19 新型ガレー船(実物)

 ガルータ地区を包囲した翌日、ドルク軍は夜明けとともに攻城櫓を押し立ててきた。ガルータ地区の約1.5kmにわたる半月状の城壁を守るのは僅か2000の守備兵だった。時間稼ぎのためでしかない城壁は、高さ7mとそれほど高くもない。救いなのは事前に100門の小型投石機が設置されていたことと、海峡が海軍の制圧下にあるため後ろに回り込まれる心配がないことだけだった。城壁に沿うようにずらりと並んだ攻城櫓が一斉に押し迫って来るのを見た守備兵達は、その絶望的な光景に身を凍らせた。

 だがそれを見たスキピア子爵が大喝した。

「怯えるな! あんなものは薪に過ぎん! 南から来たドルク人には、今朝の寒さがこたえるらしいぞ!

 イゾルテ殿下のカクテルを、たっぷりご馳走してやれ! 凍えた体を煉獄の炎で温めてやるのだ!」


 子爵の言葉を合図にして、投石機が次々にイゾルテ・カクテルを放った。100門の投石機から放たれた100個の火炎壺は、30余りの攻城櫓に激突すると、それらを一瞬にして火柱に変えた。櫓に乗り込んでいた兵士たちが火達磨になって転げ落ちると、それを押していた兵士も蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、後には大きな篝火だけが残された。

 その威力はドルク兵ばかりでなく、引き金を引いたプレセンティナの守備兵さえも呆然とさせた。十数秒の沈黙の後、ガルータの城壁は大歓声に包まれた。


「見ろ、また寒がりな奴らが出てきたぞ! 寒くて寒くて小屋から出たくないから、今度は小屋ごと運んで来やがった!」

 次に繰り出してきたのは攻城鎚だった。基本的には思い丸太を城門に打ち付けてぶち破る道具なのだが、門に衝突している間に城壁上から矢や石や煮えたぎった油ををかけられたりするので、丸太の周りに屋根と壁を付けた馬車……というか、ほとんど小屋みたいなタイプもある。今回ドルク軍が用意してきたのもそれであった。


 殿下の奢りだ! たんまりとお代わりを飲ましてやれ!」

 再び火炎壺が打ち出されると、城門の遥か手前でその屋根が燃え上がり、更にその進路が全て炎の海に閉ざされて身動きがとれなくなった。中にいたドルク兵が煙にまかれて攻城槌から這い出すと、やはり蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。

 そして再び、城壁は歓声に包まれた。


 イゾルテの悪意を疑っていたベルトランは、事の意外な展開に唖然としていた。イゾルテ・カクテルの猛威の前にドルク軍はとりつく島もない有り様で、しかも海峡を見れば使った分以上の火炎壺が続々と陸揚げされている。

――ひょっとしたら、コルネリオに手柄を上げさせるために指名したのか?

そう思うほど一方的な展開に、死闘を覚悟していた彼は拍子抜けしてしまっていた。

――こりゃあ、俺の出番は無いかもなぁ


 だが、彼の出番はすぐに訪れた。大型の攻城兵器が有効ではないと悟ったドルク軍は、最も小型の攻城兵器を繰り出してきたのだ。つまり……梯子である。梯子を持った者を先頭にしてドルク兵達が城壁に沿って遠巻きに並ぶと、彼らは一斉に駆け出した。

 城壁から100mあたりまで近づいた時、100の投石機から100のイゾルテ・カクテルが発射された。それはドルク兵の海の中に100の火柱を上げると、その数倍するドルク兵が火だるまになった。だがそれに100倍するドルク兵はそのまま走り続けた。小型投石機の射手は全力でハンドルを回して巻き上げ、他の守備兵達が必至に弓を射たが、ドルク兵は損害に構わず突き進み、遂に城壁に取り付いて梯子を立てかけた。


