死霊少女の恨み言

文月ヒロ

死霊少女の恨み言


違う…違う違う。

「ねぇ、また出たんだって?『死霊少女』」

「らしいよ。怖いねぇ?」

違う違う違う、絶対に違う!

いくら無視を決め込んでいようと、否応なしに周りから耳に入ってくる『死霊少女』という単語。

冨山静香はそれを聞くたび頭の中でその存在を否定した。

『死霊少女』。ここ最近、駅にて毎日決まった場所、時刻に現れ、しかし誰にも姿を見せない謎の少女のことだ。


『どこ?どこ?』と誰かを探している声が駅で聞こえる。探せど探せど声の主は見当たらず、まるで幽霊のよう。しかもその声色が少女のものであるから『死霊少女』。

だが静香は、そんなよくある怪談話に怯えているのではない。女子高生を畏怖させるほどの原因はもっと別。

「やっぱさ、あれじゃない?」

「あぁね。この前駅で電車に轢かれた女の子でしょ」

「……ッ!!」


突然、ビクンッと静香の両肩が跳ねた。

始まった全身の震えが止まらない。

動悸は激しく呼吸も荒くなり、冷汗が静香の頬を伝う。右肩に掛けた鞄の手さげ部分を握り締める両手の力が無意識に強くなる。

静香は肩をすぼめ背中を丸めた。

自分という存在を小さくし目立たなくするための浅ましい悪足掻きだ。

その行為が逆にこの場では不自然なものだと、より己を他に知らしめる愚かなものだと、彼女は知りもしない。


しかし、静香のおかしな様子には誰も気が付かない。彼ら彼女らの話の話題は『死霊少女』に持ち切りだったからだ。

無論、静香にとっては不安や恐怖を助長させる要因でしかなかった。

「す、すみません……」

堪らなくなって、人混みを掻き分けその場を離れる。

カツカツと革靴ローファーが地面を踏み鳴らす。


今すぐにでもこの駅からいなくなりたい。今すぐにでも周りの話題を転換させてしまいたい。

でなければ、でなければ…。

怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。

「『死霊少女』があの子なわけ……ない」

一週間前の過ちの記憶が蘇る。

静香の脳裏を過るのは、ホームから線路上に同級生が電車に轢かれた瞬間の映像。あの光景が頭に焼き付いて消えてくれない。


いじめていただけ、なのだ。

最初はそう、少しその子の態度が気にくわなかったから筆箱を隠したのだ。

面白かった。「ない!ない!」と、たかが筆箱ごときがなくなったくらいで酷い慌て様。他の友達だって笑ってた。

だから、もう少しだけいじめたくなった。今度は体操服でも隠してやろう。

今度は趣向を変えて椅子に画びょうでも撒いてやろう。

学校の備品を壊した責任を擦り付けてやろう。

机の中に虫でも入れておいてやろう。


もう少しだけ、もう少しだけ、もう少しだけ、このくらいなら…。

その子に対するいじめは加熱していき、やがて止めどころを失った。

そうしてあの日、駅の三番ホームでいじめの対象を見つけた。

午後七時頃だっただろう。相変わらずの人の多さのその中で、一人うつむき加減のいじめ対象の少女は暗い雰囲気を漂わせていた。

近づいて声をかけてみるも無視をされ気不味い感じに。


腹が立った。苛ついた。ムカついた。

だから両手で少し強めに彼女の背中を押して………線路に落ちた彼女は電車に轢かれ、そして死んだ。

残ったのは肉の塊。

布を纏った血塗れの肉塊だけだった。

左腕と右足はもげ、体は所々ひしゃげ、顔などぐちゃぐちゃに潰されて最早人間の顔の原型など止めてはいなかった。血に染まった長い黒髪の存在を認識して初めてそれが顔だとわかったほどだった。

いじめが過ぎたための、取り返しのつかない過ち。


犯人は、静香は、捕まっていない。

死んだ同級生の家族は、身内のあまりに突然で無残な死に泣いていた。

その顔が静香の胸を酷く締め付けた。

娘の死が他殺だと知った彼らの瞳は強い怨嗟に染まっていた。

その目が静香に真実を語る勇気を消失させた。


「あれ、ここ…」

ふと周りを見てみれば、忌まわしい記憶に繋がる三番ホーム。

そして、

「『死霊少女』が出るって噂の…」

腕時計を確認すると、時刻はきっちり午後七時だった。『死霊少女』が出現する時間帯は午後七時頃。

違うはずだ。自分が殺した少女が、そんな怪異な訳がない。あり得る訳がない。


考えるな、考えるな、考えるな、考えるな!

