第2話


 女神様が光の粒子となって消えて行った直後、世界は再び時が流れ始める。まるで白昼夢でも見ていたかのようなふわふわとした気持であったが、それは一瞬で世界へと引き戻された。


「死ねやこらぁ!」

「ぶへ!」


 何があったのか、一瞬理解が出来なかった。現象に脳が追いついた時には、俺の顔面に激痛が走り、俺の体は宙を舞った。まるでマンガのようにひゅるひゅると回転しながら後方に吹き飛び、体は床へと叩きつけられた。


 本日の顔面パンチは二発目だ。しかも、女神様にグーパンを頂いたのとは逆の頬に一撃を叩きこまれたようで、俺の顔面はパンパン。尋常ではないほどの痛みが顔面を襲っている。


 あまりの痛みで、思考がまとまらない。俺はさっきまで女神像の前に立っていた。痛い。気が付いたら顔面パンチを喰らい吹き飛んだ。痛い。結構な距離を吹き飛ばされ、俺は天井を仰ぎ見ている。痛い。知らない、天井だ。っていうかマジで痛いんですけど!


「生きてますか? 死にましたか? もしかして、転職しちゃいました?」


 この美少女は、いきなり俺に跨って何を言っているんだろうか?これも夢か?めっちゃ痛いけど、転職も含めて夢展開なのか?


 俺の服の襟を掴んで俺の体をぐわんぐわんと揺すっている少女の胸が、めっちゃ揺れていた。夢なら、ちょっとくらい触っても良いのではないか?そう思って、俺は彼女の胸に手を伸ばした。ふにゅんという柔らかさが、両手いっぱいに広がって来る。これがエデンか。


「な、なな、何してくれるんですかぁ!」


 俺の腹部に、強烈な一撃が撃ち込まれる。その衝撃は、俺を伝って床まで届き、ミシリという嫌な音が背中から聞こえてきた。少女はさらにもう一撃を放つ体制に移る。俺は必死に言葉を探し出し、何とか口にする。


「い、いのち、だいじ、に」

「え? あ! す、すいません」


 どうやら俺の状態に気が付いた少女は、拳を修めてくれた。俺の体力はすでに赤ゲージ消失寸前。瀕死状態である。


 そこで、自分の視界の上方に、何かが表示されていることに気が付いた。


『7/230』


 これ、体力ゲージなのか?もしそうだとしたら、今の俺の状態を正確に示していると思う。


死ぬわ!てかすでに瀕死ですわ。救急車案件ですわ!誰か、助けて下さい!


 そんな思いを抱きながら、俺の意識は薄れていった。




「いきなり殴りつけるとは随分な扱いだな?」

「ごめんなさい。ふっ飛ばせば間に合うかと思って」


 カチャカチャと陶器が当たる音。コーヒーの香ばしい香り。そして、これは誰かが話している声だろうか?一人は先ほどの少女のようだが、もう一人は男性の声?


 どうやら俺のことを話し合っているらしい。教会に足を踏み入れてから今まで、全く状況がつかめていないので、ここらで情報を収集しよう。目を閉じたまま、耳を澄ませて話し声に集中する。



「それで? 転職の儀は終わってしまったのか?」

「えっと、まだ話をちゃんと聞けてなくて」

「ほう。話を聞けていないのにぶん殴って殺しかけたのか?」

「一発目は、ぶっ飛ばせば間に合うと思ったから仕方なく」

「腹に見舞った二発目は?」

「いきなり胸を触られたから、ぶっ殺してやろうと思って……」


『ズドン』


 俺がぶっ飛んだ時と同じような音がしたんですけど。ってか、地面揺れたって何事ですか?


 恐る恐る、薄目を開けて震源地に目をやると、先ほどの少女が頭を抱えてうずくまっているのがわかった。わかったが、わからない。さっきの揺れの原因って、ゲンコツが落ちただけなの?


「そんなわけあるか! まったく、もう少し女神スフィアに使える者としての自覚を持て」


 その女神様もお嬢さんと同じグーパン放ちましたけどね。


 さて、状況は依然として混沌としている。教会のこと。女神様のこと。そして転職。こっそり状況観察をしているだけでは、現状以上の情報は得られない。そういう時は誰かに聞くのが一番だ。


 でもなぁ。おそらく状況を教えてくれそうなの、どう考えてもまともじゃない。出会い頭に瀕死直前まで追い詰めるほどの正拳を繰り出すシスターと、そのシスターにゲンコツを落としている誰か。声をかけた瞬間に殺されたりはしないだろうか?