 絶体絶命に思えたその瞬間、子爵の怒号が響き渡った。


「今だ! 蹴落とせ!」


 子爵の合図に合わせて、ベルトランや守備兵たちはイゾルテ・カクテルを城壁から蹴り落とした。2000の火炎壺が地面に叩きつけられると、一瞬にして城壁の外は火の海に変わった。燃え上がる炎に取り巻かれた城壁の姿は、そこだけ見ればまるで落城寸前の有り様だったが、炎に巻かれもがき苦しんでいるのは全てドルク兵である。後続の兵士たちが目の前の煉獄のような有り様に二の足を踏むと、再び雨のような矢が降り注いだ。彼らがたまらずに逃げ出すと、再び投石機からカクテルが発射されて更に数百人を生きながら荼毘だびに付した。燃え盛る炎の中、城壁は三度みたび歓声に包まれた。


 午後になると、ドルク軍は火炎壺の射程外から矢を射掛けてきた。守備兵達は盾で投石機と射手を守りながら、こぶし大の小型火炎壺の散弾を応射した。これは1つ1つの威力こそ微々たるものだが、数によって射程距離を調整できるメリットがある。2つ3つの火炎壺が弓兵達の足元で割れると枯れ草に火が付き、彼らは慌ててその火を消した。そしてようやく消した頃には、次の火炎壺が飛んできた。火消しの対応に追われたドルク軍は、そのうちに辟易して弓兵も下げてしまった。

 結局この日、ベルトランの戦いは火炎壺を1つ蹴落としただけで終わってしまった。


 翌日のドルク軍は、散発的に弓を射てくるだけだった。守備兵は城壁の裏に身を隠して敵の大攻勢に備えていたが、結局碌な攻撃もないままに日が沈んでしまった。ベルトランは一日中、城壁の裏でトランプをしていた。


 3日目になって、状況が大きく変わった。ドルク軍は前日に丘の向こうで作り上げた3門の大型投石機を、夜のうちに城壁から400mあまりまで近づけていたのだ。そして夜明けとともに、城壁に向けて岩を投げつけてきた。守備兵達は突然の攻撃……ではなかったので、最初から城壁の裏に身を隠していた。移動する投石機の姿は皇宮に置かれた大望遠鏡に発見され、遠くと話す箱{無線機}によって位置と数と向けられている方向までが詳しく伝えられていたのだ。


 大望遠鏡はその暗視能力から、フクロウを遣いにする女神にあやかって『アテヌイの目』と呼ばれるようになっていた。ムルス騎士団のベルトランは心中複雑だが、アテヌイはムルスに並ぶ戦いの神でもある。しかも知恵の女神であり、都市の防衛も司っている。この戦はどうみても力に頼るムルス神のものではなく、知恵で戦う女神アテヌイが得意とする戦いなのだ。そして守備兵達の頭の中には、神格化されつつある一人の少女がいた。

 彼女が用意していた大型投石機は昨夜のうちに組み立てられ、城壁の中から虎視眈々と反撃の準備を整えていたのだ。城壁を挟んだ1対3の戦いは、その数とは反対に盲撃めくらうちするしかないドルク軍が一方的に不利だった。しかもプレセンティナ側は、(通常サイズの)イゾルテ・カクテルの散弾を投げ返していた。つまりプレセンティナ側の投石機は一投ごとに方位と距離を修正する上に、一投ごとに半径10mほどの範囲を火の海に変える威力があったのだ。

 5投目で最初の1台を仕留め、9投目で2台目を焼き、12投目で最後の投石機を灰にすると、城壁は歓声と悲鳴に包まれた。

「あー、クソっ。もう1発外してくれれば10倍になったのにっ!」

悲鳴を上げて賭札を破ったベルトランは、背後から子爵にどつかれた。


 一方ドルク軍は、丸一日使って急遽用意した投石機があっさりと破壊されてしまい、3日目にして有効な攻撃手段を全て失ってしまっていた。彼らはこの日、日が沈むまで何の攻撃もしかけてこなかった。



