雪に鎖された村 その一

 予定通り日暮れ前にミレア村に到着し、猟師の口利きで、閃と巴は村長の家にそのまま宿泊させてもらうことと相成った。村で一番大きな家で、部屋も余っているからと。穏やかで人の好い老翁だ。


「あ゛ー……疲れた」

 借りた部屋に荷物を下ろし、上着も脱いで身軽になる。屋内でもやはり寒いが、がちがちに防寒しなければならないほどではない。それに、家に入る前に雪は払い落としたとはいえいくらか残ったもので濡れていて、着ている方が風邪をひきそうだ。

 異空間に収納していた屋内用の上着を羽織る。ちょうどそのときに部屋の戸が叩かれた。音の位置からして巴ではないと判断し、覆いフードを目深に引き下ろしてから戸を開ければ、そこに立っていたのは村長の息子だという三、四十ほどの男性だった。男性は室内だというのに顔の見えない閃に驚き少し眉を上げたが、すぐにやわらかい笑みを浮かべた。

「お兄さん。夕飯はまだなんだが、先に茶でもどうだい? 寒いだろ」

「ああ、それはありがたく。助かります」

「いいよ。ちびちゃんも呼ぶかい?」

「……ですね。呼んでくるんで、先にやっててください」

「わかった。疲れてるだろうし無理に起こさなくてもいいよ。そのときは持っていくから」

 幼子を気遣う男性に礼を言って、閃は隣室を叩く。返事も待たずに戸を開けた。適当に床に投げ出された荷物と上着に呆れ、軽く整理してやってから寝台の上の布団饅頭を軽く揺らす。

「おい、起きれるか。茶ァ入れてくれるってよ」

「……のむ」

「起きれんなら出てこい。向こう行った方が暖炉もあるからあったかいぞ」

 舌ったらずの短い返答にそう返すと、布団饅頭は暫く沈黙し、やがてもぞもぞと動き出した。饅頭が崩れ、中から顔出した蝸牛は、不貞腐れたような顔で閃を見上げて手を伸ばす。

「だっこ」

「……ガキ」

「ガキだもん」

「免罪符にすんなよ」

 とはいえこの子供の駄々が面倒臭いのは既に骨身に沁みている。それに慣れない雪山登山で疲れきっているのも確かだろう。

 小さい手を掴んで引きずり出し、そのまま抱える。巴は両手両足を使ってべったりと抱きついてきた。子供の力とはいえ力加減のなさに呼吸が締め付けられる。

「けほ、……おい、もうちょい力抜け」

 正直巴の方が体温が高いから、必死に抱きついたところで温かいのは寧ろ閃の方だろう。わかっているのかいないのか、全く脱力する気配もない。

 こんだけ馬鹿力が出せるなら元気なんじゃねーか、とも思ったが、それで駄々を捏ねられる方が面倒で、閃はひっつき虫をそのままに居間リビングに向かう。


 居間では村長家族に目を丸くされ、あたたかい苦笑を向けられ、閃は曖昧に笑う。暖炉の前で絵本を読んでいた村長の孫娘が空間スペースを空けてくれたことに礼を言ってそこに巴を下ろした。巴がのそのそと丸まると、孫娘がぴとりとくっつく。子供2人が寄り添って火に当たる姿はなんとも和むものだ。

「はい、眩白茶だよ」

「ありがとうございます。眩白茶?」

「眩白草って雪山に咲く植物があるんだ。その花茶だよ。主に食べるのは根っこだけど、花弁も食べることもある。でもま、煎じて茶にすることの方が多いな。花茶は体温を高めて持続させる効果がある。冬にはうってつけだ」

「へえ」

 渡されたマグカップの片方を巴に渡し、もう片方に視線を落とす。湯気が鼻をくすぐり、ふわりと百合リリーに似た香りがした。……と、それと絡むように、仄かな酒精アルコールの芳香。

「……酒、入ってます?」

「ん? ああ……大丈夫だよ、そんなに強いものじゃない。俺も子供の頃から飲んでたから。……寒いとな。眩白茶だけでもあったまるはあったまるんだが、一番暖がとれるのは結局酒なんだよ」

 飲みすぎると今度は体温下がるから、何事も限度があるけどな。そう笑って男性が娘にもマグカップを渡すと、少女は喜んで受け取りくぴくぴと飲み始めた。それを横目で確認して、閃も口をつける。柔らかい花の芳香に一拍目を瞑る。ほんのりとした甘さが寒さと疲労に強ばった身体を融かすようだった。

「うま……」

「おじさんおかわり」

「はえーよ」

「ははは。はいはい、ちょっと待ってな」

 もう飲み干したらしい巴からマグカップを受け取り、男性は鷹揚に笑う。閃は巴の頭を軽く叩いて、男性に謝罪した。彼はすれ違いざま、「次は酒精は抜くから」と囁いた。本当に気遣いが申し訳ない。

