宿場町の邂逅

 夜蝶街やちょうがいの東は宿場町になっている。ここもまた、小規模ながら物の怪が現れるとあって、人が少なくなっていた。

 泊ったままなのは、腕に覚えがある者と、物の怪の出現によって得られるものを狙う者だけ。たまに物見遊山の変わり者、他所よそから視察に来た者も少し。いずれにせよ、まだ物の怪出現とはいかない今は就寝するか、花街に出て、成り損ないが落とすかもしれない珍品を探している。

 故に、宿場町にも静謐のとばりが落ちていたのだが、そんな中を駆け抜ける男が一人。

 外套と頭巾で姿を覆い隠した男は、足音一つ立てることなく、屋根を伝って走っていく。眠る宿場町の静寂を密かに裂き、動いているのは彼だけと思われた。


「――っ!?」


 ところが、行く先に突如として、巨大な牡丹ぼたんの花が咲き誇る。咄嗟とっさに後退し、屋根から地面へ軽やかに降り立つが、瞬く間に咲いた牡丹に囲まれてしまった。

 鮮やかながら半透明の牡丹は、一目で呪術によって作られたものと分かる。しかし、牡丹の形状で用いられる呪術など、男は見たことがなかった。単なる妨害のためだけの呪術なのか、攻撃に転用することもできる呪術なのかまでは分からず、動けない。


「……こんばんは」


 そのまま静止していると、声が掛けられた。静かで落ち着いた、若い男の声。

 声の持ち主は前方から、わずかな足音を立てて歩いて来る。声の通り若い男――犬をかたどった面で顔の上半分を覆っているため、確かなことは言えないが、青年に近い少年のようだった。

 少年は面を付けていることに加え、長めの前髪を垂らして顔の上半分を隠しているが、その隙間から鮮やかな牡丹色の瞳がのぞいている。それ以外は小袖に袴と普通の格好だが、只人ただびとではないかのような、不思議な雰囲気を漂わせていた。


「……ごめんね、邪魔して。ちょっと……貴方と話、してみたかった」


 ゆったりとして独特、幼い気配の口調もまた、彼の不思議さに拍車をかける。男は警戒を完全に解きはしなかったが、いったん肩の力を抜いた。


「……ありがとう」


 お礼と共に、少年はすっと片手を上げ、滑らかな動作で指を握り込む。すると、咲き誇っていた牡丹は花びらを折り畳むように閉じてつぼみになり、消え失せた。


「……貴殿は呪術、否、妙術の使い手か」

「うん。……僕、妖雛ようすうだからね」


 小首を傾げた少年が、口に弧を描く。それに合わせるように、瞳があやしい光を灯した。

 垣間見える妖怪の側面に、男の背筋は氷で撫でられているかのような感覚を訴える。奇しくも、彼が今日その感覚を味わうのは二回目だった。思えば、その感覚を味わわせた存在と、いま目の前にいる少年は背丈がほとんど同じに見える。


「貴殿ら妖雛は、笑みが不気味という共通点があるのか? 思わず逃げてしまいそうになる」

「……『夜蝶の志乃』に、会ったの?」


 笑みを引っ込め、少年は反対側へ首を傾げた。彼もまた、自分以外の妖雛のことを把握しているらしい。


「ああ。ただ観察しただけだが、恐らく気付いていただろうな。後から来た者にも気付かれるくらいだったのだから」

「……。……貴方に、質問すること、増えた。そんなに、足、止めるつもり……なかった、けど」

「いや、拙者も貴殿に訊きたいことがある故、お気になさるな」

「そう。……じゃあ、名乗って、おく、ね。……僕の名前は、境田さかいだ芳親よしちか。職業は人妖兵じんようへい。よろしく」


 あっさりと名を明かした少年に、男は面くらった。彼の中では特に隠すような事柄ではなかったのかもしれないが、それにしても不用心すぎる。


「先に、質問。……いい?」

「拙者の名を訊くつもりはござらんか」

「うん。……格好からして、名乗れない、だろうし。……答えた、としても、偽名でしょ?」

「その通り。許せ」

「……許す、よ?」


 当然のように見透かしたかと思えば、何でわざわざ、と言いたげな顔も見せる芳親。口調だけでなく素振りからも窺える純朴さに、男は一瞬だけ、警戒を緩めてくすりと笑った。


「……じゃあ、質問。二つ、するね。……一つ。貴方は、どこから、来た人? ……一つ。志乃は、どんな子?」


 示すように立てていた二本指を一本ずつ折り、端的に投げられる問い。男は再び笑みを浮かべたが、先ほどとは違って苦い色をしている。


「名を訊くつもりは無いのに、出身は訊くのか」

「……別に、答えなくても、いい。……ただ、貴方は実力者、だから。上洛すれば、偉くなれる、と思う。……そんな人、どこに、いるんだろう……って思って」


 本当に純粋な疑問らしく、説明している間の芳親は普通の人間、それどころか幼い子どものようだった。出会った時から感じられたことだが、これが彼の素なのだろう。

 察した男は、少しながら気を変えた。


翠森府すいしんふと隣接している府、とだけ答えておこう」

「……いいの?」

「それだけでは絞れまい。答えていないのと同じだ」


 きょとんとしていた芳親だが、嬉しそうに微笑んで「ありがとう」と礼を言った。

 確かに、ここ翠森府は、緑峰府りょくほうふ橙路府とうじふ碧原府へきげんふ藍山府あいざんふと、四つの府と隣接している。どの府かも分からないのに、夜蝶街を含む妙後郡たえごぐんのような、細かな地域にまで絞ることは不可能だ。


