神様の贈り物

 プレセンティナ帝国の歴史は古い。元を正せば2000年ほど前、何処からか流れてきたタイトン人がウロパ大陸南部に定住した事から始まる。タイトン人はメドストラ海を囲む3大陸――ウロパ大陸、アルーア大陸、アフルーク大陸――に無数の植民都市を築き、争いと和解を繰り返しながら1つの国のもとに統一された。それが豊穣の女神の名を付けられた国、ヘメタルである。

 王政国家として始まったヘメタルは周辺諸都市を併合して力を付け、同時にその戦いの功績によって民衆が力を付けた。それによってヘメタルは民主制に移行し、その民衆の力によってますます強大な武力を手に入れた。タイトン人を統一した後も、ヘメタルは周辺の異民族国家を次々に懐柔し、同化し、吸収して拡大していった。

 しかし北の蛮族ゲルム人はヘメタルに屈しなかった。彼らとの戦いは慢性化し、更にはその戦いの中で方針をめぐって内乱が起こり、ヘメタルは帝制へと移行した。

 更にアルーア大陸に建国された宗政一致のムスリカ教国が急速に勢力を拡大すると、へメタルは北と東に敵を抱えることとなった。本拠地のあるウロパ大陸の安全を重視する一派はゲルム人との戦いを優先すべきだと主張し、富の源泉であるメダストラ海を重視する一派はアルーア大陸沿岸部の防衛を主張して、これが国内を二分する論争になった。

 内乱を危惧した時の皇帝は、ヘメタル歴736年に国を東西に分割し、二人の息子にそれぞれを継がせた。この時新たに生まれた東の国がプレセンティナ帝国である。プレセンティナは女神ヘメタルの娘ペルセパネの別名であり、その権威は西のヘメタル本国に由来し、格も一段落ちるという暗黙の意味が込められていた。


 その後2つの国は衰退を続けた。西のヘメタル本国はゲルム人との戦いで荒廃し、力尽き、蹂躙された。ヘメタル歴981のことである。しかし国家としてのヘメタルは滅びても、ゲルム人の同化には成功した。ウロパ大陸の各地に興ったゲルム系の国家はタイトンの優れた文化を継承し、タイトン人とゲルム人の混血と同化が進んだ。そして諸王国が世代交代を繰り返す内にタイトンの神の名を冠する新しい国々が興った。タイトン文化の継承者であることを示すため、ヘメタルやプレセンティナに倣ったのだ。そして今ではウロパ大陸にひしめく大小様々な王国が、タイトンの神々の名を冠していた。その名前だけ見れば、まるでタイトン人によって再征服されたような様相であった。

 一方東のプレセンティナは、ムスリカ教国やその版図を継いだドルク帝国との戦いでアルーア大陸の領土を失い、アフルーク大陸の領土は独立し、ウロパ大陸の領土もゲルム人によって奪われていた。かつての大帝国は、今では首都ペルセポリスとその周辺を残すだけの都市国家にまで落ちぶれてしまったのだ。

 それでもプレセンティナ帝国は、未だにメダストラ世界における列強の一角と目されていた。その理由の1つは、ペルセポリスはウロパ大陸とアルーア大陸が睨み合うペルセパネ海峡を押さえる東西交通の要衝であり、人口100万を越える大都市であるということだ。そしてもう1つは、ヘメタル直系のプレセンティナ帝国は、タイトン諸国にとって一種の文化的・政治的な権威と位置づけられているということだった。

 そして何より重要なのは、ペルセポリスはこれまで合計35回、延べ1000万人以上の敵を退けた難攻不落の城塞都市であるということだった。陸軍100万を号するドルク帝国のタイトン侵攻を、文字通り水際で防ぎ続けているのである。まさにタイトンの盾。プレセンティナ帝国はその建国の目的を未だに果たし続けていたのである。