 そのころプレセンティナ海軍は、メダストラ海とアムゾン海に哨戒線を張ると同時に、海峡にはガレー船を遊弋させてドルク軍を警戒している――振りをしていた。

 ドルク軍は10万ほどがガルータ地区を包囲する一方で、残りは丘の向こうに姿を隠している。渡河点をプレセンティナに悟られないためだろうが、夜になれば動きがあるはずだった。彼らは『アテヌイの目』が、フクロウのように暗闇から彼らを見つめていることを知らないのだ。


 ゲルトルート号は海峡の次に警戒が必要なアムゾン海方面の監視分艦隊の旗艦としてすでに出港していた。同様にメダストラ海にも帆船団が派遣されている。彼らがドルク軍の船を発見した場合、昼なら旗信号、夜なら油を満載した小舟に火を付けることになっている。そうやって分艦隊旗艦に連絡した上で、その分艦隊旗艦からは遠くと話す箱{無線機}を使って、海峡中央に停泊する新造船『暁の姉妹』号に連絡することになっていたのだ。そして、ガレー船で組織された襲撃艦隊が迎撃に駆けつけるのである。


 この3日ほどイゾルテは、暁の姉妹号の艦隊司令室で『アテヌイの目』からの連絡を待っていた。ゲルトルート号では士官食堂を艦隊司令室として使っていたが、暁の姉妹号では予め左舷側に艦隊司令室が用意されていた。その代わり、船長や艦隊司令の個室、士官食堂は右舷側なので、いちいち第一甲板のクロスデッキか第二甲板の連絡通路を渡って来なければならない。クロスデッキは構造上波を(上下から)被ることが予測されるので、波の勢いを受け流すため"すのこ"状になっている。その構造はクロスデッキ下に作られた連絡通路も同じで、波に攫われる心配こそないものの、嵐の日にそこを通ればびしょ濡れ確定だった。左舷なら左舷だけ、右舷なら右舷だけで生活できた方が良かったかもしれない、とイゾルテは今更ながら後悔していた。

 もっとも今日は嵐どころか曇りですらない。雲一つない空に、月齢も満月。

――今夜こそドルクは動くだろう

その予感がイゾルテを司令室に縛り付けていた。もっともその予感も、今日で3日目なんだけど……


 日が完全に沈んで1時間ほど後、『アテヌイの目』から連絡が入った。

『暁の姉妹号、暁の姉妹号、こちら大望遠鏡観測所。聞こえますか? ドウゾ』

「こちら暁の姉妹号、イゾルテだ。ドウゾ」

『敵に動きがあります。ガルータ地区包囲中のドルク軍の一部が北に向かっています。ドウゾ』

「ガルータ周辺のドルク軍の一部が北上中、了解。逐次連絡してくれ。ドウゾ」

『了解。通信終わり』


 通信が終わると、横で聞いていたムルクスが提案した。

「ひとまずガルータの北5kmまで進出しましょう」

「そうだな。第一襲撃艦隊も出港させよう。ひとまずは我々と同じ目的地で良いだろうか?」

 第一襲撃艦隊はガレー船30隻で編成されている。第二襲撃艦隊と合わせて渡河中のドルク軍を北と南から圧迫する……というか、逃亡を防ぐ役割を担う。だから先んじて敵よりも北に回り込んでおく必要があるのだ。

「はい。変更はいつでも出来ますし、戦闘が始まれば漕ぎ手は暇になります。移動でこき使っても大丈夫ですよ」

「問題は海岸防御の帆船だな。北風だから、狭い海峡を北上するのは至難の技だ。ペルセポリスに停泊している艦隊を向かわせることが出来ない。かといって海峡北端に詰めている艦隊を安易に動かせば、今度は北に戻れなくなる」