「すぐ暴力振るう」

「躾だ」

「大人ってすぐ体罰を躾に言い換えるよね」

 流石の閃も返答に迷った。いやけどこいつ、親に殴られたことないって一応言っていたよな、と数拍空けて思い出す。本当かどうかはかなりアヤシイが。

「図々しいのなおしたら殴らねえよ」

「そんなことより飲まないならちょーだい」

「……本当に図々しい」

 気遣うべきか否か考えた時間が無駄だった。手を伸ばしてくる巴を無視して、閃は花茶を啜る。酒精のおかげで身体が内側から随分温まってきていた。


 ふと、視線に気付いた。

「どうした?」

 こぼれ落ちそうなくらいまあるく大きい眼に、しゃがんで声をかける。「僕と対応が違う」と巴が暴れるから頭を押さえた。

 稚拙な攻防をしているとふいに手が伸びてきて、閃は咄嗟にそれを躱す。

 手が空を切ったことに、孫娘は驚いたようだった。

「どうしてお顔みせないの?」

「……こら、マイ

 子供の純粋で無遠慮な疑問に、おかわりを持ってきた男性が渋い顔をした。娘を咎めようとするのを手をひらひら振って留め、閃は覆いフード越しに額の辺りを押さえる。

「お顔におっきいケガしちゃってな」

「え! ……痛い?」

「もう痛くないよ。でも見た人まで痛ぁくなるようなケガだから、見せないようにしてるんだ」

「そうなんだね。ごめんね」

「いいや。ありがとうな」

 少女は、閃が額に当てた手の甲を恐る恐る撫でてくる。痛みはないと言ったのに、それでも痛みを取り除こうと。ちいさい手が退かれると、閃は少女の髪を軽く撫でて、立ち上がる。


 村長に招かれるまま、その向かいの席についた。男性もまた老翁の隣に座る。

「娘がすまないね」

「いえまあ、よく聞かれるんで。いいですよ」

「そうか……すまない。事故にでも?」

「ガキの頃火事に遭って。ケガ自体はほんとにもう全然平気なんですけどね。あんま見せたい傷でも、見られたいもんでもないんで」

 あくまで軽い調子で言う閃に、村長も、その息子も神妙な顔をする。閃は心から苦笑した。


 あまり深掘りするのも良くないだろうと思ったのか、村長は花茶を一口含むと誤魔化すようににこやかな笑みを浮かべ、話を変えた。

「しかし、よくぞまあ登ってこられましたな。大変だったでしょう」

「それは……本当に。一応あちこち旅はしてるんで慣れてはいるんだけど、ここの山はほんとに雪深いですね」

「もっと奥の山と較べてしまうと軽い方ではあるんだけどね。今年は一層深くなるだろうから……」

「まだ登ると聞きましたが」

「そうですね。明日には出るつもりです。天気次第ではありますが……」

 視線を彷徨わせると、親子は顔を見合わせて鷹揚に笑った。

「どうぞ。ゆっくりなさっていってください。」

「雪下ろしは手伝ってもらおうかな」

「助かります」

 多分明日は崩れるぞ、と付け加えられて、閃は覆いフードの下で顔を顰める。できれば順調スムーズに行程を終えたかったのだが。今日は一日中いい天気だったというのに、本当に山の天気は崩れやすい。

「今日猪が獲れてよかったよ。明日の夕餉は牡丹鍋にしようか」

「明日の前に今日の夕餉を要求リクエストしてくださる?」

 台所からジト目で顔を出した妻に、旦那がおたおたと慌て出す。


「フグしゃぶ食べたい」

「馬鹿」


 横から口を突っ込んできた巴に閃は端的に罵倒する。

 しかし女性はパッと表情を明るくした。

「あら、ちょうど良かったわ。フグ獲ってあったのよ。食べられる?」

「食べたい!」

「食べられますけど、……いいんですか? 高級品……」

 この辺りの山河で獲れる淡冷フグは、旬が短く漁獲量も限られているため、貴族の中でも一部しか食べられないとすら言われている。面白いことにこのフグは毒性が極めて低く、そのため他と較べて安全性も高いらしい。棲息地の違いが原因だろうか、詳しいことは未解明だ。……一部の毒好きには「毒のないフグは邪道」と不評らしいが。

 ともあれ、そんな貴重なものをいただいていいものだろうかと悩む閃に、女性はおどけるように肩を竦めた。

「この時期じゃどのみち卸せないもの。フグ刺しにしようと思っていたけど、お鍋の方があったまるわね」

「……せめて手伝います」

「あらやだ、いいのよ。疲れているでしょう? お客さんはゆっくりしてて。うちのを使うから」

「はは……まあ捌くくらいは、なんとか」

 顎で指された男性が、苦笑しながら立ち上がる。

 好意を無闇に断るのも不躾だろう。閃は諦めて、しかし巴を強く睨んでから忠告した。

「……こいつまじで食いますよ」

ハンさんからも伝言されてるわ」

「……たぶん、思ってる以上に食います」

「……追加でパイでも焼こうかしら」

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デラシネのあかし 雪ノ瀬氷 @yukino_50

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