4 見舞い(後)
3人が応接室のソファーに向き合って座ると、リーヴィアは頭を下げた。
「殿下、今日はありがとうございました」
「え、ああ、お見舞いのことですか。当然のことです。ミラはたった1人の従姉妹なんですから」
「そう言ってくださると、あの子も喜びますわ」
てっきり怒られると思っていたイゾルテは内心でほっとした。……が、本題はここからだった。
「ですがそれはそれいつまでも子供のような真似をなされてはいけませんテオドーラ様があなたくらいのお年にはすっかり淑女になっておいででしたそもそも殿下はなぜそのような服を着ているのですか15といえば結婚していてもおかしくないお年ですそれなのに殿下は男の子おのような振る舞いをなさってそれでは嫁の貰い手もありませんよそもそも……」
止まるところを知らないお小言攻撃にイゾルテがタジタジになっていると、ドアの向こうから天の助けがやって来た。
「失礼します、奥様。そろそろサビカス伯爵夫人とのお約束のお時間ですが……」
「まぁ、いけない。夫人には申し訳ないけれど、急いでお断りの連絡を……」
イゾルテは慌てて口を挟んだ。
「いやいや、叔母上。突然お訪ねした私が悪いのです。私に構わずに行って下さい」
「そうですか? そう言って頂けると助かります。ではコルネリオ、殿下のお相手は任せるわ」
「あ、いや……」
「殿下、ゆっくりして行ってくださいね」
「……はひ」
こうしてイゾルテはスキピア子爵と2人きりにされてしまった。
子爵の名は、コルネリオ・パウルス・スキピア。陸軍の将軍の1人であった。かつてイゾルテの叔父(子爵にとっては義理の兄)のグナエウスが戦死した戦いにもその副将として参加し、途中からは指揮を引き継いで、怒涛のごとく押し寄せるドルク軍からルキウスが率いる本隊を守りぬいたそうである。先頭に立って刀を振るいながら、雄叫びを上げて兵士たちを鼓舞し続けた猛将だ――という話を噂で聞いていた。厳格だが兵士たちからの信望は厚い――と、陸軍出身の衛兵が言っていた。まだ三十路前なので現場を離れないが、いずれ重職に就くだろう――と、ムルクスも言っていた。だけどクソ真面目で女っ気が無いのよね。
彼はイゾルテの親戚ではあっても皇族ではないので何かの式典でもイゾルテの近くに座ることもなかったし、イゾルテはムルクスやアドラーとの関係で海軍ばかりに関わっていて陸軍の兵営は訪ねたこともなかった。だから2人が会話したことなど数えるほどしか無かったのだ。それにイゾルテは公式の場ではずっとネコをかぶっていたのだが、今は軍服を着ていたし、ミランダの前で子供っぽいところを見せた後なので、今更取り繕うのも手遅れだった。彼女は対応に困って、ひとまず頭を下げた。
「あー、子爵、先程は失礼した」
だが子爵は楽しげな声で笑った。
「いやぁ、こちらこそ助かりました」
「助かる?」
「殿下がおいでにならなければ、私が叱られていた所だったのです。実は、殿下がおいでになる前に私も同じようなことをしておりまして……」
子爵は照れ隠しに笑いながら頭を掻いた。
「姉上に叱られそうになっていたところを、ミランダにかばってもらっていたのです」
「なんだ、それでは私を叱れないな」
2人は顔を見合わせて笑い声を上げた。意外に気さくな子爵の態度に、イゾルテは自然に男装女子として振る舞っていた。
「子爵は意外と愉快な人だったのだな。軍人だし、猛将とも聞いていたからもっと固くるしい人物かと思っていたぞ」
「それはこちらのセリフです。宮中でお見かけする姿とミランダから聞く様子があまりに違うので、先ほどまでミランダの言葉を信じていませんでしたよ。どちらが本当の殿下なのですか?」
「どちらが本当ということもない。どちらも本当の私だ。どちらが欠けても、私は私ではいられないだろう」
「ははは」
「ひどいな。笑われるようなことを言ったか?」
「失礼。今のお言葉は、ムルクス提督がおっしゃっておられた殿下らしいなと思いまして」
意外な名前を聞いてイゾルテは肩眉を上げた。
「爺が? いや、子爵はムルクスと親しいのか?」
「いえ、年始の祝賀行事で何度かお会いしただけです。殿下がいらっしゃらないので、代わりに提督が忙しそうにしておられましたよ」
イゾルテは、彼女の仮病を取り繕うためにムルクスが奔走していたのだと解釈した。
「そうか、爺には苦労をかけたな」
その労りの言葉を聞いて子爵は、ムルクスの活動をイゾルテが公認しているのだと判断した。ならば彼は、ムルクスの言葉が真実かどうか見極めなければならなかった。
「殿下、ご不快かもしれませんが、ローダス島でのことを教えていただけませんか?」
