第4話

 着いたのは、正直、寂しい駅だった。でも、その前にいくつか経由した無人駅などに較べると、増しな方だったのかもしれない。何しろ、駅長さんはいたし、それ以外にも若い駅員さんがいた。

 一つしかない改札をくぐると、妙に色が濃いように思えるコンクリートの地面が広がり、小さな駅舎だった。申しわけ程度の売店で、スナック菓子のようなものと、地元の何だか饅頭とやらを売っている。

 上り列車を待っているらしい人たちが、ベンチで静かに待っていた。

 僕は壁のポスター(というより一点物の古びた絵)に惹かれ、X町の見慣れぬ地名をいくつか目で拾おうと近づいた。その時、背中が曲がった小さなおじいさんとすれ違った。

 後からの声に振り返ると、満太郎と佐緒里さんが、そのおじいさんと話している。

「おうい、ハナケン!」と呼ばれた。「ウリスケさんだよ。迎えに来てくれた」

 寺男と言うのか、昔から満珠院の家でなにくれとなく世話をしてくれた人らしい。

 瓜助とでも書くのだろうか。本名かどうかは判らない。グレーの開襟シャツにニッカーボッカーを穿き、紺色のソックスに、妙に新しく見える白いスニーカーを履いている。キャップの下の顔は、ちょっと猿じみた風貌だが、信頼できる人のように思えた。

「おかえりなさいに、いらっしゃいまし。さあ、荷物はこれだけですか?」と僕らの手からさっさとバッグをひったくるようにする。見ると身体の大きさに似合わない、ごつい指だった。

 小さな駅のロータリーに、旧い型のランドクルーザーが停められていた。オフホワイトというのか、豆乳のような色というのか、艶のないくすんだクリーム色。だがきれいに洗車されていて、風格のある車だった。

 瓜助さんは後部のハッチを開けて僕らの荷物を納め、運転台に上がった。ディーゼルエンジンに独特のチリチリするエンジン音を立てて、ランクルは山道を登っていった。

「エアコンのガスが抜けていて、直さなくちゃならないんだけど、まだやってなくて。すまんね」と瓜助さんが言う。「窓開けたら、なんぼか風が入るでしょう」

 僕らは言われた通りに窓を下ろす。

 エンジン音に混ざって、猛烈と言って良いほどの蝉の声がする。僕は蝉には詳しくないので、なにゼミなのかは判らないが、暑苦しく、でも風情のある音だ。

 車は北向きに上っているのか、左の後部座席に座った僕の頬を、木々の間を抜けてきた西日が暖める。草いきれのような緑の匂いがする。小さな虫が車内に入り込む。

 瓜助さんは、世間話のようなことを言葉少なに語るが、満太郎も佐緒里さんも、ほとんど口を利かない。なんだか不思議なドライブだった。

 とはいえ彼らが何か険悪なのではなく、まるで親子かなにかのように、余計な言葉が要らないように見えた。いきおい、瓜助さんは、初対面の僕に話しかけるような具合になる。

「好き嫌いはないかね。ばあさんが張り切って手料理してるけど、口にあえばええけどなあ」

「僕は好き嫌いはないです」

「鮎はどうかね」

「ご馳走じゃないですか」

「天然のを活けてあるからね。タロちゃんも鮎は好きやろが」

「うん。しばらく食べてない」

「ばあさんがよろこぶって。サオリちゃんは、わらび餅がすきやったろが」

「好きよ。おばあちゃんのが一番ね」

「ゆんべからこねておったとがや」

 窓から入り込む空気は、ますます山の匂いを増していった。

 そして、僕の頬を暖めていた日は落ち、青い夕闇の中をランクルが上った。


 満珠院は、山谷を経ながら結局はかなり上ったところにある、少しばかり開けた台地のようなところにあった。人工的に均したのとは違う、天然の台地と言った場所で、地形というものにうとい僕にさほどの観察が出来たわけでもなかったが、その土地の裏側は細い谷になっていて川が流れ、そこからさらに山が立ち上がっているというような、いわば温泉町にあるような地形だった。

 瓜助さんは車の速度を落としながらも、クラッチを切って二度ほど空ぶかしをし、砂利が敷き詰められた車寄せに入っていった。空ぶかしが合図だったように、割烹着を着たおばあさんが、開け放たれてあった土間のようなところから出てきた。おへそのところで手を合わせ、会釈をしている。

「まあま、タロちゃんもサオリちゃんも、よく来なすった。いつからやろねえ」と相好を崩し、まだ紹介されない僕を見て、とりあえず笑顔を投げてくれる。

「ごぶさたしてました」と満太郎は、律儀にお辞儀をする。瓜助さんに対するよりも、礼儀正しいくらいだ。「これは僕の大学の友達でね、ハナケンって言うの。よろしく」

「まあまあ、ハナケンさんねえ。よっくもこんな田舎まで」

「よろしくお願いします」

「ほれ、まずは上がった上がった」と瓜助さんに促された。

 そこは瓜助さん夫婦の居宅らしく、満珠院の本堂とは、直接に繋がっていないように見えた。というのも、その平屋の向こうには、瓦屋根も物々しいお寺が、大きくそびえていたからだ。

 寺は、暮れかかった紺色の空を背景に、焦げ茶色の輪郭に縁取られていた。気のせいか、本堂の向こうに、暖色の光が見える。それが輪郭を際立たせているのだ。

 満太郎は、寺には一瞥もしなかった。が、佐緒里さんは、そこから僕と同じく、寺の方をしばし眺めている。

「ほれ。ご飯だ、ご飯だ」と瓜助さんにまた言われ、土間で靴を脱いだ。

 上がったのは、僕のイメージの中にある、日本の旧民家というやつで、柿渋で磨かれたのか、黒い柱が立ちそろい、部屋の真ん中には囲炉裏があるというやつだった。天井はなく、茅葺きとでもいうのか、頑丈そうな梁が組み合わさった屋根裏が、煙に燻されて真っ黒になっているのが見上げられる。

 円座――わろうざと読むと習ったが、藁で編まれた丸い座布団がいい具合に囲炉裏を囲んでいる。曖昧に勧められるままに、僕はその一つに腰をおろした。ひんやりしていた。

 だが、腰を下ろした僕をよそに、満太郎と佐緒里さんは、囲炉裏の間を抜けて、奥に続く座敷へ入っていく。どういうことかと、僕はあたりを見回した。

 瓜助さんもおばあさんも、何も言わない。薄く微笑んだような顔で、目を伏せている。僕はどうしたらいいのか戸惑った。一度座った円座から立ち上がり、満太郎と佐緒里さんの後を追った。彼らは続きになった八畳間を抜け、さらにその奥の部屋に並んでいた。

 仏間だった。古めかしくて大きな仏壇の上に、何枚もの写真が掛けられ、その多くが白黒の旧い写真だったが、右端のそれはカラーで撮られた、とても美しい女性のものだった。

 仏壇にはすでにロウソクが灯されていて、満太郎は数本の線香を手に取ると、その炎に掲げた。そして大振りのリンを軽く鳴らし、仏前に手を合わせた。同じ段取りで佐緒里さんが香を手向け、少し遅れて、僕も同じようにした。

「あれが、ユッカだよ」と、満太郎は長い指を立てて顔を挙げた。言われなくても、もちろん僕にだって、判っていた。

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