ACT.2 多忙なりし日々

1 衣装完成

 そんな調子で、あっという間に三週間ほどの時間が過ぎていった。


 二月も半ばにさしかかり、初公演まであと一ヶ月半となった頃、ついに着ぐるみを着こんで本格的に通し稽古をしよう、という話になった。


「さあ、いよいよ初お披露目の日と相成りましたな」


 毎度おなじみとなった五北中の体育館。やたらと馬鹿でかい衣装ケースをカントクとともに搬入しながら、オノディさんは楽しげにそう言った。

 ウォーミング・アップをすませた僕と金子さん、それにサクラさんとヤギさんが見守る中、二人は宝箱を開ける海賊のような面相で、ケースのフタを取りはらった。


「おっと……ここは造形の責任者に授与してもらうべきですかね?」


 と、もったいぶった調子でオノディさんが言うと、カントクは無言のまま、サクラさんを差しまねく。

 サクラさんは少し照れくさそうに微笑むと、その手に持っていた黒猫エドガーを自分の代わりにパイプ椅子に座らせてから、衣装ケースのかたわらまで足を進めた。


「えーと、じゃあまずは、主人公の『イツカイザー』からです」


 そう言って、サクラさんは僕を見た。

 僕はなんだかちょっと緊張しながら、立ち上がる。


「はい、どうぞ」


 いまや懐かしい募集広告に掲載されていた『イツカイザー』の衣装一式が、サクラさんから手渡された。

 赤いマスクに、白いプロテクター。それに赤い全身タイツと、なぜかもう一枚、黒いタイツ。


「黒いのを着てから、赤いほうを着てね。あと、これがグローブとブーツ。こっちがベルトと『カイザー・ブレード』」


 こうしてみると、なかなかの分量だ。

 それに、これは――もしかしたら、ものすごく出来が良いのではなかろうか?


「一人じゃ着るのも大変でしょう。最初はボクが手伝ってあげるよ。壊されたりしたら、たまったもんじゃないしね」


 と、いかにも嬉しくてたまらなそうなオノディさんに引き連れられて、僕は体育用具室まで移動することになった。

 なんでそんな場所まで移動させられたかというと、それはもちろん、Tシャツとパンツだけのあられもない姿にならなければいけないからだ。


「どうしてタイツが二重なんですか?」


「そりゃあ体のラインが出すぎないようにってのと、あとはタイツが破れたりしたときの保険さ。ヒーローが素肌やパンツをさらすわけにもいかないでしょ?」


 二月の半ば。まだまだ真冬とそう変わらない気候であるにも関わらず、ウォーミング・アップした体にタイツの重ね着はそうとう暑苦しかった。


 それからオノディさんの指示通りに、ベルトを腰に巻き、長靴みたいなブーツを履き、胸と肩にプロテクターをはめてから、マスクをかぶる。そうして最後に、肘の手前までくる長いグローブに腕を通せば、完成だ。


「うん、カンペキだね!」


 オノディさんは、とろけそうな笑顔だった。

 大きな姿見の前に立たされた僕は――少なからず、驚いてしまう。


 ヒーローだ。

 ヒーロー以外の、何者でもない。


「こ、これが本当に手作りなんですか?」


「もちろんさ。ボクたち四人の、血と汗と涙の結晶だよ!」


 そんな風に、声高らかに宣言したくなるのもよくわかる。

 本当にそれは、僕が子どもの頃に見ていたテレビの中の特撮ヒーローたちと比べても、まったく遜色のない出来栄えだった。


 赤と白のツートンカラーで、たまに使われている黒が強いアクセントになっている。シンプルながらも洗練されたそのデザインも、とうてい素人の仕事だとは思えない。


「基本的なデザインは、サクラさんね。ボクらもあれこれ注文はつけたけど、こまかい点ばかりだから。キャラデザにクレジットをつけるとしても、サクラさんの名前だけで問題ないぐらいだね」


「……すごいですね」


 僕はお世辞でなく、そう告げることができた。


 マスクの額と両肩には、桜をモチーフとしたマークがあしらわれ、胸には五芒星と、黒いトライバルのような紋様――よく見れば、それは漢字の「五」をデフォルメしたデザインで、つくづく凝っている。

