第9話 冬の支度をしながら気付かれました。

 そんな訳で、私とイリヤは子供ができた件については二月半ほどひたすら沈黙を守りました。

 西からの動きに警戒はしつつ、それでもおおむね変わらない日々が続いていきます。

 やることは毎日毎日ありますし、それだけの日々が過ぎれば、次第に季節も変わって行きます。そろそろ冬の支度をしなくてはならない頃でした。

 おかあ様方に、そして他の人々に知られたのは、そんな冬支度を女天幕でする機会が増えたからでした。

 男は男で、冬に使う燃料の用意や、冬を越えられる羊たちの選別や解体を行います。それらの毛や革の加工、保存食作りは女が中心ですが、男手も必要です。

 そしてこの頃、この年最後の商隊が集落を訪れました。

 冬中必要なの作業に必要なものを、こちらで作った織物や毛皮といったものと交換していきます。

 私たちが刺繍をする色糸は彼らから仕入れます。そんな時は女天幕の前が非常に騒がしいことになります。


「絹地も欲しいわ」

「もっと色んな色が欲しいのだけど」


 特に娘を持つ母親の目は必死です。結婚する時に持って行く様々な布のする刺繍のために、絹と色糸が必要となるからです。

 私は既にその必要はないのですが、この先子供ができることはわかっていたので、できればそのために必要な布や糸が欲しいところでした。


「奥さん今日は珍しい果物もあるよ」


 商人はそう言うと、試しにどう、と切って女たちに差し出しました。私も一つもらい口にすると、一気に口の中に唾が吹き出しました。


「酸っぱい……!?」

「え? 何言ってんのダリヤさん、甘いじゃない」

「え?」


 もう一つもらいます。やっぱり目を細めてしまう程酸っぱいです。


「おかしいですねえ。じゃあこっちはどうです?」


 今度は別の果物をむいてよこしました。


「あ、美味しい」

「どれどれ?」


 すっと横から他の小母さんが手を伸ばしました。


「……何だいこっちの方が無茶苦茶酸っぱいじゃないか?」

「え? でもすごく美味しいですけど……?」


 私はどうせむいてしまったし、と残りをぱくぱくと口にしました。

 その様子を見ていた皆は、はぁん、という納得した顔で私を見ました。


「……どうしました?」

「ダリヤあんた、子供ができたね?」

「え?」

「味が変わったり酸っぱいものが欲しかったり!」

「あーよく見れば、ちょっと顔つきも変わったように見えるねえ」


 顔つきはまあ、言われてみればそう、という程度でしょう。とは言え、確かに味は変わっていたかもしれません。ここのところ夕食をイリヤの家族皆と食べている時に感じていました。

 皆が平気でいつものように食べているものですが、いまひとつおいしく感じなかったり、前はそう好きでもなかったものにいつまでも手が伸びてしまったり。

 男たちはそう気にしていなかったようですが、義母はきっと気付いていたでしょう。

 さて、そろそろ表に出す時期なのでしょう。



 イリヤはイリヤで、その知らせを聞いて喜ぶ、という姿を皆の前に見せました。

 ただ、大きく頭の上まで私を持ち上げてくるくると回すというのはやりすぎです。落ちたらどうするの! と義母が後で怒鳴っていました。

 そして私たちは二人になると、ようやく黙っていなくていい、とばかりにほっとしたものです。


「それにしても、今からだったら冬があるからある程度安全だ。よかったよかった」

「安全…… 危険が迫っているの?」

「うん」


 彼は厳しい顔になりました。


「俺は最初、集落がなくなってしまったから、別の集落を襲う集団ができてしまうことを心配したんだ。だけどそれは違う。いや、違うというか、考えが足りなかった」

「足りなかった?」

「神様が落ちてきた時、砂漠ができてしまったんだ。――そこには草木が生えないんだ」


 あ、と私も今ではその地の光景を知っています。砂ばかりの乾燥した大地。


「熱と光のせいだけなのかどうかわからないけど、草木が育たないということは、俺らのように家畜を沢山移動させる部族にとっては、行き先が減ってしまったということだろ?」


 確かにそうです。


「特に、砂漠に近いところでずっと移動を繰り返してきた部族は西の行き場をなくしてしまったんだ。そうすると」

「東にやってくる、ということね」

「うん。そこでぶつかる可能性も出てくる」


 はあ、と私はため息をつきました。――と、ふと一つのことを思いつきました。


「ねえイリヤ。それでも一つだけ、砂漠ができてしまったことで、良いところもない?」

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