番外編 幼馴染みの君が言うには?


[ 今どこ ]

[ 家だよ。勉強してる ]

[ ちょっとだけ出られる? ]

[ いいよ ]


 白い吹き出しに包まれた三文字を読み終わると、陽介ようすけは山中家のインターフォンを押した。


 恋人の家にお邪魔するには、少し遅い時間。

 でも、同じマンションに住むご近所さんとして訪れるなら、ギリギリ許される時間。


 ガチャリとドアを開けたのは、幼い頃から知っている実里みのりの母だった。実里の母は、部活帰りの陽介を見て、驚いた顔をする。


「あら、陽介君? どうしたの」

「すみません。廊下で、少しだけみぃと話させて貰えませんか」

「もちろんどうぞ。実里ー陽介君来たわよー」


 実里の母は、自室にいる実里を簡単に呼んだ。

 恋人の母親に信頼されすぎているのもどうなのだろうと、夜に連れ出そうとしている身にも関わらず、陽介は贅沢な悩みを持った。


「え?! 陽ちゃんもう来たの?!」


 ルームウェアを着た実里が、彼女の部屋の方向からパタパタと走ってくる。


「お母さん、ちょっとドアの外で話してくる」

「どっか行くときは言ってからにしてねー」

「大丈夫です。もう遅いんで、マンションからは出しません」

「はーい。よろしくねー」


 実里がサンダルを履き、ドアを閉める。マンションの重い玄関ドアが、バタンッと音を立てて閉まった。


 実里の家の前には、丁度マンションの外階段がある。少し奥まった場所に二人で立った。


「どうしたの? こんな時間に。珍しいね」

「部活終わって直で来た。他の奴から、変な話聞かされる前にと思って」

「……え。なんかやらかしちゃったの?」


 心配そうに実里が陽介を見上げた。陽介は苦笑して実里の隣に移動すると、階段の壁に背を持たれる。


「花茨ってわかるよな」

「篠ちゃん? わかるよ。ゆうちゃんのことでバタバタしてた時、かなりお世話になったから」

「そっか……それでも世話になってたのか。あー、しくったなぁ」


 陽介には年の離れた幼い悠大ゆうだいという弟がいる。実里は一年の頃、部活にかかりきりの陽介の代わりに、陽介の母に頼まれて悠大の世話をしてくれていた時期がある。

 その時に篠の世話になったと言うのなら、陽介も篠に世話になっていたと言える。


「……なんか、篠ちゃんにしちゃったの?」


 恋人に向ける不満と、友人を守ろうとする怒りが宿った声で言われる。

 陽介はゆっくりと口を開いた。


「――夏休みの間に収まるとは思うんだけど、花茨が俺に告白して、若干俺が受け入れてるムード、みたいな噂が立った」


「……それはまた、凄い噂だね」


 彼女としてはあまり歓迎できませんが、と実里が続ける。


「もちろん俺も歓迎してません。詳しく説明させていただきたいです」

「どうぞ」


「まず、俺は……実は、中学の頃の女バレの後輩にアプローチされてました」

「なんですと」


 実里と付き合い始めても、陽介は女生徒に告白されることが多々あった。正直に言えば、実里が彼女になってから、他の女子に告白される回数は増えていた。

 一応、告白されたらその都度実里に伝えていたのだが、それ未満の女子は実里が気に病むだけかと思い、伝えるのは控えていた。


「告白とかされたわけじゃないから、軽い拒絶くらいしか出来なかったし、みぃには言ってなかった。ごめん」

「まぁ……よくあることだろうしね」

「ごめんね。俺の顔が良くて」

「ほんとだねぇ」


 しみじみと頷く実里を可愛いなと思いながら、陽介は続けた。


「それで花茨は……みぃは自分の友達だから、って。俺のことを諦めるように、その後輩に言ってくれた」

「篠ちゃん……」


 感動したように、実里が口元に手をやった。


「ここで話は少し変わりますが」

「え? 変えちゃ駄目じゃない?」


「花茨は今、うちのバレー部の後輩に、露骨すぎて周りが若干引くレベルのアプローチをしています」


「へぇ? あの篠ちゃんが? なんて子?」


 あの、と言いたくなる気持ちがわかって、陽介は笑った。


「楢崎って一年。背が高くて眠そうで、目つき悪い奴。同じ中学だった」

「んー……わかんないかも。ごめん」


 わかっていた返事だったが、陽介は少しだけショックを受けた。

 実里は、陽介のバレー――というか陽介に、悠大の件が出てくるまで、全く興味が無かったように思える。互いによく知る幼馴染みではあったが、空白の時間は長い。


 陽介に興味を持って、陽介のバレーの応援に駆けつける女子らなら、颯太のことはすぐにピンと来ただろう。


 実里に愛されていないとは思わないが、こういう時に、自分との温度差を少し感じて淋しくなる。


(要は、また実里にまた消えられないように、必死なんだよな。俺は)


