2 一意攻苦

「初公演まで、ついに一ヶ月を切りました! 残念ながら本日は少人数での稽古となりますが、今後は可能なかぎり全員集合してもらい、最終日には司会進行までふくめた総ざらいを予定しております! 本日はまた『イツカイザー』と怪人の対決シーンを中心に、頑張っていきましょう!」


 オノディさんの声が、夜の体育館に響きわたる。

 その言葉通り、本日集まったのは先々週までのいつものメンバーのみだった。

 すなわち、カントク、ヤギさん、オノディさん、サクラさん、金子さん、そして僕の六名のみだ。

 土曜日の一件がなければ、きっと黒川もこの場に参上していただろう。そんな風に考えると、また胸が重くなってしまう。


 だけど今は、稽古に集中しよう。

 そして稽古の後に、カントクかオノディさんあたりに黒川の連絡先を教えてもらおう。

 たとえ許されないとしても、彼女にはきちんと謝らなくてはならなかった。


「いやぁ……それにしても、素晴らしい出来栄えですな」


 チーズにありついたネズミのような顔で、オノディさんが笑っている。

 本日は、第二の怪人『カミキリゲノム』のお披露目日でもあったのだ。


「金子くん。着心地のほうは、いかがですかね?」


「最高です。これなら、いくらでも動けますね」


 金子さんも嬉しそうに答えながら、さっきから虚空にキックやパンチを繰り出している。

 小山のような巨体で、足が短く、両腕は二メートルもの長さをもつ触手、という人間離れしたフォルムをもつ『ケムゲノム』と違い、『カミキリゲノム』はずいぶん人間らしい形状をしていた。

 と言っても、それはもちろんフォルムだけの話で、デザイン自体は相変わらずの不気味さである。


 巨大な触覚と、巨大な複眼、そして巨大な牙と顎をもつ、巨大昆虫の頭部。全身に甲冑のようなプロテクターをまとっており、基本的な配色はブラックとオレンジ。武器は、両手の甲からのびた二十センチぐらいの鉤爪。桜の木を荒らす「ルリカミキリ」とかいう種類をモチーフにしているらしい。

