直武と二人のお供

 中谷に見送られた直武は、滞在している宿場町の宿屋へ無事に到着していた。――後ろにずっと、影となった護衛を従えて。


「ご苦労様、紀定のりさだ。君のお陰で何事もなく往来できたよ」

「恐縮でございます」


 宿屋の前で声を掛けると、返事と共に護衛が姿を現す。

 産形うぶかた紀定という名の護衛は、二十歳ほどの涼しげな目元をした青年。手甲に袖を仕舞い、裁付袴たっつけばかまを穿いた身なりはいかにも身軽そうなものだ。


「すまないね。志乃君に会うためとはいえ、成り損ないの前を無防備に通過するなんて、肝を冷やしただろう」

「……はい。直武様も、私がいると察知しておられた花居殿も、あの程度に遅れを取らないとは分かっていましたが」

「さすがにそこまでは衰えていないよ」


 泊っている二階の部屋へ向かいながら、直武は苦笑交じりに言う。彼ら以外には宿泊客のいない宿屋は静まり返り、控えめな話し声も足音もよく聞こえた。


「怪談だと、こういう暗い廊下って、何か出るよね。花街の傍だから余計に出そうだ」

「そう、ですね」


 冗談に、紀定は少し硬い声音で答える。敵であるならば物の怪だろうと相手に出来る彼だが、背筋をじわじわと冷えさせてくる怪談は苦手という奇妙な欠点があった。

 勿論、何か出るということも無く、二人は泊っている部屋に戻って来た。ところが、直武がふすまを開けてみると。


「おやおや。これは」


 半透明の牡丹の花が、大量に咲き誇る様が目に飛び込んできた。

 薄暗い部屋の中、大小様々な牡丹が淡い光を放っている。花びらは一重から八重にまで重なるものまであり、色も紅白、桃、赤紫と鮮やかに咲いていた。妖しくも幻想的なその光景は、まるで人ならざるモノたちが棲む世界への入り口のようだったが。


「……あ、師匠、紀定。おかえり」


 当然ながらここは現世の宿屋である。それを証明するように、部屋の隅で、直武たちと旅路を共にする少年が、膝にあごを乗せて座っていた。普段は暗い牡丹色の瞳が、妙術を使ったせいで鮮やかな色に変わり、妖しく輝いている。


「芳親の牡丹か、驚いたなぁ。幽世に繋がった部屋でも開けてしまったかと思ったよ」

「……暇だった、から……やって、みた」


 どこか自慢げに答えると、境田芳親は空気を薙ぐように片腕を振る。動きに合わせるように、咲き誇っていた牡丹は片端から蕾を閉じて消えていった。同時に、彼の目も暗い色に戻る。


「……ところで、師匠。……紀定、固まってる、けど」

「え? あ、本当だ」


 隣を見てみると、確かに紀定が目を見開いて固まっている。どうやら、怪談が現実になったと思ってしまったらしい。


「紀定、紀定や。大丈夫かい?」

「……はっ! ……し、失礼、いたしました……」


 我に返ると、紀定は絞り出すような声で謝罪し、片手で顔を覆ってうつむいた。ちらりと見えている首筋や耳が、茹蛸ゆでだこのように真っ赤になっている。


「何、気にすることは無いさ。私だって驚いてしまったからね。さ、入ろう」


 微笑みながら促され、紀定は直武と共に部屋に入って座った。その近くに、芳親が正座に座り直して寄ってくる。


「さて。話してきた結果だけれど、当初の予定通りに動けるようになった。事前に言った通り、芳親には志乃君と共闘してもらう」

「うん、分かった」


 嬉しそうに即答する芳親は、ぼんやりとしている目を輝かせていた。まるで、新しい玩具を与えられた子どものように。


「紀定には、基本的に私の警護をしてもらうけれど、芳親たちに危機が迫った場合は、すぐさま助力に行きなさい」

「承知いたしました」


 先ほどの失態の羞恥から抜け出した紀定は、慇懃に答える。


「それと、物の怪討伐とは関係があまりなさそうだけど、別の動きをしている誰かがいるようなんだよね。紀定はおそらく、その姿を見たと思うけれど」

「はい。見たと言っても、外套と頭巾で詳細が分かりませんでしたが」

「僕……その人と、話、した、よ?」


 唐突な告白に、直武と紀定の目が見開かれた。芳親はきょとんとした顔を傾げて続ける。


「……紀定、みたいに……すごく、隠形おんぎょうが、上手かった、から……つい、引きとめちゃった。……それで、志乃のこと、知ってる、みたいだった、から……色々、質問、し合った」

