赤い傘

矢凪祐人

第1話

 これは僕が小学生だった頃の話だ。


 みんなが待ち望んだ日光修学旅行は見事に雨。歩いて散策する予定だった部分も全てがバス移動に変更になった。必然的にバスにいる時間が増えた。

 バスの隣の席にはあかねが座った。窓側が彼女で僕が通路側だ。


 この時の僕らには僕ら二人をつなげる感情の正体は分かっていなかった。


 2日目の午前中、日光東照宮に向かうべく、僕らはバスに乗っていた。隣の彼女はすやすやと寝ていた。夜、あまり寝ていないのだろう。修学旅行の夜とはそういうものだ。


 その時、僕に魔が刺した。一瞬の気の迷いだ。隣で眠る彼女の手を握ってみたいと思ったのだ。


 すっと手を伸ばし、手と手が触れ合うか触れ合わないかのところでやっと僕は我に帰った。

 はっとする僕の顔がトンネルに入ったばかりのバスの窓に映っていた。雨粒のついた窓だ。

 言うまでもないがとてつもなく恥ずかしくなった。


 バスが着き、僕らは折り畳み傘をさして班別で東照宮を歩き回った。班員は、僕と、友達のハヤトと、あかねと、その友達のりなだった。


 僕がしおりを取り出してどこに行くかを確認する。容赦ない雨がしおりを濡らした。


「眠り猫いこうか」

「そうだね」

 あかねの赤い傘が僕の紺の傘に重なる。僕は意味もなく傘を回した。

「しおり濡れちゃったよ」

 僕は濡れたしおりを傘の中に入れる。

「でもさ、思い出ってさ意外と楽しいだけじゃ残らなくてさ、こういうアクシデントがあった方が残るのかなって思うよ」

 ほら、なんか先生が言ってたじゃん、と早口に付け足したあかねは俯いていた。小ぶりな耳が赤く見えたのは傘の反射のせいだろうか。


 しばらく散策し、徳川なんとかの墓みたいなものを見た帰り、先頭を二人で歩く僕らにりのが言った。


「なんで二人とも気づかないのかな」

 僕は意味がわからず、はあ? と笑っておいたが、あかねはどうしてか動揺していた。


 

 あれから、あかねは私立中学校に通うことになり、そこで僕らは疎遠になった。


 ふっと現実に戻る。長い回想は終わっていた。クーラーの稼働音が耳に入る。


 何故こんなにも前のことを思い出したのか。理由はわかっていた。

 先週の成人式で彼女を見かけたからだろう。彼女は所謂ガングロギャルになっていた。今となっては絶滅危惧種だ。

 つまるところ、彼女は変わっていた。僕は声もかけずに帰った。


 彼女の小さくて赤い傘が脳裏に鮮やかに浮かび上がった。

「こういうアクシデントがあった方が残るのかなって思うよ」

 彼女は覚えているだろうか。


 こんなことを考えていてもしょうがない。僕は目の前のレポートの課題にとりかかった。

 

 外からは蝉の鳴く音が聞こえてくる。あの頃感じていた「夏の音」への焦燥はきれいさっぱりなくなっていた。

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赤い傘 矢凪祐人 @Monokuro_Rekishi

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