「もう一つの『夜蝶の志乃』のことは……外見を答えればいいのか? それとも力量か?」

「……外見」

「外見ならば、まるで少年のようだった。男物の着物に袴を、男の着付けで身に着けてもいた。声を聞かなければ、一目で少女とは判じられないだろうな」


 想像と違ったのか、芳親はわずかに目を見開く。


「……花居って……可愛くて、綺麗な、名字、なのに?」

「ああ。そこに少し驚くのは同感だ。……さて、他に質問は?」

「無い。……ちゃんと、二つ、って言った」

「それでは、こちらの質問をさせていただこう」


 男は芳親の目を見据える。暗い色になっているが、常人と違う牡丹色の瞳は、森の陰を想起させるものだった。自分たちの身近にありながら、ふと見ると、人間など容易く呑み込んでしまいそうな深さを持つ陰を。


「貴殿は、何者だ?」

「……境田芳親。四大武家の」

「そういうことではない。貴殿は、妖雛の中でも特異な存在なのではないのか?」

「……あー、そっちか。……勘も、良いんだね」


 感心したように言ったのち、どう説明しようかと思案するように、芳親の視線がさ迷う。その動きもまた、口調と同じようにゆっくりだった。


「……えーっと、ね。特異なのは、合ってる。……僕が行ったのは、幽世かくりよじゃなくて、常世とこよだから」

「何?」


 漠然とではあるものの、芳親が特異な存在だと察知していた男だったが、予想外の言葉に眉をひそめた。

 妖雛は七歳までの期間、妖怪の世界である幽世に、一年以上滞在した人間がなるもの。しかし、芳親は妖怪の世界である幽世ではなく、神仙の世界である常世に行ったと言う。

 幽世はふとした拍子に迷い込んだり、妖怪に連れ去られたりといった要因で足を踏み入れられる世界だが、常世は人間が決して行くことのできない世界である。常世の住人も現世へは現れないため、大昔ならともかく、現在では接点が生まれることは決してないはずの場所なのだ。


「……うーん。……何を、どこから、説明したら、いいのか……分からない。……師匠、なら……ちゃんと、説明してくれる、けど」

「それだけ特殊な例の妖雛、ということか」


 汲み取るような言葉に、芳親はこくこくと頷いた。


「そう。……〈常日とこひの特使〉が出るのは……神代の、終わり……以来、らしい、から」

「〈常日の特使〉? 貴殿のことか?」


 聞いたことのない名称に、男は思わず、少しではあるが前のめりになっていた。


「うん。……〈特使〉は、情報、少ないから……謎ばっかり、みたい。……志乃は、〈幽月かくりつきの特使〉だから……どんな子、なのか、気になってた」

「〈特使〉とやらは聞いたことがないが……常日と幽月というのは、常日神とこひのかみ幽月神かくりつきのかみのことか、三龍神さんりゅうしんの」

「そうそう」


 芳親の顔に笑みが浮かぶ。教え子が答えを見つけたことを、嬉しく思っているかのように。

 三龍神とは常世と幽世、そしてここ、人間の世界である現世をつかさどる、三柱の龍神のことを言う。常日神は常世を、幽月神は幽世を司り、守護する女神と男神だ。現世はこの二柱の弟にあたる神、現龍神うつしたつのかみが司っている。


「……特異、ではある、けど。……僕は、人間と、妖怪、その中間にいる、妖雛。……それは、確か」

「常世にいたのならば、神仙の類になるのではないのか?」


 その問いには、首が横に振られる。今までの動作と同じくゆったりと。


「……僕は、修行、したわけじゃ、なくて……単に、拾われた、だけの、人間。……妖雛と同じ、で……人間の、世界じゃない、場所に、長く居た、から……大きく、変容した、ってだけ」

「そうか。……ただ拾われただけ、というのが、何とも怪しく聞こえてしまうが」

「あー……僕を、拾った方、曰く。……誰でも、よかった、みたい」

「特使という名称の割に、随分と緩い選別だな」

「うん」


 即座に頷かれ、男は思わず肩を震わせて笑った。


「素直なことだ。……芳親殿、年はおいくつか」

「……十八、だけど……何で?」

「拙者が仕える御方のご子息と、親しくなれるかもしれぬと思っただけだ。素直な者を好まれる方ゆえ」


 答えるなり、男は屋根の道へ飛び上がる。芳親は目で追うだけで、もう阻む素振りを見せなかった。


「では、拙者はこれにて失礼いたす。まだ留まりはするが……ご縁があればまた会おうぞ、芳親殿」

「……うん、またね」


 再び夜闇に隠れて駆け去っていく男を、芳親はひらひらと手を振って見送った。

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