第30話 「まじであれは逃すなよ」「だから今頑張って捕まえてる」


「何あんた、その顔。颯太くん放置して寝てたの?!」

「うん」

「ちょっと鏡見ておいで。目の下、すごいパンダよ。それに頭、ボッサボサじゃないの。梳いてきなさい!」

「はあい」


 リビングに降りた篠は、篠の母に叱られるままに鏡台に向かった。篠の護衛が無くなった颯太は、篠の母が立っている台所へ向かう。


「お手伝いします」

「大丈夫よー。自分ちと思って寛いでて。無理か」

「は、はい」

 びっくりするぐらい冴え渡った突っ込みに、颯太は僅かに頷いた。


「じゃあピンポン鳴ったらこれ持って、唐揚げ受け取って来て」


 篠の母がエプロンのポケットから裸の五千円札を取り出すと、颯太に渡した。


(えええ……雑すぎじゃね……? さすがあの人の親……)


 若干引いていると、すぐにピンポンが鳴った。唐揚げの配達だろう。篠の母が目配せするので、颯太は慌てて玄関に向かう。


(金額まで知っちゃって、いいのか……?)


 唐揚げを運んでくれたおばちゃんにお金を渡し、お釣りを受け取る。突然お邪魔した上に、五千円札を渡してお釣りに札が無い金額を支払わせてしまったと、颯太は僅かに落ち込んだ。


 運ばれてきた唐揚げと、おまけのキャベツの千切りを持って台所へ戻ると、少し顔をさっぱりさせた篠がいた。


「メイク、直すの無理だった。落とした」

「懸命ね」

 コンロの前に立つ篠の母の横にくっついて、篠は鍋を覗き込んでいる。本当にこの人は、懐いている人に距離が近いんだなと実感する。


「あ、颯太。ありがとう」

「ありがとね颯太君。唐揚げ、そこに置いておいて」


 颯太に気付いた篠がパタパタと近付いてくる。颯太はカウンターの上に唐揚げを置いた。


「颯太」

「はい」

「すっぴん」

「そうなんすか」

「可愛い?」

「はい」


 ふふっと篠は笑った。


「颯太、髪結んで」

「え?! やったことないっす」


 結んだまま眠ってしまったからか、梳いてもぼさぼさのままなのが気に入らないらしい。篠は自分の髪を両手で掴んで、にっこりと笑った。


「うん。だから、して」


 声がほんのりと冷たい。

 篠の笑顔から、先ほどの事はまだ水に流れていなかったことを知る。


「……だから、さっきのはですね」


「うん。して」


「はい」


 説明することさえ許して貰えない距離にいるのだと知り、颯太はしずしずと従った。


 篠は先ほどまで髪を結んでいたヘアゴムを颯太に差し出す。颯太が買った、焦げ茶色のリボンのヘアゴムだ。


「三つ編みにしてね」

「三つ編み?!」

「下手でもいいよ。下手な方がいいから」

「――はい」


 リビングのソファに二人で座る。隣り合わせた篠の方を向くために、颯太は片方の足を折り曲げ、もう片方を床に伸ばした。篠はソファの座面に完全に登り切り、ぺたんと横向きに座っている。