その言葉を聞いて、イゾルテの顔つきが変わった。
「子爵が興味を持たれているのは、やはり地上戦のことであろうな」
「いえ、海戦にも興味はありますよ」
「気を使わなくていい。どうせ海軍の自慢話は祝賀会で散々聞かされたんだろう?」
子爵は苦笑した。確かにどこの祝賀会でも海軍の自慢話が話題の中心になっていて、陸軍の者達は面白く無さそうにしていたのだ。
「それに、次はこのペルセポリスでの攻防だからな。ドルク陸軍の最新の戦術が気になるのは当然のことだろう。
だが誰も地上戦のことは話さなかったのではないかな? 地上を見て回ったのは私に随行した者くらいだし、祝賀会で話せるような内容でもないしな」
まるでドルクが攻めてくるのが分かっているかのような彼女の口ぶりに、子爵は違和感を覚えた。だが彼を含む陸軍の軍人たちは、常にそのような心構えでいることが求められていた。単にそれを考慮しての言葉かもしれない、と彼は考えた。
「殿下自ら視察されたのですか?」
「いや、視察ではなくてムルス神殿へ参拝したのだ」
「しかし何も戦闘直後に参拝する必要は無かったのでは?」
「いや、ムルス騎士団のメンツを立てるために必要だったのだ。団長が講和に合意したとはいえ、下の者が納得していなければ将来に禍根を残すからな。
それに私が騎士団に膝を折れば角が立つが、神殿でムルス神に
子爵は唸った。
――外交的なセンスはお持ちのようだ。国内世論への配慮もある。それに何より、ドルク兵で溢れるローダス島を横断するだけの肝の太さも。
「それで、ローダス島の様子はどうだったのですか?」
「ひどい有様だった。話に聞いた『修練の壁』は見るも無残に破壊されていたな。我々はやすやすと城壁に辿りつけたよ。
だがそこにあったのは想像を絶する物だった。ドルクは城壁を乗り越えるために死体と瓦礫を積み上げていたのだ。滲み出た血で池にようになっていたよ。臭いも酷かった。
ムルス騎士団はそれを『地獄の坂』と呼んでいた。逆にドルクは『
イゾルテは皮肉げに口元を歪ませて乾いた笑いを漏らした。
「…………」
子爵は言葉を失っていた。イゾルテの語る内容の悍ましさと、それを冷めた目線で語る彼女に。
「だが、あれをそのままペルセポリスで使うことはできまい。城壁の高さが倍はあるから、必要な瓦礫と死体は8倍以上だ。その上それほどの重量となれば、人の体が潰れてしまうかもしれない。それに万が一完成しても、物理的な対抗策は考えてある」
「……どうなさるおつもりですか?」
「結局のところ、それは
現物を見ていない以上、果たしてそれで上手く行くのかどうかは分からない。だが、聞いた限りでは十分に効果が有りそうだ。少なくとも「対策が有る」という安心感はあった。そして同時に彼は、彼女がそのような悍ましい代物に対して冷静に考えを巡らしていることにも驚きを感じていた。
「……なるほど。もはや海峡が封鎖されることもあり得ないのですから、燃やす物に困ることもないでしょうしね」
しかしイゾルテは悩ましそうに顔を顰めた。
「だがな、子爵。心理的な対抗策が思いつかないのだ。アレを見た兵士や市民が怯えた時、私は彼らを鼓舞する言葉を知らない。私自身、アレを見た時には言葉を失った。護衛に付いてきた歴戦の水兵達も思わず嘔吐する程だった。アレの目の前で戦い続けたムルス騎士団はさすがだと思ったよ。
子爵、あなたなら何と言うかな?」
子爵は首を振った。彼にだって何と言えば良いのか分からない。義兄を失った、あの戦いの時もそうだった。
「分かりません。ですが……伝える言葉が見つからないなら、行動で示すしかありません。
私ならその悍ましい坂に足を踏み入れ、雄叫びをあげるでしょう」
「…………」
予想外の答えにイゾルテは静かに瞠目していた。
――なるほど、猛将と呼ばれるだけのことはある。こういう人物こそが人々の心の支えになるのかもしれない。マストの上から見守ることしか出来なかった私とは、根本から違うのだな……
イゾルテは離宮を辞する前にミランダの寝室を訪れ、彼女の額にキスをした。
「また来るよ、ミラ」
心の冷えるような話の後では、ミランダの無邪気な寝顔がいつもよりも一層愛おしく思えた。
「子爵、今日は話せて良かった。叔母上にもよろしく伝えてくれ」
「こちらこそ、貴重なお話をありがとうございました」
帰りの馬車の中、イゾルテは考えていた。陸軍と海軍はどちらも欠かせぬプレセンティナの両輪だが、民間人を含めた国民の大半が戦うのは籠城戦――つまりは地上戦である。彼らの心の支えとなる者は、ルキウスのように陸軍を率いなくてはいけない。それはイゾルテが海軍に肩入れしている理由の1つでもあった。テオドーラの夫となり事実上の皇帝として君臨する人物にこそ、陸軍を統率して欲しいのだ。そしてこのペルセポリスを守って欲しい、と。
