山裾の陣
殺伐とした空気が漂う中、志乃は夜の帳が下りきる頃合いに目覚め、第一屯所の門前で辻川に合流した。
「おはようございます、そしてこんばんは、親方」
「おう。いつもの通り暢気そうで何よりだ」
辻川は欠伸を噛み殺しながら言い、散歩のような足取りで歩き出す。彼の素振りもなかなかに暢気ではあるが、気にせず志乃は笑顔でついて行く。
「はい。特に不調もありませんので、討伐に支障をきたすことは無いかと。ところで、中谷の兄貴と山内の兄貴は、先に行ってしまわれたのですか?」
「いや、あいつらは花街内に出る成り損ないの片付けに協力してる。いくら実力があっても、正規の守遣兵じゃねぇからな。物の怪討伐そのものには参加させられない」
「俺はお手伝いしなくてもいいのでしょうか。物の怪が出るまで」
提案というよりは疑問の色が強い言葉に、「ああ」と首肯が返された。
「お前の体力が常人より尽きにくいのは確かだし、兄貴大好きピヨピヨひよこで、山内や中谷と一緒にいたいと思ってることもお見通しだが、駄目だ」
「兄貴大好きなことはそうですし、親方のことも大好きですけども、ひよこの鳴き声を真似したことはありませんよ。俺の憶えている限りでは、ですが」
「おうありがとよ、けど例えにつまんねぇ指摘の返しなんざしてんじゃ……いやそれはどうでもいい。小規模な奴が出るとはいえ、そういうのは群れで来る時もある。万全の状態で挑め」
言いながら、辻川は片手に持っていた刀を志乃に渡す。見回り番から志乃に支給されている刀だ。しかし、当の本人は帯刀しないどころか手に取ることもしないため、基本的には辻川が預かっている。
「刀を使用するほどの敵ですかぁ。やはり、物の怪というのは一筋縄ではいかないのですねぇ」
「使用が前提だ。直に触ったら危険なのもいるし。そういうわけだから、志乃。刀の扱い方が剣士に喧嘩売ってるようなお前でも、物の怪相手なら素直に使え。いいな?」
「お任せください。それに、俺に剣をお教えくださったのは、他ならない親方です。正しく使えというのであればちゃんと、あてっ」
「いつでもちゃんと使え馬鹿野郎」
志乃の額を指で弾くと、辻川はため息交じりに言った。
これから二人が向かうのは、街の正面にぎりぎり入っている
道中、成り損ないが襲ってくる可能性もあったが、そんなものを
結局襲われることはなく、二人は無事に陣へと到着した。
「辻川忠彦、花居志乃。ただいま参上いたした。で、井本。どうだ、平原の様子は」
既にこちらに気付いていた井本と直武の二人に、辻川は
「……、……?」
一方で、
思わず二の腕をさするっていと、気づいたらしい直武と目が合う。志乃が目礼すると、彼はいつもの笑みを深めた。
「どうしたのかな、志乃君?」
「何やら悪寒がしまして。体調が悪いわけではないのですが」
「ああ、大丈夫。君の場合、それは正しい反応だ」
「へ?」
首を傾げると、井本と話していた辻川が「結界」と単語を飛ばしてきた。普通なら何だと思われるが、志乃にはそれで合点がいく。
「なるほど。この陣には、既に結界が張ってあるのですね」
導き出された答えに、正解とばかりに直武が頷いた。
物の怪や成り損ないなどを倒した後始末も、お祓いが必須となる。直武と会った際、倒した成り損ないを山内に任せたのも、この弱点ゆえだった。
「とはいえ、これは
「ええ、はい。それは親方からも言われておりますので、把握しています。俺自身も、結界に良い心地を覚えたことはありませんし」
困ったように笑うと、志乃は指で頬を掻いた。が、「志乃」と呼ばれるなり暢気さが戻った顔は、体ごと辻川の方を向く。
「はい、親方。ご指示でしょうかぁ」
「ああ。平原の方に下ってすぐの所に先陣がある。そこで、お前以外の妖雛がもう一人待ってるから、そいつと顔合わせして共闘しろ」
「分かりましたぁ。ですが、いくら妖雛とはいえ、二人だけで大丈夫なのですか?」
「むしろ過剰なくらいだぞ、小規模の物の怪に妖雛二人は。お前一人だったら、物の怪との戦闘は不得手だろうってことで、守遣兵が指南のために同行してただろうが、現役の人妖兵が来たから不要になった」
おぉー、と暢気な声を上げ、心なしか目を輝かせる少女に、「喧嘩売らない、売られても買わない」と辻川が半目になって言う。考えをあっさり見抜かれ、志乃は短く
「……喧嘩売らない、売られても買わない」
「よろしい。んじゃ、行ってこい」
おつかいでも頼むかのような軽さで言うと、志乃はすぐに暢気な笑みを浮かべる。「行ってまいります」とお辞儀をし、軽い足取りで指し示された方へ向かって行った。
明るく駆け去って行った彼女を驚きつつも見送った後、井本が辻川に、にやにやとした笑みを向ける。
「喧嘩売らない、売られても買わない。懐かしいな、お前がいつも言われてたことじゃないか」
「そう言わねぇと、余計な喧嘩売り買いして、始末が面倒なことになるんだよ。つい最近だと、
感じたのだろう苦労を克明に表す顔に、井本も、いつの間にか二人の近くに歩み寄って来ていた直武も、同じような微笑を浮かべている。
「……何ですか、先生まで」
「私の教え子は、みんな大切なことを憶えていて感心だなぁって、そう思っただけだよ」
「一年間書かされ続けたことを忘れるほど、頭の出来は悪くないんで」
少しばかり
「上洛の先延ばし、ありがとうございました、先生。あいつのことは、ただの道具に成り下がらないよう育ててきたつもりですけど、まだ空っぽなところがあるんで……『灯火』も、見つけてないんですよ」
子の行く末を案じる親の顔で、独り言を
「うん。それは、彼女の目を見れば分かったよ。任せなさい、辻川君。私の残りの命にかけて、志乃君が『灯火』を見つけるのを手助けするから」
温厚ないつもの笑みが、頼れる色も持って老紳士の顔に浮かぶ。つられるようにして浮かんだ教え子の笑みを見てから、直武は先陣の方向へと目をやった。
「その前にまず、芳親と志乃君が仲良くなってくれるといいのだけど」
不安の言葉を、それ以上の期待に満ちた声で
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