紫門さんは僕ら一人一人に握手をして回った。彼の握り返す握力は思いの外強く、まるで政治家のようだなと思ったが、なぜかこの人がやると嫌味もなく様になる。

 一通り挨拶回りが終わり、紫門さんは所沢が案内した余っている席に腰を下ろした。それまでの行動をずっと見守っていた僕らだったが、沈黙を破ったのはまたしても平良だった。

「で、所長。この人がどう凄いんですか?」

 確かにそこは気になる部分だ。昨日電話で「何とかなる」とは言っていたが、本当にどうにかなっているのを目で見てしまうと尚更そう思ってしまう。僕とバイト達は次にどんな言葉が出るのか所沢に視線を向けるが、放たれたのは意外な一言だった。


「ああ! この人はすごいんだぜ! 超能力者なんだ!」


 …………はあ?


 見る見るうちに平良や大俣の表情が呆れていくのが目に見えた。井上だけはその言葉を真に受けたらしく、目を大きく開いて紫門さんを見つめている。

 所沢の説明に紫門さんは「ははっ」と笑い、

「超能力じゃないよ。いわゆるメンタリストって奴」と訂正する。

「ああ! つまりカードを当てたりする奴だろ!」

 それはDaiGoだ! しかも最近ではあまりやってないぞ、そう言うの。

 そもそもあれは超能力じゃなくてマジックの類いだ。くそ、こういうボケをかますのは一人居れば充分だろうに。

「……で、メンタリストってのは何ですか? 多分マジックとか、読んだ本や論文の内容を分かりやすく説明するのじゃないとは思うんですが」

 平良も早々に所沢のことを無視することに決めたのだろう。もう所沢には目も暮れていない。そんな中で、紫門さんはゆったりと説明を始める。


「メンタリスト——。それは人の心を読み、暗示にかける者。思考と行動を、操作する者のことである」


 したり顔で紫門さんは言うが、だからなんだ。とみんな言いたい様子だった。僕もその言葉だけでは結局何のことだか分からない。「——っで?」と平良が言い返すと同時に、紫門さんは席から立ち上がり、ベストの右ポケットをポンポンと叩いた。

「人間は無意識下の中で同時に複数もの感覚を保持することはできない。例えば腕が骨折して激痛に悶えている時、紙で指を切っても痛みに気付くのはそれを認識した後か、腕の痛みよりも強くなった時だ。同様に、強く握手をされている際、ポケットに何かを入れられても気づかない。握手の方に意識が集中するからね」

 …………え? 紫門さんの言葉を理解するまで1秒かかり、理解した後に行動するべきは、自分の服のポケットの中身だった。先ほど彼が示した様に、上着の右ポケットの中から、全く身に覚えのないトランプのカードが1枚出てくる。カードの絵柄はダイヤの7だった。

 他のバイトそれぞれにも同様なことをしており、平良はハートの2、大俣はクラブの8、井上はスペードのAが忍ばせてあった。

「な! すげえだろ!? この人は偶然出会った俺の素性や悩みを一発で当ててって…………うおぉお! すげえ! またポケットにジョーカー入ってたあぁ!」

「それは出会った時に僕が入れて、君が確認した後でポケットに仕舞ったカードだよ」

 紫門さんは所沢に近づき、彼が持っていたカードをひょいとつまんで回収した。

「マジックは例を挙げる為の代表的なものだけど、つまりは心理トリックを使って相手を丸め込めるんだ。視線誘導から相手が隠したい箇所を暴いたり、コールドリーディングと言って、話している間に相手の人となりを推測し、占いとかで言い当ててるように見せたり。逆に、

 紫門さんはさりげなく僕の方を見てウィンクをする。

「でもこう言う職業ってのは溢れていてね、有名な占い師かマジシャンでもない限り、豪勢な稼ぎを出せるのは一部のごく有名人だけ。実力があっても知名度がなければ気付かれないし、気付いて貰えなきゃ仕事は貰えない。でも、ここじゃそう言うのは心配しなくて良い。人を誘導しお金を払わせる。メンタリストにとっては最高の商売だろ?」