――スキピア子爵も悪くはない。だが候補に入れるのは口だけではないと証明されてからの話だな。
そのスキピア子爵は離宮で姉の帰りを待っていた。自宅に帰ろうと思っていたのだが、イゾルテに「叔母上によろしく」と言われた以上はちゃんと「よろしく」と伝えなくてはいけない。彼は無駄に律儀な男だった。
姉を待つ間、彼は独り思索に没頭していた。これまで彼は、テオドーラが帝位を継ぐことに納得していた。というより、テオドーラでもイゾルテでも結局はその夫が実権を握るのだから、どっちでも構わないと思っていたのだ。皇帝ルキウスに劣るところのなかった彼の義兄が、日陰者として生き日陰者として死んだのは長幼の序に従ったからだ。ならば、イゾルテではなくテオドーラが帝位に就くのが当然のはずだった。それは彼だけでなく、多くの宮廷人達の共通の認識でもあったのだ。少なくとも、昨年までは。
だがローダスの攻防以来、ムルクスを中心としてイゾルテ派ともいうべき勢力が
子爵もそこでムルクスの話を聞かされた1人だった。イゾルテを帝位に推そうという腹が透けて見え、平地に波瀾を起こそうとするムルクスを軽蔑して席を離れようとした時、ムルクスが言った。
「テオドーラ様の夫となられる方が、イゾルテ様より優れた方なら良いのですが」
テオドーラの夫とイゾルテの夫が同じ力量を持つのなら、長幼の序に従ってテオドーラが帝位に就くべきであった。だが、テオドーラの夫とイゾルテ自身が同じ力量を持つのであれば、話が変わってくるのではないか?
――その場合は確かに、イゾルテ殿下が帝位に就く方が正しいのだろう
子爵はムルクスの主張自体にはそれなりの妥当性を感じ始めていた。だが彼には、宮中で何度か会話を交わした美しく大人しい少女が、ムルクスの言うような英雄的な言動をしたとはとても思えなかった。ムルクスが野心のために自分の手柄を譲っていると考えたほうが自然に思えたのだ。
だが今日のイゾルテは、子爵の知る大人しい少女ではなかった。冷静な観察、的確な考察、そして情を切り捨てたかのようなその振る舞い。賢いだけで戦いを知らない訳ではない。怯えた兵を鼓舞する方法まで考えたのは、実際に兵を指揮した経験からだろう。ローダスでもただのお飾りでなかったことの証だ。
だが彼はムルクスの言葉が事実であると感じると同時に、その危うさも感じずにはいられなかった。彼が引っかかりを感じたのは、イゾルテの何気ない言葉だった。
『私自身、アレを見た時には言葉を失った。護衛に付いてきた歴戦の水兵達も思わず嘔吐する程だった』
――なぜ殿下自身が、15の小娘が吐かずにすんだのだ?
確かに水兵は陸の兵より大量の死体を見ることは少ないかもしれない。だが、戦争がない限り誰も死なない陸の兵と異なり、海兵は普段から酷い事故を間近に見ているのだ。しかも、激しい実戦をくぐり抜けた直後だ。
――その中の精鋭が見ただけで嘔吐するような物を前に、なぜ殿下は黙りこむだけで済んだのだ? いやそれより、自分が言葉を失ったということが、どうしてその悍ましさを伝えられると思えるのだ?
その疑問は彼の鋭い直感を経て、新たな一つの疑問に集約された。天啓を得たのだ。
――ひょっとして殿下は……御自身をただの人間だとは考えていないのではないか?
プレセンティナの皇帝は、究極的にはただの人間である。神に絶対の権力を与えられたと嘯くドルクの皇帝とは全く違うのだ。そのような人間がプレセンティナ帝国の皇帝の座に就くことなど、絶対に許してはならないことだ。
だが彼がそう危ぶむ一方で、イゾルテにはミランダに見せる優しい姿や、捕虜や奴隷に対する寛大な側面もあるのだ。子爵に対する態度も傲岸不遜とは程遠かった。
何かが違う、と彼は思った。能力がどうとかいうのではない。表面上の言動や態度でもない。心の有り様が、普通の人間とは根本的に違うのだ。
『どちらが本当ということもない。どちらも本当の私だ』
彼は『黄金の魔女』という異名を思い出した。捕虜たちから漏れ聞いた噂だ。
彼は『太陽の姫』という二つ名も思い出した。もはやペルセポリスにその名を知らぬ者はいないだろう。
――神か、悪魔か。いずれにせよ
だが8年前に義兄から後事を託された以上、彼はイゾルテが帝位にふさわしいかどうかを見極めなくてはならなかった。彼は律儀な男なのだ。
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