1 ー四日前ー

「人の表情は顔に出る」


 ———仕事帰り。喫茶店で僕、羽藤陸はとうりくが椅子に座って疲れた体を休めていた時、後から入ってきた安藤修あんどうおさむは、僕を見つけるや否やすぐ隣まで歩いて来てそう言い放った。

 安藤は腰から体の上半身をグーっと折り曲げた姿勢をし、顔をものすごく僕に近づけて、食い入るように見つめ始める。

 こいつとは小学校からの付き合いになるが、いつもながらこいつの行動は理解に苦しむ。色々と思い返してみても、普段から突拍子もないことを行っているせいか、最近はこいつの行動の異常性を感じられなくなってきたが、それでも今の状況はオカシイと流石に分かる。


 そもそも最初に発した言葉の意味からして意味不明だ。表情とはつまり感情や思考が顔に現れたものを意味しており、「人の表情は顔に出る」と言うのは、さながら「人の鼻血は鼻から出る」くらい至極当然のことだろうに、それをさも誰も成しえなかった偉大なる発見をしたかの如く傲慢不遜な態度で言ってくるあたり、無知蒙昧なこいつの知性や品格を明確なものにしてい……っていうかマジで顔近ぇな。


「なんだよ安藤、なんか悪いもんでも食ったのか?」

 僕は安藤の顔を押し除ける。僕も礼儀というか、つい習慣的に聞き返してちゃいるが、だいたいこいつが意味不明な言葉を発しながら意味深にこちらを見つめるときは、大抵相場が決まっていた。


「何って、おい知らないのかよ羽藤。ライ・トゥ・ミーだよ」

「いや、知らないよ。ゲームかドラマか? つか、そう言う【自分が知っている知識は誰もが知っている知識】だという前提条件で話を進めるなよ。オタクの悪い癖だぞ」

 その発言を聞くや否や、安藤は僕に食指を伸ばした。

「あっあー。始まったよ、羽藤のオタク批判。そうやって人を一括りにして否定するなんて卑劣な野郎だ」

「そう聞こえたんなら謝る。改めよう。僕が馬鹿にしているのは、お前個人に対してだ」

 安藤の表情が一瞬曇り、何かを逡巡しているのかどこか遠くの空を見つめた。数秒後、彼は良しと首を縦に振り「なら良い」と呟く。……って言うか良いのかよ。

「っで、それが何だってんだ?」

「それって?」

「いや、だからライ・トゥ……」

「そう! それを最近見て面白いんだよ!」

 人の話を最後まで聞け。と言う言葉を僕はどうにか押し留めた。そう言って話を聞く奴じゃないってことは、数年前からよ———く知っている。僕の感情に気に求めることはなく、安藤は立て続けに話を進めた。

「主人公のカル・ライトマンが登場人物の表情から、相手が嘘をついているかどうかを瞬時に判断して、事件解決とかをしていくんだ! 明瞭に嘘を言い当てるカルを見て爽快な気分になるし、しかも表情や心理学に関しての知識も上がっていく! これで誰かが嘘をついても、俺は騙されることはない!」

「すごい! お前ものすごく天才じゃないか! もう誰もお前を騙せたりしねぇよ!」

「だろう! 向かうところ敵なしって感じ!」

 うん。少なくともこのドラマに嘘を発見させる効果が無いことは証明したな。


「コーヒーをお持ちしました。……安藤、とりあえず椅子に座るか、入って来た扉をもう一度くぐるかしてもらえるかしら?」

 僕が注文したコーヒーをテーブルに置いた後、不破恵梨沙ふわめりさは店に入ってから一度も座っていない安藤を睨みつけてそう言った。彼女も同じ小学校からの付き合いで、同様に安藤の奇行は良く知っている。

「おおっと。言葉とは違って声の調子はゆったりとしていて、落ち着いた表情でこちらを見つめている。不破、君は今形式的に言っただけで、怒っている訳じゃ無いよな?」

「私、本音を隠すのは得意なの」

 不破は僕とテーブルを挟んで対面側の椅子を引き、安藤の顔を満面の笑みで見返した。口角は上がっているものの、目が笑っていないのは僕から見ても良くわかる。

 不穏な空気を察したのか、安藤は「わかった」と言い、不破に応えて引かれた椅子に座る。


「注文が決まった頃にまたお伺いします」と言って不破が立ち去ると、安藤は店のメニューを片手に持ち、しかしそれを見るわけでもなく店内を見回し始めた。

 ここは至って普通の喫茶店であり、僕らは普段から仕事帰りによく立ち寄っているため、別段いつもと変わった様子はない。もしかしたら僕が気付いていない何かがあるのかもしれないが、僕が気付かなかったものを安藤が気付けるとは到底思えもしなかった。

「安藤。どうしたよ? キョロキョロして?」

 僕がそう問いかけると、安藤は真剣な表情をして僕の顔を見返し、

「怪しい人物を探しているんだ。ドラマで得た俺のスキルを発揮したい」


 ………………僕としたことが失敗した。


 そうだ、何か不審な行動を行ったとして、その真意を問い詰めると大抵ろくな考えを持たないのがこいつだった。

 それにこの店内で怪しいやつはダントツでお前だ。そう指摘したい気持ちを抑えつつ、僕は「恥ずかしいから辞めろ」と小さく諭し、運ばれたコーヒーを一口啜った。


 間の悪いことに、カランカランとドアベルが軽快な音を立て、来客が来たことを告げる。嫌な予感を抱えながら安藤を見ると、彼は目を輝かせて出入り口付近に視線を向けていた。


 ……勘弁してくれ。


 余計な面倒を起こさないか不安になり、つい僕も新しく来た来客の方へチラリと視線を向けた。

 どうか、安藤の琴線に触れるような人物じゃないようにと祈りながら……。

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