第3話 入学初日

 エデンガーデン第一区睦月学園入学式の当日。

 正門を抜けた先には新入生の新たな門出を祝うように桜が咲き誇っていた。

 その美しい光景に誰も一度は見惚れるが、今年の新入生たちの視線はその千朶万朶せんだばんだの景色ではなく、一組の姉妹に注がれていた。


 桜並木の中央を堂々と歩く二人の生徒。パリッとした制服から新入生だと伺える。

 一人は腰まで伸びた白銀の長髪と翡翠色の瞳を持つ絢爛けんらんで大人びた雰囲気を醸し出す少女。そしてもう一人は、艶のある濡羽色の髪と深紅の瞳を持つ可憐かれんで大和撫子を体現化したような少女。

 

 どちらも人の目を惹かずにはいられない。誰もが認める美少女二人組は、新入生だけでなく在校生までも虜にしていた。

 そんなこと露程も知らない銀髪の少女――姉の冬華ねぇは、数歩後ろを歩く僕を振り返って不服そうに呟いた。

 

「むぅ……。どうしてしきくんは私たちの後ろを歩くのかな? 一緒に歩こうよぉ」


 冬華ねぇはぶすっと頬を膨らます。

 そんな冬華ねぇの不満に答えるのは、僕じゃなく隣で歩いていたもう一人の美少女――妹の琉夏だ。


「姉さん、無理言って兄さんを困らせないで下さい」

「えー……。隣で一緒に歩くだけだよ? 別に無茶を言ってるわけじゃないと思うけどなぁ」

「兄さんは侍従科の生徒です。この学園で侍従科の生徒が一部でどんな扱いを受けているか知っていますよね?」

「一応知ってるけど……」


 冬華ねぇは伏し目がちに呟く。


「じゃあ我儘は言わないで下さい」


 琉夏はぴしゃりと言い放った。

 睦月学園には『侍従科』と呼ばれる特別枠が存在する。能力ギフトの実力不足で合格には至らなかった生徒も、新入生の中で成績上位者の付き人をすることによって学園へ特別に入学ができる制度だ。


 侍従科の生徒は正規に合格した生徒——通称『正規生』と区別されており、代表的なのは制服の違い。正規生の冬華ねぇと琉夏は白を基調としているのに対して、侍従科の僕の制服はこげ茶色を基調としている。

 どちらも立派な仕立てをしているが、侍従科の制服はどうしても見劣りしてしまう。


 ただでさえ多感な年齢の時期だ。明確に異なれば不和を招く。実力や待遇で劣ってしまう侍従科は、一部の正規生から見下されていた。

 そんな侍従科の僕が正規生の冬華ねぇや琉夏と対等に過ごしていると噂になれば、一部の過激な生徒から反感を勝ってしまう可能性がある。

 琉夏はそれを危惧していた。


「琉夏ちゃんはそれでいいの?」

「我慢して下さい」

「むぅー……。琉夏ちゃんのあほぉ。分からず屋ぁ」

「わ、私は兄さんのためを思って――」


 冬華ねぇと琉夏がいがみ合う。

 言い合いは徐々にヒートアップし、そろそろ止めないとと僕が二人に近づいた時だった。


君等きみらも新入生?」


 そう言いながら二人の話に割って入ったのは、すらりとした長身の優男。上品な立ち振る舞いから育ちの良さが垣間見える青年だった。

 さらに背後には侍従科の制服を着た少女の姿もある。冬華ねぇや琉夏と同じで彼もまた入学成績上位者だ。

 突如話しかけてきた青年に警戒心をあらわにしながら琉夏が答える。


「そうですが……貴方は?」

「そんなに警戒しないでくれよ。俺は駿河するが滉也こうや。滉也って気軽に呼んでくれ」


 青年――駿河滉也は、にこっとどこか嘘くさい笑顔を向けた。

 僕はその名前を聞いて、成績優秀者であることを納得する。


(なるほど、彼が駿河家の跡取り)


 能力ギフトの素質は遺伝的な要因が最も大きい。

 この国ではより強力な能力ギフトの遺伝子を持つ者が讃えられる。

 中でも取り分け優れた家系が全部で六十八存在しており、彼らの意思は日本の能力者社会に重大な意味と決定力を持っていた。

 そして駿河家はその六十八家のうちの一つ。成績優秀者であることも頷ける。

 

