第9話 作戦の影響

 弁当や朝食を作り終えたあと、ぼくには重要な役目がある。

 それは寝起きが悪いお姉ちゃんを起こすことだ。

 豪快にヨダレを垂らしながら眠るお姉ちゃんを見なければ、ぼくの一日は始まらないと言っていい。

 お姉ちゃんは男よりも女の人にモテる。

 顔は美人だと思うけれど、小麦色に焼けた肌にボーイッシュな髪型、そして男っぽい言動の姉御肌なためか、男に告白されたことはないらしい。男子と分け隔てなく接するし、明るくて元気なお姉ちゃんはもっとモテてもいいと思う。お姉ちゃんの高校の男子たちはみんな見る目がない。


「ふふ」


 お姉ちゃんはよく、寝ている間に掛け布団を蹴っ飛ばす。今日も布団がベッドの下に丸まっている。

 パジャマで横になるお姉ちゃんの姿は誰にも見せられない。

 就寝時はブラジャーをしない派のお姉ちゃんのおっぱいを守るものは、薄いパジャマ一枚だけだ。

 お姉ちゃんは巨乳という訳ではないけれど、貧乳でもない。

 アンダーが細いから、これでもDカップなんだぞと自慢げに言っていたこともある。

 きっと美乳というやつなのだ。


「ん~」


 寝返りをうつと、パジャマの裾がめくれて縦長のおへそがチラリとのぞく。

 日焼けしていない肌色のおへそはとても可愛らしい。


「あれ?」


 ふと、ぼくは違和感を覚えた。

 様子がおかしい。

 いつもは楽園にでもいるかのようにぐっすりと寝ているのに、今は寝苦しそうに眉をしかめている。


「お姉ちゃん、朝だよ」

「……わかった」


 不安になってお姉ちゃんの肩を強く揺すって起こすと、いつになく素直に起きた。

 絶対におかしい。普段ならばもっとゴネねて全然起きないはずだ。

 上半身を起こしたお姉ちゃんの顔を見れば、瞼は重たそうだし頬は赤い。

 これはきっと風邪だ!


