13 鏡式望遠鏡
ある朝イゾルテが起きると、枕元に贈り物が届いていた。絵{写真}の描かれた四角い箱に入ったタイプの贈り物だ。
イゾルテの経験上、箱入の贈り物は組み立てが必要な場合が多い。最たるものはゲルトルート号のモデルとなった一連の贈り物(DoAG○STINIと書かれた本と模型部品)だろう。逆に組み立てが不要な物は、大抵むき出しで転がっている。ちなみに箱入りで最も難解だったのは、バラバラにされた絵{ジグソーパズル}だった。
イゾルテはベットの上で両膝をつくと、胸元で指を組んで祈りを捧げた。
「どなたかは存じませんが、神様、いつもありがとうございます」
タイトンの神々は拗ねると酷い祟りをもたらすので、とりあえず媚を売っておくことは重要である。
贈り物の箱の表面には、望遠鏡っぽい筒状の何かの絵{写真}が描かれていた。だが筒は一定の太さを保った
それならどうしてコレを望遠鏡だと思ったのかというと、筒の脇から飛び出している部分が9年前に貰った望遠鏡{双眼鏡}の接眼部に似ていたからである。
だが普通に考えれば、脇から覗いても筒の反対側が見えるだけのはずだ。
「何だこれ……?」
ひとまず箱を開けてみると、バラバラの部品と小冊子が入っていた。今回は船の模型の時と違って全部の部品が揃っているようだ。
「これは鏡か。こっちはなんで歪んでいるのだ?」
中には2枚の丸い鏡が入っていた。小さい方は楕円形をしている{斜鏡}が、間違いなく鏡だ。だが大きい方は、円形だが皿のように丸くへこんでいた。{凹面鏡}これでは鏡としても役に立たない。
「しかし、紙がわざわざ歪んだ鏡を贈りつけてくるだろうか?」
気になってその鏡を弄り回しているうちに、イゾルテは重大なことに気付いた。片目を瞑って正面から見ると、自分の顔が歪みなく拡大されて見えるのだ。
「これはレンズ? 水晶の代わりに鏡を使っているのか!?」
イゾルテの知るレンズとは、水晶から削り出して作る物だ。ガラス製の物も無いわけではないが、透明度も低く歪みも大きいので望遠鏡にはとても使えない。使うとしてもせいぜい虫眼鏡くらいだ。だが大きな水晶は非常に高価であり、だからこそ贈り物の望遠鏡{双眼鏡}が重宝されているのだ。
――しかし水晶の代わりに鏡を使えるのなら、いくらでも大きく出来るではないか!
イゾルテはこの大発見に思わず叫びそうになったが、はたと気づいた。
「鏡では自分の顔しか見えんではないか!」
イゾルテは喜びの反動で崩れ落ちた。
だが、贈り物研究ではぬか喜びなど日常茶飯事だ。彼女はなんとか立ち直った。
「こんなのでも利用方法があるのだろう。ひとまず組み立ててみるか……」
小冊子に載っていた図{組立説明図}と箱の絵を参考に、イゾルテは組み立てていった。
やはり筒の脇の部品{接眼部}には小さなレンズ――接眼レンズが付いていた。しかも、普通の望遠鏡の接眼レンズと同じで小さく見えるレンズ{凹レンズ}だ。大きく見えるレンズ{凸レンズ}と組み合わせれば、普通の望遠鏡ができそうである。そしてその接眼レンズの先には、小さい鏡{斜鏡}を斜めに取り付けるように指示されていた。
「なるほど、鏡で反射することで筒の脇から見れるようにしてあるのか!」
だが感心したのも束の間、その次の図には反射したその先に皿のようにへこんだ鏡{凹面鏡}を取り付けるように描いてあった。
「どういうことだ!? これでは結局自分の顔しか見えんではないか!」
顔どころか、覗きこんだ目しか見えないはずである。
何とも納得がいかなかったが、そのまま放置するわけにもいかない。彼女はとにもかくにも贈り物を完成させた。
「まぁ、作った以上は見てみるか」
イゾルテが接眼部を覗きこむと、なぜかそこには見覚えのある模様が見えた。
「この模様は何だっけ? 毎日見ているような気がするが……うーん、思い出せん!」
そう言って眉間を揉みながら上を見上げると、視線の先にその模様を見つけた。
「あっ、天井の模様だったか!」
どうして自分の瞳が見えないのかはさっぱり分からないが、やはりこれは望遠鏡のようだった。
窓から外を眺めてみると、明るさと言い倍率と言い、以前貰った望遠鏡{双眼鏡}に匹敵した。もっとも昔貰った望遠鏡{双眼鏡}のように倍率を変更することはできないので、見張り用にはあまり向かないかも知れない。だがこれなら量産できる可能性が高い。
ゲルトルート号や建造中の『暁の姉妹』号クラスの船を量産した場合、ボトルネックになるのが望遠鏡だった。折角半径25kmの視野を手に入れても、普通の望遠鏡ではそんな遠くの船を見つけたり識別するのは無理なのだ。かといって大きな望遠鏡を作ろうと思うと、巨大な水晶が必要になる。直系10cmとか15cmの水晶なんて、いったい幾らするのだろうか? というか、果たして手に入るのだろうか?
