その日は喫茶店に寄る気分にもなれず、直行で自宅に帰った。安藤にメッセージでも入れようかと考えていたが、特に会う約束もしていないので止めておくことにする。

 家に着いて、時間をつぶすためにテレビを見ていても、頭の中はこれからのことで一杯で集中できたものじゃなかった。

 通帳を手に入れたのは良かったとして、それを本当に無関係の人の名義に変更するんですか? と聞いたら紫門さんは「するよ」とあっさりと答えた。

「逮捕された際、バイト君の名義になっているものは解除しておいたほうがいいし、変えると言った以上、あの男は現物を見せないと満足しないだろう」

「なるほど、確かにそう言うところはありますね」

「まあ、期待しててよ。ある程度の算段はついてるから」


 算段か……。何をどうするつもりなのかサッパリ分からない。

 考えても仕方のないことだと分かっていても、悶々としたわだかまりが僕の頭にこびり付いて離れなかった。


 翌日。10時を過ぎたあたりで登場した紫門さんは、こともなげに別名義になった通帳やら書類やらを机に拡げ、所沢はその様子に喜びと羨望の眼差しを向けた。

「すげー! マジですごいなあんた!」

「これである程度安全性は確保できた。後は出し子とかを適当に雇って行けば、例え出し子が捕まったとしてもここまで警察が来ることもないだろう。さ、営業を再開しようか」

 そう言って紫門さんは自分の席に座り、昨日と変わらず電話を掛け始めた。


 昨日の業績と今日の偽装の功績もあり、所沢は紫門さんは全面的に信頼し、紫門さんもこの事務所に完全に打ち解けた様子だった。

 昼の休憩では過去に行った詐欺の手口を披露していた。特に紫門さんが強いのは「信頼詐欺」で、実際には存在しない物を、とても有益で必要な物であるかのように見せ、金銭を払わせる手法が多かったらしい。

 詐欺を行っていく過程で、色々なスキルを習得して行ったことも話してくれた。占星術の話になった時にも、所沢は大きく食いついた。所沢が生年月日を教えると、紫門さんはそれをメモ帳に書き何やら計算を始める。

「ふむ、君は一見して好奇心が強く自信家で行動力があり、他人の意見を跳ね除けても自分を貫こうとする意思がある。しかしその一方、人に対して優しい一面を持っていて、それでいて誰よりも繊細な部分もあるけど、それを気取られないように虚栄を張ってしまうことは無いかな?」

 これは…………。所沢は驚いた表情で紫門さんを見つめてはいるが、タネを知っているこっちからすると何とも滑稽な様子に見える。


 人間が誰しも持つ二面性をうまく利用し、隠された自分の本性を理解してくれていると思わせる【ダブルバインド】。どんな自信家でも繊細な部分は持っているだろう。

 また、誰にでも当てはまるような内容を言って、自分に当てはまったりしているように見える【バーナム効果】。全ての人間に好かれることはできないように、全ての人間を憎むことは普通の人間にはできない。だから、”人に対して優しい一面”は、通常生活において誰もが持っている人格になる。

 日常生活や会話の中で相手の人となりを知り、それを的中させたかのように見せる【コールドリーディング】も使っているのだろう。所沢の性格は短調なもので、紫門さんにかかれば1日で底を知れる相手となるはずだ。


 以上の事柄から、所沢の性格を見事に言い当て、占いが的中していると思わせることは容易に簡単だったはずだ。現に所沢は占いの結果に「すげえ!」と大変満足した様子だった。

「これ以外にも、筆跡診断や姓名判断とかも出来るよ。そうだな、例えばこの枠内に名前を書いてみてくれ」

 紫門さんが手渡した用紙に所沢は嬉々として自分の名前を書いて渡した。それを診て紫門さんは鑑定を続け、文字が右上に傾く性格はどうだ、この画数はどのような人物だなどと言い、その結果に所沢は「すげえ! すげえ!」と連呼していた。


「さてと、僕は今日のところはこのくらいでお暇させてもらうよ。何せ昨日の名義変更は急だったからね、処理に夜中までかかってしまってあまり寝ていないんだ」

 時刻が14時くらいになった時、紫門さんは席を立って僕らに目配せをした。一応確認のため、どこかに外出していて油を売っている所沢にも電話で伝えたが、特に問題ないとのことで紫門さんは一足先に帰っていった。


 後二日、いや、もう午後も過ぎたことだから後1日半しか猶予は残っていない。でも、これと言って決定打となるようなものも見当たらず、僕は焦りを感じていた。

 特に紫門さんが何を考えているか全くの謎だった。事務所にいる間は変に関係性を知られる事の無いよう、あまり喋ることも出来ず意思疎通は難しい。その上のらりくらりとした鵺のような人物だ。この人に関しては考えるだけ無駄とも思う。


 いや、例えどうにかならなかったにせよ、それは今まで通りの日常に戻ると言うだけか。紫門さんはどうにかしようと考えているが、それが無駄に終わる可能性は十分に高い。あまり深く考えず、期待するもの止めておこう……。


 そうこう悩んでいるうちに定時になり、僕らの業務は終了した。紫門さんが居なかった今日の売り上げは、普段と比べても明らかに少ない金額だった。

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