 いい雰囲気になってきたと思った矢先に、実里は陽介の前から姿を消した。


 ――実里は簡単に俺を捨てることができる。


 事実とは異なっていても、一度たたき込まれた恐怖は胸に残り、付き合い始めた今でも偶に陽介を脅かした。


 だから実里が逃げ出す口実を絶対に与えないよう、こんな時間に呼び出して、必死に言い訳を並べている。


「全然いいよ。楢崎――颯太の事なら俺もよく知ってるから、助けてもらったお礼にって、花茨の恋愛相談に乗った」


「……え? 篠ちゃんが? 陽ちゃんに?」


 実里は目をくりくりとさせて陽介を見た。”いばら姫”の実態を知っているからこそ、驚いているのだろう。


「それは……流石にちょっとびっくりした。陽ちゃん、女の子の気持ち詳しいでしょ? 篠ちゃん、本当に陽ちゃんに興味ないって言い切れる?」


「そこはもう、俺の勘と、みぃを友達って言い切った花茨を信じてもらうしかない」


「そうだろうけど……信じられないな。あの篠ちゃんが、男の子に……」

 やきもちというよりは、純粋に不思議そうに実里は悩み始めた。


「俺から言い出したことではあるんだけど、絶対に惚れるなよって花茨にも釘刺された」


「え、そうなの?」


「小学校の運動会ぶりに、選手宣誓までさせられた」


「何それ」


 笑う実里に気をよくして、陽介は続きを説明した。


「男の意見が聞きたかったんだと思う。花茨は、自分が告白したらほとんどの男が自分と付き合うと思うって言ってた。でもその男に本命が――」


 陽介はひたりと実里を見た。

 その鋭い視線に、実里は少しだけ怖じ気づいたように、肩を揺らす。


「実里みたいなのが出て来たら、自分は振られるんだって言って、落ち込んでた。その流れを、部員に聞かれて、告白されたって噂になった」


「なるほどー」

 心なしか頬を赤く染めた実里が、小刻みに頷いた。


「それで」


「はい」


 いよいよ何を言われるだろうかと、背筋を正した陽介に、実里は問いかけた。


「楢崎君とやらは軽くオッケーして、あとで篠ちゃんを振りそうなの?」


 陽介は大きく息を呑む。

 そして、満面の笑みを浮かべた。


「俺、やっぱり実里の事が好きだわ」


「へぇ?!」


 それはどうも、ありがとうね!? と、何故かきょどりながら実里が叫ぶ。

 陽介は実里の手を取って、ぎゅっと握った。実里は前を向いたまま、ぎゅっと陽介の手を握り返す。


「花茨の話を聞いた後、確かに中学の頃の颯太なら、そういう可能性もあったかもしれないなって思った。でも今の颯太が、花茨に対してそれは、ほぼ無いと思う。――俺、初めて颯太にマウント取られたし」


「え、なんてなんて?」


「俺が花茨と話してたら、『篠!』って。めっちゃ大声で呼ぶからびびった」


「何それ可愛い……きゅんてする……」


「は?」


 陽介はぐいんっと首を動かして、実里を見た。


「なんで実里が颯太にきゅんてしてんの」

「え……」

「実里は俺に全然きゅんてしないのに、なんで颯太にはそんな簡単にきゅんてしたの?」


「陽ちゃん何言ってるの??」


 顔を真っ赤にして、実里が慌てふためく。繋いだ手をぶんぶんと振られたが、簡単に離してやる気は無かった。


「確かに不用意な噂を立てちゃったのは俺だけど、さっきから実里、他人事過ぎない? 俺の彼女って自覚ある?」

「あるある。あるから今ここにいるんじゃん」

「実里は幼馴染みのままでも、俺が呼び出したらここにいた気がする」


 実里が黙った。自分でも、そんな気がしたのだろう。


「陽ちゃんは、私が陽ちゃんに、きゅんとしてないと思ってる?」

「割と多めに」

「そっか……」


 しょんぼりと言ったきり、実里は黙り込んでしまった。陽介は慌てた。謝罪を兼ねた説明にきたのに、こんな話は流石に図々しすぎたに違いない。日を改めればよかったと落ち込み始めた頃、実里がスマホを取り出して、ポチポチと操作し始めた。


 こんな時にスマホを触られる自分の地位の低さに落ち込んでいると、実里がスマホを差し出してきた。


「……これ」


 実里が見せた画面には、今日の陽介とのL1NEのやりとりが広がっていた。実里の指が、陽介が送った [ 今どこ ] というメッセージを指さす。


「これ、きゅんとした」


「え?」


「あと……これ」と言って、[ ちょっとだけ出られる? ] という吹き出しも指さし、顔を俯けたまま言う。


「これもきゅんとした……」


「――ええ?」


 なんで? と尋ねる陽介に、顔を真っ赤にした実里が言う。


「私の事、今一緒にいるわけじゃないのに、考えてくれてるんだなって、わかったから」


 陽介は顔を片手で覆った。あまりにも、自分の彼女が可愛かった。


(みぃと温度差がある? そりゃもちろんあるわ)


 実里は、こんなことぐらいで喜んでくれているのだ。

 あまりにも、実里のいる贅沢に慣れきってしまっていた自分を見つめ直すいい機会になった。


「……実里、今度バレー見に来てくれない?」

「行っていいの?」


 こんなに簡単なことだった。陽介はくしゃりと笑って頷く。


「見に来て。頑張るから」

「絶対行く」

「……それと、勉強の邪魔になるかと思って、夜はあんまりL1NE送ってなかった。今度からは、もっと送っていい?」

「もちろんっ! 私も集中してたら返事出来ないけど、出来るときに返すね」


 実里が嬉しそうな顔で笑う。


 実里が勉強に集中していて返事が遅れたら、また自分は実里と温度差があるなんていって、拗ねるに違いない。呆れる未来が簡単に想像できた。でもきっとその時はその時で、二人でまたこうして乗り越えていくんだろうと思えた。


「――じゃあ、今日呼び出したのは、篠ちゃんとの噂についての釈明?」

「そう。あと、みぃの顔が見たかった」

「見るだけで終わり?」


 実里が赤い顔をして言う。

 くらりと目眩がする。


(俺の彼女は、やっぱり最高に可愛い)


 陽介は、繋いだままの手を引っ張る。


 女物のシャンプーの匂いが、陽介の鼻先を掠めた。



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恋になるまで、あと1センチ(旧題:触れた指先、とまった心) 六つ花 えいこ @coppe

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