「いざとなれば、第一襲撃艦隊の一部を帆船代わりに使いましょう。側面の攻撃力が弱くなりますが、網に行動を阻害されるのは敵も同じです。どのみち敵に逃げ道はありません」

「いや、第一襲撃艦隊を2つに分けるのは無理だ。遠くと話す箱{無線機}を1つしか渡していない以上、同じ行動を取らせざるを得ない。

 だが敵が渡河するのは未明になるはずだから、それまでには渡河点も分かるだろう。ひとまず第一襲撃艦隊だけを動かそう」


 イゾルテは遠くと話す箱{無線機}を手に取った。

「第一襲撃艦隊、第一襲撃艦隊、こちらイゾルテ。ドウゾ」

『こちら第一襲撃艦隊。出番ですか? ドウゾ』

「暁の姉妹号はこれよりガルータ地区の北5km、ウロパ側に向かう。第一襲撃艦隊も同行せよ。ドウゾ」

『ガルータ北5km、ウロパ側、了解。これより出港します。ドウゾ』

「ドルクに見つからぬように、カンテラを目隠しするのを忘れるなよ。通信終わり。ドウゾ」

『了解です、通信終わり』


 通信が終わると、イゾルテはアントニオを手招きした。

「アントニオ、お前に極秘命令を与える。密かに書状を届けて欲しいんだ」

だがアントニオは不満そうな顔をした。

「また僕は戦いには連れて行って貰えないのですか?」

イゾルテは、「また」というのが彼の父親が戦死した戦いの事を言っているのだと気付いた。あの時もアントニオは伝令に出されて1人だけ難を逃れたのだ。

「まあ、そう拗ねるな。今回はここより危険な前線へ行ってもらうのだ」

「前線?」

「ああ、ガルータ地区のスキピア子爵の元に向かってくれ。この書状を持ってな」

イゾルテが差し出したのは、全てスキピア子爵宛の3通の書状だった。

「……なんで3通もあるんですか?」

「どの書状を渡すのかは遠くと話す箱{無線機}で指示をする。それまでガルータの本営に詰めていろ。それと――」

イゾルテはアントニオに細かい指示を与え、ガルータ地区へと送り出した。


 アントニオを乗せたカッター(小舟)が離れると、暁の姉妹号は行動を開始した。第3甲板から第5甲板に配置された漕ぎ手席に水兵たちが跨り、号令が飛んだ。

「並足! 踏み込み始め!」

水兵が一斉に足元のペダルを踏み込んで歯車を回し始めると、巨大な導力鎖{チェーン}が回り始めた。

「錨巻き上げ機に接続!」

号令に合わせて歯車がガクンと組み合わされると、船首の巻き上げ機がゴロゴロと唸り始め、海底に沈んでいた碇が巻き上げられた。

「水車接続、第一速!」

今度は巨大な歯車を空転させていた導力鎖{チェーン}が僅かに横にずらされ、水車につながる最も大きな歯車に絡まった。

 ガクンっ

漕手達のペダルに衝撃が伝わると、ゆっくりと水車が動き出した。

「とりかぁーじ!」

船長の号令によって、2つの水車の前後に付けられた舵が八の字に切られた。水車が巻き起こす水流が舵にあたって方向を横に変えると、船の向きが左へと回転し始めた。やがて舳先が北を向くと舵を戻し、暁の姉妹号は前進を始めた。


 前進速度が上がってくるとそれに合わせて水車の抵抗が減り、次第に水車の回転速度が増していった。そしてそれが一定の速度に達すると、新たな号令が飛んだ。

「水車変速、第二速!」」

再び導力鎖{チェーン}が僅かに横にずらされ、一回り小さな歯車に絡まった。

  ガクンっ

漕ぎ手達のペダルが重くなり回転が遅くなったが、水車の速度は変わらない。漕手達はさらに力を込めてペダルを踏み込み、水車の回転は段々と速くなっていく。暁の姉妹号は順調に北上していた。