 それでもって、その着ぐるみをまとっているのは筋骨隆々たる金子さんなので、『ケムゲノム』とはまた違った迫力がある。なんだか、むちゃくちゃ強そうだ。


「……金子さん。右手の平にスイッチがあるのわかりますか? ちょっとそれを押してみてください」


 と、サクラさんに呼びかけられて、『カミキリゲノム』はけげんそうに巨大な頭をかしげる。


「スイッチ?……ああ、この肉球みたいなやつか。こうかな?」


 とたんに、怪人の巨大な複眼が青い光を明滅させて、僕たちを驚かせた。


「あと、ベルトの左側についてる輪っかをひっぱると、口が動きます」


「輪っか、輪っか、と。……ああ、これか」


 すると今度は、ただでさえ不気味な牙と顎が、エイリアンのようにがばっと開いた。


「すごい! ギミックを二つとも完成させちゃったの? ついこの間までは、やっぱり無理かなぁとか言ってたのに!」


 歓声をあげるオノディさんに、サクラさんはにこりと笑いかえす。

 まるで、二週間前までと同じように。


「あきらめるのが悔しくって、しつこくチャレンジしちゃいました。複眼のLEDは九ボルトの電池なんで、本番前には新品に取りかえるようにしましょう」


「さすがだね! こりゃあいい! 威嚇のときと、苦しんでるときと……うーん、ちょっと台本を見なおしてみよう!」


「あのー……いったい何が起きてるんですか?」


 一人だけ事情のわかっていない『カミキリゲノム』が、いくぶんさびしそうに僕たちを見ていた。青い複眼を明滅させ、気色の悪い口をあんぐりと開けながら。


「うん! これはちょっと演技指導が必要だね! 金子くん、鏡のあるところに行きましょう! ゼンくん、悪いけど十分ぐらい時間をちょうだいね!」


 と、オノディさんは『カミキリゲノム』の手をひっぱって、用具室のほうに飛んでいってしまった。

 最年長の両名は、ブルドックのような笑顔と死神のような無表情を見交わす。


「いやぁ、ずいぶん造形で頑張ってるなぁと思ったら、こんなことを企んでたのか! 当然、ヤギさんも手伝ってたんだろ?」


「……もちろん。口もとのギミックには苦労させられたよ」


 カントクとヤギさんは、そのまま『カミキリゲノム』に対する熱い論議に突入する。

 と、いうことは――

 僕とサクラさんだけが、手持ちぶさただった。


 もともと金子さんの隣りに立っていた僕と、金子さんに語りかけるため近づいてきていたサクラさんなので、距離も近い。

 僕は『イツカイザー』のマスクの下で深呼吸をして、騒ぐ心臓を落ち着かせた。


「あの……すごいギミックですね?」


 覚悟を決めて語りかけると、オノディさんたちの背中を見送ったまま固まっていたサクラさんの肩が、ぴくりと小さく震えた。


「うん……苦労したんだよ? 何回投げだそうと思ったか、数えきれないぐらい」


 そんな風に答えながら、サクラさんの首がゆるゆると動きだす。

 長い睫毛にふちどられた黒い瞳が、正面からはっきりと、僕を見た。

 たぶん、二週間ぶりに。


「……電話でも言ったでしょ? ゼンくんの頑張りを見てたら、私も頑張らなくっちゃなって思えたの」


 そのフランス人形みたいに白い面には、子どもみたいな誇らしさと――そして、子どもみたいな頼りなさが、混在していた。

 僕が、よけいなことを言いだすのではないかと、不安にでも思っているのだろうか?

 だったら、そんな心配はご無用だ。

 僕は可能なかぎり、サクラさんの気持ちを尊重しようと決心したのだから。


「すごいですね。デザインもすごく迫力あるし……この『イツカイザー』もそうですけど、サクラさんのデザインって、昭和っぽさと最近っぽさのイイトコどりみたいで、すごいセンスだなぁって前から感心してました」


「本当に? 実はそこが一番のテーマだったの! 私が好きなのは昭和のヒーローだけど、これから新しい作品を作るっていうのに、ただレトロなだけじゃダメだよなぁって思ってたから……」


 サクラさんの顔に、幸福そうな微笑がひろがっていく。

 そうだ。

 サクラさんは、こんな風に笑うんだった。


 僕はなんだか胸がつまるような思いで、その笑顔を見守った。『イツカイザー』のマスクをかぶっておいて本当に良かったと、こっそり考えながら。

 今、自分がどんな顔をしてしまっているのか、まったく想像すらつかない。


「ゼンくんにそう言ってもらえたら、すごく嬉しいな。……あのギミックも、いつまでもウジウジしてちゃダメだって頑張った結果だから……」


「……え?」


「ん。何でもない。よけいなおしゃべりはつつしみましょう」


 ちょっとあわてたようにサクラさんは言い、それから、くすりとさびしそうに笑った。

 僕の決心が揺らいでしまいそうになるぐらい、それは、さびしそうな笑顔だった。


 どうしてサクラさんは、そんな風にさびしげな表情をするのだろう?

 言いたいことがあるならば、言ってしまえばいいだろうに!


 それを言ってしまったら、僕がへそを曲げてプロジェクトの活動を台無しにしてしまう、とでも思っているのだろうか?

 僕の気持ちは、あっけなく千々に乱れきってしまった。


(サクラさんは……)


 サクラさんは、僕のことをどう思っているんですか?

 そして――

 トモハルのことを、どう思っているんですか?


 そんな風に、聞いてみたかった。

 しかしもちろん、本当に聞けるわけはない。

 僕はゴーグルの下で固く目をつぶり、小さく深呼吸をしてから言った。


「今日も、頑張ります。……サクラさん、見ててくださいね?」


「うん。もちろん」


 さびしそうな笑顔のまま、サクラさんは小さくうなずいてくれた。

 僕はそちらにうなずき返してから、ひとり壇上のほうに足を向けることにした。


                     ◇


「ゼンくん……キミ、いったいどうしたんだ?」


「え?」


 重々しい声音でカントクに呼びかけられて、僕はギクリと振り返る。

 とりあえずは音響なしで、『カミキリゲノム』との一戦を最後まで通した後のことだった。

 オノディさんも、サクラさんも――果てには、ヤギさんまでもが奇妙きわまりない目つきで、壇上の僕たちを見上げている。


 僕はまた、手ひどく失敗してしまったのだろうか?