 それでいて、全体的にはシンプルなので。洗練されたデザインなのに、雰囲気としては昭和の懐かしヒーローっぽい。


 そして、胸と肩のプロテクターは、硬質そうな見た目にも関わらずゴムのような素材でできていたので、機動性にも問題はなさそうだった。

 ただ、半透明の黒いゴーグルはなかなかに視野がせまく、合皮のレザー素材であるらしいグローブとブーツも、なれるまでに少し時間がかかりそうだった。


「あ、『カイザー・ブレード』は横のスイッチで、ワンタッチで外れるようになってるからね。使い方は、こう」


 オノディさんが一振りすると、冷たい金属音とともに、刀身が生えた。


「あんまり強くぶつけると、刀身が歪んで縮まなくなっちゃうから。スペアは準備してるけど、本番では壊さないように気をつけてね」


 なんだか僕は、感心すると同時に、少し困惑もしていた。

 こんなに本気で情熱を燃やしている人たちについていけるだろうか、という、おなじみの不安感だ。


 体育用具室を出て、みんなの元に戻ると、その思いはいっそう強くなった。

 そこには、金子さん演ずる怪人、『ケムゲノム』が待ちかまえていたのだ。


「いやぁ、とんでもないね、こりゃ」


 くぐもった声で、金子さんが笑っている。

 それは……確かに、とんでもない化物だった。


 毛虫というよりは、ナマコかナメクジのように寸胴で気味の悪い暗灰色のボディに、白いトゲが無数に生えている。

 少し前かがみの体勢で、頭の先端には青くて真ん丸いビー玉のような目が四つも光り、触手のような腕は人間よりも倍ほどは長く、でっぷりした足は逆に短い。どうやら怪人の股関節は、金子さんの膝関節に相当するらしい。


「これは動きづらい! 両腕を振り回すのと体当たりしか技がない理由が、ようやくわかりましたよ」


 青い目の下にある裂け目のような口が、覗き窓なのだろう。僕より断然、視界が悪そうだ。


「おお、ゼンくん! 馬子にも衣装だな!」


『ケムゲノム』の巨体を満足そうに眺めていたカントクが、こちらを振り返る。


「素晴らしい! そのコスチュームに恥じないアクションを見せてくれよ?」


 それはどうだろう。身軽なジャージ姿でも、僕はあれだけダメ出しされているのだ。


 しかし、カントクとオノディさんのみならず、サクラさんと、ふだんはまったく感情を動かさないヤギさんまでもが、明らかに瞳を輝かせて僕を見ている。

 全員が全員、恋する乙女のような目つきになってしまっていて、中年男性三名は気色悪いし、サクラさんは――正直に言って、そんな目で見られてしまったら、僕はどうしていいのかわからなくなってしまう。


 本当にこの人たちは、特撮ヒーローというものが大好きで、その愛情と熱情をぞんぶんにぶつけられるこの『イツカイザー・プロジェクト』が、楽しくてたまらないのだろう。

 そんなにまっすぐに情熱のベクトルが固定されているのが、いっそ羨ましいぐらいであった。


「すみません。下世話な質問があるんですけど、いいですか?」


 と、『ケムゲノム』が右の触手を振り上げながら、発言を求める。


「こりゃあ予想以上に凝ったつくりをしてますけど……こんなのが、あと二体もひかえてるんですよね? いったい、ひとつ作るのにどれぐらいの費用がかかってるんですか?」


 それは、僕としても大いに気になるところだった。

 何せ僕たちが演じるのはアクション・シーンなのだから、いつどういうアクシデントが起きて、この見事な着ぐるみを壊してしまわないとも限らないのだ。


「制作費用か。あんまり具体的な数字は出したくないんだが……基本的にこのプロジェクトは、常識の範囲をこえない、というコンセプトで取り組んでるんだ」


「常識の範囲、と言いますと?」


「うむ。金さえかければ、そりゃあいくらでも質の高いものが作れるだろう。だが、それではキリがないし、なんだか、ロマンもない。だから、世間の相場をリサーチして、それを上回る費用はかけない、という枷をみずからに課したのだ。……まあ着ぐるみ制作の店をネットで調べたところ、ヒーローだったら相場は十万円、怪人・怪獣は六万から五十万円とピンキリだったな」


