夜に舞い散る

まゆし

夜に舞い散る

 ザァァァ…という雨の音と真っ暗な部屋。


 俺は、ベッドに仰向けに寝転がったまま、動かない。動く気もしない。眠気もなく、音楽が聴きたい気分でも、DVDを観ようという気分でもない。

 ただただ、ベッドに横たわったまま、雨音を聞いていた。


 目を閉じてみると、じわっと軽い痛みのようなものを感じた。身体は寝ようとしているようだから、眠れないわけではないようだ。でも俺は寝たくないと思っていた。


 理由などない。目を閉じるのが怖いとか、寝るのが怖いとか、夢を見ることが怖いとかそんなネガティブなものは全くない。

 起きていたい理由はただ一つ。雑音が聞きたくないだけ。それだけ。


 昼間は雑音の嵐。人の声も足音も車の音もバイクのエンジン音も、もう何もかもがうるさい。太陽すら音をたてて、とてつもない熱量で照るようにすら思えた。煩わしい。やかましいから、全部消えろ。


 雨の音がしなくなってきた。

 それを名残惜しく残念にも思い、鳥のさえずりや車の音…空が少しずつ明るくなってきたので、雑音を聞きたくなくて、俺は寝ることにする。


 今日も俺は一人で静かな夜を満喫した。何をするでもない。静かな時間を過ごすだけ。そして、今日もそれは残念ながら終わってしまったので、眠る。静寂だけがあればいい。唯一聞いていて心地良いのは雨音だけ。それ以外は、全て騒音でしかない。


 俺の住むマンションは、海が近い。人工的に作られた土地に建てられたマンション。

 その9階。眺めだけはいい。その窓から、夜になったことをいつも確かめる。暗い海を眺める。その海には大した波もない。

 おそらく、人工的に作られた土地のせいで、海も自然と大きく広がる海とは違った作り物の景色。


 埋め立て地ということに気が付いた頃には、もう何もかもが作り物に見えて、自然なんてものは消えていく。道路の脇の木だって、わざと植えたものなんだろう?自然ぶったところで所詮は作り物にすぎない。


 人間だって作り物だ。本心を隠して愛想笑いをして愛想笑いが板について剥がれない。何を考えているかわかったところで、どうもしないが。俺と合わない考えなら目を逸らすだけだ。耳を塞ぐだけだ。


 わかっているのに、俺はここから動けない。


 理由なんてない。ただ動けない。俺はどうする?と自問自答をしても、思考回路は活動もしない。気持ちは微動だにしない。身体も同じく。


 今日も俺は夜を確かめる。窓の外は暗い。暗いのに人影が見えた。なんだろうか。人影が進む方向には海しかないのに。


 人影を確かめたい。何故かそう思い、家を出る。


 どこかで読んだのだったか、聞いたのだったか。


 壁に囲まれた後宮。宮から夜な夜な抜け出し、塀の上で真夜中に長い袖を自由自在になびかせて、儚げな蝶のように華麗に舞う妃の話。時には月明かりが妃を控えめに優しく照らす。妃達は皆、籠の鳥。

 夜になると壁を軽々と上り、妃は舞う。足を滑らせてしまえば、すぐ下の堀へ落ち、溺れてしまうのに。

 それを何度も見かけた女官達が、妙なことをまことしやかに噂を広め、その妃はどうなったのだったろうか。


 人影は女だった。長い髪を風になびかせ歩く。


 あの話に登場する妃のようだと思った。


 彼女は淡い青色の多少の幅と長さがある布を、ゆったりと服の上から羽織るように、両肘の内側で落ちないようにして、端を長めに下に流している。

 街灯がたまに彼女の姿を見せてくれる。だが、顔は見えない。細身の身体であることしかわからない。

 彼女は足音もたてずに、静かに海の方へ向かう。


 俺の足は微熱のような気だるさを感じながら彼女を追う。地面を踏みしめる感触がないことにすら気付かない。俺の足音も聞こえない。何故だ。


 彼女がゆっくり歩く度に、その布は優しくなびいていた。気がつけば彼女は、堤防の上にいた。


 俺の足は堤防の前で止まった。


 彼女はその布をひらりひらりとなびかせ、踊った。ゆったりと夜を感じて、夜を纏って、彼女は夜になった。彼女の長い髪がさぁっと煽られる度に、ひろがり、なびいて、俺は幻でも見ているのかとも思った。


 それ程までに幻想的だった。雲が流れて、月明かりが彼女を照らす。それでも彼女の表情はわからない。また雲がやってきて、少しずつ元の暗がりになる。


 その夜に舞う姿から目が離せない。

 音のない夜。彼女は何者だ。彼女は誰だ。


 それなのに、それを知る前にずっと見ていたはずの彼女は気が付くと消えていた。

 日が昇り始めている。足早に家に帰り、空が明るくなり俺は眠る。


 そうだ、あの妃は「病気だ」と言われて、後宮を追い出された。追い出されてどうなったかは覚えていない。いくら思考を巡らせても思い出せもしない。


 俺は夜に舞う彼女にまた会わなければいけない。

 彼女が夜に舞う姿を見なければならない。


 夜を感じて、夜を纏って、夜になる。


 その夜を俺は感じていたい。


 俺を動かしてくれるのは、きっと彼女だ。動いた結果がどうなるのかは知らない。そんなことはどうでもいい。だから君に動かされるまで、ここから動かない。


 君を知りたい。君は夜なんだろう。確信なんて何もない。けれどそれでいいから、俺も一緒に連れていってくれ。


 声も聞いたこともない。顔すらまともに見えない。君の側に居させてほしい。それ以上は何も望まない。


 何もわからなくていい、俺はここから動かない。


 どうか散らないでくれ。

 どこへも行かないでくれ。


 そうして俺は、今日も夜に舞う君を見る。

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夜に舞い散る まゆし @mayu75

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