第5話(廃虚の都)

 朽ちた壁。崩れた建物。抉れた地面。人の営みがかつてここにはあった。とある事情により一度は地図から消された廃虚の都。旧都へクセレン。近くにはアグニ火山を含む山脈に囲われているせいか昼夜問わず薄暗い。

 二人が立っている場所と旧都の入り口の明暗は、足下を見れば一目瞭然。闇の先に待ち受けるは旧都の黒い瘴気と、かつて名を馳せた魔術師の怨念。精神を狂わせ、自我を殺し、己の精神を亡き者に蝕まれる。

 魔術師の怨念に呑まれれば命はない。魔術都市ヘクセレンが作り上げた最初の人工迷宮に二人は挑む。

 あらかじめギルドには迷宮への申請書を提出し、ギルドは受領済み。二人は、ギルドが発行する迷宮入場許可証を持っている。冒険者ランクが指定されている迷宮にのみ必要な手続きだ。目的地の途中にはギルドが設ける迷宮センターがある。関所のような役割を担い、時には必要な物資を補給する冒険者いこいの場。

 迷宮センターは冒険者の安全と命を守る大切な関門である。許可証もしくは適切な冒険者ランクが記載されてあるカードを見せなければ、迷宮周辺の地域に足を踏み入れることは許されない。

 デュカルの冒険者ランクは七。ローエのランクは八。ここで足止めを食らい、無駄なやり取りをしないように必要な書類の準備をしてきた。

 二人はあらかじめ用意した許可証を見せて、迷宮センターを無事通過した。

 そして、二人は迷宮の入り口で立ち止まっていた。

 瓦礫の山、千切れた赤い布の切れ端、中身が飛び出た冒険者愛用の魔道具の数々。形こそ保っていないものの、魔術都市にもある身近な景色や物品が転がっていた。

 ローエは自分の腰に付けている鞄の魔道具と見比べる。同じような形、同じような色、同じような中身。アグニ噴火口では感じなかった恐怖の感情がローエに芽生える。

 浮世離れした世界とは違う。ここには確かに日常があったのだろう。ただ、全ての物が、廃れて壊れていた。ローエの魔道具も、ローエ自身も油断をすれば、同じような道を辿るかもしれない。日常から、無意識に死の感覚を意識する。

 ローエは完全にその場の空気に支配されていた。

「何だ? 怖気付いたのか?」

 デュカルは、一歩踏み出さないローエに疑問を持つ。ここまで来るのにローエが立ち止まることは無かった。

「ち、違う」

「それじゃあ、暗い所が嫌いなのか?」

「そ、そ、そんなことないよ」

 ローエの口は震えて上手く話せない。

「なら、最初に入るのお前に譲ろうか?」

「デュカルが先に入って」

「わーったよ。後ろついてこいよ」

「うん」

 デュカルは怯えることなく、迷宮の中に入った。

 ローエもそれに続いて、デュカルの後ろにピッタリ張り付く。両手で腰をがっちり固定させて。

「おい、ローエ」

「何?」

「動きづれえだろ、少し離れろ。お前は後ろの警戒だけしてろ。道は知っているから俺が前を歩く。前方の魔獣も対処できるやつは俺が対処する。そんな怯えるな」

「分かった。ありがとう」


 デュカルがそう言うと、ローエは少し安心して後ろに下がった。

 迷いなく前を歩くデュカル。瓦礫を乗り越え、時には建物の中を潜り抜け、目的地まで突き進む。二人の目的に果たして終わりを迎えられるのか、いささか疑問は残る。どのようにして目的を達成するのか、旅なれたデュカルがどうにかするだろう。デュカルは旧都ヘクセレンの中心を目指した。そこに二人が探す魔王がいる可能が高い。

 一見、道とは思えない場所もデュカルが通れば道になる。通り抜けた頃にはそれらしい大通りを二人は歩いていた。そして、しばらく歩くと、また、道とはいえない道をデュカルは選んだ。ローエは迷わず歩くデュカルに質問をする。

