3 再起

 初公演の一ヶ月前という大事な時期に、僕はサクラさんと気まずい関係に成り果ててしまった。


 いや、表面的には、稽古の後すぐに電話で謝罪して和解、という運びになったのだが。これですべてが丸くおさまったわけではないということを、誰よりも僕自身がはっきりと自覚していた。


『電話してくれて、ありがとう。これからもよろしくね』


 サクラさんは、そう言ってくれた。

 自分もつい感情的になってしまった、できれば許してほしい、とも。


 もちろん僕は、悪いのは自分だった、こちらこそ許してほしい、と告げて、サクラさんも、許してくれると答えてくれた。


 そうであるにも関わらず、僕の胸はいっこうに晴れない。

 それはたぶん、サクラさんの笑顔を見ていないからだ。

 あの事件が起きて以来、数日間、僕はサクラさんと再会する機会に恵まれなかった。


「ああ、『ケムゲノム』の補修にかかりきりなんだよ」


 オノディさんは取りなすようにそう言ってくれたが、僕は釈然としなかった。

 資材置場での課外レッスン。大道具の作製作業。完成したテーマソングの試聴会。ミーティング。……あの稽古の日から一週間、僕はほぼ毎日のように『イツカイザー・プロジェクト』の集まりに参加させられたのだが、サクラさんは一度として姿を現さなかったのだ。


「……それじゃあ、第四話の怪人は『マイマイゲノム』で決定ですかねぇ」


 今日も今日とて、毎度おなじみオノディさんの部屋で、毎度おなじみの和菓子を食べながら、毎度おなじみの不可思議な問答が繰り返されている。

 しかし、その場にサクラさんはいない。


「うーん……だけどコレって、秋の文化祭巡りに照準を合わせた、初めてのきちんとしたストーリーものの怪人なんですよね?」


「何だ、今さら? えらく不満そうじゃないか」


「いやぁ、何というか、さぞかし素晴らしいデザインになるんだろうなぁとは想像がつくんですが。それでも『モンシロゲノム』のほうが華があるんじゃないかなと思いまして」


「それはそうかもしれんが、脚本だってまだ着手したばかりだし、造形にいたってはデザインも確定していないんだから、『マイマイゲノム』は夏には間に合わんだろう。『ケムゲノム』と『カミキリゲノム』だけで、秋までをしのごうってのか?」


 がぶがぶと日本茶を飲みながらカントクが反論すると、ヤギさんがちらりと陰気な目を向けてくる。これも、いつもの光景だ。


「……ケムシ、カミキリ、モンシロドクガは、三体でワンセット。いずれは三体が蘇って襲いかかってくるという構想もあるのだから、その順番は崩さないでほしい」


「ああ、桜害虫の統一性もありましたっけ。そりゃあそうですよねぇ」


 正直、半分がた心ここにあらずだったのだが、あまりにぼんやりしていると本当に何の話をしているのか見失ってしまいそうになるので、僕も時おり口をはさんでみる。


「あの、桜害虫って何ですか? ケムシはまだわかりますけど、カミキリとドクガも?」


「ああ。カミキリって樹木を内側からバリバリ食べちゃうらしいよ。モンシロドクガは、ほんとは幼虫のほうね。ケムシと一緒で葉を食べるの。でも『イモムシゲノム』じゃあんまりだから、成虫のほうを怪人にさせていただいたってわけさ」


 そういうチョイスだったのか。どうしてわざわざネーミングで困るようなカミキリムシなどを怪人のモチーフとして選んだのか疑問だったのだが、ようやく納得できた。


「……それぐらいのことは、設定資料集を読みこめばわかると思うが?」


 ヤギさんににらまれてしまい、僕は素直に「すみません」と謝った。

 それにしても、まだ二月だというのに、今から文化祭の話とは、気が早いにもほどがある。春、夏、秋、と、三つも先の季節の話ではないか。


「なに言ってんだい。ボクたちは半年以上も前から、この春のお披露目に向けて活動してたんだよ? だいぶノウハウはわかってきたけど、今後は興行を続けながら準備していかなきゃいけないんだ。準備は早いにこしたことはないよ!」


