客人と提案

 第一屯所は華蝶館かちょうかんの裏側にある。五階建ての高楼である華蝶館とは違い、どっしりとした三階建てで縦横共に広く、年季が入った武家屋敷のような建物だ。団員の住居も兼ねており、志乃もここに住んでいる。


「さ、到着しました。ここが第一屯所兼白灯堂はくとうどうです」

「ほう、立派な建物だ。ところで、ここの提灯は白なんだね」


 門前に吊るされた大きな二つの提灯は、どちらも白い光を放っている。「一」と書かれたそれは、確かに街の提灯では唯一の白だった。


「何でも、景観を損なわず、一目で見回り番だと分かってもらうための工夫だそうで。ちなみに、白灯堂は医療施設なのですが、その名前も白提灯が由来なのですよ」

「なるほど。町医者も兼ねているんだね」


 二人は前庭を通り、広い玄関に入る。ほとんどの団員が出払っているせいで、土間はがらんとしているはずだったのだが。


「あれ?」


 志乃の視界に、見覚えがある草履と無い草履の二組が入って来る。どうやら先客が来ているらしい。


「申し訳ありません、麗部うらべ殿。どうやら他にもお客さんがいらっしゃっているようです。客間でお待ちいただいても構いませんか」

「もちろん。事前に訪問すると言ったわけではないから、そうなるのも仕方がないよ」


 快諾して笑う直武を客間に案内したのち、志乃は屋敷の最奥、見回り番の長の部屋へと向かった。

 奥の方へ行けば行くほど、空気は静謐さを増して重くなっていく。若い団員はこの中を緊張しながら進むのだが、志乃は暢気な笑みを浮かべたままだ。辻川の部屋の前、勇猛なたかが描かれたふすまの前に正座しても、彼女の笑みは消える気配すら見せない。


「大変失礼いたします、親方。花居志乃、ご報告に参りました」

「……入れ」


 客人と交わしたらしい短い応答の後、重みのある男の声が返される。威圧感のある声にも臆さず、志乃は襖を丁寧に開けて頭を下げ、執務室に入った。

 部屋には掛け軸が掛けられた床の間と、違い棚を背に文机が置かれ、その正面に長机が縦向きで置かれている。部屋の主は長机の方におり、来客らしき人物と向かい合っていた。


「お前が報告なんて珍しいな。どうした、志乃」


 両頬の古傷が目立つ、厳格な顔をした三十代ほどの男。この男が見回り番の長、辻川つじかわ忠彦ただひこだった。彼の斜め後方には、冷淡そうな雰囲気を放つ若い男、中谷なかたに健光たけみつが座っている。


「先ほど、お客様をお連れいたしましたので、それをお伝えしに参りましたぁ。今は客間でお待ちいただいております」

「客? 訪問の予定があるのは井本いのもとだけだが」


 辻川の向かいに座る先客、井本輝幸てるゆきも不思議そうに志乃を振り返っている。鉄色の小袖に煤竹色すすたけいろはかまを着た彼も三十代ほどだが、辻川より親しみのある顔をしていた。


「お客様は、訪問を事前に伝えていないとのことでした。街に来たばかりのうえ、次の日には守遣兵しゅけんへい到着後の警戒態勢が敷かれてしまい、思うように動けなかったそうです」

「……何か覚えあるな、これ。井本、確か先生って」

「あー、うん。そろそろ、この辺りに来てるかも」


 井本と一度顔を合わせ、辻川は再び志乃を見た。何故か、どことなく嫌そうな顔で。


「その客人の名前、聞いたか?」

「はい。麗部直武という御方です」


 答えた途端、辻川はひたいに片手を当てて目も覆い、井本は「あちゃー」と言わんばかりの苦笑を浮かべる。

 どうやら、二人は直武のことを知っているらしい。


「……ちょっと、席を外す。中谷、井本の相手頼んだ」

「お任せを」

「志乃、客間に案内してくれ」

「分かりましたぁ」


 緩い調子の言葉に、鋭く冷たい視線が突き刺さる。志乃はびくりと肩を震わせると、その視線から逃げるように歩き出した。


「……毎度のことだけど。お前、中谷に怒られるのが嫌なら気ぃ引き締めてろよ」


 呆れ一色の指摘に、「うぐ」と志乃は小さなうめきを上げた。


「ですが、その……俺の苦手分野ですので」

「ははは、告げ口してやろー」

「やめてくださいお願いします。中谷の兄貴の説教は嫌です」


 青くした笑顔を引きつらせ、早口で言いながら、志乃は辻川を揺さぶる。頭が上がらない中谷の説教こそ、暢気な彼女が唯一恐れるもの。だが気を取り直すのも早く、志乃は辻川を先導し、直武を待たせている客間に戻って来た。