 しかし、これ以上状況が変化することはないし、どのみちこの部屋の出口には二人がいる以上、逃げることはできない。意を決して、話しかけねば!


「あ、あのう」


 震える声で話しかけるとは、情けない限りではあるが、どうにか体を起こして二人のほうに顔を向ける。そこには、先ほどの凶悪シスターと、高身長白髪のロマンスグレーな紳士が立っていた。


「おお、目が覚めたか」


 紳士はにっこりと笑うと、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。


「先ほどは孫が大変失礼なことをした。ワシはこの教会の神父、笠間百夜かさまびゃくやという」


 胸に手を当てて軽く頭を下げる笠間神父は、まさに紳士といった感じだ。俺もどうにか立ち上がって自己紹介をする。


「えっと、アタシはこの教会のシスターで、笠間十六夜かさまいざやって言います。よろしくお願いします」


 そう言って深々と、笠間十六夜は頭を下げた。こうやって改めて見ると、彼女は物凄く可愛かった。幼さが残るが、目鼻立ちの整った顔立ち。栗色のふわりとした柔らかそうな髪。それを左側で一つにまとめられたぴょこんとしたサイドテール。小学生かと思うほどの低身長に対して、胸はなかなかの大きさだ。実際、なかなかの柔らかさだった。身長と胸のアンバランスさのせいで、今一年齢が把握できない。


「あいさつはこの辺りにして、話を聞かせてもらおう」


 笠間神父に促されてソファーに座ると、ティーカップにコーヒーを注がれる。


「どうにも紅茶は苦手でね。一応豆から挽いたものだ」


 渋いおじさまだ。コーヒーの香りを楽しみながら、一口啜るとその香りは口いっぱいに広がる。今日終業式が終わってから、やっと人心地つけたような気がした。


「それで、和泉君。孫が大変失礼したのだが、こちらも状況を整理させていただきたい。こちらの杞憂であれば良いのだが、先ほど礼拝堂で何があったのかを教えてもらえないだろうか」


 そう言われては、こちらも説明しないわけにもいかず、先ほどの女神様の事、転職の事、顔面正拳突きの事を話していく。



「はぁ。やはりそうであったか。どうやらキミは、転職をしてしまったようだね」

「転職、した?」

「そう。この教会は、転職の教会。願ったものに新たな職業を与える教会なんだ」

「剣士とか、魔導士とかいうやつのことですか?」

「そうだ。本来であれば、十分な説明を行った後、本人の意思を確認して行われる儀式なのだが……」


 確かにあのバグ女神様の説明だけでは何一つわからなかった。世はインフォームドコンセントに厳しいというのに。


「キミのように間違って転職を行ってしまう人間がいない様に、教会には幾重にも結界が施され、物理的にもしっかりと施錠がされていたはずなのだが……」

「え? 門も玄関も、フルオープンでウェルカム状態でしたけど?」


 俺の言葉に、笠間神父が十六夜のほうを向くと、彼女はものすごい勢いで明後日のほうを向いてしまう。


「十六夜、何か心当たりがあるのか?」

「な、なぁんにも、な、ないよ?」

「おじいちゃん怒らないから、言ってみなさい?」


 満面の笑みでこめかみに青筋が立っている笠間神父と、同じく満面の笑みで冷や汗をだらだら流している十六夜。満面の笑みって、どういう状況で使う言葉だかわからなくなりそうだ。


「買い物の帰り道でトイレに行きたくなって、慌てて帰ってきたから、門と玄関の施錠している暇がなくて。トイレを済ませて施錠しようとしたら、そちらの和泉さんが、礼拝堂にいた、みたいな、感じ、で、す」


『ゴッツン!』


今度は多少手加減されたようなゲンコツが落ちる。地面が少し揺れたくらいだから、大分マシだよね。


「こんのばかもんが!」

「怒らないって言ったのに~!」

「あれほど入り口の施錠はしっかりしろと言っただろうが!」

「だって限界ギリギリだったんだもん! じいさまと違って庭先で済ませることだってできないんだから!」

「だったらそこら辺のスーパーでもコンビニでも、トイレを借りれば良かっただろうが!」

「あ……」


 どうやら俺は、笠間十六夜がトイレを我慢できなかったがために、転職ができたようです。


 人生って、本当に何があるかわからないものだね。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る