だがこの鏡式望遠鏡{反射望遠鏡}なら量産も大型化も可能なのである! ……理論上は。
「こ、これは今すぐにでも量産せねば!」
イゾルテは鏡式望遠鏡{反射望遠鏡}を持って部屋を飛び出した。
「きゃあ!」
「おっと、すまない」
部屋を出たところで、メイドとぶつかりそうになった。
「で、殿下!」
「すまなかった。急いでいたのだ」
イゾルテは言葉では謝りながらも、体はすでに研究棟に向かって走りだしていた。
「違います! お召し物が!」
「えっ?」
イゾルテはネグリジェのままだった。
メイドに叱られながら着替えを済ませ、朝食も摂らされて、イゾルテが研究棟にやって来たころには日もすでに高くなっていた。
ここに来てイゾルテは、誰に相談すべきか迷った。原理の解明や大型化の研究は学者に時間をかけてやってもらうにしても、まずは再現をして欲しい。適任は鏡職人だろうが、これまでの贈り物研究では出番がなかったので、そんな職人は離宮に呼んでいなかった。
――鏡職人に伝手があるのは誰だろう?
迷った末、イゾルテは家具職人達の部屋を訪れた。
研究棟において、家具職人達は便利屋のような存在である。彼らは別に家具を作っているわけではなく、その技術でもって試作品制作に協力するのだ。だが今回イゾルテは、本職の家具作りの方で鏡職人と知り合いではないかと考えたのだ。
しかし家具職人の返答は期待したものでは無かった。
「鏡職人は知ってますが、わざわざ曲がった鏡を注文するなんて聞いたことがありません」
「単に曲がっているのではなく、高度に計算された曲線にしたいのだ」
無茶振りである。
「……たぶん、我が国の職人では無理だと思いますよ?」
鏡の製造では、品質と言い生産量と言い都市国家バネィティア共和国が群を抜いている。
「バネィティアの鏡職人を招聘するしかないか……」
「無理でしょう。あそこは滅多なことでは技術を外に出しません」
「ではやむを得ん。注文を出して作ってもらうか」
せっかくの鏡レンズ{凹面鏡}技術を流出させるのは痛いが、例えば通常の鏡の製造技術と交換するなどの取引は充分にあり得るだろう。だが家具職人は異議を唱えた。
「いえ、そもそもあそこの鏡は錫箔をガラス板に貼り付けるものです。正確にへこんだガラスを作るのも大変ですし、そこに錫箔を敷いたら皺が出来てしまうと思いますよ」
「本業でもないのに詳しいな」
「まぁ、いろんなチームの仕事をしてますからね……」
彼らは横断的に様々なプロジェクトに携わるために、妙な知識が溜まっていくらしい。
「うーむ、でも他に手があるか?」
「むき出しの金属ではダメなのですか?」
「ダメではないが、重くなりそうだなぁ……」
ペラペラの金属では簡単に撓んでしまうので、変形しないためには相当な厚みが必要となるだろう。しかしそうなれば重くなりすぎてマストの上まで持ち上げられなくなってしまい、本末転倒になる。
「では、形は木で作って
「出来るのか?」
「あー、
でも家具の表面に金箔や金属板を貼ることは良くあります。木で型を作ってその上に薄板を曲げて貼り付け、最後に研磨して鏡のように仕上げれば良いんじゃないですか?」
「まぁ、それならかなり軽くはなりそうだが……」
「銀も節約できますしね」
「銀だとっ!?」
イゾルテはてっきり鉄か何かのつもりだった。皇女のくせに、彼女は結構貧乏臭いところがある。
「光の反射率も、加工のしやすさも、錆びにくい点でも、やっぱり銀が一番でしょう」
「しかし、銀は高く付きそうだなぁ……」
「直系30cmの水晶なんてどこにもありませんけど、銀皿なら幾らでもあるでしょう?」
「……確かに」
こうして半ば押し切られるように、銀製皿型鏡{凹面鏡}による鏡式望遠鏡{反射望遠鏡}の試作が開始されることになった。
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