「こちらです」

「ん」


 短く答えると、辻川は何の挨拶もなく襖を開け放った。しかも勢いよく、スパーンと良い音を立てて。突然の暴挙に唖然あぜんとして固まる志乃とは反対に、部屋からは「おやおや」と穏やかな声が返ってきた。


「久しぶりだね、辻川君。元気に」


 バシンッ。

 開けた時と変わらない勢いで襖が閉められ、声が途切れる。無言かつ無表情で行われた無礼に、さすがの志乃も我に返って狼狽ろうばいした。


「あ、あの、親方。何故そのようなことを」

「ちょっと頭が理解を拒否しただけだ」


 真面目な、というよりは少し憮然ぶぜんとした顔で言うと、今度は丁寧に襖が開けられる。「元気にしていたかい?」と、途中で切られた言葉が流れてきた。


「お久しぶりです、先生。まさかお越しになるとは思ってませんでした」

「あれ。私が旅をしていること、知らなかった?」

「井本から聞いていましたけど、今この時に、夜蝶街にいらっしゃってるとは思ってなかったんです」


 滅多に聞けない辻川の敬語に、志乃は目を見開く。服装や雰囲気から若干察せてはいたが、直武は身分が高い人らしい。


「井本も今いるので、どうぞ執務室にいらしてください」

「あの草履は井本君のものだったのか。となると、派遣されてきたのは井本君の部隊なんだね」


 辻川の隣に並びながら、親しげに話す直武。二人の様子に志乃は小首を傾げつつ、目を瞬かせた。


「親方と麗部殿は、どういったご関係なのですか?」

「あー、それは置いといてくれ。とりあえず知り合いってことで」

「了解です」

「……何で後ろに回る。任務は」


 にこにこしながら、ついてくる気満々な素振りを見せる志乃に、胡乱な目が向けられる。中谷にそんな目を向けられたら怯えていたが、彼よりあまり人相がよろしくない辻川は平気というのが、志乃の奇妙なところだった。


「ああ、私が彼女に話があるんだよ」

「先生が、ですか? ……分かりました。じゃ、行きましょう」


 目を見開いたものの、辻川はすぐにいつもの表情を取り戻して歩き出した。

 執務室に戻ると、直武は井本とも挨拶を交わして彼の隣に座った。志乃は辻川の斜め後ろで、中谷と同じように控える。


「さて。じゃあ初めから話そうか。先生と志乃さんもいることだし」

「すまないね。お願いするよ、井本君」


 無言ながら、志乃も軽くお辞儀をした。井本は笑みを返して、机上に地図を広げる。


「三日前、夜蝶街やちょうがいに〈物の怪〉が出現すると予測。二日前には〈成り損ない〉の出現が確認されたため、同時に正確な日時の測定が開始、並行して我々が派遣されました」


 ――〈物の怪〉。それは、人間に災禍をもたらす異形の化物の名称である。

 千年近く前から存在が確認されているそれらは、もたらす災禍の大きさによって大中小、そして極大に分類されている。物の怪を討伐するために存在するのが井本たち、〈守遣兵しゅけんへい〉と呼ばれる兵たちだった。

 物の怪が現れる際には、〈成り損ない〉も現れる。姿かたちを持てないような弱い妖怪や霊体が、漏れ出た物の怪の力を取り込み、しかし御せずに暴走したものだ。動物や人間を襲うと、現れる物の怪の力も増幅させるという厄介な存在のため、早急な排除が必要となる。


「測定の結果、規模は小、出現日時は卯月五日、つまり明日の夜。出現場所は街の南方にある平原と判明。そのため、明日に備えた諸々の確認を行っていました」

「その確認内容についても、教えて貰って良いかな」

「はい。まず、我々守遣兵は夜蝶街の真正面にある山裾やますそに本陣を構え、物の怪の行動範囲を狭めるのと同時に、夜蝶街への進出を防ぎます。討伐には見回り番の協力を仰ぎ、街中に湧く成り損ないの排除と、物の怪そのものへの攻撃を行うことが決定しました」

「……物の怪への攻撃には、見回り番の花居志乃が協力します」


 終わるかと思われた言葉に、辻川が静かな声で付け足した。言葉の内容に、直武も真剣な顔になる。


「ではやはり、志乃君は〈妖雛ようすう〉なんだね」

「ええ、その通りです」


 が、空気に反して、志乃は暢気な笑みを浮かべていた。

 妖雛とは、人間でありながら、妖怪としての面も併せ持つ存在。人外由来の身体能力や、打撃に対する異常な頑丈さ、高い回復能力を持ち、人間で使える者はほとんどいない高度な呪術、〈妙術みょうじゅつ〉を扱うことができる。そのため、強大な妖怪や物の怪への対抗手段と見なされていた。