「お姉ちゃん、大丈夫?」

「だい、じょぉぶ」


 意識が覚醒しないまま、呂律の回らない返事をしてフラフラと立ち上がろうとする。

 慌ててお姉ちゃんをベッドに押し戻して、ぼくは体温計を急いで取りに階段をダダダと降りる。

 収納棚に置いてある薬箱から体温計を無造作に取り出して階段を駆け上がって部屋に戻った。


「はい、体温計」

「大丈夫だっての」


 体温計を受け取ったお姉ちゃんはパジャマのボタンを一つ外して首の襟側から体温計を脇に差し込んだ。

 胸元から見える白い肌はいつもより赤くなっている気がする。


「絶対熱があるよ」

「せいぜい微熱だろ。ちょっと頭がクラクラするぐらいだ」


 お姉ちゃんの言う通りなら良いんだけど。

 熱があったとしてもせめて微熱であってほしい、と心の中で祈っているとピピピと音がなった。

 お姉ちゃんは体温計を取り出して呆然と呟く。


「38.5度」

「高熱だ! 大丈夫なの!?」

「……死ぬかも」


 人間とは不思議なもので、熱があることを数値で把握して、初めて己の不調を自覚するフシがある。

 お姉ちゃんもまさにこのパターンで、自分が高熱であることを知ると急に弱々しくなって寝込んだ。

 急に重篤患者状態になったお姉ちゃんの看病をするべく、ぼくは駆け回った。

 リクエストに応えて近所のコンビニでポカリスエットとハーゲンダッツを購入して、氷枕と共にに持って行く。


「冷たくて気持ち良い」


 タオルで巻いた氷枕をお姉ちゃんに手渡すと、氷枕に頬を押し当ててふにゃと笑った。

 その笑顔には力がなくて、しおれた花のようだ。


「学校には連絡しておいたから」

「ありがと」


 ハーゲンダッツのフタをあけながら、お姉ちゃんが礼を言う。

 スプーンですくって口にすると、冷たいアイスを身体に染み込ませるかのように「んん」と目をつむった。

 目を開けながらスプーンを口から取り出して、ぼくにつきさす。


「孝彦はそろそろ学校に行きな」

「嫌だ。今日はずっとそばにいる」


 ぼくはベッドの上にある白い敷布団に両手をついて、ブンブンブンと首を何度も大きく左右にふる。


「あたしは大丈夫だから」

「絶対行かない。もうぼくも休むって言ってあるし」


 お姉ちゃんの頼みであっても譲れない。

 今のお姉ちゃんを助けられるのはぼくだけなんだ。

 悲壮なまでの決意が宿っているであろうぼくの顔を見て、お姉ちゃんがため息をつく。


「勝手にしな」

「うん!」


 お姉ちゃんは再びハーゲンダッツをもくもくと食べ始めた。

 美味しそうだ。……ぼくの分も買っておけば良かった。




    ◆




「手、繋いで良いか」


 背中を向けて横になっているお姉ちゃんが、ぼそっと呟いた。

 花が散りばめられたピンクの掛け布団の下からおずおずと右手をのぞかせる。

 熱が出て不安になっているのだろう。


「いいよ」


 両手でお姉ちゃんの右手をそっと持つ。

 お姉ちゃんと手を繋ぐのはいつぶりだろうか。記憶にある手とは違って汗だくで熱を持っていた。


「孝彦の手、冷たいな」

「お姉ちゃんの手が熱いんだよ」

「それもそうか」


 手の熱と汗が、風邪の重さを感じさせて、ぼくは胸が苦しくなってしまう。

 早く良くなりますように、と祈りながら握りしめた。


「なあ、孝彦」

「何?」

「孝彦が傍にいてくれて良かった」


 精神的に参っているのだろう。珍しく殊勝な態度を見せている。

 ぼくは言葉に詰まって黙り込んでしまった。


「孝彦?」

「……ごめんね、お姉ちゃん。多分、ホースが破裂したときに身体が冷えたのが原因だよね」

「別に孝彦は悪くねーよ。ただの事故だ」

「事故じゃないんだ」

「どういう意味だ?」


 お姉ちゃんが身体の向きを変えて、不思議そうにぼくを見つめる。

 懺悔の時間だ。きっとお姉ちゃんは怒るだろう。

 お姉ちゃんの手を握る両手に思わず力が入った。


「ぼくがホースを細工したんだ」

「……なんでだよ」

「お姉ちゃんとお風呂に入りたかったから」

「は、はぁ?」

「二人で水に濡れたら一緒にお風呂に入れるかなって思ったから」


 お姉ちゃんは鳩が豆鉄砲でもくらったようにきょとんとしている。

 少し経って頭の整理ができたのか、ぼくの頭に左手をこつんと落とした。

 熱で弱っているためか、全然痛くない。


「このエロ彦が」

「ごめん」

「まぁお前も中学2年生なんだ。女の身体に興味を持つことも当然か」

「お姉ちゃんの身体に興味があった訳じゃないよ」

「今さら誤魔化そうとしなくて良いっての。別に怒ってないから」


 ぼくがお姉ちゃんに性的な意味で興味があることになってしまったようだ。

 状況的にそう思われても仕方がないので強く言い返せない。


「ただ、あたしたちは姉弟なんだ。だから一緒に風呂には入れない。分かるな?」

「……うん」

「だからって恭子と入ろうとするなよ?」

「しないよ! ぼくはお姉ちゃんと入りたいんだ」


 慌てて首を振って否定する。

 佐倉さんとお風呂に入るなんて、それこそ性的な意味になってしまうじゃないか。


「恭子じゃなくて、あたし……か。ふふ」

「お姉ちゃん?」

「嬉しいこと言ってくれんじゃねーか」


 頭をワシャワシャと撫でてくる。雰囲気が柔らかくなって、ぼくは安堵した。

 どうやら少し元気になったみたいだ。


「反省してるみたいだし、今日一日こき使われることで許してやるよ」

「任せて!」


 このあと滅茶苦茶看病した。

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