「デュカルはここに来たことあるんだよね?」

 デュカルは振り向くことなく答える。

「ああ」

「そうなんだ。よくこんな道を覚えてたね」

 荒れに荒れた道に、目印となりそうな物はない。

「好きで覚えてねえ。気づいたらこの道を通ってた」

「どうして?」

「魔獣から逃げるためだ」

「なるほど。そういえば、まだ魔獣に出会ってないね」

「そうだな」

「道を選んでいるの?」

「まあ、内緒だ。ていうか何時まで怯えてんだ?」

「何か怖い」

「早く慣れろよ」

「う、うん」

「お前も大事な戦力なんだからな」

「分かった」

 そう言って天井もくずれた建物の中に入ると何か人以外の気配をデュカルは感じ取った。

「やべえ、ローエ防御体制を取れ魔獣に見つかった」

「ちょっと見えないんだけど、どういうこと?」

 二人の目の前に現れたのは、黒い布を纏い人の輪郭をした魔獣だった。顔や体は黒い布によって隠されている。

 それを見たデュカルは立ち止まり、魔獣の様子を伺う。

「現れた、魔獣だ」

「人にしか見えないけどあれが魔獣?」

「魔術師の怨念が作り上げた魔獣。悪霊ファンタズマ。この旧都に一番多く住む魔獣だ。強さはピンキリ。日の浅い悪霊だったら運がいいただの雑魚。だが、古の魔術師の怨念に遭遇したら基本は逃げる一択。まあ、レオナベルグを一人で倒せる実力があるならここでは敵なしだろうな。自信を持てよ」

 デュカルはローエに説明をしつつも目の前にいる魔獣の警戒を最大まで高める。ローエは感じたことのない恐怖によって、体の動きが硬い。

 そして、目の前の悪霊が動き出す。右側の布が持ち上がった。布の先から青い術式が浮かび上がる。

「魔術が来る、避けろ」

 冷静にデュカルはローエに指示を出す。

「ちょっと、いきなり過ぎるよ」

 対照的にローエの声は焦っていた。ローエの視界はデュカルの背中しか見えていない状況。悪霊が作った術式を見ることは出来なかった。しかし、普段のローエなら魔素の動きがあれば、魔術の兆候を事前に察知して予測出来る。魔術を予測出来ていないローエは体を動かす準備は万全ではない。

 魔王の時とは違う恐怖と緊張。冒険者になって間もないローエは経験したことのない感覚が全身を縛り付けていた。ローエの指示とは裏腹に体は動かない。


 デュカルは魔術を避けようと後ろを振り返る。緊張でがちがちに固まったローエの強張った表情を見た。デュカルは避けるのを止めて、その場にとどまった。両手を交差させ、顔を覆うように守りの体制を作る。デュカルにも防御魔術はある。しかし、詠唱を必要とする術のため、即座に展開する事は出来なかった。


「これは貸しだからな」

「え?」

 

 二人の短いやり取り。その間隔で悪霊が魔術を放つ。青く光った術式は氷のつぶてを作り上げた。氷のつぶてはデュカルとローエにまっすく向かう。秒速で離れた氷弾は瞬きすら許さない。デュカルが『避けるぞ』と言ったタイミングがこの魔術を避ける最適な瞬間だった。デュカルは魔獣が使った術式について完全に理解ている訳ではない。多くの経験と時間が導かれた勘によって生まれた一つの未来予知である。

 その予測によって、デュカルの感覚と本能は冴え渡る。感覚はより鋭く、肉体はより強く、精神はより研ぎ澄まされた。

 デュカルは咄嗟に氷のつぶての軌道を読み、急所に大きな傷が出来ないように体を少し傾けた。

 そして、デュカルの体に氷のつぶてが突き刺さる。

「ぐふ」

 デュカルの口から血がこぼれ出る。生みだされた氷のつぶてはデュカルの体を貫くために力強く作用する。

 デュカルは全身の筋肉を動かして、それを阻む。治癒師のデュカルに体を強化するような現代魔術は使えない。魔素や錬素を使って、魔術そのもを無効化する技術もない。長年作りこんだ体を使って、力技で魔術を防ぐ。