 自分なりに反省して、研究して、この三日間の努力のありったけをぶつけたつもりだったのだが――正直に言って、自信などは微塵もなかった。


「……『カミキリゲノム』との手合わせは、今日が初めてだったよな?」


「は、はい。……色々ぎこちなかったでしょうけど、できれば具体的に指導をお願いします」


 意を決して僕が尋ねると、カントクはいっそう難しい顔になってしまった。


「うむ……まあ、それなりにメリハリはついてきたかな?」

「そうですね……ポージングも、ちょっとはサマになってきましたか」

「……あくまでも、今までと比較すればの話だけどな」


 何となく、三重奏にもキレがない。

 僕は、ますます不安になってきてしまった。


 と――いきなり馬鹿でかい笑い声が響きわたり、僕を心底驚かせてくれる。

 笑っているのは、『カミキリゲノム』だった。


「どうしたんです? ゼンくんをほめるのは禁止っていう裏ルールでもあるんですか? 上出来なら上出来って素直にほめてあげればいいじゃないですか?」


「上出来と言うには、ほど遠い。こんなレベルじゃ……せいぜい、四〇点ってとこだ」


 ぶすっとした表情で、カントクは禁煙用パイプをかじりたおしている。


 ……四〇点?

 たしか土曜日には、二○点だとか言われた気がするが……


 ふくみ笑いをもらしながら、『カミキリゲノム』が僕を振り返る。


「オレも驚いたよ、ゼンくん。男子三日会わざれば……ってやつだな、こりゃ。いったいどんな秘密特訓をしてたんだい?」


「え? いや、あの……何がですか?」


「何がじゃないよ。まるで別人みたいじゃないか。……キミ、本当にゼンくんなのかな?」


「うわあ。目を光らせながらにじり寄ってこないでくださいよ!」


 金子さんは大いに笑い、鉤爪のついた手で僕の肩をポンポンと叩いた。


「みなさん、ひとつ提案があるんですがね。音響つきで、『ケムゲノム』のほうのおさらいをしてみませんか?」


「うん? それは別にかまわんが……金子くんからそんな提案をしてくるなんて、珍しいな」


 いぶかしそうに眉をひそめるカントクのほうに向きなおりつつ、金子さんは早々に『カミキリゲノム』のマスクを外してしまう。


「初手合わせの『カミキリゲノム』じゃあ、ゼンくんの変化がはっきり実感できないなと思いましてね。何度も手合わせをしてきた『ケムゲノム』だったら、いったい何点の評価をもらえるんだろうという興味もあります」


「ちょ、ちょっと、ハードルを上げないでくださいよ、金子さん!」


「ふふふ。しかたがないじゃないか。だって、ゼンくんの跳躍力がびっくりするぐらい上がってるんだから、ハードルも上げておかないとつり合わないよ」


 金子さんは、まるで悪戯小僧のような笑顔を浮かべていた。

 この人は、こんな笑い方もできるのか――それは何だかとっても魅力的な笑い方で、何だかとっても卑怯な感じがしてしまった。

 ふだんは誰よりも真面目で誠実そうにしているのに、こんな笑顔を隠し持っているなんて、卑怯だ。


 何はともあれ。僕が言葉もなく立ちつくしている間に、金子さんはカントクらのサポートのもとに、『カミキリゲノム』から『ケムゲノム』へとフォームチェンジを果たしてしまった。


「何か修正事項でもあるかい、ゼンくん?」


 金子さんにくぐもった声で問われて、僕はシナプスを刺激される。


「ああ、はい、えーっと……中盤の『カイザー・キック』のところなんですけど、もう少し踏みこみを浅くしながら、蹴り足の軌道を大きくしようと思うんで、ちょっと今までとはタイミングが変わっちゃうかもしれません」