「それで、駿は私たちに何か用ですか?」

「ツレないなぁ。……まぁいいや。君等も俺と同じ成績上位者なんだろ? 興味があってさ。一緒に校内までどう?」


 駿河はそう言うと、琉夏を品定めでもするように頭の天辺から足の爪先までじろじろと視線を移動させる。

 これは俗に言う『ナンパ』というものだろう。

 そんなことを知ってか知らずか琉夏は彼を一蹴した。


「私たちは駿河さんに興味の欠片もありません」


 琉夏の忽然とした態度に、僕ばかりでなく一部始終を見ていた新入生たちの肝も冷える。

 なにせ相手は六十八家の駿河家。彼を敵に回すことは、能力者であるならば何が何でも避けたい。

 そんな琉夏の態度に駿河は「へぇ」と興味深そうに声を漏らす。


「そんな強情な所も俺好みだ」


 駿河は不気味に口角を上げる。


「そう邪険にしないでくれよ。俺も君等とを持ってるんだからさ」

「同じ悩み、ですか?」

「あぁ、そうさ」


 そう言うと、駿河は冬華ねぇと琉夏の後ろに控えている僕をでも見るような目で見つめた。


侍従科スペアに付きまとわれて困ってるんだろ?」


 駿河のその言葉に遠巻きで僕らを見ていた新入生たちがざわついた。

 侍従科の生徒は所詮代替品。才能もなくお情けで合格させてもらった予備の生徒――そういう皮肉を込めて侍従科は『スペア』と蔑称されている。

 建前上、侍従科の生徒をスペアと呼ぶことは禁止されている。しかし、それは逆に侍従科の生徒がスペアと呼ばれることを公然に広めているようなもの。睦月学園の生徒たちにとってそれは周知の事実だった。


 さらに、強大な発言権のある六十八家の跡取りである駿河滉也がそれを公衆の面前で使った。

 これは睦月学園に明確な格差が存在するということを肯定しているようなものだった。


侍従科スペア一人付けたら生活に色々と融通が利くって言われて承諾したんだけどさ。どこに行くにも着いてきて正直ウザったいんだよね。そのくせ一人じゃ何もできない無能ときた。まさにお荷物。君等だってそう思ってるんだろ?」


 駿河はそう言うと僕に人差し指を向けた。


「後ろの冴えない侍従科スペアも邪魔だろ? 無能は何しても無能なんだから、エデンガーデンに夢なんて見てるんじゃねーよ」


 吐き捨てるように言い放った。

 あたりがしんっと静まり返る。

 黙って聞いていた琉夏は、駿河に言い残したことがないことを察すると口を開いた。


「言い終えたんですか? ならさっさと失せて下さい」


 琉夏はあくまで冷静に対処する。ここで騒ぎを起こせばどうなるか――いては各務家うちが関与してくる可能性を理解している。それだけは、僕らとしても避けたいことだった。とはいえもう少し言いマシな言い方がないものか、と僕はハラハラしながら琉夏を見守る。

 そんな琉夏の態度に駿河は軽く舌打ちをする。


「ほんっと強情だな。だったら――」


 無理やりにでも琉夏を連れようと思ったのか、おもむろに手を伸ばす。

 あと少しで琉夏の肩に触れる所で、伸びた駿河の手首を誰かが掴んだ。


「噂はかねがね聞いてるよ、駿河滉也くん」


 それはこれまでのやり取りに一切口出しをしなかった冬華ねぇだった。

 普段の人懐っこくて甘いしゃべり方をする冬華ねぇからは想像ができないほど冷たい声。言葉の節々に苛立ちを孕んでいる。ここまで怒りを隠さない冬華ねぇは久しぶりだった。


「知ってるかな? 悪口や陰口は心理的に全部自分のことなんだって」

「……は? なに言ってんの、君」


 駿河が訝しげに呟くが、お構いなしに冬華ねぇは続けて口を開く。


「駿河家は年々序列を上げている実力派だよね。その中でも現当主である貴方のお父上、駿河するが滉蔵こうぞうさんは取り分け天賦の才があったとか。

 さらに実力を鼻にかけない態度。『まさに駿河家の英雄だ』って、部下や分家の信頼も厚いらしいよね。でも――」


 冬華ねぇは依然として駿河を睨みつけながら話を続けた。



「そんな人たちが口を揃えて言うの。『次期はダメだ』って」



「——てめぇッ!」


 駿河は冬華ねぇの手を振りほどくと、胸倉を掴んだ。

 琉夏をナンパしていた時のすまし顔が一変し、鋭い目つきで冬華ねぇを睨みつける。

 それでも冬華ねぇは物怖じせず、淡々と言い放った。


「『スペア』、『無能』、『お荷物』……。ああ、なるほど。全部、だったんだね」


 冬華ねぇは哀れみを込めた目で駿河を見つめる。

 そんな態度に、ついに駿河は逆上した。


「こっちが下手に出てればいい気になりやがってッ!!」


 駿河は冬華ねぇの胸倉を片手で掴みながら、空いたもう片方の手で拳を作り振り上げた。新入生の何人かが「きゃあっ」と悲鳴を上げる。それと同時に僕は冬華ねぇのもとへ駆け出した。