 ヘメタル歴1521年現在、タイトン世界唯一の皇帝位にあるのはプレセンティナ帝国第32代皇帝ルキウスであった。12年前に25歳で帝位を継ぎ、現在は37歳。取り立てて失政もない一方で、皇太子時代に一度、帝位についてからも一度ドルクの侵攻を撃退しており、軍や国民からの信頼も厚かった。ただしこの数年は健康がすぐれず、後継者問題が取り沙汰されていた。彼には娘は2人いるものの、肝心の男子がいなかったのだ。弟は2人いたのだが、彼らはドルクとの戦いの中で戦死していた。彼らにも息子はなく、すぐ下の弟に娘が1人いたのだが、彼女もまた病弱で将来を危ぶまれていた。

 そのため、皇帝の長女で18歳のテオドーラが暫定的な後継者と見なされていた。ただし彼女が女帝となるとしても、実質的にはその夫が帝国の舵取りを担うものと考えられていた。彼女が誰と結婚するのか、つまり皇帝が誰を後継者に選ぶのかというのが注目の的となっていたのである。

 そして、注目されていない方の皇女がイゾルテであった。次女で14歳の彼女は、皇帝に疎まれているという噂があった。姉のテオドーラは皇宮に宮殿を与えられていたのに、イゾルテは離宮に住まわされていたのだ。それに彼女は離宮に篭もりがちで夜会のにもあまり出席することもなく、社交界で注目されることも少なかった。また正妃イザベラの子でありタイトン人の血の濃いテオドーラに比べて、遠く北の小国から嫁いできた側妃ゲルトルートの子であるイゾルテは、格の面でも一弾劣るとも見做されていた。

 そして彼女は、後継者たるテオドーラからも疎まれているらしいのだ。たおやかで誰にでも別け隔てなく温和なテオドーラが、イゾルテだけは鋭く睨みつけ、口調も刺々しいのだと噂されていた。このためイゾルテは、テオドーラの登極後には一段と苦しい立場に立たされると予想され、多くの人びとに敬遠されていたのだ。


 だが、イゾルテには余人には代えがたい資質があった。彼女は神の寵愛を受けていたのだ。


 最初の兆しがあったのは8年前、ペルセポリスがドルク軍に包囲されていた時だった。6歳だったイゾルテは、ドルクの間者を警戒した父によりテオドーラや従姉妹と共に塔の中で生活させられていた。入り口には常に衛兵がいて外に出ることは許されず、週に1~2度父や叔父が様子を見に来てくれるのが唯一の楽しみだった。

 ある時ルキウスが塔を訪れると、イゾルテが絵本を読んでいた。何気なく覗き込んだ彼は息を呑んだ。そこにはまるで、自然の風景をそのまま閉じ込めたかのような見事な絵画{写真}があったのだ。紙自体も見事で、薄く均一な上に表面には光沢まであった。東西文化の流れこむペルセポリスで至高の座にある彼でも、それはそれまで見たことのない代物だったのだ。

 彼がイゾルテを問い質すと、朝起きたら枕元にあったという。だから彼女の方は、てっきりルキウスがくれたと思っていたのだ。彼は侵入者を警戒して警備を強化する一方、彼女を宥めすかして絵本を取り上げた。そしてそれを学者や芸術家、さらには様々な職人たちに見せて回った。その出処でどころを探ろうとしたのだ。だがその絵の作者はおろか、紙の産地も、書かれていた文字の種類すら分からなかった。

 後日彼が本を返すために再び彼女の許を訪ねると、彼女は今度は奇妙な望遠鏡{双眼鏡}を持って窓の外を覗いていた。警備を強化したにも関わらず、また枕元にあったのだという。海運の国でもあるプレセンティナ帝国では望遠鏡もそれほど珍しくはなかったが、その望遠鏡{双眼鏡}はルキウスの見たことのない代物だった。双胴で開口部が大きく、それでいて短かった。そして何より、全く歪みがなく、色も付かず、軽かったのだ。

 彼はそれを貸すことを嫌がるイゾルテごと望遠鏡{双眼鏡}を城壁まで持ち出すと、陣を構えるドルク軍を覗いてみた。すると将軍の旗が読み取れ、天幕を出入りする人物まではっきりと見ることが出来たのだ。

――こ、これは使える!