「ちょっと待って。外に出たのかい、芳親?」

「うん」


 至って素直にうなずく芳親に、反省しているらしい色は一切ない。それどころか、反省すべきとすら思い至っていないらしい。


「……屋根の上で、月、眺めてた。……そしたら、誰か、来る……って、思って」

「私は『外に出ないように』と言ったと思うんだけど」

「うん。……でも、暇だった、し……花街に、行かせたくなかった、だけ、だろうな……って、思って。……花街に行って、志乃に、会ったら……喧嘩、仕掛けるかも、しれない、から」


 ゆっくりとしていても堂々と述べられた返答に、直武は苦い顔をした。しかし、意を読まれていたこともあって、苦いままながら笑みを浮かべる。


「花街に行かなかったことは、よしとしておこう。でも、外に出るなという指示を破ったことは見過ごせないな。それで、気にかかっていた人物から色々聞き出せたのだとしても、ね」

「……はい」


 無表情なのは変わらなかったが、芳親は少しばかりしゅんとした。その姿はどことなく、耳をぱたりと倒した犬のように見えなくもない。


「罰として、明日の食事は量を制限しなさい。いいね?」

「う……、……はい」


 芳親はいかにも渋々といった風に頷き、俯いてしまう。


「それじゃあ、何を聞き出したのか、教えてくれるかな」


 しかし話題が変われば、気を取り直して顔を上げた。


「……名前は、訊かなかった、けど……男の人。……出身は、翠森府すいしんふじゃなくて、隣接している、どこかの府、って、答えてくれた。……それから、誰かに仕えていて、ご子息が、僕と同じか、下くらいの年で……素直なのが好き、なんだって」


 後半の情報はいるのだろうか、と紀定が顔だけで言っていたが、芳親は気にしない。


「……あと、妖雛に、関する、知識は……ある、みたい。……だから、多分……志乃を、見に来たんだと、思う。……物の怪討伐、も……見る、みたい」

「ふむ。旧武家の関係者あたりが、一番ありえるかな。まあ、それだけでは絞れないけれど。翠森府に隣接する府は多いし、無論、旧武家も多いからね」


 即座につけた予測を述べて、直武は顎をさすった。

 かつて、各府同士やその中の地域間で起こっていた戦乱の中、現れた地方の武士の家系を旧武家と呼ぶ。人間同士での戦乱無き今は、領地内に強大な妖怪や物の怪が出現した際、守遣兵しゅけんへい人妖兵じんようへいに協力する戦力として数えられていた。


「……僕のこと、特異な奴だって、察してた、から……知識もあって、勘も良い人、だと思う」

「なるほど、それは確かに実力者だね。となると、〈特使〉のことを話すまでに至ってしまったかな?」

「うん。……常世から、戻ったって、こと……上手く、説明できなかった、から」

「耳慣れない言葉で、強引に『特殊な存在だ』と説明したんだね」


 再び苦笑する直武に、芳親は素直に頷いた。だが、紀定は少々顔をしかめている。


「直武様、よろしいのですか? 〈特使〉は公表されていない事柄ですが」

「ああ。〈特使〉に関する記録は少ないし、ほとんど洛都らくとにしか無いからね。私としては、全府に関連書物の捜索と収集を依頼したいくらいなのだけれど、遥か昔の記録が残っている可能性は、残念ながら低いんだよなぁ」


 残念そう、というよりは悲しそうな顔で、直武はため息をついた。


「……でも、師匠。〈特使〉が出る理由は、分かってる、でしょ? ……なら、あんまり、残念がること、無い、と思う」

「まあ、そうだけどね。でも、それにしたって史料が少なすぎるんだ。もしかしたら、不都合なことが隠されてしまっているのかもしれない。そうなると、お前や志乃君の身に危険が及ぶかもしれない可能性が出てくる。だからやっぱり、情報が欲しいんだ。私の命があるうちに」


 何気なく出たらしい最後の言葉に、紀定が凍りつく。彼の反応を見て、直武は悲しそうな顔のまま笑ったが、それだけだった。


「ところで、芳親。志乃君を観察していた男が仕えている家には、お前と同じくらいのご子息がいるんだったね。友人が増えるんじゃないのかな」

「……、……うん、そうかも。……親しく、なれるかも……って、言われたし」


 一瞬、紀定に視線を向けたものの、芳親は何事もなかったかのように返す。紀定は膝の上で手を握り締めていたが、ふっと力を緩め、静かに息を吐いた。


「翠森府に隣接している府のお方ならば、そう遠くないうちに、旅の道中で出会えるかもしれませんね」

「うん。……縁があったら、とも、言ってたし」

「既に繋がった縁だ。遅かれ早かれ、出会うことは変わらないよ、多分」

「多分、なんだ……」


 笑顔のまま付け足した直武に、芳親は少し残念そうな視線を向けた。けれど、窓の外に浮かぶ月を見ながら、「……ちょっと、楽しみ」とも呟いていた。

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