 やばい――直感で感じ取った。

 駿河は作った拳を躊躇いもなく冬華ねぇの頬目掛けて振り下ろす。勢いは弱まらない。駿河は本気で冬華ねぇを殴る気だ。


(だめだっ。間に合わないっ)


 振り下ろされた拳が冬華ねぇの頬に届く刹那、予想外の形でその騒動は終わりを迎える。


「そこまでですっ!」


 ぱちんっ、と高らかに手を打ち鳴らしつつ二人の少女が割って入った。

 途端、振り下ろされた駿河の拳が不自然にぴたりと止まった――いや、違う。あれは


「なッ」


 駿河の表情が強張り、額に汗が滲んでいた。意思とは無関係に身体が止められたことに、驚愕が隠せないでいる。

 傍観していた生徒たち、そして当人の駿河でさえ何が起こっているのか分かっていない。ただ一つ分かることがあるとすれば、これは――。


(きっと能力ギフトだ。それも飛び切り強い力)


 一体どんな子が――と、僕ははやる気持ちを押さえつつ、二人の少女に向き直る。

 一人はふわふわっとした巻き髪をした可愛らしい少女。そしてもう一人はすらりとした長身で黒髪の少女。どちらも睦月学園の制服を着ているが、冬華ねぇや琉夏とは微妙にされど決定的に違う箇所があった。

 胸に付けられたリボンの色。新入生が青に対してこの二人は赤色、つまり彼女たちは二年生だ。そして袖には腕章が括り付けられていた。


(……あれ、この二人どこかで)


 上級生であり、昨日エデンガーデンへ来たばかりの僕にとって確実に初対面にもかかわらず、なぜか既視感のある二人に僕は首を傾げた。

 そんな僕のもとへ慌てた様子が一切見られない琉夏が近寄ると、こそっと耳打ちする。


「兄さん、生徒会の会長と副会長です」

「あ、どうりで見たことがあると思ったよ」


 睦月学園入学資料のパンフレットに二人の姿が大きく載っていたことを思い出す。

 小柄な体型の生徒が現生徒会長の常陸ひたち寧々ねね。隣にいるのが副会長の有栖川ありすがわクロエ。

 

 基本的に実力主義である睦月学園において、生徒を束ね、第一区を管理している生徒会役員たちは、全生徒の中でもトップクラスの実力を持っていることになる。生徒会の腕章をつけることは、睦月学園全生徒の目標でもあった。

 そんな実力派集団の№1と№2が今、目の前にいた。

 さらに言えば、生徒会長は六十八家のうちの一つであり、序列弐位の常陸ひたち家の御令嬢。


「もういいよ。ありがとう、クロエちゃんっ」

「そう?」


 常陸先輩がそう言うと、有栖川先輩が手を叩いた。

 すると静止していた駿河の身体がガクッと崩れる。駿河は地面に膝を着く前に何とか体勢を整え、有栖川先輩を睨みつけた。


「入学早々に喧嘩は感心しないよ、君たち」


 常陸先輩は冬華ねぇと駿河の前に立つと口を尖らせてが注意をした。

 冬華ねぇは素直に頭を下げる。


「すみませんでした」

「うんうん、素直でよろしいっ。そろそろ入学式だから急いでね」


 腕時計を確認すると、入学式まですでに十五分を切っていた。集まっていた新入生たちは駆け足で会場まで向かう。

 駿河も小さく舌打ちをすると大人しく引き下がる。そして僕の横を通るとき、耳元てぼそりと呟いた。


「覚えとけよ」


 その声音は怒りで震えていた。

 彼の侍従生の少女は僕たちの方に向き直り、申し訳なさそうに深く頭を下げた。そして距離を置いて駿河の後を追う。

 その場には僕たちと生徒会の二組だけが残った。

 ふぅ、と常陸先輩が一息つくと、僕に向けて頭を下げた。


「ごめんねっ。入学初日に嫌な思いさせて。私の監督不行きだよ」

「頭を上げて下さい、先輩。僕は気にしてませんから」

「そう言ってくれると私も助かるよ。本来は成績上位者が侍従科の模範となるように生活して、それをより身近で学ぶことができる制度なんだけどね……」


 しょんぼりと肩を落とす常陸先輩。

 そんな姿にどう声を掛けたらいいか迷っていると、不意に袖をくいっと引っ張られた。


「兄さん、本当にそろそろ時間が……」

「あ、ああ、そうだね。えっと先輩方、僕たちはこれで」

「うん。あ、遅くなったけど入学おめでとう」


 常陸先輩は人懐っこい笑顔で僕たちに手を振りながら見送る。そんな姿に僕たちは何度か会釈をしながら入学式の会場となる第一体育館へと向かったのだった。

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