 体の内部に侵入した氷は消えた。デュカルは魔術を防いだと同時に、前のめりに倒れこむ。


「うそ……」

 ローエは目の前で起きた一瞬の出来事に戸惑いを隠せない。デュカルがいきなり立ち止まって、体を守るような体制を取り次の瞬間。血だまりの上に倒れ込んでいる。ローエは動揺を隠せなかった。魔獣や魔王を殺せる魔術は身に付けているものの、人や生物を治す魔術を備えてはいない。

 焦るローエ。目の前の惨劇を見て、ローエにスイッチが入った。

 悪霊が作った魔素の揺らぎ、消えゆく術式の一部を視認する。ローエは術式と魔素から魔術を逆算する。ローエは瞬時に魔術の全容を解析し理解した。数字が振られた現代魔術ではなく、術式を素に作り上げた固有の魔術だと導き出す。

 魔素と錬素の制御を覚え、術式に精通しているローエだからこそ出来る芸当。普通の魔術師、ましてや一流の魔術師でも一秒以内に処理出来るか分からない。極めた者だけが辿り着く究極の頂にいる。


「待ってて、すぐに助けるから」

 魔獣を倒すか、デュカルを助けるかの選択を迫られる。ローエは迷わずデュカルを助けることを選んだ。ローエにとって魔獣を殺すのは片手間でもできる。魔王、レオナベルグ、数は少ないとはいえ殺すのに数秒もいらない。ましてや、悪霊が使う魔術の解明は完了している。

 逆に他人の怪我を治す経験が、ローエには一度もなかった。それは一緒に過ごした弟にも施したことはない。命にかかわるような傷を負うデュカル。初めてのローエに時間という制約が重くのしかかる。秒、分、時間、いくらかかるか分からない。処置の時間は予測不可。経験による記憶もあてには出来ない。

 ぶっつけ本番、適切な選択が生命に直結する。


 悪霊が次の魔術を放つ。直径十メートルはある巨大な氷塊が容赦なくデュカルの頭上へ落とされる。

「邪魔よ」

 ローエが短く呟くと、氷塊は一瞬で蒸発する。


 悪霊は手を緩めない。青色に光る術式を一つ。また一つ。さらに一つ作り上げる。術式の数は人の両手には収まりきらない。魔術の城壁が築かれた。悪霊はそれを一息で完成させる。

 再び術式が青く光る。魔術の発動を示す合図。術式は完成し魔術が現実に干渉する。そう思われた。


「《歪み》クラック」


 ローエがそう呟くと悪霊の魔術は発動しなかった。青く光る術式の中心に亀裂が生まれ、再び青く光ると同時に砕け散った。悪霊は機械のように術式を作るが、一向に術式が完成する気配はない。

 

 悪霊の術式を破壊したのはローエ本人。参考にしたのは師匠のモルテが操る錬素の応用。見たのは数えられる程度の回数。ローエがモルテと送った修行の日々の中に、ごく自然に術式破壊は使われた。それ以来、モルテと同じように術式を意図的に無効化する方法を模索して作り出した技が《歪み》クラック。

 モルテなき今も一人コツコツと修行に励み、何時でも使えるように準備は怠らなかった。

 初めて実戦投入された錬素による術式破壊。

 ローエの術式破壊はモルテの術式破壊と目的は同じだが、モルテの術式破壊と少しだけ仕組みが異なる。モルテの場合は術式として成立した魔術を破壊するが、ローエの場合は術式そのものが成立する前に破壊する。ローエは蓄積される錬素を使って、空間の魔素を意図的に湾曲させる。

