第52話 病的な、あまりにも病的な

 手持ち無沙汰になった僕は、書店を冷やかすのをやめ、これまた院内にある小さな喫茶コーナーへ向かった。それなりに大きな病院なので、わざわざ外へ行かなくても大抵のものはそろっている。この病院に入院するという、事の重大さを物語っているとも言える。


 一番安いブレンドコーヒーをすすりながら、改めて自分を見つめ直してみた。

 ワーグナーは『さすらいと変化を愛するものは生ある者である』という。さすらい、変化を実体験している今の僕は、果たしてそれを愛しているのか。答えはノーだ。

 また、ダーウィンはこういう。『最も強いものが、あるいは最も知的なものが、生き残る訳ではない。最も変化に対応できるものが生き残れる』と。

 進化論の泰斗たいとがそう言うのだ、単なる金言にあらずして、この世の真理に近いと言えよう。

 この数週間、僕は自分を見失うほどに状況が変化した。

 皆が平穏になうようにと、深雪さんの望み―告白―を受け入れ、彩香に寄り添い、智花さんへ尽くすと心に誓った。

 だが、京子さんは僕を初めて忌まわしいような眼つきでもって波紋する心に一滴の墨汁を投じた。


 ―明智君、それってさ、共依存なんじゃないかな―


 あれだけ優しく、大人っぽい京子さんは僕と深雪さんの関係をそう呼んだ。


 彩香に説明した時も苦虫を嚙み潰したような顔をしながら言われた。


 ―お兄ちゃん、そういうの何て言うか知ってる?共依存って言うんだよ―


 同じ日に同じことに対して別の場所でそう言われた。ならば僕らは共依存なのか?違う。深雪さんは確かに若干、依存体質ではあるが、僕はこれまで、友人を欲したことの無い、依存とは相反する性質の持ち主だ。それをどうして共依存などと言えようか。


「どうかしましたか?」

「はい?」

「何かお悩みのようにお見受けしましたので、実は私、心療内科のものでして」

「僕は病人ではありませんけど」

「何もアナタが病んでいるとは言ってません。むしろ、悩みを抱えていない人間はいないのですから、お気になさらず話してみてください。そこいらの占い師に話すよりは意味があると我ながら思いますよ」

 流石に高学歴の産物たる医者は説得力がある。心療内科というのも大きいのだろうが。

「実は、いろんな事がありまして、普通なら絶交するのでしょうけど、僕は自分でも何故だかよく分からない部分が多いのですが、その人と付き合うことになって。それを、周りの人は共依存だって」

「なるほど、共依存ですか。自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係。自分では当てはまると思いますか?」

「そういう表現をされると否定はできません。ですが、僕は今まで友人というものに興味はなく、人間関係に依存するとは」

「思えない?」

「はい」

「もしかすると、人間関係に興味がないと自認しているのもまた、逆説的に人間関係に関心を寄せているという事になるんじゃないかな」

「…………」

「共依存は必ずしも病気的に治す必要のある問題ではない。だから、あまり深く捉えすぎなくてもいいんだよ。

 私が老婆心ながらに言うとすれば、このままでは共依存と思われる相手にも大きな負荷が与えられかねないという事だね」

「どういう事ですか?」

「君の問題ではなく、あくまでも一般論として聞いてほしい。

 依存体質にある人間関係は往々にして破綻する。それはどうしてだろう?」

 イメージとしては分かるが、上手く説明できない。ただ漠然と依存関係は良い結果に繋がらないと感じている。

「依存相手以外に人間関係が乏しいから、依存体質でない人が5人で抱える関係性であっても、たった一人に全てを求めてしまう点に破綻の最大の理由があると私は思うんだ」

「………なるほど」

「君もまた、その相手以外にあまり友人は居ないんじゃないかな?気に障ったなら訂正するよ。

 自分に無い関係性を、依存相手に欲求し、依存相手もまた、『自分しかあの人には居ない』という自負が共依存とさせる。でも、そういった関係を続けるには、かなりの気力、体力もいる事だろう。だから、いずれは破綻してしまうという訳さ」

 専門家の言う事に異論はない。この数分で精神鑑定とカウンセリングを一挙に受診してしまった。

「僕は共依存なんでしょうか………」

依存かは分からないね。君しか話してないから。でも、君の言葉には、いくつか今言ったような節が見受けられるよね?」

「はい、そうですね」

「破綻する前にまた良ければ話そうよ」

「ありがとうございました……」

 来栖くるすという名札を一瞥いちべつし、僕はぬるくなったブレンドコーヒーを飲みほした。

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