12 三者会談

 ドルク軍の生き残りの艦船がローダス島に戻ると、ローダス遠征軍総司令部は素早く動いた。撤退を決めたのだ。まさに果断! ただし船が足りないのでほとんどの兵士は置き去りにすることになった。即断即決である。こういう非道なこともドルク軍ではサクッと決まる。

 現地に残る代理司令官をヒシャームが募ると、第1軍団司令が手を上げた。これほどの敗戦でおめおめと生き残れば、ドルクの慣例では総司令官が死を賜ることになる。だが今回の総司令は、皇帝から身内以上の信頼を得ているヒシャームだった。恐らくはヒシャーム以外の誰かが詰め腹を切ることになるだろう。そしてその筆頭候補が、海軍で唯一生き残った輸送艦隊司令と、陸軍部隊の最高位の将官である第1軍団司令だった。そのため第1軍団司令は、帰国して刑死するよりは戦死なり捕虜になる方がまだマシだと考えたのだ。

 この決定には緘口令かんこうれいが敷かれたまま出港の準備がなされ、その日の夜のうちに残された全ての帆船とガレー船が、プレセンティナ艦隊のいる東の海を避けて北アルークへと旅立って行った。11月21日のことである。


 その5日後、プレセンティナ艦隊はローダス港に侵入し、軍使を派遣した。捕虜となっていたドルク軍第3艦隊司令である。第1軍団司令は彼の説得を受け入れて降伏を決めた。この期に及んでローダス城を落としても、彼らが餓死した後でプレセンティナの物になるだけだったからだ。ムルス騎士団に対しては「最後まで戦うぞ! オマエらも道連れだ!」と脅しをかければ有利な条件を勝ち取れる可能性もあったが、海上にあるプレセンティナ艦隊に対しては手も足も、そして口すら出せない。無条件降伏以外の選択肢がなかったのだ。

 だがそれならばと、彼らはムルス騎士団を含めた3者会談の開催を提案した。会場はプレセンティナ側に配慮してローダス港のゲルトルート号船内とされた。



 11月29日、ゲルトルート号の一室にドルク軍第1軍団司令、ムルス騎士団団長、そしてプレセンティナ帝国皇帝の名代たる皇女イゾルテが揃った。それぞれ苦しい中で精一杯威厳を取り繕おうと正装をしていた。比較的に余裕のあるイゾルテも、軍服の胸の穴を誤魔化すためにポケットからハンカチを垂らしたりしていた。なんだかちょっとキザっぽかったが、やっているのが美少女なら大抵のことは許される。


 3者会談は、まずドルク軍の第1軍団司令が口火を切った。

「我々は、1ヶ月後に降伏します」

1ヶ月というのはハッタリではなかった。陸軍が約7万人まで半減して海軍も全滅し、更に僅かながらも補給が届いたおかげで、一人あたりの備蓄量が劇的に改善されていたのである。

「そうか、我々としては是非もない」

イゾルテがあっさりと答えるのを聞いて、騎士団長は慌てた。天の階あまのきざはし――瓦礫と死体でできた階段。ムルス騎士団では「地獄の坂」と呼んでいる――が完成した今、ムルス神殿の本城壁が突破されるのは時間の問題だったのだ。このまま戦いを続ければ、1か月どころか10日と保たないのは誰の目にも明らかだった。


「待て待て、まだ戦うというのか!? 降伏の条件を話し合うのではなかったのか!?」

「ですから、1ヶ月後に降伏するというのが我々の条件です」

取り付く島もないその態度に、騎士団長はイゾルテに向き直った。

「プレセンティナはそれで良いのかっ!?」

「良いも悪いも、我々には上陸して戦う兵力がありません。食料があるうちは、ドルクに降伏を強要することはできません」

「降伏時期も含めての交渉ではないか。今降伏すればどれだけ有利なのか、1月後ならどれほど不利なのかも提示するのが交渉だろう」

「お言葉ですが、我々は勝ったつもりです。この上我々が、彼らに食料をくれてやったり、大陸まで運んでやったりするいわれがありますか? 正直、これ以上何万人も捕虜が増えては迷惑です。我々は彼らが降伏するのがいつだろうと対応は変えません。ただ帰国するだけです」