 そうなると、術式と魔素をつなげる役割をしている管が割れるのだ。不安定な術式は自ら壊れる。

 この錬術に名はない。ある種の錬術をローエは新しく開発した。

 

 悪霊が使う魔術は、術式を描いて魔術を発動させることは現代魔術の本来の使い方とは遠く離れる。

 既に術式として決まった現代魔術、いわゆる数字が付く魔術を使う方が遥かに効率的だ。先人が確立した法則に従って術式は魔術として発動する。発声し、魔素を取り込ませることで、術式は音速かつ、脅威的な効果を生み出す。

 悪霊が使った魔術は現代魔術には劣る古い魔術。難解な術式に複雑な工程。音速には程遠い。だが、悪霊は一呼吸で数多の術式を描き上げた。現代魔術に欠点があるとすれば、原則一回の発声で一つの魔術しか発動できないこと。

 その点、術式を描いて使う魔術はとても秀でていた。描いた術式を多次元に捉えて複写することが出来る。才覚ある者だけが身につけられる特別な手順と手際。現に悪霊は術式で一つの城を作り上げた。

 そんな高度な魔術もローエが身に付けた、名もなき錬術の前では無力だった。旧都の悪霊が極めて特殊な魔術を使ってもお構いなし。古い魔術は通用しない。現代魔術も無意識に使えば制御を失い無効化される。傷を付けるにはそれなりの工夫が必要になるだろう。

 

 倒れ込むデュカルに近づきローエは膝をついた。

 ローエは腰に付けた鞄から、小瓶を複数個取り出した。小瓶の中には高品質の回復薬が入っている。

 ローエは倒れているデュカルに寄り添って話し掛けた。

「デュカル聞こえる?」

「い……しき……とんでた」

 倒れているデュカルの上半身をローエは抱き上げた。

「良かった生きてる。これ早く飲んで」

 ローエは小瓶の蓋をとりデュカルの口に押し付けようとしたが、デュカルがそれを拒んだ。

「いや、じぶ……んでなんとかする。天使の光エンジェル・オブ・ラスター

 デュカルの頭に天使のような光の輪が出現する。天使の輪から光が溢れ出た。光がデュカルの体を包み込むと、悪霊に付けられた傷が跡一つなく綺麗に消え去った。

「これで元通りだ」

 ローエは言葉を失った。腕が立つ治癒師もここまで瞬時に再生させるのは難しいだろう。

「魔獣の方も消えちゃったね。何も残ってない」

「未練も何もかも綺麗さっぱりだ」

 さっきまでいた悪霊の姿は消えていた。

「これもデュカルの魔術の影響?」

「ああ、霊系の魔獣は跡形も残さねえ。なるべく使いたくもねえ」

 天使の光エンジェル・オブ・ラスター

 三大治癒魔術の一つ。ありとあらゆる傷と欠損を再生する治癒術。現存する治癒術の中で最上級に位置する。基本的に治せない傷はない。

 異界に飛ばされた体の部位、死人の蘇生以外であれば、何でも復元可能。時空を歪ませるまで使いこなせると、不老不死のような永遠の若さを手に入れることも不可能ではない。そこまで熟練した術師になるころには先に人間の寿命が尽きるだろうが、再現出来れば神のような所業と言える。

 この魔術は発動すると副産物として、霊に分類される魔獣を一瞬で消滅させる効果もある。そのせいで、悪霊は二人の前から消えていた。

「どうして?」

「金にならねえから」

 冒険者ギルドで、魔獣の討伐部位と交換することによりいお金を稼ぐことが出来る。

 この迷宮でデュカルが天使の光を使い続けていれば、ただ働きも同然。今はローエと言う仲間がいる。いくら魔王を探す冒険と言っても、活動資金は確保できるうちに確保しておくべきだろう。デュカルはなるべく天使の光を使うのを控えて、ローエが魔獣を倒して自分のためにも資金を稼ぎたかった。