「三つ編みって、どうするんすか」

 あまりにも情けない声だったのだろう。篠がふふっと笑った。


「見ててね。こうして、こう」


 篠が両手を高く上げて、自分の髪を三つに分ける。長い髪を分け、自由自在に行き来する指に見惚れる。


「……篠、自分でした方が絶対上手いっすよ」


 あまりの手際の良さに関心していると、篠の指が編んでいた髪を手放した。そして無慈悲にもつむじから手ぐしを入れ、せっかく編んだ髪を解く。


「はい。やって」

「……すみません。わからなくなりました」

「まず三本に分けて――」


 篠の髪を手に取ると、ずしりと重たい。こんなに長い毛を動かすのは初めてだ。颯太が篠に言われるがままに四苦八苦していると、リビングのドアがガチャリと開く。


「ただいー……なあにやってんの?」


 リビングに入ってきた女性を見て、颯太は目を見張った。誰に紹介されずともわかった。まごうごと無く、篠の姉だ。

 こう言ってはアレだが、篠の母とは全く似ていない。

 その代わり、大学生になった篠を想像しろ、と言われたら、そっくりそのままこの人物を思い描くだろうというほどに、篠とよく似ていた。


「あ、お姉。おかえり」

「おかえりなさい。お邪魔しています」


 篠の髪を持ったままぺこりと頭を下げると、篠の姉が目を輝かせた。


「何この子! 可愛い!」

「大型の番犬」

 その評価は、もしかしなくても定着してしまったのだろうか。颯太は若干ショックを受ける。


「えーなにそれー。可愛いー。どこでレンタルできるの?」

「出来ないよ」


 篠がふるふると首を横に振って否定すると、結んでいた髪がするりと颯太の手から落ちた。

 慌てて追いかけるが、ようやく半分結んでいた髪は、随分解けてしまっていた。


「篠の髪結ばされてんの? お姉ちゃんが教えたげよっか」


「駄目」

「いえ。さっき教えてもらったので」


 篠と颯太の返事がかぶる。

 篠の姉はふるふると打ち震えた。


「やだ、かわいー! 健気ー! 忠犬〜!」


 称号が増えてしまった。篠のわんこで大型犬で番犬で忠犬な颯太は、もう一度最初から篠の髪を三つ編みにし直す。


「ってか、これかー! この子なのねえ。へえ~!」

 岬がじろじろと颯太の顔を覗く。


「篠によく話聞いてたよ」

「お弁当とか、お姉が相談にのってくれてたの」

「そうなんすか」


 必死に編む颯太の横で、篠と――篠の姉の――岬が、楽しそうに会話をしている。ちゃんと仲がいいようで、少しほっとした。


「ソータは年下なの? 一個? まさか中学生じゃないでしょ?」

「一個下です」

「そうなのそうなの。篠のことは何て呼んでんの?」

「……篠、って呼んでます」

「そうなの~! へえ~! じゃあお姉ちゃんのことは、岬ちゃんって呼ぼうね。ね?」


 なんとか編んだ髪を必死にゴムで結んでいる時にそう言われ、颯太は軽く頷くことしか出来ない。


「岬ちゃん、って。五個も上なのに」

「五個上で岬さんって呼ばれるとガチっぽいじゃん」

「何がガチなの。五個上なのは事実でしょ?」

「篠が冷たい気がする? なんで? ソータがいるから? お姉ちゃん悲しくて、追い出しちゃうよ??」

「駄目。室内犬です」


 家にいる篠は、学校で見る篠とはまた違う顔をしていた。髪を結び終えると、下手くそな三つ編みを篠が岬に見せつける。


「ふふん」

「可愛い可愛い。可愛く編んで貰ったねえ」

「ふふん」


 得意げな顔が可愛くて、颯太は篠の頭を撫でた。篠が嬉しそうにソファの上で体を揺らす。

 岬は立ち上がり、台所にいる母の元へ向かった。


「お、唐揚げじゃんー。匂いしてたのはソータが来たからか。わっ、またおかあ、張り切って頼んじゃって……いくらDKが肉に目が無いからって、こんなに食べきれないって」

「えーだって男子高生よ?」

「お兄も高校時代、ここまで食べなかったでしょー」

「何年前だと思ってるの。もう忘れちゃったわよ。それに颯太君は、お兄ちゃんと違って体大きいから――ねえ。颯太君! 食べれるわよねえ?」

「あ、はいっ」


 どれだけ出されても、篠の母に出された物を残す気は無かったので、颯太は慌てて返事をした。


「今日お兄は?」

「莉香ちゃん家泊まるってL1NEきてたわよ。颯太君がいるって言ったんだけど、職場出るの夜になるからって」

「相変わらず修羅場決めてるなあ……」

 岬が砂肝の唐揚げを摘まんだ後、颯太に向かって大きな声を出す。


「ソータ! 今日お兄、彼女の家に泊まるっぽいから、また今度見においで~!」


 また家にまで上がる事があるのかは謎だったが、颯太は反論せずに「はい」と答えた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る