 好物の和菓子を頬張りながら、オノディさんはそう言った。


「……ところで、ゼンくん。そのお菓子のお味はどう?」


「味? ええ、美味しいと思いますけど……」


「そうか。今どきの若者や子どもって、どうなんだろう? 和菓子とか、普通に食べるものなのかなぁ?」


「ええ? どうでしょう? まあ、ばあちゃんが家にいた頃よりは、ずいぶん食べる機会も減りましたけど」


「そうだよねぇ。うーん、でも、火のないところに火を点けるのも、ある意味クリエイティブと言えないこともないよなぁ。うーん、一考の余地はあるかなぁ」


「何を一人でうんうんうなっとるんだ? この和菓子がどうしたってんだ」


「いえ、実はこれって、農協のマイファームでしか売ってない『紫いも饅頭』ってお菓子なんですけどね。五街道の名産品としてプッシュしたら火が点くんじゃないかなぁって……だって、美味しいでしょ?」


「はん。だから、アンコが紫色なのか。まあ美味いは美味いが、名産品がどうしたって?」


「だから、農協さんと相談して、われらが興行の物販コーナーに置かせてもらえたら、郷土色が強まるかなと思ったんですよ。正直、『桜』の一点張りじゃあ、ご当地ヒーローとしてのインパクトも弱いでしょう?」


「これといった特産品もないんだから、しかたなかろうが」


「だからこそ、です! うまくいったら農協さんの支援も得られるし。『イツカイザー』をきっかけに特産品が誕生したら、それこそ素晴らしいじゃないですか!」


「わかったわかった。興行先の連中に、食い物を売ってもいいのかどうか確認してみるよ。農協のほうは、お前にまかせるからな?」


「オッケーです! どうせ三日にいっぺんはマイファームに通ってるんですから、ちょろいもんです」


 言いながら、オノディさんがふっと僕のほうに目を向けてくる。


「どうしたの? 何か不思議そうな目でボクらを見てるけど」


「いや……本当にすごいバイタリティだなって感心してたんです」


 ようやくテーマソングが完成して一息つけたばかりだというのに、この上まだ仕事を増やそうという意欲が、すごい。


「そりゃあまあ、好きでやってることだからねぇ」


 あっさりと言い切って、オノディさんはまた視線をめぐらせる。


「ところで、造形のほうがすっかりサクラさんにまかせきりになっちゃってますけど、大丈夫ですかね? 『ケムゲノム』の補修の他に、残り二体の仕上げも残ってるんですよね。公演まではあと一ヶ月ちょいでも、金子くんには何度か完全装備で稽古してもらう必要があるでしょう」


「うーむ。大道具と舞台はもうすぐ完成するから、そうすれば存分に手伝えると思っていたが。そう言われてみると、怪人を仕上げるほうが急務かもな」


「ですよ。ボクはこれから、テーマソングのジャケット作製に取りかからなきゃいけないので、まだしばらくはフォローできそうにないんですが……ヤギさんのほうは、どうです?」


「……三日にいっぺんぐらいは、手伝いに行ってるよ」


 けだるげに言って、ヤギさんは遠くを見る。


「……仕上げのほうは、問題ない。ただ、『ケムゲノム』の件もあるから、早く実際に使ってもらったほうがいい。問題点があったら、早い段階で補正しないと……」


「ああ、『モンシロゲノム』の羽とか、かなり巨大で不安定ですもんねぇ。確かに強度を確認しないと……でも、あいつが舞台で暴れ回るところを想像すると、ワクワクしちゃいますね!」