「ご、五十万円?」


「もちろん、我々にだってそんな予算はない。ヒーローと同じ十万円という価格でなかなか見事な着ぐるみを造っておる店もあったし、それぐらいが、まあ目安だ」


 一体、およそ十万円か。

 それでも、『イツカイザー』と怪人三体を合計すれば、四十万円だ。

 いかに会社経営者が二人そろっているとはいえ、それはなかなかの出費なのではないだろうか。


「なに、禁煙する代わりに、そのタバコ代をまるまるプロジェクトに注ぎ込むことを女房に納得させたからな。今まで煙になるだけだった金が、こうして有意に使われるようになったんだから上出来だろうが」


「本当に、プロジェクト発足とともにピタリと禁煙しましたもんねぇ。それまで一日三箱も吸ってた人が。あの精神力には、脱帽しましたよ」


 オノディさんは、まだ僕たちの姿をうっとりと眺めながら、そう補足した。


「ま、費用のことは心配しないでくださいな。あらゆる意味において自分たちの生活を圧迫しないように、っていうのは発足当時からの約束事ですし。別にこのプロジェクトは利益を追求するものじゃないけれど、ゆくゆくは赤黒トントンに、というのが裏の目標でもありますから」


「しかし、表の目標はあくまでも、納得のいく作品を完成させること、だ」


 力強く、カントクが宣言する。


「初公演まで、ついにあと一ヶ月と二週間! 気合いを入れなおして、頑張ってくれ!」


「頑張りますよ。でもこれ、ほんとに動きにくいなぁ」


 短い足を懸命に動かしながら、金子さんIN『ケムゲノム』がマットの上に移動する。


「ごめん、ゼンくん、ちょっと個人練習させてくれ。いきなりの手合わせはキツそうだ、こりゃ」


「もちろん。僕のほうだって無理ですよ」


 視界の悪さもさることながら、呼吸のほうもなかなか息苦しい。二重タイツの効果も相まって、これはかなりスタミナを消耗しそうだ。


 軽く屈伸してみると、新品のブーツがギュッ、ギュッ、と小気味のいい音をたてる。

 全身タイツは動きやすいし、ラバーっぽい素材のプロテクターも問題はないが、マスクとブーツはなかなかのネックになりそうだった。


 だいたい、空手をたしなんでいた僕は、裸足で組手をするのが常だったのだ。ここまで足首を圧迫する履物を履いてアクション・シーンを演じるというのは、だいぶ違和感をともないそうなところであった。


(気をつけて動かないと、足首をひねりそうだな)


 試しに、無人の空間に中段回し蹴りを放ってみると、案の定、蹴り足は重いし、軸足は不安定だし、やりにくいことこの上なかった。


(あと一ヶ月半で、これになれなきゃいけないのか)


 ようやく殺陣のリズムがつかめてきたところなのに、一難去ってまた一難、という感じだ。


 僕は、仮想『ケムゲノム』を相手に、一人でコンビネーションを繰り出してみた。

 頭をかがめて触手の攻撃をやりすごし、相手のみぞおちに左肘を叩きこむ。

 その肘を支点に左腕をはねあげて裏拳を一発。腰をひねって、右のショート・アッパー。

 その勢いに後ずさりながらも、『ケムゲノム』は再び触手を振り下ろしてくるので、それは左腕でガードする。


 左足から順に三歩後退。怒った『ケムゲノム』がぶんぶんと二本の触手を振り回す。それを右サイドから回りこみ、『カイザー・キック』こと右の中段後ろ回し蹴り。うめく『ケムゲノム』を見下ろしながら、左拳を相手に突きつけ、右腕を大きく振り上げてポージング。


 そうして一呼吸おいたら、『ケムゲノム』が怒涛の反撃をしかけてくるので、僕はすみやかに二歩後退……というところで、いきなり拍手がまきおこって、僕は思わずずっこけそうになってしまった。


