第24話 女王の出陣


 紫色の布地に、銀色のジギタリスの花を縫いとった旗が、風を受けてゆらめいている。


「全軍、私とエドマンドに従いなさい。ライオネルが降伏するまで攻撃はやめないで。建物に火をつけるのはやめなさい。戦利品は別途用意してあります」


 ワースの地はすぐそこだ。

 あの地を越えた港町に、ライオネルはいる。


 わざわざワースで待つ必要はなかった。

 セシリオのおかげで、ライオネルは今ごろ港町で絶望しているはずである。


「巷で広がる事実無根の噂に耳を貸さず、私についてきてくれたことを感謝します。自分の命を守って。命令は以上よ。……神のご加護を」


 雄叫びがあがった。

 マーガレットは、エドマンド率いる第一軍を放った。

 背後には仕事を終えたセシリオ――今はクレイオット伯となった男が、援護をつとめる。


 女王の評判が地に落ちた今だからこそ、マーガレットは自ら戦場に出た。

 エドマンドでは代わりはつとまらない。

 自分のために命を張ろうとしてくれる兵士のひとりひとりと……マーガレット自身も命をかけて共にいることを、この場で宣言したかったのだ。


 ――なにより、私は一度も戦場で、ライオネルと会ったことがない。


 マーガレットが人望を集められないのは血のせいだけではない。

 圧倒的な経験不足。

 ライオネルは男たちを率いて、十四歳になったころから何度も死線をくぐりぬけてきた。


 私が王であるための、確固たる自信が欲しい。

 この戦場で、ライオネルと相まみえてこそ……その自信を得られる気がした。


「行くわよ。残った者たちは全員ついてきなさい!!」


 マーガレットは駆けた。

 ワースの地が近づいてくる。

 このときがくるまで、焦がれるようにして待ち続けたライオネル・グレイが。


 彼は私の運命。

 私にないものをすべて持ちあわせた男。


 港町にたどりついたとき、すでに戦闘は始まっていた。

 マーガレットはエドマンドや側近たちからできるだけ戦に加わらないよう言い含められていたが、剣術はエドマンドに仕込まれている。

 マーガレットが十六歳の頃から、彼は騎士であり悪巧みの片棒であり、鬼教師だったのだ。


(身を守ることはできるわ)


 負傷した味方を待避させ、敵軍に出くわせば剣を受けた。

 エドマンドと合流すると、彼はまたたくまに敵を蹴散らした。

 本人が言うとおり、彼は戦場でこそ真価を発揮する男だった。

 殺戮のかぎりをつくしたエドマンドの姿を見ただけで、武器を放り出して逃げ出す男たちもいた。


 マーガレットは港町中を駆け回った。

 目的はひとりしかいない。


「ライオネル・グレイです」


 エドマンドの視線の先に、ライオネルが現れた。

 彼は若い葦毛の馬に乗り、青のマントをはためかせていた。

 マントにはグレイ家の象徴である、百合の花が縫い取られている。

 甲冑の下ではおそらく、残酷な青のまなざしで、マーガレットを射貫いているのだろう。

 彼を倒せば戦は終わる。


 エドマンドが馬の腹を蹴った。

 剣を交え、火花が散る。


 ふたりの一騎打ちに、マーガレットどころかセシリオすらも割って入ることができず、口惜しそうにしている。


「無理だ。せめて敵に加勢する隙を与えるな。周りをどうにかしよう」


 マーガレットをかばうようにすると、セシリオは銃に弾をこめた。

 マーガレットはめげずに援護にまわろうとしたが、ライオネルには隙がない。

 かえってエドマンドの邪魔になる。


(剣ではたちうちできない)


 そうこうしているうちにグレイ軍が合流した。

 敵の歩兵隊が馬上のマーガレットたちに襲いかかる。


「女王がいるぞ!」


 兵士のひとりが叫ぶ。

 グレイ軍は色めきたった。


 マーガレットは手綱をひき、戦線を離脱する構えをとった。

 自分が殺されればおしまいだ。

 軍を率いるという大事は無事に終えた。

 あとは命を守るだけ――。


(それでも……)


 ライオネルは、あの場にいる。

 エドマンドと剣を合わせ、荒い息を噴きながら、次の一手を繰り出している。


「女王陛下よ、ぼけっとするな」


 退却するんだろう、とセシリオが視線で訴えてくる。

 そのとき、砂塵をまきあげるような大風が吹いた。

 顔に砂が吹きつけ、兵士たちには一瞬の隙ができた。

 マーガレットはその風を受けながら、背負っていた弓に矢をかけた。


 ――今なら。


 風がやむ。

 弓を限界までひきしぼる。

 マーガレットはライオネルの馬をねらった。


 エドマンドもライオネルも、すでに体力は限界だ。

 自分が一石を投じるほかない。


 エドマンドがマーガレットの意図に気がつき、ライオネルから距離を取った。

 矢が指先を離れてゆく。

 風を切り裂くようにして飛んだ矢は、ライオネルの馬の尻に突き刺さる。

 馬は混乱しいなないた。


 ライオネルは体勢を崩し、地面に倒れふした。

 立ち上がろうとする彼を、エドマンドの容赦のない一撃がつらぬく。


 マーガレットは血の気が引いた。

 エドマンドは、ライオネルを殺してしまったのだろうか……。


 息せききってかけつけると、エドマンドはため息をつき、剣でライオネルの飾り輪を抜き取った。


「殺してません。傷は浅いはずだ」


 彼の腹を踏みつけ、エドマンドはそう言った。

「これがあなたの望みでしょう?」と、責めるような視線だった。


 飾り輪を取られれば、将がたとえ生きていても、敗戦したことと同義とみなされる。

 マーガレットは、ライオネルの頭の甲冑をはぎとり、首筋に剣の切っ先をあてた。



「あなたの負けよ」



 いつのまにかグレイ軍は女王軍に押され、壊滅しかけていた。


「アシア王子は逃げたわ。もうあなたに勝ち目はない」


 アシア王子率いるシラナ軍は姿を消していた。船に乗り込んで逃げたのだ。

 そうなるように仕向けた。

 セシリオは、アシア王子が小ずるい性格だと言っていた。

 シラナ国王の命令を受けてセシリオを逮捕しようとやっきになっていたとき、アシア王子は旗色が悪いとなるとすぐに待避したという。 


(少ない戦力で勝つには、敵を敵でなくさせるほかない)


 シラナ国軍の兵や船体を傷つけたが、動力部分は手付かずにした。

 船を動かせるようにしておき、銃の弾だけを奪ったのは、アシア王子にみずから撤退してもらうためである。


 主が殺されれば家臣は復讐に燃え立つが、見捨てて逃げられれば戦意を喪失する。

 投降者は多かった。

 マーガレットは彼らを殺さずに捕らえるように命じた。



「あなたは逃げなかったのね」

「……二度と、卑怯な手は使わないと決めた」



 青い瞳は、空を見上げている。

 その表情はどこかすがすがしかった。

 望む「終わり」を手に入れた、と言わんばかりの……。


 ――宝剣をどこへやったの?


 その質問はできなかった。

 おそらく彼は宝剣の行方を知らない。

 それが彼の言葉のはしばしから伝わった。


 ライオネルは、死を覚悟しているようだった。


「神は……俺を、選ばなかったようだ」


 エドマンドが彼を縄でしばりあげた。

 罪人のように歩かされるライオネルを見て、グレイ軍は次々と武器を取り落とした。

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