 彼はイゾルテに説いた。

「どうやらお前は、何れかの神に愛されているようだ。塔に閉じ込められて不自由をしているお前を慰めるために、最初はこの世界のあちこちの風景を閉じ込めた魔法の本を与えられた。そして今度は、町を眺めるために魔法の望遠鏡{双眼鏡}を与えられたのだろう。

 だが、この望遠鏡{双眼鏡}はこの国を守るのにも役に立つのだ。お前を愛してくださる神なら、この国が滅びることを喜ばれぬだろう。だからこの望遠鏡{双眼鏡}を国を守るために使っても許してくださると思うのだ。敵が退くまでの間、この望遠鏡を父に貸しておいてはくれまいか?」

 神だのなんだのという話はルキウスとしても半信半疑だったのだが、口にしてみると不思議とそんな気がしてきた。厳しい警備を掻い潜って塔に潜入し、人智を超えた道具をプレゼントするなんて人間に出来ることだろうか? いやそもそも、手段の前に動機からして理解出来ない。だがタイトン神話の神々ならどうだろう。主神であるゼーオスからして、いろんな人間の女に入れ込んでは奥さんのヘーレに何度も何度も怒られている変人(変神?)なのだ。一人ぐらい幼女にプレゼントを送るのが大好きだっていう神様がいても不思議ではない。性的な意味で好かれているのなら大変困るが、孫に贈り物をする爺さん的な気持ちなのかもしれないではないか! ……というか、彼はそう信じたかった。

 ただ問題の神(?)の意図がどちらであれ、贈り物を無理に取り上げてイゾルテにヘソを曲げられたら、贈り主の機嫌まで損ねかねない。だから彼は言葉を尽くしてイゾルテを説得したのだ。イゾルテは頷き、渋々ながらも父に望遠鏡を差し出した。


 結局この戦いでは、前線視察中のドルク軍の皇子に向かってプレセンティナ軍が突如として逆撃を加え、その首を討ち取ったことで勝負がついた。ただしその勝利は、左右両翼を率いたルキウスの2人の弟たちまでが討ち死にするほどの激戦の上での辛勝だったのだ。とはいえ、終始守勢に立たされているプレセンティナ帝国が、ドルクに対して城壁の外で勝利したのは実に50年ぶりのことでもあった。そのためこの戦いの勝利はプレセンティナ帝国の健在ぶりをメダストラ海を取り巻く三大陸に知らしめることとなり、皇帝であるルキウスの威光を高める結果ともなった。


 戦いが終わるとイゾルテも塔を出たが、その後も時折贈り物が届いた。それは服であったり、文房具だったり、正体も用途も不明のであった。まさに玉石混交といったありさまだったが、その中には羅針盤{方位磁石}など、世界に大きな影響を与えたとびきりのも含まれていた。羅針盤{方位磁石}には、まずは常に北を指し続けるという機能に驚かされ、さらに一緒に贈られていた強力な磁石{ネオジム磁石}を使って磁針を作れることまで分かってもう一度驚かされた。神の創り給うた道具といえど、人間が模倣することも不可能ではないのだ。今ではその磁石を使って羅針盤{方位磁石}が量産され、ペルセポリスの造船所で進水式がある度に皇帝の名で下賜かしされるのが慣例となっていた。

 そして1年ほど前からしばらくの間、毎週のように本と模型の部品が届けられたことがあった。全部の部品を順番に継ぎ合わせていくと、1つの船の模型になるというものだ。単に模型を与えるのではなく、作り方を教えようという神の意図の表れなのだろう。実際にその本では本物の船の構造が恐ろしく写実的に図解されており、文字が読めなくても大まかな構造は読み取ることが出来た。そこで図と模型を参考にして実際に作っちゃったのがゲルトルート号なのである。イゾルテが試験航行に随行しているのはそういう経緯だ。ちなみに一連の贈り物にはDoAG○STINIと書かれていたが、意味も発音も分かっていなかった。


 その後も相変わらず贈り主は分からないままだったが、イゾルテに対して害意がないこととだけは確かなようだった。だが本人に害意がなくても、この秘密が漏れればイゾルテの命を狙う者が現れるかもしれない。あるいは神秘主義的な者達によって彼女が利用される恐れもあった。そのためイゾルテの贈り物のことは秘密とされ、彼女は離宮に隔離されていたのである。

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