 しかし、その短い航海は目標の1kmほど手前で終わってしまった。

『暁の姉妹、暁の姉妹、こちら大望遠鏡観測所。聞こえますか? ドウゾ』

「こちら暁の姉妹、イゾルテだ。ドウゾ」

『北に向かっていたドルク軍が、筏を浮かべて乗り込み始めました。ガルータの北2~3kmほどの位置です。幅500kmほどに筏を並べています。ドウゾ」

「何ぃ!? 並べるだけでなく、既に乗り込んでいるのか!?」

イゾルテは思わず叫んでしまってから、お約束{通信プロトコル}を思い出した。

「……ドウゾ!」

『はい。乗り込んでいます。ドウゾ』


 イゾルテは予測しなかった事態に慌てた。

――どういう事だ!? まさかガルータにもペルセポリスにも近いこんな場所で、しかも寝静まる時間も待たないとは! これではまるで、我々に見つかることを恐れていないようではないか……。

 確かにイゾルテたちの意表は突けているのだが、不意は突けていないのだ。例えアテヌイの目が無くても、渡りきる前にバレる可能性は非常に高い。

――とすると、陽動も兼ねてガルータ地区に夜襲を仕掛ける気か? だとしても、なぜ未明を待たないのだ……?

その意図は不明のままだったが、兎に角対応せざるを得ない。

「……ガルータの北2~3km、幅500km、敵が乗船中、了解。ガルータ周辺の敵に注意してくれ。夜襲の可能性が高い。ドウゾ」

『了解。ガルータ周辺に注意します。通信終わり。ドウゾ』

「通信終わり」


イゾルテは通信を終えるや否や、今度はガルータに連絡を入れた。

「ガルータ守備隊、ガルータ守備隊、こちらこちら暁の姉妹のイゾルテだ。ドウゾ」

『ガルータ守備隊、スキピアです。ドウゾ』

「子爵、聞いていたと思うが、敵があなたの目と鼻の先で渡河しようとしている。

こちらを囮としてそちらを攻めるか、そちらを囮としてこちらを渡るかのどちらかだろう。

 周囲を警戒し、反撃の準備を整えておけ。ドウゾ」

『了解。炭火の準備をしておきます。ドウゾ』

「あと、アントニオは大人しくしているか? ドウゾ」

『はい、借りてきたネコのように大人しくしています。ドウゾ』

「それは良かった。通信終わり。ドウゾ」

『通信終わり』


 イゾルテは更に第一襲撃隊に連絡を取り、東進して突入の準備をするように命じた。残る問題は海岸防御の船のアテがないことだった。狭い海峡では思うように動けない帆船を並べて浮き砲台にしようと考えていたのだが、いきなり渡河を始められたせいで手配が間に合わないのだ。