「そんな無責任な話があるか! それでは見殺しではないか!」

騎士団長は悲鳴を上げたが、イゾルテは平然と返した。

「敵のことです。当然でしょう?」

騎士団長は「そうではなく、我々ムルス騎士団のことだ!」と言いたいのを我慢した。今更だが面子というものがある。ドルクは元よりプレセンティナに対しても、それだけは言えなかった。


 そこでイゾルテは助け舟を出した。

「ただ講和とは別に、ムルス騎士団が船や食料を必要とされるのでしたら、本国から取り寄せることはできます」

「もちろん必要だ。用意して欲しい」

「しかし、今のムルス騎士団に支払い能力がございますか?」

イゾルテの言葉に、騎士団長は目を剥いた。ここから先は商売だというのだ。商人のように人の足元を見るとは、実にプレセンティナ人らしいやり口である。彼は苦り切った声を絞り出した。

「……何が望みだ?」

イゾルテはにっこり微笑んだ。まさに天使のような愛らしい微笑みである。

「ローダスに新しい港を作りたいと考えています。その港についての一切の権限を頂ければ、ドルク兵の輸送、食料の提供はこちらで負担致しましょう」

天使の漏らした悪魔のような言葉に、騎士団長は激昂した。

「それでは事実上の割譲ではないか! 我らの領土は寸土として渡せんぞ! 歴代団長に申し訳が立たぬ!」

「では交換ということではどうでしょう? 我らが帝都ペルセポリス郊外に新たにムルス神を祀る神殿を建立致しましょう。それをムルス騎士団に差し上げます」

「……悪い話ではないな」

交換ということなら騎士団の面子は立つ。その上新しい神殿を建ててよこすと言うのだ。問題があるとすれば、ただでさえ数が減ってしまった騎士を、遠く新神殿に派遣しなくてはいけないことくらいだ。だが逆に考えれば、新神殿が出来れば団員の募集にも弾みが付くだろう。

「……分かった。その線で話を付けよう」


 この日、3者会談は講和の条件として以下の条項に合意した。

・戦闘は直ちに停止する

・ドルク兵は武装解除され、北アフルーク経由でドルクに送還される。この費用はプレセンティナが負担する。

・ドルク兵が送還されるまでの間、プレセンティナは食料を供給する義務を負う。

・ムルス騎士団はドルク軍士官を捕虜とし、ドルク本国に身代金を請求する権利を持つ。

・既に捕虜になっている者は上記の各条項に含めない。

・プレセンティナは、ローダス島に新しい港を作る権利を持つ。その港に関する一切の権限はプレセンティナが有するものとする。またその位置はプレセンティナとムルス騎士団の合意の上で決定する。

・プレセンティナは、ペルセポリス郊外に新しくムルス神殿を建立し、ムルス騎士団に引き渡す。新しいムルス神殿の位置、設計については、ムルス騎士団の代表者とプレセンティナ政府の合意上で決定する。


 この合意を持って、ローダス島を巡る戦いは終わった。



 その夜、密かに言葉を交わす男たちがいた。

「プレセンティナは恐ろしい国だな。味方から賠償金を奪い取っていった」

「ああ、このローダスに港を持ったのは大きい。ドルクはもう二度とメダストラ海に出て来れないかもしれぬ」

「いや、ペルセポリスに出城ができるのも小さくはないぞ。しかもそこに籠もるのはムルス騎士団だ。手強い上に、全滅してもプレセンティナの腹は傷まない」

「だが、一番驚いたのはイゾルテ皇女のことだ。ただ降伏を勧告をするだけでなく、講和会談の筋書きまで用意してくるのだからな」

「ああ、末恐ろしいことだ。だがそれに従わなければ、我々は良くても奴隷、悪ければ餓死するところだった。今は感謝しておこう」

「……そうだな」

その会話はドルク軍の天幕の中で交わされていた。



 5日後、プレセンティナ艦隊は一部の艦艇を残して帰国の途についた。応急修理しかしていないゲルトルート号では、航行しながらも昼夜交代で排水作業が必要だった。イゾルテもちょっと手伝ってみたものの、結局邪魔にしかならなかったので、体を休めるために甲板に上がった。彼女は体格相応に非力なのだ。


