第13話 悪魔的美少年・白川孝彦
白川孝彦が通う中学校に激震が走った。
全授業が自習となり、緊急職員会議が開かれる。職員室にデカデカと張り出された紙に書いてあるお題は【白川君に元気がない】だ。
中学生というのは難しい時期だ。大人になってしまった教師たちには、思春期まっさかりの少年少女を理解することができない。まるで言葉が通じない別の生き物のようにすら思える。
大人になる過程で学んできた様々な教訓をどれだけ諭したところで、彼らは反発するだけ。
そんな中学教師たちの癒しであったのが、年上キラーのスーパーショタである白川孝彦だ。
頼み事をしても嫌な顔一つせずにニコニコと天使の様な笑みを浮かべながら引き受けてくれる。教師たちの語ることを真剣に受け止め、決して馬鹿にしたりしない。
白川孝彦、彼は男女問わず、新人教師もベテランも、等しくショタコン――正確には白川コン――に引きずり込んだ悪魔だ。
悪魔に魅入られた者たちが集まる職員室。普段からどこか厳粛な気配のある部屋の空気は、いつにもまして張りつめていた。
眼鏡をかけた神経質そうな男、この中学校の教頭が両手で机を叩く。
「白川君に何があったのだ!」
「まさか白川君に反抗期が!?」
「そんな……あの受け持ちたい生徒ナンバーワンの白川君が反抗期に!?」
「独身女教師たちの心を射抜く小悪魔ショタの白川君が反抗期!?」
いつもは年功序列を重んじて遠慮している若手教員もここぞとばかりに気迫を見せて発言する。
かつてない激しい議論だ。教師間における意見の交換が少ないことを嘆いていた校長は、密かに嬉しくなったりもしていた。
会議は踊る。
どんどん会議はヒートアップしていき、殴り合いにまで発展して、最終的には静観するしかないという結論にいたった。
◆
学校の教師たちを混乱に引きずり込んだ渦中の人物、白川孝彦の様子は変わらぬまま、本日最後の授業を迎える。
「おい、白川」
「……なんですか?」
「ぐっ」
いつものキラキラと輝いていた顔ではない。
ぼんやりとしていて、放心状態だ。
――なんということだろう。
他の教師たちと同じく、体育教師・遠藤もまた、孝彦に魅了されている一人である。
三十六歳、独身の彼にとって、孝彦は灰色の人生を彩る唯一の清涼剤なのだ。
いつも汗を輝かせながら、一生懸命運動に打ち込んでいて、その様子を眺めることが楽しみだった。
汗をかいて体操服がぴたりと張り付くことで、見ることができる美しい華奢な身体。芳しい少年の美だ。
だが今日の孝彦は放心状態であり、フラフラとバスケットボールの試合に参加しようしていた。
なんと危なっかしいことか。遠藤は強引に見学を命じた。
孝彦を抜いた状態の授業は順調に、無味乾燥に終わる。
生徒たちは教室へと戻り、体育館に残されたのは孝彦と体育教師のみだ。
「大丈夫か?」
「はぁ」
「ず、ずっと見学していて身体がかたくなっているだろう。先生がストレッチしてやろう」
「はぁ」
孝彦はぼーっとしていてまともに返事をしない。
そんな彼に対して、体育教師の遠藤は無理やりマッサージを施すことにした。
少年の足は健康的だ。まだ産毛しか生えていない。
刹那的な美というのだろうか。
あと何年か経てば、彼も大人の男になっているだろう。でも今は、女でもなければ男でもない。大人でもなければ子供でもない。揺れ動く性、それが少年の美だ。
体育教師は、どんな女よりも美しいと思った。
男を誘惑する女の臭いとは違う。純粋な美だ。
無欲な、穢れなき身体。
――あぁ、この手で穢してしまいたい。
いずれ失われてしまう美だ。であるならば、己が汚しても構わないではないか。
いけない欲望が湧き出てくる。教師としてあるまじき想いだ。
教師は自分のベルトに手をかけて、いきりたった感情を露わにしようとする。
「すいませーん!」
「ッ!」
生徒の声に慌てながら、孝彦を倉庫に押し込んで扉を閉める。
遠藤の邪魔をした人物は金髪の少女、皇ニーナだ。
ハーフだからなのか、顔が整っている少女だ。遠藤も彼女のことは可愛らしいとは思っているが、それはあくまで生徒に対する感情であって、欲情したりはしない。
孝彦のような悪魔的魅力はないのだ。
「どうした?」
「白川孝彦さんを見ませんでしたか?」
ニーナは孝彦を探しにきたようだ。
普段は孝彦に対してキツく当たっている癖して、随分と心配そうだ。ツンデレというやつなのだろう。
「それは……だな」
背後の閉じた扉の向こうに孝彦がいる。
教師として正しい行動は倉庫の扉を開けることだ。遠藤とて、当たり前の倫理観を所持している。だが、
「いや、もう帰ったと思うぞ」
悪魔のささやきに打ち克つことはできず、孝彦の存在を隠してしまう。
もう後戻りはできない。
皇ニーナがトボトボと去っていくのを見送って、倉庫の重い扉を開いて中に入る。
マットの独特の臭いが漂う倉庫。埃がかった狭い部屋に密室となった。
唾をのみ込む。
(どんな反応を見せるだろうか)
きっと泣きわめくに違いない。美しい顔は歪んでしまうだろう。
それでも従順になるまで、何度でも――。
「はぁ、はぁ」
息を荒げながら、飢えた獣のように近づき、手を伸ばす。
――ピコン。
メッセージアプリの軽快な着信音が鳴った。
すると孝彦が急に動き始めて、スマホの画面を確認する。
そして遠藤の存在など目も入らぬように、倉庫を飛び出して行った。
「お、俺はいったい何を……」
遠藤は取り残され、誰もいない倉庫の中で、ようやく理性を取り戻す。間一髪のところで過ちを起こさずにすんだことを理解し、顔から血の気がひいていった。
そして遠藤は己の行動を恥じ、教師の職を辞することとなる。
孝彦は学校で過ごしやすくなればいい、と軽い気持ちで教師に媚びをうった結果、己の影響力の大きさを甘くみて、あずかり知らないところで一人の教師の人生すら変えてしまうのであった。
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