23:再戦の予感

 ユウが意識を取り戻した時、視界の正面には天井があった。

 ……窓からは陽が差している。


 今度はどの時点に戻ったのかと思ったが、体に感じる布団のぬくもりはこの世界に来てからまだ一度も経験したことのないものだった。


 そしてその上には何か重いものが乗っている感触。

 その正体を確かめようとしてユウは体を起こした。


「……ステラ?」


 その正体はユウにとっての女神。

 ユウが彼女にしたい女の子ランキングぶっちぎりで一位の美少女、ステラだった。


 ステラじゃ椅子に座ったまま上半身をベッドの上に預けて寝息を立てている。

 ユウの呼び掛けにも彼女は反応しない。


 よく寝ているようだ。

 窓から差し込む柔らかい日光で彼女の髪が輝いている。


(起こすべきか、寝かせておくべきか……。ん? 待て、この感触は……?)


 布団越しに太腿に伝わる彼女の感触に気が付いたユウは、そのままにしておく方を瞬時に選択した。


 さらには部屋には自分たち以外いないことを確認してからステラの寝顔をガン見し始めた。

 この場にリアが入れば問答無用で斬られそうである。


(すっごいいい匂いがする! クンカクンカ。)


 仄かに漂ってくるステラの香りがユウの鼻をくすぐった。

 ちなみに薫香の読み方は”くんか”ではなく”くんこう”らしい。


 とにかく、理性は早くも別世界に転移寸前である。


 そして――。


「ユウ、……好き」


「――?!?!?!?!?!」


 ユウの体に電撃とか衝撃とか色々なものが走った。


 いや、もはや走ったというより駆け抜けていた。 

 極度の肥満で全く動く気配を見せなくなった猫が餌を見つけた瞬間に全力疾走するぐらいの疾走感で駆け抜けていった。


(寝言? いや待て、寝たふりをしているだけの可能性も……。)


 ゴクリと息を飲むユウ。

 ……運命の時である。


『襲っちまえよ。据え膳食わぬはなんとやら、ってやつだぜ?』


「いやいや、寝てる女の子を強引にとか趣味じゃないし。」


 ユウは脳内に響いた誘惑の言葉を否定した。

 代わりに寝ているステラを起こさないように上体を近づけた。


(こ、これがステラの匂いか。)


 ユウは深呼吸してステラの空気を堪能した。


 ……なんか行動が変態っぽい。

 というか変態だ。


 何も知らないメイドがドアを開けて部屋に入ってきたのはちょうどその時である。


「……え?」


 メイドの少女はユウの様子を見て固まった。

 ユウも固まった。


 ぎこちなく首から上だけを動かしてメイドの方向を見ると、目を白黒させて混乱している彼女と目が合った。


「し、失礼しましたー……」


 少女はそれだけ言うと、静かに扉を閉めて走り去ってしまった。


『これはきっと噂になるな。寝込みを襲ってたほうがまだ健全だったぞ』


「――え? え?」


 再び脳内に響いた男の声に思わずユウは声を上げた。

 さっきは気が付かなかったが、知らない声だ。


 だが慌てて周りを見渡しても、この部屋にはステラ以外は誰もいない。

 彼女を起こさないように布団を抜けてベッドの下まで確認したが、やはり誰もいなかった。


 ユウは突如としてホラー映画を見た直後のような気分に突き落とされた。


 ……ラプラスが部屋に入ってきたのはその時だ。


 ユウはベッドの下を確認しようとして床に伏せていたのだが、何も知らない人間が見ればステラのスカートの中を覗こうとしているように見えなくもない。

 いや、それどころかスカートの中に頭を突っ込もうとしているようにも見える。


 ラプラスは静かに剣を抜くと、それをユウに突きつけた。


「ナターシャが『変態がいる』って言いながら走ってきたから様子を見に来てみたんだ。で? お前は何をやっていたんだ?」


「……ちょっと空耳の出所を探そうかと。」


「ほう、ステラ様のスカートの中から聞こえたのか?」


「違う、違うんだラプラス。」


 ユウは捕まった直後の痴漢のような声を出しながら、両手を上げて降参の意を示した。

 それを合図にしたかのようにステラも目を覚ました。


「ん……? ユウ……?」


「ああ、おはようステラ。」


「あ、おはようユウ……、くん。ラプラスくんも。……何してるの?」


 寝起きのステラは状況がわからずキョトンとしている。

 その仕草はユウの好みドストライクだった。


 ユウの顔が一瞬で真っ赤に染まるのも無理はない。


「いや、その……。」


「僕はユウが目覚めたらしいと聞いたので来ました。もうじきあの男の引渡しの時間ですので一緒に見送ろうかと」


 ラプラスはそう言いながら剣を収めた。

 ユウと違って彼はステラの寝起きにそれほど動じていないようだ。


 ちなみにあの男、というのはモンドのことである。

 それを聞いたユウは自分が例の夜を突破できたのだと理解した。


「そうだ。あいつはどうなったんだ? まだこの屋敷にいるのか?」


「ああ。捕まえて鎖でぐるぐる巻きにしてある。今はワルダーさんの監視付だ。もう逃げられないさ」


「まだ生きてるのか。」


 命を狙われた身であるユウは犯人がまだ生きているということに不安を感じた。

 おもむろにナイフが刺さったはずの腹部を触ってみたが、特に痛みはない。

 

