大空ドリーマー

 私は牢の隅っこで、膝を抱えて蹲っていた。本当は明日の労働のためにも、早く寝なくちゃいけなかった。

 けれど、どうしても涙が止まらないのだ。

 もし、自分が何千年もの間、まるで吹き戻しピロピロになったみたいに、同じ長さに伸びては縮むだけの無意味な生を繰り返してきたとしたら。

 そこで進行する運命は無謬だ。2002年の10月に牢屋の隅で泣いている自分は、生まれ変わってもまた同刻に同じくして泣いているだろう。でなければ、物は鉛直に落ちることができなくなる。

 したがって、私のこの涙に何か意味を持たせようとも、せいぜい荒誕に終わるのであり、憂いている生でさえ、がらんどうな人形に私というモナドを積んだ写像、その時間変化のプロットにすぎないのだ。

 私は、そこに前向きさを持ち出し得ない。そんな深い闇を飲み込んで正気でいられるような、強い人間じゃない。でも、自衛する方法は一つだけある。

 

 まだその踏ん切りはついていないはずだけれど。

「また泣いてるのかよ」

 呆れ顔の少年が、私の隣に座った。

「はんちょ」

 彼は私より一回り年上らしいけれど、栄養状態が悪いからか、外見上はあまり離れているように見えない。ボロボロの一枚布を肩に掛け、腰のところを紐で縛っているだけの格好だ。不本意にも、私たちみんな、お揃いなのだった。

「ほら、奴らからチョコくすねてきた」

「チョコ?」

「知らないか? 食べてみろ」

「うん」私は言われた通り、チョコを口に運んだ。その味に驚嘆しても、大きな声は出せない。意識して声量を抑えながら、「でも、どうやって?」と言った。

「鉄格子の右から2番目、あれは外れる」

「知ってるよ」

「俺、夜な夜な外をうろついてただろ? この地下基地コロニーの構造を調べてたんだ。今日で終わったよ。それは記念品。嗜好品の倉庫は、ここから二つ下の層にある」

「わざわざ取りに行ったの!?」

「声がでかい。元気出たか?」

「うん」

「それじゃ、皆を起こそうか」

「どうして?」

「今から俺たちは、ここを脱出する」




 6人組。『班』。それが私たち奴隷の1単位だった。

 の監視カメラ網を避けながら、班長を先頭に一列になって進んだ。

 壁に身を寄せ、ダクトを進み、壁裏の配管スペースを抜けていった。

 ここまで順調だったのも、私が攫われてくるずっと前から、周到に準備していたからだ。

「ヤバい、見つかったぞ!」

 一番後ろの班員が叫んだ。

「皆走れ! この先の長い梯子を超えたら、地下水路だ。覚えてるな? 流れに逆らって最初の分岐を左。行くぞ!」

 一斉に駆け出す。

 私は最年少だし、走るのは一番遅かった。最後尾で、班長が背中を押してくれる。

 梯子は、塔の内壁に貼り付くみたいにして、天高く聳えていた。高すぎて天井すら見えない。

 一段ずつ、確実に登る。

 下は恐ろしくて見れないが、班長がいることは分かる。

 ようやく半分ほど進めたところだった。

「少しペースを上げられるか? 下からが来てる」

 既に他の班員は外に出ているし、班長は牢から外した鉄格子の棒を持ったまま、私と同じペースで登っている。

 私はといえば、もう手の感覚もよく分からなかった。だけど止まったら、班長も進めなくなる。

 ようやく登りきった。最後、班員が引っ張り上げてくれて助かった。

「クソ! 落ちやがれ!」

「え!?」

 梯子を覗き込むと、班長がに捕まりそうになっていた。

 彼は真下から伸びてくる枯れ木のような手に蹴りを入れた。追い討ちに、鉄棒で何度も突いた。

 梯子を持つ手を剥がされて、が落ちていく。

「はんちょ!」

 私は彼に向かって精一杯手を伸ばした。

「俺は大丈夫。これを頼む」

 彼がそう言うので、差し出された鉄棒を受け取る。

 上がってきた彼は、一旦地面に座り込んだ。

「右足をやられた」

「走れそう?」

「問題ない」班長が立ち上がる。「きみら、何こっち見てボーっとしてんの。行くぞ」

 まるで何事もなかったかのように彼は走り出したが、どう見てもやせ我慢だった。

 証拠に、ペースが遅い。私は背中を押してもらったから、彼と並走した。

 だんだん班員たちと離されていく。

 分岐で、みんなが角を曲がって見えなくなる。

 私も曲がる手前まで進んだのだが、すると班長がその場に座り込んでしまった。

「みんな行ったな。きみも気にすんな。行け」

 彼から目を離して後ろに視線を送ると、その先に、がいた。

「見て、あれ!」

 梯子から一番下までは落ちずに、登ってきていたのか。

 とはいえ相応のダメージは入っているようで、壁にその不気味な手を突き、片足を引きずりながら近づいてきている。

「参ったな。散々突いたのに、しぶとい追手だ」

 私は班長を庇うように立った。

 これは彼の計画だ。この後もみんなを引っ張る使命がある。

 受け取りっぱなしだった鉄棒を正眼に構え、息を大きく吸い込んだ。

 迫ってくるを睨み、後ろの班長に聞こえるよう吐き捨てる。

「ここは私に任せて、先に行」

 言い切る前に、肩を叩かれた。

 振り向く。

「なあ、肩を貸してくれ。きみが必要だ。一緒に走ってくれなきゃ、奴に追いつかれる」

 私と走る、とは?

 置き去りにして、そっちは行くべきでは?

「そんなまさか!」と、私は歓喜に叫んだ。

 ああ! 然り! 魂の震え。

 彼は、無限のしたたかさを持つ最上級の肯定を私にくれた!

 私の人生に、真剣さを突き刺したんだ!

「そうだよ、はんちょ! ここは私に任せて、先!」

 私は彼の腕を肩に回して、角を曲がった。

 その体は重かった。けれど、鉄棒を杖にできたし、今ならいくらでも力が湧いてくる気がする。

 この瞬間を、私は、何度でも繰り返せるだろう。常に然りと頷く強さ。愛。

 少し後方、が角から顔を出したとて、きっと大丈夫。

 私たちは既に、外の空気に触れつつある。

 水路からの水がちろちろと落ちる。その下は大きな川。

 二人並んで淵に立った。

「ビビんなよ。三つ数えたら、飛ぶからな?」

「わ、わかった」

「3、2」

 と、そこで背中を押されてしまった。

 もー! ハンチョのいじわる!

「うわァァアアアーーーーーッ!」





「やっと気づいたか。寝すぎなんだよ、バカタレ」


 班長の呆れ顔を見、びしょ濡れのまま立ち上がると、私の眼前に広がっていたのは、一面の、どこまでもどこまでも続く、白と緑の鮮やかな、にんじんの花畑だった。

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志々見九愛のスーパー大往生 志々見 九愛(ここあ) @qirxf4sjm

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