「北端の艦隊を呼び寄せますか?」

「……到着には2時間以上はかかる。だが渡河点の幅は3kmもない。間に合わないだろうな」

「では海岸の防衛は……?」

「僅か500の騎兵だけだ。多勢に無勢にさせないためにも、この船が踏ん張るしかない。

 クソっ、これだけ手札を揃えておきながら、まんまと敵に裏をかかれるとはなっ!」

「それでも、大半は追い返せるはずです。後の事は後で考えましょう」

「……そうだな。神ならぬ身で、何でも思い通りになるなどと思ってはいけない」

もっともタイトンの神々もあんまり思い通りに出来てるようには思えないのだが。

 イゾルテは騎兵部隊に敵の対岸へ移動するよう命じ、第二襲撃艦隊にも南側から突入する準備にかかるように命じた。

『暁の姉妹号、暁の姉妹号、こちらガルータ守備隊です。ドウゾ』

「こちら暁の姉妹号、イゾルテだ。その声はアントニオか? ドウゾ」

『はい。ドルク軍が攻撃を仕掛けてきました。スキピア子爵は陣頭指揮を執っておられます。代わりに連絡するように仰せつかりました。ドウゾ』

「そうか、お勤めご苦労。子爵に宜しく言っておいてくれ。ドウゾ」

『畏まりました。通信終わり。ドウゾ』

「通信終わり」


 その後イゾルテはジリジリと連絡を待っていた。彼女は今夜で全てを決するつもりなのだ。敵が渡り切る直前に殴り込まなければ、充分な戦果を期待できない。小一時間して『アテヌイの目』から敵の先頭が海峡の4分の3を越えたという連絡が入ると、イゾルテは即座に第一、第二襲撃艦隊に突入を命じた。

「爺、ここは任せた。私は甲板に上がって陣頭指揮を執る」

「しかし……」

「すぐに乱戦になる。今はここで指揮を執るより、この船の皆を督戦する方が重要だ。すべてはこの船の働きにかかっているのだ。それに、魔女の姿を敵に見せてやらねばな」

「御自身まで利用されるおつもりなのですか?」

「……私はただ、目立ちたいだけだよ」


 イゾルテは甲板に駈け上がると、クロスデッキの先頭に立つ船長の隣りに並んだ。

「船長、舞台は整った。突入を開始せよ」

「畏まりました。帆を張れ! 水車を回せ! 突入するぞ!」

「「「宜候!」」」


 暁の姉妹号は追い風と人力(足こぎ動力)で見る見るうちに速度を上げると、今にも海峡を渡り切ろうとしていた敵船団の前に滑り込んだ。北と南から襲撃をかけたガレー船団は、既に敵に船腹を見せて射撃を開始している。船長は矢継ぎ早に命令を下した。

「空転歯車ロック! 帆を畳め!」


 空転歯車は、水車の回転が人力の回転動力よりも速くなってしまった時に空転するための仕組みだ。オリジナルの2輪荷車{自転車}が、ペダルを漕ぐのを止めても車輪がシャーっと回り続けるあの仕組みだ。だがその仕組を一時的にあえて殺すことで、水車が回転する力を船内の歯車に逆に伝え、様々なことに利用することが出来る。つまり今は、船が進み続けようとする力{慣性エネルギー}を帆を巻き上げるのに使おうというのだ。僅かに減速しながら帆が一気に畳まれると、イゾルテが白いラッパ{拡声器}を使って叫んだ。

「左舷全側砲動力点接続! 全力射撃を開始せよ!

 ペルセポリスの市民たちに、時ならぬ暁を見せてやれ!」


 歯車が噛み合わされ、左舷の投石機に接続された歯車が回り始めると、一斉に射撃が開始された。一発発射されると即座に巻き上げが開始され、その間に射手が次弾を装填する。更にその後ろでは、別の者が炭火を火炎壺に放り込んで外蓋をしていた。

 間断なく吐出されるイゾルテ・カクテルが、ドルク軍の筏を次々に襲った。カクテルが筏に当たると船上は一瞬にして火の海となった。水面で砕けた火炎壺も、油と酒精{アルコール}を水の上に撒き散らし、やがて水の上でも炎を上げ始めた。狭い海峡はあっという間に火の海となり、まるで暁のように海峡を明るく照ら出した。


「取舵一杯! 右舷全側砲動力点接続! 全力射撃を開始せよ!」

敵の中央まで進んだ暁の姉妹号を前後2つの舵が強引に東に向けると、今度は右舷の投石機も射撃を開始し、暁の姉妹の両脇は煉獄と化した。だが、その正面はまだ無防備のままだった。


「両舷側砲を管制射撃に移行! ケルベレスを起動せよ!」

イゾルテが叫ぶと、今度は別の歯車が回り始めた。両舷の船首に組み込まれた大型空気喞筒{ポンプ}が唸りを上げ、巨大な酒精樽に空気を送り込んだ。やがて限界の一歩手前まで圧力が高まると、安全弁が働いて喞筒{ポンプ}の動きを止めた。

