第31話 クッキーを渡す理由

「ずっと見てても変わらないよ」


 お姉ちゃんは子どもみたいにオーブンレンジの中をじっと見つめていた。


「分かってるけど、なんか楽しくて」

「お菓子作りも楽しいでしょ?」


 お菓子作りは科学の実験みたいな要素もあり、作っている過程は楽しいと思う。

 ただ、後片付けは非情に面倒くさい。

 お姉ちゃんはその面倒くささを知らずに楽しいと言っているけれど、せっかく家庭的なことに興味を覚えたのだ。あえて水をさす必要はないだろう。


「お菓子作りも、普段のご飯を作るときも、相手のことを思って料理をすることは、すごく楽しいんだよ」

「なんとなく分かるような気がする。武田の喜ぶ顔を思い浮かべながらクッキーを作ると、不安とドキドキが混ざったような気分になる」


 お姉ちゃんは両手を組んで、レンジに向かって祈りをささげた。

 美味しくなれと愛情を込めている。


「喜んでくれるといいね」


 心からそう思った。

 確かにクッキーを渡す相手はあのくされチンポ野郎だ。憎き相手だ。

 でも、お姉ちゃんがこれだけ熱心に想いを込めて作ったのなら、その想いが実ってほしいと心から思う。


「喜んでくれるんだろうか」

「絶対喜ぶよ!」


 仮にもしも武田がお姉ちゃんの頑張りを無駄にするようなら、ぼくは絶対に許さない。

 あらゆる嫌がらせをして復讐してやる!


「気持ち悪いって思われたらどうしよう」

「ぼくならお姉ちゃんからクッキー貰えたらすっごく嬉しいけど」

「孝彦はあたしの弟だからなぁ。でも相手はただの男ともだちだ。いずれは特別な存在になれたらいいけど、今は違う。もしかしたら重いって思われるかも」

「佐倉さんが言ってたよ。武田って人もお姉ちゃんのことが好きだって」


 佐倉さんの人を見る目は確かだ。

 彼女が言うなら間違いはない。お姉ちゃんとくされチンポ野郎は両想いなのだ。あとは互いに一歩踏み出す勇気をもつだけだ。


「恭子か……」


 苦い顔で佐倉さんの名前をつぶやく。


「どうしたの?」

「ん? ……いや、なんでもない」


 迷いを振り切るかのように、頭をぐしゃぐしゃと掻きむしる。


「正直、今の状態がここちよかった。あたしのことを好きか嫌いで分ければ、武田はきっとあたしを好きに分類すると思う。でも、その好きが恋愛にいたる好きなのかは分からない。だから、仲のいいともだちの状態でも十分だった」


 確かにここ最近のお姉ちゃんはずっと楽しそうだった。

 男女の関係について語れるような経験はないけれど、今の二人のふんわりした状態が一番楽しい時期なのかもしれない。


「きっとこのクッキーを渡せば、良くも悪くも関係は変化する」


 お姉ちゃんが料理を得意としていないことは武田も知っているだろう。

 そんなお姉ちゃんが、わざわざ異性に対して手作りのクッキーを渡す。武田がよほど鈍感でもない限り、それはきっと告白と同等なものになる。


「どうして急に関係を変えようと思ったの?」

「恭子に怒られたんだ。うかうかしてると他の女に盗られるぞって」

「おぉー、さすが佐倉さん。ズバッといくねぇ」

「まったくだ。恭子は良い女だよ……ほんと」


 お姉ちゃんは力なくうなだれる。


「武田はあたしより恭子が好きなのかもしれない」

「なんで?」

「1年のときに、武田は恭子に告白したらしい」

「1年前でしょ? 佐倉さんは武田に恋愛感情をもってないし、お姉ちゃんと武田のことを応援してくれてるよ?」

「分かっちゃいるんだけど……」

「大丈夫だって。もっと自信だしなよ」

「でもあたし、モテないし」


 色気という面では圧倒的に佐倉さんが勝っているけれど、お姉ちゃんにも健康的な女性の魅力がある。

 男子に対して壁を作って接する佐倉さんとは違い、お姉ちゃんは男女問わず分け隔てなく仲良くできる。男子たちにも親しく接している。

 高嶺の花よりも身近に咲く野花の方を選ぶ人も多いだろう。家族目線の贔屓を抜いて客観的に見ても、もっとモテてもおかしくないと思う。


「恭子に勝てる気がしないなぁ」


 どうしてお姉ちゃんはあまりモテないのか。不思議に思って佐倉さんに聞いてみたことがある。

 苦笑を浮かべながら返ってきた答えは、「綾乃は重度のブラコンだから」というもの。

 男子たちに対して弟のことを語りすぎてしまい引かれてしまうらしい。当の弟であるぼくの立場からはコメントに困る答えだ。

 そして、佐倉さん曰く、武田はブラコンなお姉ちゃんの姿を好きになったらしい。どうやら独特な感性を持っているようだし、今はきっと佐倉さんよりお姉ちゃんのことを好いているはずだ。だからお姉ちゃんの心配は杞憂だ。


「孝彦はお姉ちゃんと恭子のどっちが好きなんだ?」

「もちろんお姉ちゃんだよ!」


 なにがあろうとぼくの一番は変わらない。

 お姉ちゃんが一番大好きだ。


「そっか。ありがとな」


 照れながらぼくの頭を撫でる。

 無骨だけど優しく温かい手だ。


「武田と上手くいっても、ぼくを蔑ろにしないでね」

「する訳ないだろ。あたしに恋人ができたって、孝彦はあたしの弟なんだから」


 お姉ちゃんとくされチンポ野郎。2人が付き合い始めたら、笑って祝福しよう。

 頭を撫でられながら、ぼくは決意した。

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