が裏切ったなんて悪評は立てられないからね。

 ボクの本名は、リヒト。

 勇者の名前としてはかなり有名な方だったよ。

 でももう、過去の話。

 今はパイモンでいいと思ってる。

 じゃ、お姫様を救おうか。

 お姫様のお名前は?」


「イオリ」


「イオリちゃんか。

 じゃ、お姫さまを助けにいこうか。

 封印の破壊は任せるね。

 ボクは、魔女を倒すから」


「了解、いくよ?」


「いつでもいいよ」


 マコトが封印を異能で破壊すると同時に、パイモンが周囲に異能を放ち、大音響が鳴り響いた。


「みんな気絶してるはず。

 ……うん。他の反応はないね」


「それじゃ急ごう」


 二人は、女性神官に止めを刺しながら、馬車に乗り込んだ。


「この子がイオリちゃん?

 可愛いね」


「うん。僕の奥さん」


「羨ましいね。

 とりあえず、魔王を解放して回ろう。

 北へ向かうね」


「まかせるよ。ありがとね」


「いえ、こちらこそ。

 解放してくれてありがと」


 パイモンは、馬車を北に走らせた。

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