第34話 (失敗した。バレーには、もっと気を遣うべきだった)

 シューズが体育館の床にこすれ、キュッキュと音がする。ネットにより半分に区切られたコートの向こうでは、バスケットボールが床を跳ねる。今日は昼から、余所の学校がバスケットの試合に来ると言っていた。


 流れる汗をシャツで拭った颯太はふと、体育館の端にたむろっている賑やかな一団に視線を送った。


 ろくな空調設備が無いせいで、体育館の窓や扉はどこもここも開け放っている。

 外と繋がる一枚の扉に、男子バスケ部の上級生が集まっていた。試合前で緊張しているのか、いつも以上に空騒ぎしているようにも見えた。


 上級生達は、囲った何かを見下ろしている。部活が違う上に、上級生なため、近付くことなく静観する。

 息を整えながら颯太がその一団を見つめていると、夏休み前にバレー部の部長になったばかりの、二年の辻浦つじうら 陽介ようすけが、外から体育館に戻って来た。


「おーい。入り口、塞いでんなよ」


 陽介が張りのある声でバスケ部に声をかけた。バスケ部は二年生だったのだろう。お互い笑顔で話し始める。


 颯太と陽介は中学校の頃からの知り合いだ。中学のバレー部でも、先輩後輩として親しくしていた。

 陽介は一時期、家庭の事情でバレーが出来なくなっていたようだったが、今は新部長として頼もしく部を牽引している。


 陽介がバスケ部の二年と少し話をした後、下を見下ろして声をかけた。


「”いばら姫”、うちに用なんだよな? 入ってけば」


 ――”いばら姫”。


 バスケ部が何を見下ろしていたのかわかった颯太は、目を見開いた。


「なんだよバレー部ばっかり」

「いや別に、花茨はうちの部の物とかじゃないから。ほら退いて」


 文句を言うバスケ部の包囲網が解かれ、扉から陽介が入ってくる。陽介の横には、夏休みだというのに制服に身を包んだ篠がいた。心持ち、ほっとしたような顔をしている。


(なんであの人が?)


 いるはずがない人物に颯太が驚いていると、更に驚くべきことが起きた。


「……ありがとう、辻浦君。ねぇ、今、部長なんでしょ? 練習って見て行ってもいいの?」


 篠が陽介に話しかけた。

 会話の内容までは上手く聞こえないが、比較的穏やかに話しかけていることはわかる。以前、篠が追い払った、彼女のクラスメイトの垣野内に接する態度とは、明らかに表情が違う。


 同じ二年生同士、友達なのかもしれない。

 だが、これまで自分達以外に、篠からあんな風に男子に話しかけるのを見たことが無かった。


「ん? あぁ、好きにしたら? バスケとかは彼女の観戦多いし」

「ふうん」

「へー。俺初めて見たかも、花茨の真顔以外の顔。普段あんなツンツンしてるのにね」

「……なんなの? 実里ちゃんに、いじめられたって言いつけられたいの?」

「は? 待ってくれない? なんでみぃを出したの。この親切な俺がなにをしたって?」



「篠!」



 颯太が声を張った。一瞬、体育館がしんと静まる。

 体育館の隅で話をしていた陽介は、首を曲げて隣にいる篠を見下ろしていたが、声に反応して颯太の方に顔を向けた。


「あぁ、お目当てがあそこに――」


「颯太!」


 陽介と話をしていた篠が、にこーっと笑う。駆け寄ろうと足を踏み出した篠は、しかしピタリと止まった。コートに入るのを躊躇ったのだろう。


 颯太から、篠と陽介のもとに駆け寄る。


 颯太はちらりと陽介を見た。陽介は意味深に見つめたかと思うと、颯太の肩をぽんと叩く。


「三分間だけ待ってやる」


 サングラスをつけた偉そうな大佐のようなことを言って、部長はコートに戻っていく。残念ながらラビュタなら、篠の呪文によりとっくに崩壊している。


 部活はまだ休憩時間には入っていない。颯太は慌てて篠に尋ねた。


「どうしたんですか。なんでここに」

「颯太が練習してるかなって思って見に来たの。そしたら辻浦君が、入っていいよって」

「……そうすか」


 男を人間とも思っていないような篠から、陽介の名前が出たことに颯太は驚いていた。名前を把握しているなんて、よほど仲が良いのだろうかなんて、うがった見方をしてしまう。


「見て行くね」

「いや……」


 先ほどの陽介との様子を思い出し、自分でも思っている以上に歯切れの悪い返事をしてしまった。


 篠を一人で置いておけば、また先ほどのように男子に群がられるだろう。篠を一人で置いておくなんて、練習どころでは無い。

 先ほどの包囲網を思い出した颯太は、眉根を寄せて言う。


「なんで俺にL1NEくれなかったんすか。迎え行くのに」

「迷惑になっちゃうかなって」


 こんなところに、わざわざ颯太の練習なんかを見に来るために、篠が勇気を出して来る必要はない。


 篠が頑張って男だらけの体育館に来たとわかっているのに、男だらけの体育館に篠を一人で置いておくことを、どうしても喜べなかった。


「――篠がいると、集中できなくなるので……」

「静かにしてても?」

 苦笑いしか浮かべられない颯太を見て、篠は一旦引き下がることにしたようだ。


「――そっか、わかった。急に来てごめんね」

「……俺、まだ部活中なんで、戻らないと」

「うん。頑張ってね」


 バイバイ、と振る手とは反対の手に、ランチバッグが二つ握られていることに颯太は気付く。


「……それ」

「お昼、一緒に食べたいなって思って、勝手に作って来ちゃったの。颯太が言うように、先にL1NEで聞いとけばよかったね。ごめん」


 早口で言う篠に、颯太は顔を顰めた。

 そして頭をガシガシと掻く。


「すみません。待ってて貰えますか」

「……いいの?」

「でも体育館は男もいっぱいいるし、ボールとか飛んできて、本当に危ないんで。篠が折れるんで」

「折れないよ。でもわかった。じゃあ図書室で待ってる。何時から休憩?」

「十二時ですけど、前後するんで、終わったらL1NE入れます」

「わかった」

 ほっとしたように、篠がふわりと笑う。


(ただ弁当食うって言っただけなのに)


 先ほどまでの焦燥感は引き、罪悪感と、優越感が生まれる。颯太が困った顔で笑い返すと、篠は手を振った。


「じゃあ、図書室行ってるね」

「はい。あとで」




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