第34話 最後の戦い

「我が軍の戦力に圧倒され、戦意を失いましたかな? あなたが私の条件を呑むなら、すぐにでも兵を引かせましょう。これ以上あなたの兵士を無駄死にさせたくないでしょう」


 マーガレットはなにもしゃべらない。

 おそろしさのあまり震えているのかもしれない。


 もとはただの修道女である。

 男と渡り合う度胸などないはずだ。


「あなたが私のものになるなら、すぐにでもこの戦は終わるのですから」


 部下たちをとどめ、アシアは足を進める。

 まぁ、女などこんなものだ。

 手籠めにしてしまえば良い。


 これが一番平和的解決なのだ。

 女の涙で国は買える。


 重苦しい甲冑を取り払い、アシア王子は身軽になった。


「お前たちにも味あわせてやる。そこで準備してろ」


 小声で話しかければ、家臣たちはにやついた笑みを浮かべ、続き間のすみに座り込む。

 すぐにでも王子のご相伴にあずかれるよう、彼らも身をほどきはじめた。


 壁にかけられた鏡で己の姿を確認する。

 先ほどまで戦場にいたので汗と血の匂いがこびりついていたが、かまうことはない。

 腰布をほどき汚れをぬぐってから、マーガレットに向き直った。


 彼女はうつむいたまま、己の靴先を見下ろしている。

 薄いショールから透けて見える、なまめかしく浮かび上がる白い肌に、興奮をおぼえる。

 隣に腰をかけると、彼女はびくりと肩をふるわせた。


「おびえないで」


 はじめくらいは優しくしてやろうじゃないか。

 国のため、身を捧げる覚悟でいるのだ。

 そんな彼女の顔が絶望に染まるときを想像するだけで、なんとも言い表せぬ高揚感がもたげてくる。


 家臣たちが控えている続き間が騒がしくなった。

 のぞき見なぞしなくとも、これから十分に見せてやるものを。


 マーガレットの手をとる。

 やけに骨張った、ごつごつとした手だ。

 女にしては長身だと聞いていたが、骨格まで、案外しっかりしているんだな……。


「悪いようにはしません。身を任せてくだされば良い、かわいい人」


 マーガレットはアシア王子の手に、爪を立てた。



「我が女王からの伝言は聞いていなかったようだな」



 地を這うような低い声が響く。

 アシアはあわてて手を引っ込める。血がにじんでいた。


「なにすんだ、この女……」

「地面にひれ伏し、ジギタリスの毒をすするがいい。そう伝えたはずだが?」


 マーガレットは突然身をひるがえし、ドレスの袖に隠していた短剣をふりかぶった。

 早い。

 アシア王子は応戦しようとするが、マーガレットを抱くために剣は足元に置いてしまっていた。

 彼女はすかさずその剣を踏みにじった。


「なにがかわいい人だ。胸くそ悪い悪魔め」


 マーガレットが――いや、マーガレットであったはずの何者かが、ベールと共に、金の髪をはぎとった。


「ライオネル……」


 アシア王子は呆けた声をあげた。


 そうだ。

 マーガレットとライオネルは、兄と妹のようにうりふたつではなかったか。


 まずい。

 戦闘ではこいつに適わない。


 なにせシラナ国は長いこと平和で、アシア王子はほとんど実戦経験を積んでいないのだ。

 武器もない。甲冑も脱ぎ捨ててしまった。

 丸腰のアシア王子はうわずった声をあげた。


「なぜここにいる。女王は倒すべき敵だろう。これも全部、君のためを思ってのことだよ。マーガレットを籠絡するふりをして……そうだ。君に王冠を捧げるためさ。私の戴冠はマーガレットを騙すための芝居だよ」

「宝剣はどこにある?」

「宝剣? ああ、宝剣な。以前の戦いの時、船に乗り込んで……一足先に、戦線を離脱しただろう。その前に渡されたんだ、そう……名前はなんだったか、マチルダだよ。お前のために大事にとっておいたんだ」

「マチルダは売国奴だ。牢の中で死んだ」


 短剣の切っ先をつきつけられ、アシア王子はあせった。

 なぜ家臣たちは誰も加勢しない。

 後ろを振り向きたいが、なにかにすべって足をとられる。

 よろめいた彼は下を向いた。


 血だ。血だまりがあたりに広がっている。

 続き間の……扉の隙間から、どくどくと染み広がってくる。


「宝剣はある! ここで戴冠式をしようと荷に積んできた! 私の側仕えが持っている。出せ、出してやるんだ」


 誰も返事をしない。

 アシア王子はすっかり混乱していた。

 なぜライオネルは、わざわざ鬘をかぶり、ドレスを着て、こんなところでしおらしく座っていたのだ。


 では、本物のマーガレットはどこに!?


 振り向いたとき、部下たちは倒れていた。

 金髪をなびかせる女の戦士が、強烈な突きの姿勢で自分の胸に飛び込んできたところだった。

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