 楽しそうに語る紫門さんとは対照的に、僕とバイトは固唾を飲んで彼を見つめ返していた。確かに、僕らが今やっていることから考えて、これ以上に適任な人材もいないだろう。


 業務時間が終了し、「お疲れ様でした」と僕らは互いに声を掛け合った。本日の振り込みは紫門さんの力添えもあり、過去最高額を記録した。所沢は有頂天に舞い上がり、バイト達を先に帰らせて、事務所には僕と紫門さんと所沢の3人だけになった。


 初め、もう紫門さんと僕の関係に気付いたのかと不安に思ったが、それほどまでの洞察力を所沢が持ち合わせているわけもなく、彼は通帳やら何やらを机の上に広げた。


「なるほど。この部屋の契約書に、固定回線の契約書。通帳もちゃんとあるし、名義はそれぞれバイト君の名義になっているね——。でも、これを一つにまとめているのは、無用心じゃないかな?」

「ああ、それは俺も思っていたんだ。そこで、何か良い手はないかと思ってお前達に残ってもらった。聞けば紫門はこの道のプロフェッショナルだそうだ。何か良い案はないか?」

 紫門さんは「そうだね」と言い、真っ先に通帳を手に取った。

「通帳は関係者以外の口座を使うのが鉄則だ。金銭の動きがある以上、真っ先にマークされる所だからね。昔の知り合いに偽造の口座開設を生業にしている奴がいる。そこに当たってみるよ」

「おお、流石だな! 他には?」

「もちろん、部屋の契約書や固定回線も変えたほうがいい。口座開設と一緒に出来るはずだ。1日貸してくれれば、変更してくるよ」

「助かる! 流石、プロフェッショナルは違うぜ!」


 セキュリティ対策に満足したようで、所沢は名義変更に必要な印鑑などを西門さんに渡した後、さっさと事務所から出て行った。残ったのは僕と紫門さんだけで、急にドッと疲れが押し寄せてきて、僕は大きなため息とともに椅子に座った。

「お疲れ様。ここ、紅茶置いてないんだね。明日来る時持ってこよう」

 隣の席に紫門さんが座る。僕らは机に対し真横に体を向けており、対面する形で座っている。

「まさか、どうにかするとは聞いてましたが、本当に今日来るとは思いませんでした」

「まあ、こう言うのはスピードが大事だからね。思い立ったら吉日というか、短期決戦で決める必要がある。僕もこのために三日間有給を取った」

「…………三日間。あと二日、その間にどうにか出来る算段が出来ているんですか?」

「どうにかするよ。とにかく初日にして通帳やら何やらを渡されたのは僥倖だったよ。現状、これだけじゃ所沢を逮捕できないし、君たちに被害がおよぶ。初対面の時にあの手この手と攻めて信頼関係を培ったのは上手く行った。初日の働きっぷりも満足してもらえたしね」

 …………そう、確かに紫門さんの言う通り、彼は初日の働きで過去最高金額の金銭を電話で巻き上げた。顔の見えない電話での会話だけのはずなのに、相手からあれよあれよと信頼関係を勝ち取り、偽の投資に多額の金額を振り込ませることに成功していた。

 確実に相手を騙しているはずなのに、話している最中、そして今この状況であっても紫門さんは普段と表情を変えずに椅子に座っている。この人に罪悪感と言うものはないのだろうか……。


「その、こう言うのもどうかと思うのですが、紫門さんは平気なんですか……? どう言った経緯があったにせよ、一回足を洗った仕事なんですよね?」

 僕の質問に、彼は「うん」と小さく頷き、僕の顔をじっと見つめた。


「罪悪感はあるよ。ただ、それに浸ったところで被害者達は何一つ救われない。罪悪感……、罪の意識に呑まれたいのは、そういった自分に【罪の意識に押し潰される】という罰を与えて、さも苦しんでいる人間ですと思い込みたい、自らの罪から逃れる為の卑劣な行為にしか過ぎない」


 …………グサリときた言葉だった。僕が今まで、罪悪感を感じていた理由、本当は目を背けたかった本音の箇所に、彼はスッパリと切り込んで行った。


「羽藤くん。僕らは彼らを深く傷つけている。自分で傷つけておいて、僕らに彼らを思いやる資格はないんだよ。そんなことしたって誰も報われない。誰一人、救えやしないんだ…………」


 僕を見つめる紫門さんの顔から目が離せなかった。何となく、彼が詐欺師から足を洗った理由がそこにあるような気もしたが、質問することは出来なかった……。

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