「では、今回の討伐が終わったら、志乃君は上洛じょうらくするということになるのかな」

「そうですねぇ。俺は今年で十七になりましたから、丁度いいということで」


 極めて希少な妖雛は必ず徴兵されるため、彩鱗国いろこのくにの首都、黄都府こうとふ箱城郡はこしろぐん洛都らくとに行くこととなる。そして、守遣兵と並ぶ〈人妖兵じんようへい〉として、物の怪の討伐に駆り出されるのだ。物の怪が現れた千年以上も前から、それはずっと変わらない。


「俺含む身内一同は、良いと思ってませんけどね。あんなところに行くくらいなら、ここにいる方がずっとマシですよ」


 強くは無いが、拒絶の意が明らかな声で辻川が言う。彼の言葉に否定は返って来なかった。井本も直武も、寂しげに笑むだけ。


「私は、そんな辻川君に提案をしに来たんだ。志乃君にもそうすることになるのだけれど」

「それが、俺への御用ですか」

「うん。志乃君には、上洛する前に、私の旅に同行してほしい。私を含めて、男三人との旅だけれどね」


 予想外の提案に、それまで静かに控えていた中谷ですら目を見開いていた。他の三人も言わずもがなの中で、直武だけが穏やかな表情をしている。


「建前は、私の旅は妖雛を育てる任務のために行っているものだから。本音は、君たちの力になりたいからというのと、私の望みが半々というところ」


 困ったような色を帯びる直武の笑み。どこか自嘲めいた色も混じっているように思われる笑みは、彼自身へ向けられたものらしい。


「妖雛が人妖兵になるという将来を、変えることは出来ない。でも、その将来が訪れる前に何をするかは自由だ。その自由の期間を少しでも伸ばして、学べるものがあるのならば学ばせてあげたい。それが私の望みだ」

「……なるほど。先生のお考えは分かりました」


 返された辻川の声は、どこか安堵したかのような音をしている。彼は顔だけを後ろに向け、志乃を呼んだ。


「志乃。麗部先生と過ごして損をすることは無い。先生が学ばせてくれるって言うんなら、旅に同行するべきだ」

「左様ですか。では、同行いたします」


 変わらぬ笑顔に軽い調子で、志乃は提案を呑み込んでしまった。途端、辻川の表情が呆れたものになる。


「まあ、お前のことだからそう言うだろうとは思ってたけどよ。身内が言ったからそうする以外にも、何か理由見つけろや」

「ううむ、そう言われましても。あ、麗部殿が優しそうだったから、というのはどうでしょうか」

だまされる奴の常套句じょうとうくじゃねぇか。ったく本当にお前は……先生、こんなんでも任せて構いませんかね」

「もちろん。度合いで言うなら君の方が大変だったし」


 爽やかな笑顔でさらりと言う直武に、辻川はしかつらで閉口した。苦労をかけたという自覚があるせいで、返す言葉が無い、という顔をしている。


「さて。引き留めて申し訳なかったね、志乃君。君に話すことは、これでおしまいだ」

「それでは、今度こそ俺は任務に戻らないとですねぇ。よろしいでしょうか、親方」

「ああ」


 短い応答に笑みを返すと、志乃は立ち上がってから一同に礼をして、退室しようとした。


「――志乃」


 が、静かながら重みのある声に呼び止められる。びしっと背筋を固めて足を止め、志乃はび付いたかのような動きをしながら、声の出所たる中谷を振り返った。


「な、何でしょうか、兄貴」


 笑みを引きつらせ、恐る恐る問いかける。志乃は経験上知っている。中谷の前で何かし終えた後に、静かなだけでなく重みを感じる声で呼ばれたら、恐ろしい説教が待っていると。


「俺の部屋で待機していろ」


 瞬き一つしない鋭利な目で見られ、そう言われてしまえば説教確定、逃げられない。


「……はい」


 震える一歩手前のか細い声で返事をすると、志乃はぎりぎりと前に向き直り、ぎこちない動きで退出した。その動きのまま玄関の近くへ戻って来ると、上階へ続く階段の前で立ち止まる。


「……あぁ……」


 行く先を見上げ、いつもの暢気さからはかけ離れた、情けないため息をつく。説教があると分かっているときほど、中谷の部屋への道は地獄へ通じる道になるのだ。

 が、ここで逃げたら説教が倍になり、さらなる地獄が待つだけである。志乃は重い足取りで、地獄への階段を上がっていった。

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