首を左右にブンブン振り回し、嫌な思考を振り払う。

そもそも、幽霊だの亡霊だのという曖昧模糊なものに怯える必要がどこにある?

現実を見ろ。『死霊少女』など、非現実を面白がる質の悪い連中が作り上げた、いわば架空の存在。

その噂が広まり、『また』、『また』とその存在を人々が認知し意識し始めた。


人間の脳は勝手だ。一度認めてしまえば、いないものをいるものだと錯覚してしまう。

脳内保管された情報が恐怖や危機感といった感情を誘発させるだけで起きる、考えてみれば馬鹿馬鹿しい現象に踊らされているだけ。

あの子が死んだ場所と時刻が偶然一致しただけ。

いや、もしかしたらそれがきっかけで『死霊少女』などという訳のわからないものの噂が広まった可能性だってある。


「違う…違う…」

止まらない。震えが、汗が、恐怖が、止まらず自分を追い詰める。

理屈に沿った言い訳ならしたではないか!怖がる必要はないと言い訳を盾にしたではないか!

言い訳をして、言い訳を…………どうして今、自分はなんて単語を使った?

違う、違う、違う違う違う違う。違う!

言葉選びを間違えただけ。予想以上に動揺していて頭が働いていなかっただけ。

気付くな、気付くな、気付くな。気付いてしまったなら、―――――。


時間の加速を願う。有りはしないと分かっていても、一瞬で次の電車が来る時刻までの数分が過ぎるのを願わずにはいられなかった。

「早く、早く来て…」

たった数分が、一万年のように長い。

時間は進んでいるのか?時計の秒針は正しく時を刻んでいるのか?どうしてこんなに長い?

電車さえ来れば、この駅から離れられる手段が手に入ったのなら何にも怯える必要はない。


『列車が参ります』

「あっ」

ふと、静香の耳に届く音。

やっと来た。やっとこの地獄のような時間から抜け出せる。

込み上げてくる安心感に全身の力を抜く静香。

安堵のため息の後に取り込んだ空気。

そこで初めて、自分がほとんど呼吸を忘れていたことを知った。

だが、そんなこと、もうどうだって良い。

電車が来るのだ。


だから、


『みぃ~つけたっ』


「う、そ…」

目の前を通る電車の窓に映る、制服姿の少女を見て戦慄した。


『死霊少女』の、の口は、三日月のような笑みを作っていた。

ずっと探し求めていた人をやっと見つけたという執念の末の歓喜の色に、腸が煮えくり返るほどの憎悪の色に、血塗れの亡霊の笑みは染まっていた。

逃げなくては!

逃走のために振り返る。

だが、


『逃げて、どうするの?』

「…っ!」

眼前に『死霊少女』の狂った笑み。

『逃げるの?私を、いじめたのに?』

何も言えなかった。この少女の前では言い逃れなど出来なかった。

気付いてしまった。『死霊死霊』が探し続けていたのは自分だと、探し出して自分を殺そうとしているのだと。

「だ、誰か助け……て………………?」


助けを求めて周りを見た。

なのに、いない。誰も、今の今まで鬱陶しいほどいた人が誰も、いない。気配も、影すらもないのだ……。

どうして?どこに?分からない。怖い。死ぬの?嫌だ、嫌だ。

「だ、れか…ねぇ!だれかいるんでしょう!?たた、たすけてよぉ、ねぇ、だれか――『一人が怖い?』―― へ?」

耳元にかかる『死霊少女』の吐息。


目の前には既に血塗れの少女はいなかった。後ろ、自分の後ろに少女はいたのだ。

いつの間に?分からない。ただ、分かることと言えば一つだけ。

『殺す。逃げるなんて許さない。私を一人にして、いじめて。いじめてただけ?いじめたから私は死んだ』

「わ、わざとじゃ…ない」

『あなたハ私が殺ス』

「ゆ、許して…」

『ユルサナイ』

「いや………だ!」


逃げた逃げた逃げた!

