第36話 小動物・白川孝彦
30分ほど、佐倉さんと抱き合ったまま待っていると、ついにお姉ちゃんからスマホのメッセージで連絡がきた。名残惜しかったけれど、佐倉さんから離れる。
ぼくたちはリビングに移り、ソファーに座って結果の確認をすることにした。
「じゃぁ確認するね」
「うん」
固唾をのみながら、メッセージを確認する。
『武田と付き合うことになった。孝彦のお陰だ。ありがとな』
表示されたのは、最良の結果だ。
お姉ちゃんが勇気を出してクッキーを渡し、武田もちゃんと告白したのだろう。
「佐倉さん、これ!」
「うん……一安心だね」
ハイタッチをして喜びを分かち合う。
本当に良かった。尋常でないほどにふさぎ込んだ姿を見ていただけに、より一層そう思う。
「一時はどうなることかと思ったよ。弟くんのお陰だね」
「ぼくは後押ししただけだよ。お姉ちゃんが頑張ったんだ」
「ふふ、そうだね」
またお姉ちゃんからメッセージが届く。
『武田の家で晩飯食べることになった。少し遅くなる』
「へぇ、綾乃もやるじゃん。武田くんの親御さん公認だよ」
「家に行ったら、まぁそうなるよね」
武田の母親がご飯を誘い、お姉ちゃんは断りきれなかったのだろう。
気に入ってもらえれば、今後の恋人生活が大いに役にたつはずだ。
かなり緊張するだろうけど、がんばれお姉ちゃん!
「ほんと良かったね、お姉ちゃん」
「弟くん……」
お姉ちゃんに彼氏ができた。
できるだろうと分かってはいたけれど、実際にできてしまうと、なんだか心に穴が開いてしまったような気分になる。
「お姉ちゃんに彼氏ができたって、お姉ちゃんはお姉ちゃんだ。ぼくにとってはなにも変わらない。それでも……」
「おいで、弟くん」
佐倉さんに誘われるまま、ふらふらと抱きつく。
「弟くんはよく頑張ったよ」
「うん」
「でも、やっぱり辛いよね」
「うん」
「寂しいよね」
「……うん」
佐倉さんに包まれていると、寂しく冷えた心が温かくなっていく。
気がつけば、ぼくの目から涙がこぼれていた。
自分が泣いていることを認識すると、堰を切ったように感情があふれ出て、声をあげて泣いた。
みっともなく泣きわめくぼくを、佐倉さんは優しく受け止めてくれる。
お姉ちゃんに恋人ができたと知るときに隣に佐倉さんがいてくれて良かったと思う。お姉ちゃんに好きな人ができて、ぼくが辛くなったとき、いつも寄り添ってぼくの心を慰めてくれた。
思いっきり泣いて、落ち着きを取り戻したころ、佐倉さんが立ち上がって「んー」と色っぽい声を出しながら背伸びをした。
そして、とんでもない提案を口にする。
「無事綾乃に恋人ができたことだし……一緒にお風呂入ろっか」
「……えっ?」
「私と弟くんの2人で一緒にお風呂入ろうよ」
ぼくはその提案を理解できないでいた。
どういうことだ。
まさか、本当にぼくと佐倉さんが2人でお風呂に入るのか?
しかも佐倉さんの家とは違って、ぼくの家の浴槽は大きくない。2人が入るとなるとすごく密着した状態になるだろう。付き合ってもいない男女がすることではない。
ならどうして――いや、そうか。
ぼくは合点がいった。佐倉さんはぼくを男として見ていないのだ。彼女にとってぼくはまだ男ではなくて子どもなのだろう。だから一緒に入ることに躊躇いはなく、落ち込んでいるぼくを慰めるためにお風呂に入ろうとしているのだ。
「ぼくは佐倉さんが好きなんだ」
「私も好きだよ」
「違うんだ。ぼくは佐倉さんのことを女性として好きなんだ。できればえっちなことだってしたいって思ってる。でも、佐倉さんはぼくのことを男として見てないでしょ? だから一緒には入れない」
佐倉さんの親切心を踏みにじり、無害な子どもを装って一緒にお風呂に入るという選択肢は非常に魅力的に感じるけれども、さすがにぼくの良心が許さない。
「弟くんのこと男として見てるよ」
「じゃあどうして――」
「そのうえで、私は弟くんとお風呂に入りたいって言ってるんだよ」
「で、でも佐倉さんには好きな人がいるって――」
「弟くんのことだよ」
「えっ?」
「私は弟くんのことを、男性として大好き」
真っすぐとぼくを見つめながら言う。
彼女の目は嘘をついているようには見えない。
本当なのだろうか。本当に、佐倉さんはぼくを男として好きなのだろうか。
「両想いだから私たちもカップルだね」
「そうなる……かな? でもぼくは恋人ができてもお姉ちゃんが1番大事だよ。それでもいいの?」
「うん、分かってるよ。そんな弟くんのことを好きになったんだもん。だから私は弟くんの2番になりたい」
「佐倉さんはもう既に2番目に大事な人で、女性としては一番大好きだよ」
「ありがとう。じゃあ一緒にお風呂に入っても問題ないよね?」
「え、えっと……少し早くないかな。もう少し段取りを踏んだ方が良いと思うんだけど」
「もう待てないの。今までずっと、ずーーーーっと我慢してきたんだから」
ぼくはなにも言えなくなってしまう。
「綾乃と一緒にお風呂に入りたいって言われたとき、やっぱり妬いちゃった。弟くんが綾乃を性的な対象として見てないって分かっていても嫉妬しちゃう。綾乃が私のことをコンプレックスに思ってるように、私だって綾乃に嫉妬してる。弟くんがお風呂に入りたい理由を誤解したまま綾乃がお風呂に入ろうとしたって聞いて、私は落ち着いてられないよ。弟くんの1番にはなれなくても、弟くんの恋人としての立場は渡したくないの」
躊躇うぼくの横に腕をついて、お風呂に入ろうと迫ってくる。壁ドンならぬソファードンだ。肉食獣に狙われている小動物のような状態である。
「それとも私とお風呂に入るのイヤ?」
「嫌な訳ないよ! むしろ入りたいよ!」
「じゃあ入ろう」
「でも一緒にお風呂に入ったらどうにかなっちゃいそうだし」
「どうにかなってほしいな」
「え、えぇ!?」
「私もどうにかなるから、ね」
至近距離で「ダメかな?」と囁かれて、ぼくは無意識に頷いてしまうのであった。
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