 デュカルは気づいたように忘れていた防御魔術の準備をする。

「デュカル、何でさっき避けなかったの?」

「避けたらお前に当たる」

「それは……ごめん。怖がって動けなかった」

「まあ、気にするな。最初のうちはよくある」

「ねえ、あれは本当に魔獣なの?」

「そりゃあ魔獣だ。人の形をしていても魔獣は魔獣。例え、意思があろうとなかろうと。同じ生と死があろうとなかろうと。肉と骨で出来ていようといなくても。人間のように同じ声と顔をしていても、一度分類したらそう割り切った方が楽だ。魔獣と迷宮の中では、ありとあらゆる想像と思考を巡らしても限界は存在する。考え出したら埒が明かねえ」

「どんな人だったのかな?」

「さあな、行き場のない奴だろうと、この世に後悔を持った奴だろうと、怨念になった奴だろうが知ったこっちゃない。俺の気分次第で成仏させたんだ。今頃、幸せにあの世で遊んでいるだろうよ」

「何で平等じゃなくて気分次第なの?」

「討伐部位が欲しいから。俺は尊厳より金が大事なんだ」

「それでも信仰深い治癒師なの?」

「それはそれ、これはこれ。一つのことが全を成すなら、全は一つのことも成せるはずだ。だが現実はそう上手くできちゃいねえ。残念なことに治癒師は治癒師。金は金。明確にきっちり分けねえと上手くいかねえよ」

「なにそれ、治癒師の依頼でお金稼げばいいじゃん」

「嫌だ」

「何で?」

「治癒は金にならねえから」

 デュカルは治癒術でお金を稼いではいなかった。無償で自らの魔術で人々を傷を癒していた事実にローエは驚愕する。

「それって、治癒ではお金受け取らないで仕事してるの!?」

「善意と呼べるもんじゃねえけどな。所詮俺がやっていることは偽善だ」

「それだったとしても、あなたがやっている行いは、とても素晴らしいことよ」

「素晴らしくねえよ。生者も死者も平等には扱ってない。何一つ特別なんてねえんだよ。さあ、ぼーっと突っ立てないで、先に進むぞ。それと次は仕事を頼むぜ。金欲しいから討伐部位はしっかり残してくれ、後は俺が回収する。——了」

 デュカルが『了』と言って防御魔術の準備を完了させた。ローエと話しながら、手際よく詠唱を終わらせる。

「はあ。八星冒険者として頑張りますよ」

「頼むぜ、姉さん」

 デュカルが何気なく言ったその言葉がローエの逆鱗に触れる。ローエにとって姉さんと呼んでいいのはたった一人。

「次言ったら、その口消し飛ばすわよ」

「おお、怖い怖い。じゃあ頼むぜローエ」

 デュカルはローエを少しからかって、お互いに水分補給を済ませて冒険を再開した。


 ***


 二人はあれから更に奥に進んだ。

 遭遇した魔獣の数は二桁を超える。

 ローエが火力を落として魔獣を倒すと、デュカルはすかさず残った素材を余すことなく鞄に収納する。素材を回収し終えたのをローエが確認すると道なりに二人は迷宮の奥へ進んだ。

 進んで行くと、暗がりの迷宮の中に、ぽつりと明るい場所が見えてきた。

 二人はその明るい場所に足を踏み込む。

 デュカルが首を振り、独り言のように話始めた。

「魔王はいなさそうだな。争った形跡もないし、魔獣も普段通り変わらなさそうだったし」

「うん、ここにはいないわね」

 二人は警戒を弱めて、さらに奥へと進む。

「ここが旧都ヘクセレンの中心。魔術師たちの眠る場所」

「魔術師のお墓だね」

 デュカルはお墓の真ん中にそびえ立つ白い石柱に向かって歩き出した。

「行き場を無くした世界中の魔術師の魂がここに集まるとされている。肉体は消え、血が枯渇し、自我に無が訪れようと魂までもが消えないことは多々ある。魔術師は特に執念深い。魔術の未練を捨てられず、この世界を彷徨い、やがてこの魔術都市の旧都にたどり着く。まあ、魔術師の墓と呼ばれるきっかけは、別だけどな」