 ムルクスは甲板で独り海を眺めていたイゾルテを見つけると、近寄って彼女に話しかけた。

「ようやく全てが終わりましたね」

「……爺か。確かに終わったが、結果がでるのはしばらく先だぞ」

「結果? 何のことです?」

「ドルクが海軍の再建にどう動くかということだ」

ムルクスはイゾルテの言いたいことを掴みかねながらも、とりあえず話を続けた。

「ドルクの国力自体は衰えていませんから、当然失った戦力を回復しようとするでしょう」

「そのためにまた同じようにガレー船を作ると思うか?」

ムルクスは納得した。

――なるほど、浮網の優位性がいつまで保たれるのかを心配されていたのか

「それはそうでしょう。ああ、もちろん浮網に対する工夫はするでしょうね」

だがイゾルテは首を振った。

「いや、網で優位に立てるのは今回限りだと分かっているのだ。問題は、ドルクが誰に櫂を漕がせるのかということだ」

「それは……ああ、そういうことですか。奴隷を使って鹵獲されたら、そのまま敵に寝返ってしまうという教訓を得ましたからね」

 最後の決戦では、奴隷たちを味方につけたことで勝利を得ることができた。逃げ帰った者達が証言すれば、それはドルクにも分かるはずだった。

「その対策は4通りある。降伏を許さないか、降伏する前に奴隷を殺すか、そもそも奴隷を使わないか。あるいはガレー船自体を作らないか」

「ドルクなら、降伏前に奴隷を殺すくらいはやりかねませんね」

「そこなんだ。私もそこまでは考えが及ばなかった。ローダスの惨状を見て、初めてその可能性に気付いたのだ。私はまだまだ考えが足りなかった……!」

そう言ってイゾルテは心底残念そうに溜息を吐いた。

 その様子に、ムルクスは違和感を覚えた。まるで、それ以外の可能性についてはずっと前から考えていたかのようではないか。

「……まさか、姫。ドルクがガレー船に奴隷を使わなくなるように誘導していたのですか?」

イゾルテの口元が不満気に歪んだ。

「心外だな、爺。お前が言ったのではないか。『何事かを変えたいなら、その原因と理由を理解した上で、それ以上の原因と理由を用意しろ』と。

 残念ながら私の用意した原因と理由は、まだ充分ではなかったのかもしれない。私はまだまだ満足してはいけないようだ……」


 それはイゾルテがムスタファのガレー船を見て激怒した時の言葉だった。ムルクスは思った。

――いやいや、それを言ったのは姫ですよ!

だがかつてイゾルテがそう言った時と同じように、彼は口を噤んだ。彼の不用意な発言はイゾルテの中で化学変化を起こし、いま現実の世界を大きく変えようとしていた。彼女はもはやムルクスの教育を必要とはしていないのかもしれない。ただ刺激を与えるだけで彼女は自分で何事かを考え、何事かを学ぶのだ。余人にはその内容を窺い知ることは出来ないが、それが決して不愉快な内容ではないことは、ムルクスには確信があった。


――この方はどこまで大きくなるのだろう……?


 身長も胸もこの一年あまり全く成長していないイゾルテだったが、内面の成長は驚くほどだ。その上今回の戦いで、軍事的、政治的に大きな成果を上げた。今後は宮廷内、軍内で大きな影響力を持つことにもなるだろう。


――この方こそが帝位に就くべきなのではないのか……?


 本人がそれを望んでいないことを誰より知りつつも、ムルクスはその可能性を考えずにはいられなかった。

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