 オノディさんは子どものように目を輝かせ、カントクも、まんざらではないように口もとを歪めている。


 だけど僕は、ヤギさんの様子が気になっていた。

 いや――気になっていたのは、三日にいっぺんはサクラさんを手伝っている、という発言のほうだったのだが。


「ヤギさん。サクラさんは……元気なんですか?」


 僕からヤギさんに語りかけることは、そうそうない。ひょっとしたら嫌われてるんじゃなかろうか、というぐらい、ヤギさんはいつも怖い顔をしているからだ。


 サクラさんは、「ゼンくんがいない場所でも、いつもあんな感じだよ」と言っていたが。少なくとも、この気難しそうな助教授先生が和気あいあいと腕相撲をしているところなど、僕にはまったくイメージできなかった。


「……何がだい?」


 いぶかしそうに眉をひそめて、ヤギさんが振り返る。

 長い前髪からのぞく三白眼は、やはり少なからず怖かった。


「いや、僕はあの稽古の日から、サクラさんとまったく顔をあわせてないもんですから……少し、心配になって」


「……元気は、ない」


 ヤギさんは、はっきりとそう言った。

 びっくりしたように、オノディさんたちもこちらを振り返る。


「……ただし、病気でもない。体は元気だと、本人も言っていた。それ以上は、知らない」


「げ、元気がないって、それはどういう……」


「……だから、知らない。ただ、この数日間、彼女の笑顔を一度も見ていない。それだけだ」


「それだけ、って……」


「……笑いたくない日ぐらい、誰にだってある。彼女は芯が強いから、すぐに元気になるだろう。……自分は、そう信じている」


 そんな風につぶやきながら、ヤギさんはゆらりと立ち上がった。


「……明日は朝から講義なので、これで失礼する。また何かあったら連絡を」


「おお、もうこんな時間か! 俺もおいとまするとしよう。ヤギさん、うちに寄ってくれれば、車で送るぞ?」


「……かたじけない」


 大男の監督と痩せぎすの脚本家は、連れ立って部屋から出ていった。

 一人ぽつんと取り残された僕を横目に、オノディさんはノートパソコンを取り上げる。


「さて。それじゃあボクはCDジャケットの仕上げに取りかかろうかな。ゼンくんは? DVDでも観る?」


「え?」


「でかいテレビで観る特撮ヒーローは、また格別だよ」


 僕の返事も待たぬまま、オノディさんはプレイヤーにディスクをセットした。

 ミーティングが終わった後、僕が一人だけこの部屋に居残るなんて、今までにはなかったことだ。


 だけど、一人で家に帰っても、ベッドの上で眠れぬままに悶々とするだけだろう。オノディさんの真意はわからなかったが、僕は両膝をかかえて、また観たこともないような古めかしい特撮ヒーローが映しだされたプラズマテレビの画面をぼんやりと眺めやることにした。


(元気がないって……やっぱり、僕のことが気にくわないのかな)


 そんな風に考えてしまうと、どんどん暗い気持ちになってくる。

 いや、しかし、僕とサクラさんはたったの一回、気持ちや考えがすれちがってしまっただけではないか。


 それも、その日のうちにおたがいが反省して、おたがいに改めよう、と和解したのだから、これ以上の解決など望めはしない。言い残した言葉もない。口先だけの反省ではないと証明するために、粉骨砕身、稽古も頑張っている。僕にこれ以上、打つ手は存在しなかった。


(まあ、ひょっとしたら、僕なんかとは全然関係ないところで、元気をなくしているだけかもしれないけど。……だいたい、僕なんかが原因でそこまでサクラさんが元気をなくすはずもないか)