「な、なんですか? 邪魔しないでくださいよ!」


 振り返って見てみると、ヤギさん以外の三人が、満面の笑顔で手を打ち鳴らしている。


「いやぁ、なんだか感動するなぁ」

「本当に……感無量ですねぇ」

「かっこいいよ、ゼンくん」


 いつもは三人がかりの誹謗中傷なのに、今回はヤギさんがサクラさんに入れ替わってのスタンディング・オベーションだ。

 しかし、僕としてはまったく喜んでいられるような状況でもなかった。


「全然ダメですよ。足まわりが重たくてしかたがありません。靴底の摩擦もすごいし……いっそ、裸足のヒーローっていう設定にしてくれませんか?」


「面白いジョークだ」


 豪快に笑いながら、カントクはどっかりとパイプ椅子に座りこむ。

 ダメだ。皮肉も通じない。


「しかしまあ、空気相手だといい動きをするなぁ」

「動きもやわらかいですよね。ふだんはあんなガチガチなのに」

「……いっそ空気の怪人という設定にするか?」


 またヤギさんが復活しての批判が始まり、僕は深々と溜息をつく。

 だけど、その間もサクラさんは実に幸福そうな笑顔で、僕の姿を見つめてくれていた。

 まあ――『僕』ではなくて『イツカイザー』を見ているのだろうけども。


「よし。ちょっとだけなれてきた」


 と、『ケムゲノム』が長い触手をひきずりながら、僕のほうに接近してきた。


「ゼンくん、少し合わせてみよう。いきなり通しはキツいから、頭からゆっくりと」


「はい」


「この触手がぶち当たったら痛そうだから、きちんとよけてな?」


「……はい」


 金子さんの動きづらさは僕の比ではないだろうが、もともと『ケムゲノム』の機動性の悪さはシナリオに組みこまれていたのだろう。触手を振り回す以外に大きな動きはないし、立ち位置もほとんど変わらない。


 注意すべきは、僕のほうだ。

 だから、最大限に注意していたつもりだった。

 それでも、しかし――大ミスをやらかしたのは、僕のほうだった。


 予想通りというか何というか。目測を誤った僕の『カイザー・キック』がモロに『ケムゲノム』のボディにヒットしてしまい、膝から下しか自由のきかない金子さんが、バランスを崩して後方にひっくりかえってしまったのだ。


「あぁ!」


 悲鳴のような声をあげたのは、オノディさんだったかヤギさんだったか――

 とっさに受身を取ろうとしたのだろう。おかしな体勢で倒れこんだ『ケムゲノム』の右腕が、根もとからポキリと折れてしまっていた。


「うわぁ、すみません!」


 あわてふためいた金子さんが、左腕の触手を振り回す。

 本人にダメージがないのは何よりだが。不気味な怪物の右腕だけが人間のたくましい腕になってしまい、これまたなかなかシュールなありさまだ。


 ……などと、他人事のように考えている場合ではない。

 今のは、どう考えても僕のミスだ!


 いったいどれほどのカミナリが落とされるのだろうと、僕は『イツカイザー』のマスクの下で顔面蒼白になってしまったが――予想に反して、誰ひとり僕を責めようとはしなかった。

 いや、それどころか、三人は損傷した『ケムゲノム』を取り囲んで、僕のほうなど見向きもしなかった。


「強度に問題があるな。これぐらいでモゲてちゃお話にならん」

「接着が甘かったですかねぇ。触手はぶんぶん振り回してもらわなきゃいけないから、そうとう頑丈にする必要がありますね!」

「……いっそのことボディとつなげるのはやめて、腕に直接装着するタイプに改良してみては?」


 謝るタイミングも逃して立ちつくしながら、僕はそろそろとサクラさんのほうに視線を移動させる。

 サクラさんは『ケムゲノム』のちぎれた右触手を拾いあげて、それをじっと見つめやっていた。

 まるで、交通事故にあった愛猫か何かを見るような目つきで。


 そうして、ゴーグルごしの僕の視線に気づくと、サクラさんは同じ目つきのまま、泣きそうな表情で微笑んだ。


「気にしないで。こちらの強度に問題があったんだから」


 気にしないでいられるわけがなかった。

 今のは確かに不可抗力だし、これぐらいのアクシデントは想定しておいて然るべきなのだろうが。それでも、自分のミスでサクラさんをこんな表情にさせてしまったのは、痛恨だった。

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