 それどころか傷さえも無かった。


「……あれ?」


「傷はもうワルダーさんが治してくれたから大丈夫だぞ。よかったな」


 何気ない一動作でユウの意図を汲み取れる辺り、彼もちゃんとした従者なのだとユウは感心した。


(この世界だと従者と執事って違うのか? 後で聞いてみよう。)


 この場で聞いても良かったのだが、ユウもなんとなく空気を読める男の振る舞いをしたくなったので止めた。

 ……別に読めてないけどな。


 その後、少ししてからモンドを受け取りに憲兵達が来たのでユウもみんなと一緒に見送りに向かうことにした。

 どうやら女神教との摩擦を懸念して向こうに預けることにしたらしい。


 ユウ達が玄関に向かうと、ちょうどモンドが引き渡されるところだった。

 やってきた憲兵は二人の男女だったが、両方とも兜を被っていて顔は口元しか見えない。


「では確かに引き受けました」


「よろしく頼む」


(あれ?)


 ユウはリアと話している憲兵の男の声を聞いて違和感を感じた。


(この声、どこかで聞いたような? ……どこだっけ?)


 どこで聞いた声だったのか思い出そうとするも思い出せない。

 そうしている間に憲兵達は鎖で縛られたままのモンドをさっさと連れて行ってしまった。


 モンドはずっと大人しいままで、そしてずっとユウを睨んでいた。



「この辺でいいかな?」


 モンドを引き取った憲兵二人。

 彼らはレッドノート家を出ると、そのままモンドを連れて人気のない街の外れまで来た。


 この方向には憲兵の詰所も留置場もない。

 憲兵の格好をした男は周囲に人がいないのを確認すると兜を脱ぎ、結われた長い黒髪を解いた。


 現れた男の顔はモンドと同じ女神教の一人、エルネストだった。

 もう一人の憲兵も同様に兜を脱ぐと、こちらからはモニカの顔が姿を表した。


「まったく、早まったことをしすぎだよ?」


 エルネストの言葉にモニカも静かに同意した。

 彼女の顔が不満そうに見えるのは付き合いの長いエルネストだからか。


 いつも通りの反応を期待した二人がモンドの異変に気が付いたのはその直後だ。


「殺さねぇと……。早くあいつを殺さねぇと……」


 モンドはまるで強迫観念にでも駆られたかのようにブツブツと独り言を呟き続けている。

 エルネストはモニカと互いに顔を見合わせた。

 

 モンドは女神教の中でも過激派の集まるホーリーウインドの人間だ。

 多少の戦いや拷問で心を折られることなどありえない。


 しかし二人にはモンドが明らかに弱っているように見えた。

 肉体的にではなく、精神的にだ。


 たった一晩で何があったのか。

 エルネストがそれをここで聞くかどうか考え始めたのを遮るかのように、モンドが叫んだ。

 

「そうだ! あいつを早く殺すんだ! 福音持ち総出で!」


「なら、一度ノワルアに戻ろう。戦力を整えるんだ」


 即答したエルネストだったが頭の中では全く別のことを考えていた。


 女神教の中枢に限っていえばホーリーウインドは主流派、そして彼はそこに所属していない傍流だ。

 露骨に対立するような発言をする気はない。


 そもそもの話として、ここで騒ぎを起こせば敵地で孤立することになる。

 自分一人だけならばともかく、モニカまで無用な危険にさらすつもりなどなかった。


(それにしても、まさかモンドを精神的にここまで追い込むとは……。何があったか後で聞かないとな)


 狂信者の心を折るのは容易なことではない。

 一晩でそれをやってのけた相手を警戒するのは当然である。


 エルネストはモンドを促して先に歩かせると、ユウのいるであろうレッドノート邸の方を振り返った。


「エルネスト?」


 先に行ったモンドとは違い、モニカは彼が歩き出すのを待っている。


「ユウ=トオタケ、福音”ターニングポイント”の使い手か……。思ったよりやっかいな相手になりそうだよ。……少なくとも”彼”よりはね」

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