 画面上では、どうやら悪魔をモチーフにしているらしい三人の着ぐるみヒーローが、縦横無尽に暴れ回っている。

 悪魔がモチーフというのも珍しいが。それ以外でも、どこかに違和感があった。

 しかし、ぼんやり眺めているだけなので、その違和感の正体がわからない。


「ふむ……まあ、こんなもんかな」


 オノディさんがそうつぶやいたのは、その番組の第二話が終わり、第三話の主題歌が流れ始めた頃だった。

 ノートパソコンから顔をあげ、オノディさんは得意そうにプラズマテレビの画面を指ししめす。


「どうだい、これ? ボクの中では、異色の名作ってポジションなんだけど」


「ええ……なんだか、変わってますよね」


 その正体もわからぬままに僕がそう答えると、オノディさんはさもありなんといった様子でうなずいた。


「そうだろうそうだろう。人間としての正体をもたない戦隊ものヒーローなんてのは、当時としては画期的だったよ! 裏を明かせば、人間役のキャストを雇う予算を惜しんだってだけらしいんだけどさ。そういった苦境を発想の力で乗りこえるってとこに意義があると思うんだなぁ、ボクは」


 人間としての正体をもたない?

 そうか。導入部から着ぐるみのヒーローたちが普通に会話などをしており、生身の人間がほとんど姿を現さないから、こんな違和感があったのか。


「だからボクたちも、すべてをお金で解決する気にはなれないんだよ。本当に理想の作品を作りあげようと思ったら、お金がいくらあったって足りないし、そもそも逆境という摩擦なしに作品は磨かれない、とも思うしね。……そのぶん時間や体力を消費することになるんで、まあ、苦労はつきないわけだけど」


「はあ……」


「で、どうだい、このスーツアクターたちは? アクション・シーン以外でも、なかなかの名演だろ? 特に主人公のスーツアクターをつとめてる高橋さんって人は、有名でね。八十年代や九十年代になってもまだ活躍していたし、普通の俳優としても活動してた。今じゃあもう還暦ぐらいだと思うけど、世代をこえたスターだと思うねぇ、ボクなんかは」


 スーツアクターに、有名や無名の別があるとは思わなかった。

 僕の認識としては、作品を陰から支える黒子的存在にすぎなかったのだ。


「まあそりゃあ、主役でありながら名脇役的なポジションにはなってしまうけどね。それでも最近じゃあ、マニアの間ではスーツアクターのファンクラブなんてものも存在するらしいよ。けっきょく作品の骨子を支えてるのはスーツアクターなわけだし、そんな真の主役たちを、熱心なファンたちが見逃すわけもないってことさ」


「なるほど……」


「で、そんな今時のファンたちとは、また違う目線なんだろうけど……」


 口をすぼめて笑いながら、オノディさんが僕の顔を見る。


「以前にチャットで、好きな俳優は? っておたがいに質問しあった時があってね。その時に、サクラさんは即答で、スーツアクターの高橋さんって答えてたんだ。いくらマニアの集まりだからって、スーツアクターの名前を真っ先に挙げたのはサクラさん一人だったよ。まだ若そうなのに、ずいぶん業が深いなぁって感心したものだけど、造形師のお孫さんって聞いて、ちょっと納得できたものさぁ」


「…………」


 僕は驚いて、オノディさんのネズミみたいな顔をまじまじと見つめ返してしまった。


「ついでに言っておくと、『イツカイザー』のスーツアクター役にゼンくんを猛烈にプッシュしてたのは、サクラさんだ。あのスタントマンの人と、ゼンくんと、最後の最後までどうするかモメにモメたんだけど。最後はまあ、みんな納得してゼンくんにやってもらうことに賛成した。キミは大いに期待されてるんだよ、ゼンくん」


「どうして……そんな話を、僕にするんですか?」


「うん? そりゃあまあ……『桜の戦士イツカイザー』の成功を願ってのことさぁ」


 とぼけるように笑って、オノディさんはノートパソコンをパタリと閉じる。


「さ、そろそろお開きにしようかね。明日は水曜日で稽古なんだから! 本番まで体育館を使えるのも、あと五回! 出来が悪かったら、資材置き場で毎晩補習だからね?」

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