「ふんふん」


「肘打ちからの裏拳も、もうちょっとインパクトを強調して、動き自体はスローになるかもしれません」


「どっちも微妙な変化っぽいね。通す前に、合わせてみようか」


「はい」


 その他にもいくつか、僕が個人的に気になった部分を微調整させていただいたのだが、そのやりとりが終わるまで、プロジェクトの面々は一言として口をはさもうとしなかった。

 その静けさはとても不気味で、ふだん以上の緊張感を抱えてしまっている僕としては、胃のあたりに鈍痛を感じてしまうぐらいだった。


「オッケーですかな? それじゃあ、始めましょう!」


 ノートパソコンをかまえたオノディさんの号令のもと、『イツカイザー』VS『ケムゲノム』の対決シーンが始まった。

『戦闘員アブラム』は不在だから、その部分は幻影を相手に。一発一発、ない知恵をしぼって微調整した蹴りや拳を、虚空に叩きこむ。


 大技は、大仰に。空手ではありえない大振りで、使用していない手足もひろげて、とにかく動きを大きく見せる。

 小技は、スピードフルに。鈍重な怪人を翻弄するように、とにかく速く。

 と――途中で一発、バシンッとボディブローがおもいきりヒットしてしまった。


 うわ、と内心で体をちぢめる。

 金子さんは、痛くなかっただろうか?

 着ぐるみは、壊れてしまわなかっただろうか?


 さまざまな雑念に胸をざわつかせつつ、僕は何事もなかったように、『ケムゲノム』の触手を振り払う。

 とにかく今は、『イツカイザー』を演じきるのだ。

 素人の僕がひねりだした微調整など、一笑にふされるだけかもしれない。はたから見たら、今まで以上に滑稽に見えているだけかもしれない。


 しかし、とにかく、やりきるしかない。

 今までだって最悪の出来だったのだから、何も怖れることはないだろう。

 ゴーグルやブーツの動きづらさだって、いまだに克服しきれたわけではない。


 だけど――と、僕は激しいアクションをこなしながら、頭の片隅で考える。

 何だか、手足に力が満ちていた。

 土曜の夜から今日までの数日間、体内に悶々とわだかまっていた鬱憤が、そのままエネルギーにでも転化したかのようだった。


 今の僕には、これぐらいしかやれることはないのだ。

 ふだんの自分が、どれほど情けなくて、弱っちい人間であるかということは、もうわかった。

 それならば、ヒーローの格好をしている間ぐらい、きちんとヒーローのようでありたい。

 そうでなければ、僕みたいな人間がこの『イツカイザー・プロジェクト』という空間に存在する理由など、ひとかけらもありはしない。僕は、そのように考えていた。


『カイザー・スラッシュ!』


 録音されたトモハルの声とともに、僕は『カイザー・ブレード』を振り上げた。

『ケムゲノム』は、ばたりと床に倒れこみ、エンディングのナレーションが体育館に響きわたる。


「……カット!」


 その半ばぐらいで、カントクが大声を張りあげた。

 オノディさんがナレーションを停止させ、静寂が帰ってくる。


 パチパチパチ……と、誰かが拍手をし始めた。

 サクラさんだ。

 サクラさんが、いつのまにかパイプ椅子から立ち上がって、壇上のすぐそばまで近づいてきている。

 そうして『イツカイザー』の姿を見上げやりながら、サクラさんは笑顔で両手を打ち鳴らしていた。


「……六〇点」


 不機嫌そうに、カントクがつぶやいた。

 ヤギさんは腕組みをしながら、静かに壇上を見つめている。

 オノディさんはノートパソコンを抱えながら、奇妙な顔つきでにんまりと笑っている。

 金子さんは不自由そうに『ケムゲノム』の巨体を起こしながら、「いやぁ、楽しかったなぁ」とつぶやいた。


「……ちょっと待ってろ! 俺も着替えてくる!」


 と、突然カントクがわめき始める。


「どうして田代たちはおらんのだ。……ヤギさん、アブラムAの代役を頼めるか?」


「……承知した」


 最年長コンビが用具室に駆けていき、オノディさんは金子さんを立ち上がらせるために手を貸してやりにいく。

 そして僕は、花のように微笑むサクラさんと向かい合った。


「……ゼンくんは、すごいね」


「はい? ……なんにもすごいことなんて、ないですよ」


 僕が言うと、サクラさんは黒猫エドガーを胸にかき抱きながら、ゆるゆると首を横に振った。


「すごいよ。初公演の日が待ち遠しいな。……て良かった」


「え?」


 後半はものすごく小声だったので、サクラさんが何とつぶやいたのか、僕には聞き取ることができなかった。


 ゼンくんに、出会えて良かった。

 そんな風に聞こえたような気もするが、たぶんそれは気のせいだったのだろう。


 僕はまだ、サクラさんにそれほどの言葉をかけられることは、何ひとつ成し遂げてはいないはずだった。

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