後ろは振り返らない。

逃げれば、そう、この駅から出てしまえば!

今日くらい、家に帰らなくても問題はない。命さえあれば問題はない。

こんな終わり方なんて嫌だ。

逃げれば、逃げれば、逃げ―――

『ふふっ』

「へ?」

躓いた。こけてしまった。


地面につけた顔には、痛みとは別のアスファルトのひんやり冷たい感覚。

その冷たさが、自分がとんでもないミスを仕出かしたのだと理解させる。

立たなきゃ、なのに右足が動かない。

何故か熱を持った右足は恐怖で動かないのだろうか?ふざけるな!動け!

そう思って右足をみれば………なくなっていた。

股関節の付け根から吹き出す鮮血が赤い水溜りを作っていた。


その先にいた『死霊少女』が、もげた自分の足の足首の部分を掴んでいた。

「あぁぁあぁああぁぁぁぁぁぁぁぁァア!!」

痛い、痛い、痛い痛い痛い!

涙が吹き出し、鼻水を滴ながら痛みに悶え苦しむ静香。

『ふふふっ』

「うぎゃぁあぁぁぁぁぁぁぁぁッが!ぁあっ!あ!うでがぁああ!」

『死霊少女』が静香の左腕を掴み、そして、そのまま力ずくでもがれた。

『この程度で痛い?私はもっと痛かったのに?ふふっ』


『死霊少女』の笑みを含んだ罵倒さえも、今の静香には聞こえない。

感じたことのない激痛が彼女のすべてを支配していた。


死にたくない。死ぬ死死にッ!死ぬ死死死死!死に死ぬ。死ぬ、死ぬ死ぬ死にた、くない。死にたく 死ぬ。死ぬににに。死に。死にたくない。死に、死にた、たく ない!死、死に、死ぬ、死ぬ、死ぬ死ぬぬッぬぬ!!殺される!死に、だくだいぃいィイ!


「じにだぐだ、いよぉ……ッ!」

断末魔の叫びにも似た絶叫を上げる静香は、無謀にも逃走を止めない。恐怖が痛みを上回ったが故の行為。


這う這う!右足と左腕が欠損した四肢で、命を繋ぎ止めておくための赤い液体が体から溢れ失われゆくのを感じ取りながらも、それでも這い続ける。

生きるため、全力で。早く、早く、もっと早く逃走しなければ…。

既に出血多量で、何時その命が絶たれてもおかしくない。

だが、静香の生存本能がそれを良しとしないのだ。

だから、早く、この駅から離れるのだ。


「はがッ…こ、こごを出でばぁぁ…」

必死で改札口の方へ這っていく。震える指先でその先の地べたを掴む。

あと少し。その思いが静香の口元に安堵の笑みを浮かばせる。

無駄な悪足掻きだとも知らずに。

「そん、なぁ……」

『ニガサナイ』

景色が変わる。


全身に感じる浮遊感、眼前、いかれた笑みの『死霊少女』。

そして、彼女は両腕で静香を包み込む。

『列車が参ります』

聞き慣れた駅のナレーションに目を見開く。

静香の顔の右側を照らす強い光源。

恐怖が、死の恐怖が静香の顔を青ざめさせる。

「やめ……」

『ミチズレニ、カナラズ、ニクイアナタヲ、コロスカラ』

「いやァァァァァァァァァァァァァア!!」



そして、冨山静香は死を迎えた。



◆――――――――◇――――――――◆


「うわっ、と!またかよ」

「ここ最近ずっと、この駅ん時だけ妙に電車が大きく揺れるよなぁ」

しかし周囲は気が付かない。

その線路上に死体があることを。既に原型すら留めていない、ただの肉塊と成り果てた冨山静香の死体を。

静香は死んだ。いや、世界から存在を抹消された。

故に肉体はあるが、姿は誰にも認識することができない。

毎日午後七時にこの駅の三番ホームを通る電車は激しい揺れに見舞われる。

それは冨山静香という少女が電車に轢かれることで起きる事象。

何度も何度も、しかし、彼らは気付くことが出来ない。


唯一その事象を認識できている存在がいるとすれば、

『ニクイアナタヲ、ナンドモ、コロス』

狂気に染まった笑みを浮かべた長い黒髪の少女、『死霊少女』だけ。


『ふふっ』


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