小綺麗な灰色のスーツパンツにパリッとしたワイシャツ、スーツと色を合わせたベストを着たハンサムな男が立っていて、不破が店内へと案内しているところだった。男は軽く微笑み、不破の後を追って空席に向かう。

 男の事はこの店で何度か見たことがある。お互いに面識はなく身の上のことは全く知らないが、一般的なサラリーマンに比べたら綺麗な身なりをしているな。というのが、僕の第一印象だった。

 なんだろう、会社にこき使われて疲れ切った表情をしている様子もなく、いつも和かな微笑みをしているところが、そう感じさせるのかもしれない。目立った変なところは感じないが……。


「素性を隠したサイコキラーって、あんな感じだよな」


 あけすけに言う安藤の言葉を否定したいところでもあるが、相手に悪いけどなんとなくその意見も分かる気がした。

 店内で初めて優雅に紅茶を飲んでいる彼を目にした時、頭に浮かんだ言葉は「テッド=バンディ」だった。ハンサムな外見と知性的な言動で女性をたぶらかし、暴行の末殺害するサイコキラー。被害者の数は30人以上とも言われている、アメリカ史に残る最悪の殺人鬼の一人。

 まあ、テッド=バンディ自体はテレビ番組やらユーチューブから得た情報程度で、それほど詳しくは知らないんだけど、なんとなく実際に近くにいたらこんな感じかなと僕は思っていた。


「不破、ちょっとー!」

 安藤が手を挙げて不破を呼ぶと、彼女は困惑した表情を浮かべながら僕らのテーブルに足を運んだ。テーブルの横に立ち、渾身の営業スマイルで怒りの感情を抑えようとしている。

「どうもお客様。ご注文はお決まりでしょうか? それと他のお客様の前で名前を呼ぶのは遠慮していただけると助かります」

「その胸についているネームプレートは飾りかよ。まあいいや、不破。今入って来た男のこと、何か知ってる?」

 彼女は作り上げた営業スマイルのまま、何度かパチクリと瞬きを行い数秒後、「は?」とだけ呟いた。気持ちはわかる。僕も同じ気分だ、少し頭痛がする。

「お……、お客様……、注文ハ、ナイノデスカ?」となおも営業トークを続けようと努力する不破に感心するところだ。対する安藤も、この状況で「いや、ないけど」と言い返せることにも何故か感動する。

「安藤、最低限何かの注文をしないと店に迷惑だろ」

「おっと、情報量ってやつか。さすが羽藤。じゃぁ、ホットミルクで。で、何か知らない?」

 言いつけられた注文を伝票にメモした後、不破は嘆息を吐いて腰に手を当てた。

「さあ? いつもこの時間に来て、紅茶を一杯注文して、本を読んでるか新聞見てるか、ノートに何か書いているかしてるわね。それ以上は何も」

「へえ、ノートね。それは興味深い」

「ええ、赤色でニコちゃんマークみたいなのが書かれた、これくらいのやつ」

 不破は両手の親指と人差し指を立てて、小さな四角を形作った。大体A6サイズ……と言ったところかな。不破は「じゃ、注文しに行っちゃうね」と、踵を返して厨房の方へと歩いて行った。


 不破が見えなくなるや否や、待ってましたと言わんばかりに安藤はすぐさま椅子から立ち上がる。「ちょっ」っと僕が言うまもなく、安藤はそそくさと噂の男とテーブルを挟んで対面の椅子に座り、男の顔を凝視し始める。マジで勘弁してくれ!

 男は正面に座った安藤にすぐ気付き、目が合うと「どうも」と応えてニコリと笑い、読んでいる本を閉じてテーブルに置いた。

「ああ、気にせず本を読んででください」

 いや、目の前に知らぬ男が座った状態で気にせず本を読める奴なんかいないだろ!

 安藤を止めようと僕も立ち上がり彼の後を追うも、その間に男性は微笑んで安藤に対し、

「いや、良いよ。本は何度か読んでるけど、君と会話をするのは初めてだからね」

 と返した。マジか! 良い人だなこの人。いや、感心している場合でもないか。

「すみません! このバカがお邪魔してしまって!」

「構わないよ。僕も紅茶が来るまでの間、退屈していたところだからね」

「ああ、すみません。僕は羽藤って言います。で、こっちが安藤」

「どうも。なるほど、トウドウコンビだね。僕はサイモン。紫に、門と書いて、紫門さいもんだ」

 紫門と名乗る男性はそう言って僕に手を差し伸べて来た。僕は反射的にその手を掴み、握手を交わす。僕の次は安藤にも同じことをして、僕だけ立っているのも不自然なので近くの椅子に腰を下ろした。

「君たちは、大学生? ウェイターの子とも仲が良いみたいだし」

「いや、大学生は彼女だけ。僕と安藤は会、、、安藤は工場勤務で、僕はまあ、オペレーターみたいなことをやってます。会社は違うんですが、大体いつもここで合流します。みんな小学校からの付き合いで……って、なんだよ!?」

 何か言いたいことがあるのか、安藤が僕の袖を引っ張って来る。とりあえず僕の注意を引くことに成功した安藤は、そのまま僕に耳打ちをして来た。

「この男、ただものじゃない。なんで俺らと不破の関係を知ってるんだ?」

 つい先ほど、大声で不破の名前を呼び寄せた人間から発せられるとは到底思えない発言だ。もうそろそろツッコむ気力も失せて来たので、「さあな、超能力とかじゃねーの?」で返すことにした。おい、やめろ。本気で驚く表情をするのは。


「なるほど、君たちは大変仲が良いんだね。で、僕に何か用があるのかな?」

「あ、いや……」

 そもそも僕は、突然席を立って彼の前に座った安藤を追いかけただけだ。用なんてあるわけがない。助け舟を貰いたくとも、相手が安藤なのでそれも期待できないだろう。チラリと安藤の方を向くが、先ほどから羨望の眼差しで紫門さんを見つめていた。

「すげえ! あんた超能力者なのか!?」

 と安藤は紫門さんに詰め寄った。いましがた軽々しく発した自分の発言に後悔する。対して紫門さんは軽く鼻で笑った。

「いいや。そもそも超能力なんてものは存在しないよ。あんなものはそう言うふうに錯覚させているだけだからね」

「なるほど。世を忍ぶには大っぴらに存在を明かすわけには行かないですからね!」

 いや、安藤。彼は世を忍びたいんじゃないくて、本当に超能力否定派の人間だと思うぞ。

「あぁっと、じゃ、お仕事は何をしているんです?」

「保険調査員……の、コンサルタントってところかな?」

「へぇ、いろんな保険がありますもんね。どれが良いか調査する仕事ですか?」

 …………安藤。済まないが少し黙っててくれ。聞いているこっちが恥ずかしい。紫門さんは安藤の言葉に軽く笑った。

「違うよ。保険調査員っていうのは、事故とかで補償金の支払い請求が来たとき、それが支払うに妥当かどうかを調査する仕事をするんだ。例えば、展示していた美術品が紛失したという補償金請求が来た場合、本当に美術品が過失により紛失したのか、あるいは故意に隠しているのかと言った調査をしてる」

「それって……、平たくいうと」

「保険金詐欺の対応ってところだね。そりゃあもう、あの手この手といろんな手口があるよ。よくもまぁ思いつくなって感心するだろうね」

 僕の想像を絶する世界の話を聞かされて思考が追いつけなかった。しかし、それにしても一点、気になることがある。僕がそのことを問いただそうとしたとき、後ろから女性の叫び声が聞こえた。



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