結構滑稽な性別迷子日記(不定期)

ヤマナシ

性別が迷子の子羊に救いの手を.....(割とマジでほしい)

私の性自認はQuestioning(クエスチョニング)である。


 多分。


 というのも自分自身の性自認は変動しうる。

そして戸籍に載っている性別だと思える日が来ると思いたいからだ。そんな日はきっと来ないだろうけれど。


 クエスチョニングとは、自分の性自認や性的指向を探している・定まっていない・定めていない状態のことを指す。私は男女の性別の分け方を理解していない。身体的に男女に違いがあることはわかっている。しかし、精神の男女がわからないのだ。体が男性あるいは女性である人はなぜ自分は精神的にも同じ性別であると考える人が多いのか?ずっとわからない。


 自分の体が第二次性徴を経てそれらしくはなったものの男性だとも女性だとも感じられなかった。何をもって自分の性別を認識しているのかと疑問に思って人に聞いても、検索しても身体的な違いは出てくるものの、自分の望む性自認をいかにして認識しているのかということは理解できなかった。この世の中、自分を男性だとか女性だとか考える人たちが圧倒的に多い。そんな中で自分は胸を張って言えるくらいマイノリティである。日々、私は少しずつそのことで消耗していくけれど全く段差に気づかないで通り抜けられるヒト達が多いということなのだ。だから私は自分自身の性別を戸籍に載っている性別だと何も考えずに言える側になりたいと考えてしまうのだ。


 多数派であるということは圧倒的に社会で生きていくのが楽だということである。それは楽だとさえ気づかないちょっとしたことである。


 例えば、一番わかりやすいのは性別の欄。男女二元論に基づいている場合、毎回大ウソつきにでもなった気分である。初っ端からこの仕打ち。地味に心に来る。自分のペースなんてなかったんや....


 例えば、特定の性別の企画もそうだ。本イベントは男性or女性のみの女性or男性禁制!!のようなうたい文句で募集がかけられるライブ。大いに悩む。どっちに行っても場違い!!!どうしろっちゅうねん。これは判断が分かれるところだが、私の場合はあきらめることが多い。私なんておよびじゃないのよ、とまで落ち込むことは少ないけれど企画中何度もその性別で呼びかけられたりすることはわかっているからだ。たまに参加して後悔するのだ。


 もちろん創作物だってそうだ。映画・ドラマ・マンガ.....全く深く考えて傷つけようなんて言う意図はないだろうけれど。異性同士で体の性別と心の性別が一致した人物Aが体と心の性別が一致した人物Bと恋したりなんやかんや......性別をきちんと持っているキャラクターばかりでなんかこんな奴が見てスマンなと思う。思い切り楽しめていないのがもったいないのだ。現実でもそういうのばっかりだよね。性別もちがいっぱいいる中に気持ち悪い奴が入り込んですいませんこれでも必死に考えているんです。という感じ。なるべく気にしないようにして見ているんですけどね.....






 なんでみんな当たり前のように性別わかっているんでしょうね。いつも取り残されたような気持になります。



(最近ようやく何も気にしないで見られるドラマを初めて見つけてちょっと泣きました。こんなに気持ちがとらわれることなく自由に見られるなんてサイコウです。逆に言えば多くの人たちはこの気分を当たり前のものとして享受していることになり.....だから戸籍と同じ性別だと自覚したいんだよ!!!となった。)ぴえん。

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