 ローエも後を追う。

「魔王に滅ぼされたんだよね?」

「ああ、古い歴史書にはそう記載されている。魔王がやったなんて、覚えている奴も少ない。今じゃ現地の人も正確に伝えることをやめて、天災による被害なんて主張する派閥の方が多い。こっちとしちゃあ、人が歴史を誤認するのは良いが、いくつかの真実を歴史書としてちゃんと残して欲しいと思うことはあるけどな」

「そうだね。話変わるけど、ここは他と違って特別静かだね」

 旧都で唯一、明るい日差しがアグニ火山に遮られことなく、入る場所。旧都の中心で最も異質な場所。日常にして見れば普通がまかり通っても迷宮で普通は異常だった。

「ここは魔獣も寄り付かない神聖な結界が施されている。高名な治癒師が作った物だろう」

「ねえ、何をしているの?」

「祈りと弔いだ」

 デュカルのは旧都の墓跡に白いラッパ状の花束を置いた。

「その花は?」

「ホワイト・トランペット。少し騒がしい花だけど、静かなこの国にはちょうど良いだろう」

 風が花を通過すると、ホワイト・トランペットが小さく歌う。高所を好み風が花の中心を通り過ぎると穏やかな音を出す。

「そっか、私もデュカルと一緒に祈っとくよ」

「やめとけ。俺がしていることは偽善だ。善意なんてもんはない。そんなことしたら、俺と同じ偽善者に見えるぞ」

「別にいいよ。ここにはあなたと私しかいない」

「なら、好きにしろ」

 そう言って二人は立ったまま両手を組んで祈りと願いを捧げた。

 祈るデュカルにローエは声を掛けた。

「ねえ、デュカルはどうして治癒師になろうと思ったの?」

「才能がねえからだ」

「デュカルが才能なんて言葉を使うとは思わなかった。凄い治癒術を持っていてもそう思うの?」

「思うね。才能が全てだ。だから俺は治癒師をやっている。努力が才能を凌駕するなんてあると思うか?」

「そりゃあると思うけど」

「俺はない。努力が才能を超えることはない。努力が才能に追いついたんだ。もともと才能があった。じゃなきゃ努力が才能を凌駕することはない。努力が才能を超えた時、ようやく自分に才能があったことを自覚する。俺はそんなことはなかった。才能がない奴が努力をしても無駄だ。初めからない才能を闇雲に追い続けても自らが望む才能は手に入らない」

「私は才能が全てなんて思わない。知識と時間と成長で才能は補える。そして、才能は育むものだと思う。才能を手に入れたり、無くしたりするもんじゃない」

「一番残酷なこと言うんだな。俺、お前のことが嫌いかもしれない」

「面と向かってよく言えるね。まあ、私もデュカルのことあまり好きになれないかも」

「そりゃ、気があうな」

「それで、もう少し詳しく教えてよ」

 ローエはしつこくデュカルの身元を確認する。

「治癒師になった話、そんな詳しく知りたいのか?」

「うん、知りたい」

「話が長くても?」

「全部ちゃんと聞くよ」

「ここじゃあれだ、あそこにしよう」

 そう言ってデュカルが指さした先には一本の大きな木。二人はその木陰に腰を据えて、デュカルが話を始めた。

「俺はさあ、おとぎ話の勇者に憧れた。俺も勇者みたいに剣を使って悪い魔獣を倒して、世界を平和に導くような人間になりたかった。勇者がいないっていうのはなんとなくその時から知っていたが、勇者のように剣一本でこの世界を冒険することは出来る。それで、俺はいつしか剣士になることを夢見た。勇者が修行したとされる聖地。剣の里。俺は両親を説得し剣の里に住み込みで剣の修行をした。剣の里は外部からの縛りが厳しくて、十歳未満じゃないと入れない。そして、十歳になるころに七つある錬術の内一つを習得しなければならない。習得出来なければ国へ強制的に帰らされる。それが剣の里だ。俺は六歳の時に剣の里へ入った。四年もあれば錬術の一つを覚えられるだろうと、必死に剣を振り続けた。だが、一つも錬術を習得できず国へ帰って来た」