「右舷船首火炎砲、発射可能です!」

「左舷船首火炎砲、発射可能です!」


 イゾルテは戦闘中にも関わらずヘルメットを脱いでその髪と素顔を晒すと、右舷に向かって叫んだ。

「焼き払え!!」

そして振り返り、左舷に向かって怒鳴った。

「薙ぎ払え!!」


 彼女の叫びに合わせて、船首から突き出した筒の先から透明な液体が勢い良くほとばしり、水兵がそれに向かって火矢を撃ちこむと、空中でゴォォォォォォオォっと激しく燃え上がった。その炎はケルベレス(冥界の番犬)の吐く炎のように、海面を舐めまわし、暁の姉妹号の前方にいた筏とドルク兵を等しく炭へと変えていった。

 炎の上げる轟音と火達磨になってもだえ苦しむドルク兵の叫びが満ちる中、左右の巨大な2つの炎に照らされながら、イゾルテは艶然と微笑んでみせた。圧倒的な破壊と恐怖の中心に立ちながら、怪しくも美しく微笑む彼女の姿は、暗闇の中に浮き上がってドルク兵達を幻惑した。それはまるで、2匹の巨獣を従える魔女のように見えた。


「魔女だ! 黄金の魔女が現れた!!」


 その悲鳴は既に混乱していたドルク軍にあっても瞬く間に駆け巡り、あちこちで筏が東へと引き返し始めた。

「引き返してはならん! 殿下のご命令に従うのだ!」

必至で叱咤する士官もいたが、彼がどれほど凄んでみたところで、海を煉獄に変えてみせた黄金の魔女に比べれば獅子の前の子猫に等しかった。兵士たちの手で士官が海に突き落とされると、彼らは櫂だけでは足りず、手のひらで以って必至に水を掻いた。

 魔女に従う二匹の魔獣はゆっくり、ゆっくりと彼らを追った。左右にはガレー船が並んで『魔女の壺』を投げつけ、彼らが近づくことを拒んでいた。筏は我先に東へと向かい、押し合いへし合いする内に隣りの筏から櫂を奪おうとして醜い争いまで起こった。争いの中で櫂を失った筏は、追いすがる魔獣の炎に炙られ綱が切れ、一瞬にしてバラバラとなって燃え上がった。それがまた彼らの恐怖心を煽り、最後尾の筏に乗っていたドルク兵は前の筏へと飛び移った。飛び移られた筏の兵士たちの半分はそれを追い返そうとし、残り半分はより前の筏へと飛び移った。争いの中で多くの者が筏から押し出され、あるいはあまりに大勢が飛び乗ったために筏ごと海中に没した。


 自分の作り出した地獄を目の当たりにしながらも、イゾルテは吐き気を堪えて満面の笑みを浮かべ続けた。そんなイゾルテに船長がハンカチを差し出した。

「殿下、これをお使い下さい」

「すまんな、ここは暑くてかなわない」

イゾルテはそれを受け取ると、目から溢れる汗を拭った。

「しばらく貸しておいてくれ」

イゾルテは怪しい微笑みを浮かべながらも、ハンカチをきつく握りしめていた。



 その煉獄は、暁の姉妹号の左右を固めるガレー船団からもよく見えていた。想像を絶する光景に、誰かが呟きを漏らした。

「ケルベレスだ……」

「まさに、ケルベレスのようだ」

呆然とする水兵たちに、他の水兵が混ぜ返した。

「しかし、ケルベレスは三つ首だ。真ん中の首はどうしたんだ?」

言われた水兵は、呆然としたまま答えた。

「……きっと殿下の足元で、喉を鳴らしているんだろうぜ」

彼らはイゾルテがケルベレスの頭を撫でている姿を想像し、その頼もしくも恐ろしい光景に身を震わせた。

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