 振り返るデュカルは自分の言葉が肩に重くのしかかる。肩を落としてデュカルは再び話を続けた。

「俺の努力も費やした時間も全てが無駄になった。何も出来なかった俺に両親は別に怒ることも失望することもない。その代わり、両親から今後一切逆らうなと宣告された。そして、治癒師の学園に通うことになった。治癒師としての才能はあったみたいで、剣の里ほど苦労はしなかった。そういえば、聖国出身じゃないよな?」

「出身はトレーディアよ」

「また少し離れた国だな。治癒師の学園の説明を軽くするか?」

「知らないから教えて」

「聖国にある治癒師になるための学園だ。神聖学園って呼ばれている。魔術師がへクセレンならな、治癒師はサントクリスって言われる。治癒術には種類があって、体、精神、病、の三つ分類にされているんだ。そのいずれかの治癒の見込みがあれば、誰でも入学できるちょろい学園だぜ」

「卒業するにはどうしたらいいの?」

「何時でもいい、入学した段階で五年の間にどれか一つ基準を超える治癒術。もしくはそれに準ずる魔道具の作成及び、開発が出来れば卒業できる」

「卒業に関しては魔術都市と似ているんだね」

「まあ、ぶっちゃけどこも一緒な気がするよな」

「そうかもね。話し逸れちゃったね」

「つまらない話なのに聞き続けるなんて物好きな野郎だ」

「デュカルのことが知りたいだけ」

 ローエは特に表情を変えず、デュカルはつまらない顔をして、目線を白い石柱に移動させる。

「あっそう。俺は全三種、基準値を超えた。体と病に関しては、最高基準に達した。普通に卒業をしようと思ったけど、やる事が無いって学園の方から言われて、最後の一年は好きな事させてもらった。その一年で勇者と魔王について色々と経験して、成り行きで治癒師になった」

「治癒師のカードとかあるの?」

「ないよ。あるのはこれ」

 そう言って右手をローエに見せた。

「この銀色の指輪が治癒師の証明だ」

「へえー。綺麗だね」

 そう言って、ローエはデュカルの指輪をまじまじと見る。

「さて、うかうかしてたら日も暮れちまう。帰ろうぜ」

「ちょっと待って」

「何だ?」

「デュカルの夢はもう諦めちゃったの?」

 ローエの質問に、間髪入れずデュカルは答えた。

「そんな訳ねえだろ。ほら行くぞ」

「うん!」

 それを聞いたローエに元気が戻る。決して諦めた訳じゃない。デュカルが才能なんて言葉でまとめるとは思えなかった。

 ローエは分かっていた。

 才能だけではあんな治癒術は手に入らない。才能だけで、あそこまで完成された領域に届くことが出来るのか?

 答えは分からない。ローエも悩み戸惑いうれいがあった。完成した中に不純な物があるはず。

 そう言った才能だけでは決めつけられない、気持ちや想いもあるはずだと。

 ローエはデュカルの言う才能以外にも見えない努力があったことを確信する。決め手になったのは、デュカルはまだ夢を諦めていないこと。治癒師を手に入れた。欲張る必要はない。片方を諦めても、捨てても、良いはずなのに、デュカルは残していた。

 そんな、デュカルをローエは心の中でひっそり応援する。


 ***


 冒険者ギルドに向かう帰り道。

 すっかり日は落ち、あたり一面漆黒の世界。地上の灯りはほとんどない。かろうじて建物中にある蝋燭の明かりがかすかに漏れているくらい。空を見上げれば、星々が輝き、夜の漆黒に光をもたらす。蒼黒色をした月のような巨大な星が二人に光を灯した。

 こんなこともあろうかと用意したランタンの魔道具をローエは手に持っていた。

「一日が終わったな」

「デュカルのおかげでね。私ばっかり働かされた気がする」

 ローエの足取りは重く、顔は少しやつれているように見える。

 倒した魔獣の数は、二十を超えたあたりから数えるのを止めている。沢山倒したのは間違いない。

「気のせいだろ」

 デュカルは大量の素材を手に入れてかなりご機嫌の様子。

「まあいいわ。今回だけのサービスよ」

「素直にありがとうございます」


 旧都から返って来た二人は、冒険者ギルドの中に入って、討伐部位と素材を提出して報告を行なった。

 受付の人が事務室に戻り、重そうな麻袋を持ってやって来る。受付の机に置かれたのは鋼貨コインがたくさん詰まった二つの袋。両方の袋をローエが受け取り、簡易的な討伐依頼の報告が終わる。ローエは隣にいるデュカルにお金が入った袋を両方とも手渡した。

 受け取ったデュカルは早速中身の確認をする。中には小切手のような紙に記載されたコインの数を確認した。

「すげええええ。二袋合わせて、一五◯万鋼貨だ。ローエこれ全部もらって良いのか?」

「いいよ。私は私で直接口座に入れたから」

「まじでありがとう。こんなにもらえるとは思わなかったぜ」

「これで当分は問題ないでしょ。ちゃんと有意義に使うのよ」

「勿論。それで次はどうする?」

「次も行くでしょ? 思っていたほど悪いものじゃなかった」

「じゃあ、俺と組むか」

「それはまた今度」

 デュカルはあからさまに落ち込んだ。たしかに旧都ではそれなりに魔獣を討伐をしたが、デュカルは特に何もしていない。普通ならローエが多くの報酬を受けとるはず。しかし、デュカルが想像していた額よりもはるかに多い。こんな羽振りのいい冒険者と組めるのであれば、また組みたいと思うのは当然だった。

「俺にとっちゃありがたい申し出だが、いいのか?」

「まだ、魔王を見つけてないでしょ?」

「そうだな。今日は疲れたし帰ろう。次、冒険する場所は後で決めるか」

「行く場所は、今決めようよ」

 今日中に決めようとローエは進言する

「分かった。じゃあ、次に近い霧海の森。でもかなり広いぞ」

「旧都よりも広い?」

「そりゃあな。隅々まで回るなら少なく見積もっても二、三日は必要だぜ」

「出来れば一日で周りたいんだけど、それは無理かしら?」

「出来なくはない、ルートを絞って、無茶をすれば可能だろう。一日で行くのは良いがそのために、準備期間を二日くれ」

「何の準備するの?」

「道具の調達と整理。ローエもしとけよ」

 うんとローエは縦に首を動かした。

「じゃあ決まりね。次は霧海の森に行きましょう」

「それと、もし、フォグホーンに遭遇したら角だけは残してくれよ」

「どうして?」

「珍しい素材なんだぜ。一生遊んで暮らせる」

 デュカルはワクワクさせてローエに冒険者の醍醐味である一攫千金の夢を説明する。

「頭に入れとく。燃やしたらごめんね」

 ローエは興味なさそうに答えた。

「本当に珍しいんだぞ……。世界で三十個ないキセルの重要な材料なんだぜまじ頼むよ。まあ、燃やしたら諦めるけど」

「本当にそれはついでよ。私、疲れたしもう今日は帰るよ」

「お疲れ。俺はこれから次の冒険のための準備をするから、もう少しギルドに残るよ。じゃあ二日後。おやすみ」

「おやすみ」

 そして、ローエは冒険者ギルドを出て寮に帰った。

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